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2012年6月22日 (金)

仮病と狂言『しびり』

仮病というのは、誰も使う手かもしれない。少し自分の都合が悪くなって、病でないのに、病気と称して、欠席する。まあ、仮病自体、すでに心の病とも言えないこともないが。人間誰でも、心が弱くなる時はある。それは大体、自分自身が原因の時が多いだろう。もちろん他者からの圧迫から逃れたい場合もあるかもしれない。

さて、そのようなことを扱った狂言に、『しびり』というものがある。漢字表記すれば、痿痢だ。昔は、題名も『痿痢』としていたが、皆が読めないため、最近は平仮名で、『しびり』としている場合が多い。この、しびりとは、痺れのことだ。

主人が急に客を迎えることになったので、太郎冠者に堺(現在の大阪府堺市)に、肴を買ってくるように命じる。そうすると、太郎冠者は行きたくないので、仮病を使う。それが足のしびれが切れたということだ。

足のしびれが病気でないことは、誰も知っているが、あれは確かに辛いこと。子供時代、葬式に親と同行して、式場で長い間、正座させられ、坊さんのお経を聞かされ、いざ立ちあがろうとすると、バタンと正面に倒れて、皆、大笑いして、恥ずかしかった記憶がある。

話を戻すと、太郎冠者が堺に行きたくないのは、本人が単にサボりたいだけなのかもしれないが、堺に相当嫌な奴がいるのかもしれない。それとも、その道中かも。盗賊、追剥ぎがでるのかもしれない。人間、次々と悪いことを考えると、動けなくなる。駄目な太郎冠者(笑)。

太郎冠者があまり大袈裟に言うものだから、主人も、それに合わせて、まじないで治そうとする。そうすると、太郎冠者は調子に乗って、そんなものでは治らない、これは親譲りだとか言う。

やっと太郎冠者は仮病と気付いた主人は、逆手を取って、「実は、今夜は叔父が振舞いをしてくれるので、太郎冠者も同行するように言われていたのに、それは惜しいことをした。それでは次郎冠者を同行する」と言うと、太郎冠者はびっくり。

そんなチャンスを逃してなるものかと思い、しびれは何とか治すからと現金なもの。実際、飛び跳ねて、大丈夫と言いだす。それでは、主人は堺に買い物に行ってくれと再度言うと、太郎冠者はしびれで動けないと言い、主人に叱られ終演。

これは子供が母親に買い物を頼まれ、嫌だと言っているのと同じ。母親は、おやつを上げるからとか、お駄賃を上げるからと、色々なだめ説得するが、主人と太郎冠者は、親子とは立場が違うので、餌はない。振舞いという餌は空手形。

使う者と使われる者。ある経営者は、人使いは難しいと仰っていた。お金を出して人を使うのだが、使われる者には、使われる者の思いがある。そこに意識のずれがある。この狂言『しびり』は、そういうことを表してしているのだと思う。

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