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2012年5月31日 (木)

科学的根拠とは

一部の学者が、過去の歴史的文献等から、地震等将来を予測すると、世の中、目出度い人たちがいて、彼らは、「科学的根拠を示せ」とか言う。彼らは、世の中、全てのことは、科学的にすべて解明できるとしている。しかし、科学的根拠とは一体何なのだろうか。

凡そ、人間が科学的に解明していることなど、ほんのわずかであろう。それなら、むしろ歴史的事実を材料として、仮説設定して、将来を予測して、それに備えることの方が価値がある。科学的に全て解明されるのなら、こうした努力は不要であろうが、将来も、この世の中の出来事が、解明されることはないであろう。

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2012年5月30日 (水)

糟屋武則という人

歴史に詳しい人を除けば、糟屋武則という人は、あまり知られていない。ところが、彼は、賎ヶ岳の七本槍の一人なのだ。賎ヶ岳の戦いは、秀吉のライバルである柴田勝家を滅ぼして、天下統一に大手をかけたものだ。

この合戦で、目立った活躍をしたのが、七本槍とされる。ただ、実際は、そうでもないようで、秀吉には、織田家や徳川家のように、累々と続く臣下がいないが、十分通用する自前の臣下がいるという秀吉の宣伝であったとも伝えられる。

その七本槍とは、福島正則、加藤清正、加藤嘉明、脇坂安治、平野長泰、片桐且元、そして、糟屋武則だ。糟屋武則は、播磨の武将だ。筑前の国、糟屋郡の出自から、糟屋と一族は名乗ったようだ。

兄、朝正は、加古川城主であった。そこに秀吉軍がやってくる。ただ、三木城の別所氏は、はじめ、秀吉軍に協力するとしたが、後、反旗を翻し、加古川城主の朝正は、別所軍に合流。

ただ、武則は、志村姓でもあり(母親が前の夫の死後、志村家に嫁いで、武則を生んでいる)、別の考えがあったのか、あるいは黒田官兵衛あたりに説得されたのか、秀吉軍に身を投じる。

秀吉は、これを評価し、官兵衛の推挙もあり、小姓頭になる。この時、15歳ぐらいだろうから、その覇気が認められたのだろう。その後、彼は、ますます、人たらしの秀吉を信奉するようになっていく。その働きが、賎ヶ岳の戦いでは、顕著であったことは推測される。

その後も、彼は、武人としてだけでなく、いろんな方面に活用されている。頭がよく、器用な人だったのだろう。政治的あるいは官僚的資質も、身に着けていたのかもしれない。そういうこともあって、秀吉没後も、関ヶ原の合戦では、他の六名が東軍についたのに、彼は、西軍についている。

もちろん、西軍は敗北し、改易され、干されていく。武闘派と呼ばれた他の六人は、官僚の石田三成と肌が合わず、感情的に反発して、東軍について、豊臣家を滅ぼすのを早めた。その点、糟屋武則は、秀吉の恩顧を忘れず、彼のお陰で今があるという信念を貫いている。その上で、好き嫌いは別にして、三成の主張も理解したと思われる。

結果は、駄目だったが、そういう生き方も有りだろう。世渡りには、風見鶏のように日和見主義もいいが、自分の信念を貫くのも、一つの生き方だ。糟屋武則は歴史的には、忘れ去られたのかもしれないが、多くの時代小説のネタにはなっていると思う。

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2012年5月29日 (火)

はんなり、ということ

京言葉には、皮肉を込めた言葉が多いが、たまに、褒め言葉もある。それが「はんなり」であろう。言われると悪い気はしないが、ただ、外部の者には、意味が若干わかりにくいということだ。ちなみに、この言葉は主として、女性に対して向けられて言われる言葉の様で、男に対しては言われないようである。

流風の感じでは、華やかな明るい感じはするが、単に明るいだけでなく品がある、そんな感じだろうか。色で言えば、原色でなくて、深みがある色。それを物や人の仕草、雰囲気にも、使っているように見える。

日本には、海外から原色のファッションが入り込んで、日本の風景には似つかわしくない場面が散見されるが、はんなりは、それとは対照的な言葉のようにも思う。それは文化の深さから来るものかもしれない。

本当のところはどうなのだろう。京都人に解説してもらいたいものだ。

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2012年5月28日 (月)

平常心是れ道というと

若い頃、部屋に「平常心是れ道」の色紙を飾っていると、先輩から、今から老成してどうするのだと、笑われた。確かに、これは禅語だから、道を極めた人だから発せる言葉なのだろう。流風は、人生修業が足らず、今もなかなか、平常心是れ道とはいかない。

さて、『寒山拾得』にも、そのような詩があるので、取り上げておこう。

  自ら平生の道を楽しむ

  煙蘿(えんら)石洞の間

  野情放曠多く

  長に白雲と伴に閑なり

  路有るも世に通ぜず

  心無ければ孰(たれ)か攀ず可けん

  石牀(せきしょう)に孤夜坐せば

  円月寒山に上る

解釈すれば、次の様になるのであろうか。

「私は、もやに包まれた蔦が生い茂った石洞近辺に、日常、淡々と変わらない心を道として、楽しんでいる。自然の有りようは、心を解放してくれるし、空に浮かぶ白雲を友として、心は静かだ。ここへの道はあるけれど、世の中とは通じていない。心がなければ、誰も、ここに攀じ登ることはできない。石の床に独り静かに座っていると、満月が山を上っている」

