目機銖両ということ
お弁当屋さんでは、手際良く、ご飯やおかずをパックに詰められている。あれだけ、たくさんの量のお弁当を作れば、全体の量は違ってくると思うのだが、案外、正確な場合がある。それは詰めている人の能力にあるようだ。
もちろん、ハカリの利用はしているのだが、ハカリは最終確認に過ぎないようだ。ご飯を盛っても、どれも規定量の一グラムも異ならない。そういう技術を持てば、ロスも少ないし、客から苦情もない。こういうことは、いろんなビジネスの世界で、そういう能力を持った人たちがいるようである。
前振りが長くなったが、題に掲げた「目機銖両(もっきしゅりょう)」という言葉がある。銖も両も、今では使われないが、重さの単位だ。一両の二十四分の一が一銖。一銖は、約1.5グラム。そういう小さい単位まで、見分けてしまう。お弁当屋さんに、そういう人たちがいる。
同様に、一目見て、相手を見抜いてしまう人もいる。ほとんどの人は、経験によって、ある程度、人の価値を見抜くことは確かだろう。だが、全ての人を見抜くことは至難の業だ。でも、艱難辛苦した人は、一目見て、相手の心を読み、人物査定してしまう。
ということは、人は修行により、そういうことが誰でも可能ということだろう。それには、対象に集中しなければならない。そして、無限の修業がそれを可能にする。世の中で、成功者は多かれ少なかれ、そういうことだろう。
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