« 漢詩『笋(たけのこ)』から考える | トップページ | 漢詩『惜花』に同感 »

2012年3月23日 (金)

漢詩『晴景』を思う

今日は、昨夜か雨だ。激しい雨というより、今のところ、しとしと雨。でも、昼から激しくなると予測。だが、気温が少し高いので過ごしやすい。週末からは、また下がるらしいけれど。ただ、一時の寒さから脱したようだ。

そこで、今の状況と異なり、まだ早いが、王駕の漢詩『晴景』を思う。彼は晩唐の詩人だ。

  雨前 初めて見る花間の葉

  雨後 兼ねて葉裏の花無し

  蛺蝶(きょうちょう) 飛び来たって 牆(かき)を過ぎ去る

  応に 春色は隣家に在るかと疑ふなるべし

解釈すると、次の様に感じる。

「雨が降る前は、花の間に葉を見る感じだったが、雨が降った後は、葉の裏の花さえ、散って無くなってしまった。蝶々も、一旦、飛んできたが、花がないと見ると、さっと垣根を越えて、行ってしまった。ああ、春は、隣の家にあると思ったのだろうか」と。

春が過ぎ去ってしまった感懐を詠んでいるようだ。こういうのは、「惜春」というのだろうか。今年は、春が遅いので、春が短いような気もする。しばらくすると、このように惜春の気持ちになるかもしれない。

|

« 漢詩『笋(たけのこ)』から考える | トップページ | 漢詩『惜花』に同感 »

古典文学・演芸」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 漢詩『笋(たけのこ)』から考える | トップページ | 漢詩『惜花』に同感 »