いつでも、どこでも、いつも心は平静で、何も変わらないというのは、味気ない感じもする。ただ、何かを成し遂げようとする時、それは必要とされるかもしれない。そう考えると、私達も、いろんな人生のステージの各段階で、平常心は大切な心構えと言うこともできる。

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2012年5月27日 (日)

満足という金持ち

人間、現状に満足してしまうと進歩が止まると言う。しかし、過剰に不満を持ち続けると不幸になる。やはり足るを知るということは大切だ。上を見て、下を見て、バランスを取る。この辺の精神バランスが意味を持つ。

一時的な満足かもしれないが、それを感じ取れる時が、人間、一番、心理的に金持なのだろう。そして、現在の置かれた状況に感謝しつつ、更に一歩踏み出す。こういうのが一番手堅くていい。

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2012年5月26日 (土)

京都的になる日本人

日本人には、元々曖昧思考が底辺に横たわっているが、一時、欧米風に合理的手法を取り入れたが、やはり日本人には、あまり合わないようである。もちろん、海外に出る企業は、郷に入れば郷に従えの教え通り、彼らの思考に合わせていく必要があるが、国内に於いては、それでは、ギスギスする。

そういうことで、今は、本来の日本人の思考に戻りつつあるように思う。代表的には京都的と言えるだろう。そんなことを言えば京都人は、そんなことあらへんとか、お叱りを受けそうだが、京都の思考は二項対立を避ける。代表的に、政治で言えば、保守と革新の対立はなく、住民は、どちらも求める。悪く言えば、ええとこ取り。でも、前は見ている。

そういう構図は各所に現れ、言動にも出てくる。柔軟と言えば柔軟、曖昧と言えば曖昧。実際の腹の内は、なかなか分らない。大阪人が本音の商売をしても、京都人の本音は見えにくい。常に、慎重な言い回しだ。実際のところ、本人に確認しても、それが習い性になっているようだ。

それが、いずれ全国的になるかもしれない。それは例の革新的な大阪でも(笑)。そういう現象が各所に現れるような気がする。いや、もうすでに現れているかな。

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2012年5月25日 (金)

かまわんといて、ということ

ある女性が、お節介の、うるさい同僚に、「もう、かまわんといて」とよく言っていた。先日も、電車に乗っていると、女性が、今回は男にだが、同じ言葉を発していた。この言葉は、関西一円で使われているように思う。かまわんといて、「構わんといて」であろう。要するに、構ってくれるな、ということ。

世の中、構いたがり、つまりお節介はどこにもいる。ちょっと情報をつかんでは、あることないこと付け加え、ああだこうだと、言って、相手にお節介する。そういうのは、相手にとって、うるさいものだ。往々にして、静かにしてほしい時に、構ってくるから、たちが悪い。

ところが、よい様に捉えると、世話焼きということになる。ただ、構いたがりと世話焼きは、若干異なる。でも、どちらも、すこし厚かましい性格かな(笑)。ところが、最近の若い人たちは、案外、これらの人々に期待しているフシがある。

世間から誰にも構ってもらえないより、誰かのお節介の方がましだと考えているのかもしれない。それは仕事の後の飲み会に誘われたら応じると言われているのも、その証左であろう。若い人には、寂しがり屋が多いのかもしれない。

でも、そのためには、少々うるさい構いたがりにも柔軟に対応する気持ちが求められる。間違っても、かまわんといて、とは言わないことだ。

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2012年5月24日 (木)

建築物はシンプルに

バブルの頃、高名な建築家たちは、複雑なデザインをした建物をたくさん作った。また、当時、建築デザイナーともてはやされた人たちは、外観を優先したマンションが建てた。確かに、外観はユニークで、面白いものが多かった。それを目指して、多くの人たちが集い、マスコミは大いに持ち上げた。

ところが、建築内で、利用する方は、大変だったらしい。大体、外観を重視するものだから、実際の利用スペースは狭くなる。部屋も使い勝手が悪い。更に設備に無理があるから、すぐ故障したり、雨漏りしたりする。

現在も、この残骸建築物は、潰されたものもあるが、まだ多く残っており、メンテナンス代も馬鹿にならず、オーナーは苦慮しているとよく聞く。高名な建築家や建築デザイナーは、自らの名声は高めたかもしれないが、顧客のことはあまり考えなかったようだ。

流風が時々行く公共建築物も、大変非効率な建物になっている。無駄なスペースが圧倒的に多い。公共の建築物とか、美術館、博物館は、真四角か長方形の立方体が最もいいことがわかる。

これらの建築物に限らず、住宅も同様に、利用しやすくメンテナンスしやすいような空間にするとともに、将来、売却、解体する場合も、しやすい状態に設計することが求められる。建築物は基本はシンプルが宜しい。オーナーも、設計者も、心すべきだろう。

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2012年5月23日 (水)

亀山本徳寺に行く

先日、船場本徳寺に行ったことを記したが、今度は、その本家筋のの亀山御坊本徳寺に行ってきた(*注)。流風家とは、これらの寺と宗派も異なり檀家ではないが、播磨地方の地域文化資産確認のため、訪れてきた。

