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2012年3月 6日 (火)

お金の運用にも休みが必要

年金基金の運用が問題になっている。旧社会保険庁のOBの天下りも問題だが、そもそも彼らが運用のプロでないことだろう。お金の運用は自分のお金でも難しい。ましてや、他者から預かった、お金の運用となると、より神経を配った運用が求められるのに、それをしていない。

むしろ、投資顧問会社(*注)とぐるになって、おかしな運用をして、大きな穴をあけている。これらの被害は、この投資顧問会社に委託していた年金基金だけでなく、多くの厚生年金基金の対象者にも及ぶ。そもそも運用担当という仕事を簡単に受けてはならないだろう。

また、この投資顧問は、高い収益率を求めて、博打のような投資を次々として、回収できなくなったわけだが、投資する人は、これを他山の石として、心しなければならない。

さて、いささか前振りと論点が若干異なるが、本題に入ると、江戸時代の投資の神様、本間宗久の言葉を紹介しておこう。彼は投資に休みが必要と説いている。

  商い利運に当たれる時、まず大概に致し、取りとどまるものなり。

  その節一両月休むべし。

  この休むことを忘るる時は、何程利運に向きても、

  商いの仕舞の節は、かならず損失出づべし。

投資して、儲かって、すぐ再び投資する人がいるが、多くは、損失を出している。売って利益を出した時は、相場はてっぺんのことが多いから、そこで新たな投資をすると、相場は下落して、損失を出す。当たり前のことだが、人は、利益を出すと、そこで気分が高揚して、往々にして、また再投資しがちなのだ。彼は具体的に説を続ける。

  勝におごり、百両の利は二百両取る気になり、

  千両、二千両と気移り、欲に迷うて見切り兼ね、

  ついには大損をこうむる確かなり。

  これ欲より出でて迷うが故なり。

要するに、あまり欲深い人は、投資の運用者には向かないと、彼は指摘している。そもそも、お金の運用で、そんなに利益が出ること自体、おかしいのだから、年金運用にしても、企業の財務運用にしても、あるいは個人の資産運用にしても、欲深い人は、投資に向かないのは明らかだ。面白くはないかもしれないが、客観的に市場の動きを見て、淡々と投資・回収する人が、投資の担当者として相応しい。

*注

この会社の社長は野村証券の出身。大手だが、昔から何かと問題の多い証券会社だ。強引な営業に泣かされた顧客も多いと聞く。また別の事件では、信託銀行に増資の情報を流した社員が問題になっている。多分、これらのことは、昔から先輩社員が行い、通例になっていたのだろう。

一旦、解体し、社風を改めないと、よくならないかもしれない。こういうことを放置し続ければ、日本の資本市場は信頼されなくなる。ただし、海外の市場も、そのやり方は巧妙だが、インサイダーが横行しており、世界の資本市場自体、怪しいとも言える。

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