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2012年3月21日 (水)

漢詩『笋(たけのこ)』から考える

事業は人なりとは、よく言うけれど、よき人材が構築したビジネスも、彼が何らかの事情で、手を引くか、後継に譲るとか、もしくは亡くなると、往々にして事業の性格が変わってくることが多い。そして、彼に集まっていた人材も離散することが多い。

漢詩『笋(たけのこ)』にも、そういうことが詠われている。筍も、そろそろ初物が市場に出回る頃だろうが、今は高い。流風が手にするのは、まだ先のことだろう。ところで、作者は、王元之で、北宋の人。

  数畝の春畦(しゅんけい)  独歩して尋ぬ

  犀を逬(はし)らし錦を抽きて矗(ちく)にして森々

  田文死し去りて賓朋散ず

  放擲す 三千玳瑁(たいまい)の簪

いつものように解釈すると、次の様になるだろうか。

「春になったので、里の畑に、一人で、筍を探しに行ったところ、土を犀の角が、突き出したように、あちこちに集まっていた。この様子は、かつて斉の最小になった孟嘗君が、食客を各地から異才を集め、三千人を抱えていたが、彼の死後、彼らは散り散りにになり、(いかに孟嘗君から認められているかを示す)鼈甲(べっこう)の簪(かんざし)を、もう意味がないので、放り捨ててしまったようにも見える」と。

犀の角と筍は似ていると思うけれど、鼈甲色の簪と筍は、似てるかな。色は似ていると思うけれど。それはともかく、後半の部分の、孟嘗君の食客が、彼亡きあとは、散り散りになってしまったことを言っている。武田信玄も、癖のある多様な人材を採用したが、彼が亡くなると、後継者(勝頼)は、彼らを活用できなかった。人は人につくということだろう。そう考えると、事業は一代限りともいえる。受け継ぐ者は、覚悟がいる。

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