行ってみると、広い敷地に多くの建造物がある。建物としては19塔あるようだ。見方を変えて、大門や住宅風建物を等を入れると、30棟ある。確かに立派な建造物ばかりで、比較的手入れも行き届いている。ここは、明らかに播州の観光地としては恥ずかしくない威容だろう。

歴史的経過については、船場本徳寺について記したので重複するが、再度記しておこう。もと英賀の地にあった浄土真宗布教の本拠英賀本徳寺(御堂)が天正八年(1580年) 、秀吉の英賀城攻略の時、秀吉の命により、亀山を寄進され、移されたのが始まりらしい。

後、本願寺が東西に分れたのを機に西本願寺派の播磨の根本道場となる。現在の建物は英賀から伽藍を解体して移した。移転した当初頃の建物と推定される鼓楼を始めとし、大部分が17世紀末から18世紀前半 江戸中期のもので18世紀後半の住宅風建物の茶所や大門など全体として30棟近くの建物がある。

全体としては、建築物(本堂、大広間、庫裡、経堂等)がゆったりと配置されているため、気分も和む雰囲気。狭い敷地にあれこれ詰め込まれた寺とは大違い。やはり敷地の広さも、こういう施設には求められる。

建築のことは、よく分からないのだが、建物全体が播磨における浄土真宗の中心道場としての伽藍形態をよく伝えてると共に個々の建物が年代を異にしていて江戸時代の建築様式を知ることができる点で貴重ということだ。

そういう眼で見れば、確かに変化に富んで面白いのかもしれない。その方面に詳しければ、もっと興味深いものだろう。ただ、そんなことは分らなくても、ここは、播磨方面の観光地としては、お勧めだ。

*注

先日、訪れた船場本徳寺は、真宗大谷派が、亀山本徳寺から分立したものらしい。船場本徳寺は、ここほど整備されていなかった。格が違うようだ。

*追記

また、ここは新撰組が、壬生に移る前、屯所として使用したらしい。

*参考 亀山御坊本徳寺

交通は、山陽電車亀山駅下車すぐ。山陽姫路駅からだと、普通電車に乗って二つ目の駅。姫路城の観光ついでに、寄って欲しいところだ。第四日曜日に、朝市を開いているらしい。

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2012年5月21日 (月)

三昧ということ

三昧(ざんまい)というと、若干、自嘲気味に語る人が多いけれど、大事な意味を持っている。元々、禅語で、一意専心することを指す。すなわち、やろうとする対象と自己が同一化することだ。

対象を何にするかによって、その人の人生哲学が見えてくる。例えば、人三昧であれば、人を大切にし、人に親切にする必要がある。金三昧であれば、金と自分が同化するわけだから、金の働きを無駄にはしないだろう。仕事三昧であれば、仕事を大切にし、仕事を妨げるものを切り捨てるだろう。

だが、これらも行き過ぎれば、生きにくい人生になる。対象に向かう時は、三昧が望ましいが、それ以外では、心を開放する必要がある。対象にのめり込み過ぎると、それは三昧でなくなるからだ。そういう意味では、三昧は、常に綱渡りだ。

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2012年5月19日 (土)

第42回 神戸まつりと絆

記し忘れていたが、明日、平成24年5月20日は、神戸まつりだ。今年のテーマは、次のようだ。

   神戸から 

   ひろがれ

   つながれ 

   きずなの輪

そもそも、祭りとは、その多くが、災害者を弔うものであり、それを後世に伝えるために行われたようだ。絆、絆と言われて1年。日本人だけでなく、人は皆、つながっていると確信した東日本大震災。だが、絆というものは難しい。広域がれき処理となると、我が身にかかる火の粉を被りたくない気持ちが働く。難しいところだ。

国の福島処理のまずさもあって、国民から国はあまり信頼されていない。これは国にとっても、国民にとっても不幸なことだ。どうすれば、お互いの信頼関係は再醸成されるのか。そういった状況の中で、神戸まつりは課題を投げかけるのだろうか。

ただ、流風は、明日行くべきかどうか迷っている。大体の祭りのパターンは分っているし、いつも歩き疲れて、人疲れして、帰って行くのが関の山。まあ、今回は、冷えた焼酎でも飲みながら、サンテレビの中継でも見て、絆について、じっくり考えようかな(笑)。若い人たちは、楽しんできて。

*参考 神戸まつり

      http://www.kobe-matsuri.com/

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歳入庁創設を急げ

民主党のマニュフェストは、ほとんど崩壊したようだが、彼らの主張で、歳入庁創設については、可能だろうし、同意できる。皮肉にも、消費税増税反対派からの消費税増税の前提としての要望らしい。

大体、社会保険庁を衣替えした日本年金機構は、徴収漏れがたくさんあると言われている。ある学者によると、社会保険料の取り逃がしが10兆円近くあるらしい。徴収技術が未熟なのだ。それなら国税庁と合体させて、徴収率を上げれば、実質、国民負担も軽減できる。

