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2012年4月 9日 (月)

万葉集の桜 その二

昨日の日曜日は、少し寒かったけれど、日差しもあり、日中は暖かった。皆さんは、花見に出かけられたのであろうか。本日も、『万葉集』で、その他に、桜を題材に古代の人々が桜花をどのように受け止めたのか、いくつか挙げておこう。

    桜花 時は過ぎねど 見る人の

       恋ふる盛りと 今は散るらむ

             (一八五五番)

惜しまれつつ散っていく桜花を詠んだもの。花の盛りに散っていく桜花を女性に重ねているとも言える。でも、桜ほど、その散ることを惜しまれる花はないかもしれない。

     見わたせば 春日の野辺の 霞立ち

    咲きにほへるは 桜花かも

             (一八七二番)

霞の中に咲く花を桜の花と推定している風。花か霞かという感じ。桜の花の儚さを詠っている。

     桜花 咲きかも散ると 見るまでは

    誰れかもここに 見えて散り行く

            (三一二九番)

桜の花が散っていく様子と、花を求めて集まった人々が、まもなく散り散りになっていく様子を重ねている。

   桜花 今ぞ盛りと 人は言へど

      我れは寂しも 君としあらねば

            (四〇七四番)

桜の花は盛りだけれど、あなたと一緒でないのが寂しいという気持ちを詠んでいる。

こうしてみると、これらの万葉の桜の花は、春の花なのに、その詠われる歌は、どこか寂しい。桜の花が咲いても、すぐに散ってしまうことを、人生の無常感と重ねて、万葉人は感じていたかもしれない。

 

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