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2012年5月14日 (月)

船場本徳寺に行く

播州地域も、お寺の多いところだが、京都や奈良のように、観光開発された所は、少ない。いずれも、田舎の古びた、お寺が多い。流風は、どちらがよいとは、一概に言えないと思うが、播州のお寺は、もう少し、観光客を受け入れるような手入れをしてもいいのではないかと思われる。少し、手入れをすれば、元々は立派な寺であるので、そこそこの観光客は集まるはずだ。お寺は宗教施設だが、地域資源であることを忘れてはならないだろう。

さて、そういう意味合いでは必ずしもないが、今回は、船場本徳寺を訪問してきた。通称「御坊さん」と呼ばれているらしい。正式の名称は、「真宗大谷派姫路船場別院本徳寺」という。真宗大谷派は、東本願寺を本山とする宗派。宗祖は浄土真宗を確立させた親鸞である。

この本徳寺は、後に出てきた蓮如が、晩年、弟子の空善たちを播磨に派遣したことが始まりらしい。最初、英賀の浦に道場を構え、布教した。それが、やがて本徳寺と称するようになる。そして播磨地域の中核教団の位置づけになる。

本徳寺は、秀吉の攻撃に遭い、英賀の浦より亀山に移転させられる。本山の本願寺は東西に分裂するが、本徳寺は、はじめ東派に属するが、池田輝政との確執により、西派に転じる。その後、本田忠政が船場の寺地を寄進し、ここに船場御坊本徳寺が成立する。

江戸時代、本徳寺には、本山歴代の子弟や親族が入寺し、住職になり、別格の寺であったという。そのため、本山東本願寺、徳川幕府一門の姫路藩との密接な関係があった。その本堂は、古ぼけているが立派で、往時を偲ばせる雰囲気は残している。

境内には、明治天皇の行在所が現存している。また薬師山の山上にあった西南の役の戦没者の碑が移されている。それに、あまり知られていないが、薬師山の山腹にあった姫路藩の志士の墓碑もある。更に、第一次世界大戦の時のドイツ人捕虜が刻んだ石の彫刻もある。

なお昨年には、「船場御坊の四百年」と称して、イーグレ姫路で、本徳寺の名宝展が開催されていた。こういうものは、常時、公開してほしいものだ。ここでは、いろんな催しが定期的に行われているようだ。

船場御坊楽市(3月、5月、7月、9月、12月の第一日曜日午前9時から正午まで。船場御坊ミュージックフェスタ(6月の第一日曜日午後)など。観光客も、姫路城からは比較的近いので、ふらっと寄ってみるのもいいだろう。

ただ、観光客も含めて、日常的にくつろげるスペースは提供してほしいものだ(例えば、有料でいいので、喫茶室)。特に、高齢者の女性は、おしゃべりする空間を望んでいるのだから、神社仏閣は、時代の要請に応えるべきだろう。

* 船場本徳寺

JR姫路駅または山陽姫路駅を下車し、姫路城に向かって、大手前道路の西側を直進し、西二階町通り(アーケード)を西に歩いて行き、産業道路を越えると、間もなく、寺に着く。

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