財務省は抵抗しているらしい。確かに、社会保険料は小口だが、共通番号制度が確立されれば、徴収コスト的にも、技術的にそんなに難しくないだろう。

本来、国は、歳入部門がばらばらで、歳出部門は省庁ごとに歳出計画をしているから、国としてロスが大きい。歳出部門も本来は、政府が国の全ての歳入状態を勘案して、歳出を一括管理して、各省庁に予算を割り振ることが望ましい。

しかし、その前提として、歳入をまず一括管理することが望ましい。歳入庁創設は、国民に対する公平の維持としても、望まれる。共通番号制度と共に早く実現すべきだろう。

*追記

歳入庁創設に伴い、日本年金機構は、リストラする必要がある。

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2012年5月18日 (金)

割を食うということ

割り勘(ワリカン)というのは、日本的だそうだが、勘定を均等に割るというのは、日本人には、基本的に、そういう意識があるのだろう。ただ、上司が飲みに誘っておきながら、割り勘というのでは、部下を敵に回すようなもの。注意したいものだ。

また、ケーキを均等に割る場合も、4つに割る場合は、割と均等に切れるが、3等分となると、不均等になりがちだ。そして、誰かが割を食う。その時、あなたなら、どうするか。大きいのをよこせというのは、子供じみている。普通は、相手に大きいのを譲るか提供し、自分は小さいのを取る。それが一つの処世術というもの。そうすれば、誰にも恨まれることはない。

世の中、大人になっても、小さいことで争う人たちがいる。そして、最悪、事件に発展したりする。先人は、そうならないように、次の様に警告している。

  「終身畔を譲るも、一畝を失わず、終身道を譲るも一里を損せず」

田んぼの畦を譲っても、大きな争いにならなければ、自分の地所は失うことはない。狭い道を歩いていて、向こうから来た人に道を譲っても、ぶつかりあうことは避けられ、何も損なうことはない。少しの損をしたように見えても、結局は大損を避けられる。大いに割を食えばいいのだ。

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2012年5月17日 (木)

GDPの成長は続かない

発表されたデータでは、1月から3月までのGDP成長率が、前年比4.1%増らしい。3期連続で増加していることが続くことが望ましいが、残念ながら、それは続かないようである。狭い範囲の聞き取り調査だが、4月以降、仕事の動きが鈍いようだ。

鈍いというより、悪化していると感じている業者が多い。となれば、4月以降のGDPは、かなり落ち込むことが予測されるのではなかろうか。復興需要で、一部がかなりヒートアップしていたが、落ち着いてきたということだろう。

さらに、ギリシャ問題等で、円高亢進の可能性も高い。輸出企業は例によって、騒ぎだすのも、間もなくかもしれない。ただ、この点は、流風はあまり心配していない。これは輸出企業の戦略的失敗が原因であり、円高になろうが、円安になろうが、それに対応していくのが経営者の役割だ。間違っても、当局は、無駄な為替介入などすべきではない。ただ、当面、GDPの成長率の足を引っ張ることは確かだろう。

結局、政府に経済転換戦略が未だ定まらない現在、今後のGDPの成長は、あまり期待できないことは確かだろう。3期連続のGDP成長率増は、今回が最終になる可能性が高い。注意深く経済の動きを見ていく必要がある。

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一物が与えられている

天は二物を与えず、というが、世の中、二物も三物も与えられているような人もいる。ところが、本人は気付いていない。それが不思議なところ。そして、誰にも、人には、必ず一物は与えられているという。一物は「いちぶつ」と読む。「いつもつ」と読めば、それは男の大切なところ(笑)。

どんな人間にも、何か存在価値を与えられて、この世に生れてくる。その価値に気付くか、気付かないかで、人生が変わってくるとは、よく言われたものだ。だから、生まれてきた以上、この世の中で、何をなすべきか、熟考し、実行しなければ、意味はない。

もちろん、それはいろんな障害や、曲がり道で遠回りすることもあるかもしれない。しかしながら、希望を持って、淡々と道を歩めば未来が見えてくると信じたい。そう考えれば、二物も三物も与えられなくても、一物で十分だ。

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2012年5月16日 (水)

受け入れる態勢ということ

いろんな分野で、物事を活かすには、対象の受け入れ態勢を確認することが大切だ。初級教育でよく問題になる児童も、基本的に学問をする態勢になっていないのに、義務的に教育を受けさせられるから、問題を起こす。学校に上がるまでに、教育を受け入れる態勢を作って、学問を受けさせることが、問題を少なくする。

それはビジネス交渉でも、外交交渉でも、あるいは男女の交際(*注)でも同じだろう。いずれも、一方的な思いだけでは、うまく行かない。対手の状況確認をしながら、物事を進めていくことは、手間も時間もかかるが、一番成果を上げやすいことも確かだ。

*注

一般には、女性が男の愛を受けい入れるには、それなりの準備と時間を要すると言われる。だから、男が愛の言葉を投げかけても、両想いになるには時間がかかるということ。

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2012年5月14日 (月)

船場本徳寺に行く

播州地域も、お寺の多いところだが、京都や奈良のように、観光開発された所は、少ない。いずれも、田舎の古びた、お寺が多い。流風は、どちらがよいとは、一概に言えないと思うが、播州のお寺は、もう少し、観光客を受け入れるような手入れをしてもいいのではないかと思われる。少し、手入れをすれば、元々は立派な寺であるので、そこそこの観光客は集まるはずだ。お寺は宗教施設だが、地域資源であることを忘れてはならないだろう。

