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2012年5月26日 (土)

京都的になる日本人

日本人には、元々曖昧思考が底辺に横たわっているが、一時、欧米風に合理的手法を取り入れたが、やはり日本人には、あまり合わないようである。もちろん、海外に出る企業は、郷に入れば郷に従えの教え通り、彼らの思考に合わせていく必要があるが、国内に於いては、それでは、ギスギスする。

そういうことで、今は、本来の日本人の思考に戻りつつあるように思う。代表的には京都的と言えるだろう。そんなことを言えば京都人は、そんなことあらへんとか、お叱りを受けそうだが、京都の思考は二項対立を避ける。代表的に、政治で言えば、保守と革新の対立はなく、住民は、どちらも求める。悪く言えば、ええとこ取り。でも、前は見ている。

そういう構図は各所に現れ、言動にも出てくる。柔軟と言えば柔軟、曖昧と言えば曖昧。実際の腹の内は、なかなか分らない。大阪人が本音の商売をしても、京都人の本音は見えにくい。常に、慎重な言い回しだ。実際のところ、本人に確認しても、それが習い性になっているようだ。

それが、いずれ全国的になるかもしれない。それは例の革新的な大阪でも(笑)。そういう現象が各所に現れるような気がする。いや、もうすでに現れているかな。

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