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2012年3月 7日 (水)

漢詩、高適の『田家春望』

やっと温かくなり、少し春めいてきた。春一番らしい風が、吹いている。間もなく本格的な春になるのだろう。そういうことで、今回は、漢詩、高適の『田家春望』を取り上げてみたい。高適は、唐の時代に活躍した詩人だが、本格的に、詩作を始めたのは、五十代に入ってからと言われる。それから名を上げたのだから、大したものだ。

それは、彼のそれまでの様々な歩みで、培われた人生観が詩作によい影響を及ぼしたのだろう。文名が上がって、後、杜甫や李白と交流している。その彼の作った詩作の中で、『田家春望』は、その題の通り、春に関するもので、彼が田舎にいた時、その孤独さを詠ったものだ。

  門を出でて何の見る所ぞ

  春色 平蕪に満つ

  歎ずべし 知己無きを

  高陽の一酒徒

解釈としては、前半は、「田舎にいるので、門を出ても、見える物は春始めなので、ただただ、野原に若草が萌え出ているだけである。それ以外、何もない」と言っている。そして、後半に続く。「それゆえ、私を理解してくれて、一緒に語り合える人は誰もいないのは、嘆かわしいことだ」と詠っている。確かに、田舎暮らしは、そんなものだろう。それを楽しむつもりでないと、辛いものだろう。

ちなみに、「高陽の一酒徒」とは、ある者が漢の高祖に会見を申し込んだところ、取り巻きの者が、会わせてくれない。その理由は、儒者だからと言う。そこで彼は、「吾は高陽の酒徒なり、儒者にあらざるなり」と言って、怒鳴りつけたという。彼とは、後、高祖の軍師になる酈食其(れいいき)だ。その逸話から、高適も、なぞらえて、自分を理解してくれる人は周囲に誰もいないと嘆いている。

人間、誰しも、理解者は欲しいものだが、あればあるで、鬱陶しいもの(笑)。人間とは、わがままなものだ。果たして、この詩が晩年の高適の真意かどうか、分りかねるが、一つの思いであることは確かだろう。でも、理解者はいなくても、別にいいよ、と達観しているようにも読み取れる。のんびりと田舎生活を楽しんでいると。

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