さて、そういう意味合いでは必ずしもないが、今回は、船場本徳寺を訪問してきた。通称「御坊さん」と呼ばれているらしい。正式の名称は、「真宗大谷派姫路船場別院本徳寺」という。真宗大谷派は、東本願寺を本山とする宗派。宗祖は浄土真宗を確立させた親鸞である。

この本徳寺は、後に出てきた蓮如が、晩年、弟子の空善たちを播磨に派遣したことが始まりらしい。最初、英賀の浦に道場を構え、布教した。それが、やがて本徳寺と称するようになる。そして播磨地域の中核教団の位置づけになる。

本徳寺は、秀吉の攻撃に遭い、英賀の浦より亀山に移転させられる。本山の本願寺は東西に分裂するが、本徳寺は、はじめ東派に属するが、池田輝政との確執により、西派に転じる。その後、本田忠政が船場の寺地を寄進し、ここに船場御坊本徳寺が成立する。

江戸時代、本徳寺には、本山歴代の子弟や親族が入寺し、住職になり、別格の寺であったという。そのため、本山東本願寺、徳川幕府一門の姫路藩との密接な関係があった。その本堂は、古ぼけているが立派で、往時を偲ばせる雰囲気は残している。

境内には、明治天皇の行在所が現存している。また薬師山の山上にあった西南の役の戦没者の碑が移されている。それに、あまり知られていないが、薬師山の山腹にあった姫路藩の志士の墓碑もある。更に、第一次世界大戦の時のドイツ人捕虜が刻んだ石の彫刻もある。

なお昨年には、「船場御坊の四百年」と称して、イーグレ姫路で、本徳寺の名宝展が開催されていた。こういうものは、常時、公開してほしいものだ。ここでは、いろんな催しが定期的に行われているようだ。

船場御坊楽市(3月、5月、7月、9月、12月の第一日曜日午前9時から正午まで。船場御坊ミュージックフェスタ(6月の第一日曜日午後)など。観光客も、姫路城からは比較的近いので、ふらっと寄ってみるのもいいだろう。

ただ、観光客も含めて、日常的にくつろげるスペースは提供してほしいものだ(例えば、有料でいいので、喫茶室)。特に、高齢者の女性は、おしゃべりする空間を望んでいるのだから、神社仏閣は、時代の要請に応えるべきだろう。

* 船場本徳寺

JR姫路駅または山陽姫路駅を下車し、姫路城に向かって、大手前道路の西側を直進し、西二階町通り(アーケード)を西に歩いて行き、産業道路を越えると、間もなく、寺に着く。

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2012年5月13日 (日)

金環日食は大震災の前触れか

金環日食が話題になっています。地域によって見えるところと、見えないところがあるようですが、兵庫県明石市は、282年ぶりに、5月21日に見られると沸いているようです。流風の住んでいる地域では、金環日食は見ることができず、部分日食が見られるそうです。

流風は、そういう自然現象にあまり関心がなかったのですが、大震災の前触れと聞くと、ちょっと嫌な気がします。しかしながら、専門学者によると、そもそも東日本大震災こそ、巨大震災の前触れだそうです。それは歴史的に検証されているようです。

今、話題になっている平成の関東大震災と富士山爆発、東海・東南海・南海大震災は、10年以内に起こる可能性は高いようです。10年以内というと、まだまだ日がありそうですが、明日起こってもおかしくないと、専門家は警告しています。

そのためには、津波対策等ハードの準備が必要と言いますが、果たして、それらが役に立つのか疑問が多い。公共投資を歓迎する向きは、大災害予測学者を利用して、ビジネスを拡大したいだろう。

でも、あの東日本大震災でも、スーパー堤防は何の役にも立たなかったではありませんか。むしろ、減災というソフトの準備が大切ではなかろうか。いかに被害を最小限にするか、ということに重点を置く必要があります。

ということは、ある程度は、準備していても、結局は、起こってからの対応法を、ある程度、決めておくことの方が重要に思われます。逃げる経路、救急医療体制、被災情報の流し方、救援物資の流し方、仮設住宅の選択(建てるのか、借りるのか。本当に集団移転が望ましいのか等)、義援金の早期分配、ボランティア体制、等々。

ただ、今後起こりうる大震災に対しては、推定被害地域から、震災のあまりない地域(九州、北海道、山陰、北陸)への早期に移転も必要かもしれません。個人の場合は、なかなか難しいかもしれませんが、企業の場合は、リスクを分散する上で、国内と海外の両方の手当てが望まれます。

個人としては、情報を察知して、すぐ動ける態勢、避難先の確保と、事前に保険加入で最悪に備えるぐらいでしょう。後は、災害後、助けてもらえるネットワークかな。でも、できれば、災害が予想される地域からは早めに離れた方が無難と言えます。もちろん、日本にいる以上、何らかの災害からは逃れられないのも一つの事実ではありますが。

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2012年5月12日 (土)

じじむさい格好

若い頃、使い古した、よれよれのズボンをはいていると、近所のお婆さんに、「そんな、じじむさい格好やめとき。お母さんは、何も、言いはらんの」とか言われた。最初、「じじむさい」は、爺くさいの意味に捉えていたのだが、どうも違うということが後でわかった。

