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2012年3月24日 (土)

漢詩『惜花』に同感

自宅では、折角、梅の花が咲いたのに、雨続き。待っている時は、晴れており、花が咲くと雨。うまくいかないものだ。人生と似ているかも。

漢詩にも『惜花』というものがある。以前にも、取り上げたのだが、少し違ったニュアンスで再度取り上げる。訓み下しは「花を惜しむ」だ。作者は不明だが、蘇軾の作ではないかとも云われる。

  花正に開く時 天晴れず

  晴るる時 満樹 緑陰成る

  蘭干に倚り遍くして空しく惆悵す

  静かに聴く 黄鸝(こうり。鶯のこと)の一声

次のように解釈してみた。

「花の開花は、人生同様ままならず、花が開く時は、雨が多く、晴れない。そして、晴れた時には、もう既に花はなく、全ての木々は、緑で覆われている。私の気分も同様で、何をやっても、てれこてれこで、ずっと欄干に寄り掛かって、気分が塞いで、無駄な時間を過ごしている。その中で、静かに鶯の声を聴いている。ああ、もう夏が来るのだろう」と。

人生にも、春夏秋冬がある。時の変化について行けず、心が晴れない時はある。だが、時はどんどん進んでいく。人間、立ち止まったり、時として後ろを見て懐かしんだりするけれど、やはり前を見て歩んでいくしかない。でも、作者の気持ちも、分らないではない。多くの人は、このようにして、時を過ごしていく。うまく行く時の方が稀なのだから。

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