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2012年5月23日 (水)

亀山本徳寺に行く

先日、船場本徳寺に行ったことを記したが、今度は、その本家筋のの亀山御坊本徳寺に行ってきた(*注)。流風家とは、これらの寺と宗派も異なり檀家ではないが、播磨地方の地域文化資産確認のため、訪れてきた。

行ってみると、広い敷地に多くの建造物がある。建物としては19塔あるようだ。見方を変えて、大門や住宅風建物を等を入れると、30棟ある。確かに立派な建造物ばかりで、比較的手入れも行き届いている。ここは、明らかに播州の観光地としては恥ずかしくない威容だろう。

歴史的経過については、船場本徳寺について記したので重複するが、再度記しておこう。もと英賀の地にあった浄土真宗布教の本拠英賀本徳寺(御堂)が天正八年(1580年) 、秀吉の英賀城攻略の時、秀吉の命により、亀山を寄進され、移されたのが始まりらしい。

後、本願寺が東西に分れたのを機に西本願寺派の播磨の根本道場となる。現在の建物は英賀から伽藍を解体して移した。移転した当初頃の建物と推定される鼓楼を始めとし、大部分が17世紀末から18世紀前半 江戸中期のもので18世紀後半の住宅風建物の茶所や大門など全体として30棟近くの建物がある。

全体としては、建築物(本堂、大広間、庫裡、経堂等)がゆったりと配置されているため、気分も和む雰囲気。狭い敷地にあれこれ詰め込まれた寺とは大違い。やはり敷地の広さも、こういう施設には求められる。

建築のことは、よく分からないのだが、建物全体が播磨における浄土真宗の中心道場としての伽藍形態をよく伝えてると共に個々の建物が年代を異にしていて江戸時代の建築様式を知ることができる点で貴重ということだ。

そういう眼で見れば、確かに変化に富んで面白いのかもしれない。その方面に詳しければ、もっと興味深いものだろう。ただ、そんなことは分らなくても、ここは、播磨方面の観光地としては、お勧めだ。

*注

先日、訪れた船場本徳寺は、真宗大谷派が、亀山本徳寺から分立したものらしい。船場本徳寺は、ここほど整備されていなかった。格が違うようだ。

*追記

また、ここは新撰組が、壬生に移る前、屯所として使用したらしい。

*参考 亀山御坊本徳寺

交通は、山陽電車亀山駅下車すぐ。山陽姫路駅からだと、普通電車に乗って二つ目の駅。姫路城の観光ついでに、寄って欲しいところだ。第四日曜日に、朝市を開いているらしい。

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