この、「じじむさい」の語源はよくわからないが、京言葉の様である。意味は、古くて汚い、手入れが行き届いていない、というような意味らしい。他人を非難する場合にも使うし、謙遜して使う場合もある。前にも記したように、流風は、京都育ちではない。それなのに、このように周囲には、京言葉で溢れていた。一種、このいやらしい京言葉で、性格が少しねじれたのかもしれない(笑)。

流風は、今も、しじむさい格好が気楽で好きだが、時々、この言葉を思い出して、着る服を見直す。でも、所詮、ファッションセンスは、それほどでもないから限界がある。それに歳が行けば、色彩感知能力が落ちるのは、灰色系統を好む周囲の爺さんや婆さんを見ておれば分る。

じじむさくならないようすると同時に、爺くさい、婆くさいファッションにならないようにしたいが、結局は、近い将来、若い人たちにアドバイスをもらうしかないだろう。ファッション業界も、そういうビジネスチャンスはあるだろう。高齢者時代に、じじむさいファッションをなくせば、世の中、もう少し明るくなるかもしれない。

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2012年5月11日 (金)

もっさりした服装

子供の頃、祖母が母に、「子供に、こんな、もっさりした服装させて。もっと、ええもん、着させたりや」とか言っていた。もっさりは、やはり、京言葉らしい。現代の言葉で言えば、「ダサイ」が相応しいかも。家計は苦しいから、そんなに、いい服といっても、当時は、服は、外で買うものではなく、家で縫うものだから、母が子供の服を作るのをさぼっているのを責めたものだった。

祖母の言いようは、まるで流風が貧乏くさい服装をしていたら、私が恥をかくと言う風であって、子供心に、母が責められているのは嫌であった。そうかと言って、祖母が新しい服を仕立てて、プレゼントしてくれるわけでもない。ある種、祖母の見栄であろう。

確かに祖母は、いつもシャンとしていて、若干、近寄りがたい、隙のない感じであった。母は、誰に似たのか、どちらかというと、ぐうたらで、身体が強くなかったこともあって、日々をだらだら過ごしていたようにも思うが、それでも、今の若い人よりは、忙しく家事にいそしんでいただろう。

母は、祖母の苦言を聞いて、時々、猛烈に意欲がわいたのか、流風の新しい服を作ってくれた。ただし、そのとばっちりは、夕食が手抜き料理になり、父がぼやいていたのを思い出す。

最近は、あまり、もっさりした服装という言葉を身近で聞かなくなった。本当のところは、どうなのだろうか。

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2012年5月10日 (木)

社会保障政策の行方

野田首相の消費税を上げる意向は理解できるのだが、問題は、民主党の掲げる社会保障政策だろう。残念ながら、バラマキ政策が多い。かつて自民党政権の場合は、公共投資というバラマキ政策が横行したが、民主党政権になっても、形を変えたバラマキ政策が人気取り政策として、幅を利かせている。社会保障政策も、その一つだろう。

今のことろ、野党の自民党の主張する社会保障政策の手直し論の方が正論だろう。民主党の社会保障政策は、すでにある政策で、十分対応できるのに、更に、それに上乗せしようとするものが多い。それは屋上に屋を重ねるバラマキ政策と言われても仕方ない。

財政厳しき折、歳出を削減するのに、放置すれば、今後、増大する社会保障関連も対象から除外はできない。それなのに、消費税増税分を資金として、歳出を更に拡大しようとする政策は、決して支持できない。今の仕組みを止めて、新しい政策として入れ替えるのなら、まだ理解ができるが、今の政策は残しながら、さらに上積みするのは、選挙対策と言われても仕方ない。

そんなことをすれば、消費税増税しても、あっという間に増税資金は枯渇する。その時、政策を維持しようとすれば、更なる増税が必要になるだろう。そんなことをして国民は喜ぶだろうか。現状でも、社会保障政策は無駄が重なっているのに、さらに無駄な支出のために、増税すれば、国民は耐えられないだろう。

*追記

民主党の無駄な社会保障政策の一例

  一、最低保障年金

             働く意欲を阻害する

      国民年金の有効性を理解しない人達の存在を増長

  二、消費税増税に伴う低所得者層向け給付付き税額控除

      消費税の逆進性は実際は小さい

      どうしてもやるなら、勤労者世帯に制限すべき

      物価をコントロールすることの方が大切

  三、低年金者への加算金

      低年金者が、必ずしも、生活が苦しい訳ではない。

      方法が誤っている。

  四、現役世代への生活保護適用の拡大

      特に20代、30代が生活保護に、アリのようにたかっている現象は問題。

      「相対的貧困」という見方は、日本では、あまり意味がない。

      むしろ、甘やかせて、若者をスポイルする政策だ。

等々。

 

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2012年5月 9日 (水)

一隻眼について

隻眼というと、戦国武将、伊達政宗を思い浮かべる人が多いだろう。表題に掲げた一隻眼にも、片目を意味することもあるが、本来、真実を見抜く眼とか、ひとかどの優れた見識を持った人を指す。

一隻眼は、確かに文字的には、一つの眼ということだが、もう一つの眼という意味もある。すなわち、私達は、普通、二つの眼があるわけだが、それ以外に、もう一つ眼があるとするものだ。禅では、頭の頂にあるとするらしい。仏画とかには、額の真中に眼が縦に描かれていることがあるが、あれを指すのですあろうか。

それはどんな眼なのだろうか。いわゆる、心の目のことなのだろうか。この眼のある人は、常人を超えて、自在に全てを見通す眼力があるらしい。それは心眼を開くことに近いのかもしれない。

二つの眼は、現象の確認でしかないが、一隻眼は、心身一体で、感じ取り、世の中を見通していく。いや、世の中だけではなく、宇宙をも感得していくのだろう。一般人は、その領域に到らなくても、もう少し注意深く、現象を見る人が、世の中をリードしていく。

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2012年5月 8日 (火)

つろくということ

母方の祖母は、別に京都出身でないのに、京言葉をよく使っていたように思う。今回は、その中で、「つろく」を取り上げてみよう。祖母がよく言っていたのは、「そんなん、つろくせえへん」という言葉だった。

「つろく」の語源は、よくわからないが、意味はバランス、すなわち均衡ということのようだ。それを否定形にしたのが、「つろくせえへん」だ。要するに、釣り合いが悪いということだ。一番、よく使われたのがお見合いのバランス。家格がまだ重んじられた時代には、よく使われたようだ。その他には、学歴、歳、財産状態、社会的地位等々。

京都人に、こう言うと叱られるかもしれないが、昔は気位は高いが、貧乏人が多かった。お公家さんからして、そうであっただろう。それを庶民も、同様な感覚で、広がっていったと言える。

それに狭い社会で多くの人が住んでいるから、足の引っ張り合い。だから、他人のあら探し技術は天下一品。だから、どこから見ても、他人から、とやかく言われないように細心の注意を払ってきたことが、このような言葉を生んだのであろう。

祖母が京言葉を使った理由は知らないが、凡そ、京都人と同じ環境にあったのかもしれない。近所付き合いで、それなりに苦労したのかもしれない。「つろく」を重んじたのは、一つの処世術であったのだろう。

しかし、現在でも、行き過ぎた「つろく」は問題があるにしても、世の中、バランスは大切である。バランスを取りながら、前に進むというのは、堅実なやり方であろう。急進的なやり方が、今まで、日本では、あまり成功していないのは、人々の心に、「つろく」を重んじるということがあるからだろう。

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2012年5月 7日 (月)

明日はない~日々是好日

映画で、明日はないというと、米国映画の『俺たちに明日はない』を思い浮かべる。これは二人の強盗の話だが、禅語にも、そういう言葉がある。よく茶の千家がよく使われる言葉に、雲門禅師の「日々是好日」がある。

なぜ、千家が、この言葉を愛されるかは、彼らの祖先が、ある禅師から悟った言葉として、大事にしているのだろう。千利休の孫、千宗旦は、茶室を新たに建てたので、名前を付けてもらおうと、大徳寺の清厳和尚にお願いしようとしたが、急用で、行けなくなったので、断りの連絡を手紙を置いて出かけると、「懈怠の比丘、明日を期せず」の置手紙があった。

今のように、電話もなければ携帯もない時代だから、置手紙も止むをえないが、和尚が少し腹を立てたのかもしれない。手紙の内容は、「怠け者の愚僧には、明日はない」という意味。これには、宗旦も恥じ、以後、他人にものを依頼する時には、十分な配慮をしたという。

茶室を「今日庵」というのは、彼が和尚に詫びた次の歌から来ている。

  今日を今日と言いて  

  その日を暮らしぬる

  明日の命は

  とにもかくにも

これから和尚は、茶室に「今日庵」と名付けたと伝えられる。「日々是好日」は、毎日好い日だと捉えるのは間違いで、一瞬一瞬を真剣に生き抜く一所懸命がベースにある。

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2012年5月 5日 (土)

もらい子屋について

母は、流風が子供の頃、家事をしながら、いろんな話をしてくれた。それは果たして、子供にすべき内容であったかは、多少疑問が残るが、大人の世界を垣間見る感じだった。以前にも、母の話は、記してあるが、今回は、表題の「もらい子屋」について、少しふれておこう。但し、子供の頃の記憶は、幾分曖昧で、少し間違いがあるかもしれない。

そもそも、もらい子屋とは何だろうか。これは親が何らかの事情で子供を里子に出す時、それを受け入れる先のことだ。戦前、これをいつぐらいを指すのかは、やや不明で、母の話の様子では、明治時代の話のようであった(多分、江戸時代からあったのであろう)。

戦前は、姦通罪というものがあり、男女の不適切な関係は、罪を問われた。しかし、関係を結べば、子供ができる場合も多々ある。当時は、堕胎は違法であり、闇で処理するにしても、中絶技術も発達していなかった。

また貧しい田舎では、産んだ母親が、育てられないと判断しすれば、避妊知識がないから、赤子の段階で殺していたと言われる。それは度々、「間引き」という言葉で表現された。生活が苦しい中、たくさんの子供を育てることは大変だったから、現代の価値観で、彼女らを責められない。

まだ家に、多少余裕があれば、もらい子屋に幾分かの養育費をつけて里子に出していたようだ。そして、里子は、里子同士、他人でも、無理やり便宜上、兄弟姉妹の扱いをされる。

しかし、もらい子屋が十分養育するかと言えば、そんなことはなく、早くから、子供を労働力として、こき使い、わずかな収入源とした。役に立たなければ、殺したりもして事件になっている例もある。女の子は、少し容姿がよければ、ある程度まで育て、その世界に売り飛ばしている。

このような里子に出すのは、貧しい家ばかりでなく、裕福な家でも、先妻を離縁して、間に子供がいれば、再婚の邪魔になるので、里子に出した例もあるそうだ。最近でも、若い夫婦が離婚して、妻の方が子供を引き取ったのはいいが、再婚して、新しい夫に、子供が虐待される例は多い。里子も、ある意味、その方がいいのかとも言えるが、子供の立場としては、寂しいものだ。

現代では、養育施設があり、もらい子屋は存在していないが、彼らも子供の頃から寂しい思いをしているだろう。養育施設を出れば、頼れるところはなく、自力で歩んでいかなければならない。両親が揃った子供たちは恵まれている。そういうことに感謝したいものだ。

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2012年5月 4日 (金)

目機銖両ということ

お弁当屋さんでは、手際良く、ご飯やおかずをパックに詰められている。あれだけ、たくさんの量のお弁当を作れば、全体の量は違ってくると思うのだが、案外、正確な場合がある。それは詰めている人の能力にあるようだ。

もちろん、ハカリの利用はしているのだが、ハカリは最終確認に過ぎないようだ。ご飯を盛っても、どれも規定量の一グラムも異ならない。そういう技術を持てば、ロスも少ないし、客から苦情もない。こういうことは、いろんなビジネスの世界で、そういう能力を持った人たちがいるようである。

前振りが長くなったが、題に掲げた「目機銖両(もっきしゅりょう)」という言葉がある。銖も両も、今では使われないが、重さの単位だ。一両の二十四分の一が一銖。一銖は、約1.5グラム。そういう小さい単位まで、見分けてしまう。お弁当屋さんに、そういう人たちがいる。

同様に、一目見て、相手を見抜いてしまう人もいる。ほとんどの人は、経験によって、ある程度、人の価値を見抜くことは確かだろう。だが、全ての人を見抜くことは至難の業だ。でも、艱難辛苦した人は、一目見て、相手の心を読み、人物査定してしまう。

ということは、人は修行により、そういうことが誰でも可能ということだろう。それには、対象に集中しなければならない。そして、無限の修業がそれを可能にする。世の中で、成功者は多かれ少なかれ、そういうことだろう。

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2012年5月 2日 (水)

給料の比較

新入社員も、そろそろ会社に慣れてきた頃だろうか。あるいは五月病にかかりつつある時期か。まあ、働いてお金をもらうということは大変なこと。一歩一歩前に進むしかない。

ところで、もう少し慣れてくると、学生時代の同期と同期会を開く機会があるかもしれない。大体、盆休を利用して会うことが多いようだ。そこで話題になるのが、それぞれの会社でのいろんな話であろうが、必ず給料の話が出る。

その時、注意しなければならないのが、給料の多い少ないの話題だ。確かに勤める会社によって給料に違いはある。ただ、新入社員の間は、そんなに差がないかもしれない。けれども、年数を経るにしたがって、差が生じることは十分考えられる。

しかし、それを比べてみても仕方ないことだ。そんなことを意識するより、いかにその企業で知恵を働かせて成果を上げるかに頭を使うべきなのだ。実は、流風も、入社後、5年くらいは、大学同期の給料が気になったことがあったが、結局、それが意味がないと悟った。

第三者の給料比較しても、結局、不満を持つことが多いだけ。そんな心で、いい仕事ができるわけもない。自分が与えられた場所で、成果を上げるしかないのだ。そして、そういう場所を与えられていることに感謝すべきなのだ。

若い人々も、いろんな思いで仕事をするとは思うが、まず仕事できる幸せを感じ取ってもらいたいものだ。

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2012年5月 1日 (火)

疑心暗鬼ということ

人間の心とは弱いもので、日頃信頼している人間でも、疑わしき行動を見てしまうと、疑心暗鬼になる。事実かどうかは分らないけれど、『呂氏春秋』には、孔子が愛弟子の顔回を疑ったことを記している。それは次のようだ。

孔子たちが、困窮している時代があった。七日間、碌な物も口にできずにいた。そこで、孔子がうとうとしていると、顔回が、どこで米を手に入れたのか、米を炊いていた。孔子が少し離れたところで、ぼんやり見ていると、顔回がつまみ食いしたように見えた。一応、知らないふりをした。

しばらくして、顔回が、炊きあがった、ご飯を持ってきて、膳をすすめた。孔子は、試すように、「今しがた、亡き父の夢を見たので、手をつける前に、ご飯を差し上げたい」と言うと、顔回は、「それは駄目です。煤が土鍋の中に落ちたので、食べ物を捨てるのは、いけないので、私がつまんで食べました」と答えた。

これに対して、孔子が後悔したというのである。日頃から、孔子は顔回に一目も、二目も置いていた弟子だが、現象に惑わされて、人を一時的だが、正当に評価できなかった自分の未熟さを恥じたのだ。それほどに人を信用するということは難しいということだろう。

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