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2012年6月 6日 (水)

書写山円教寺と性空 その一

先日、姫路市書写の里 美術工芸館に訪問したことを記したが、今回から、書写山円教寺について、何回かに分けて記してみよう。書写山円教寺(しょしゃざんえんぎょうじ)は、姫路城と並ぶくらいの歴史的資産であるが、意外と過去の歴史については知られていない。せいぜい、トム・クルーズと渡辺謙、小雪主演の映画『ラストサムライ』のロケがされたことぐらいでしか、若い人の記憶にはないかもしれない。

その書写山円教寺は、平安時代中頃に、性空(しょうくう。910~1007)によって開かれた。書写山は、標高370メートルの山だが、遠く古代から、地域の人々より祈りの山として崇められていた。奈良時代には修行僧が多く集まり、仏を礼拝する道場になっていたという。修行者が経典をたくさん書写していたことから、その名がつくようになる。

一方、貴族の家に生まれた性空は、幼い時から、法華経を習い、出家修行に憧れていた。仏門に入ったのは、36歳になってからで、その動機は、当時、京には盗賊があふれ、民衆の苦難を救う思いからであった(*注)。はじめ比叡山で学んだが、朝廷から保護されている比叡山に飽き足らず、山の修行に憧れて、九州の山、霧島山、脊振山に籠って、約20年間、修行する。

修行が終わり、京に帰る途中、偶然、紫色の雲が現れ、それに導かれて登ったのが書写山であったという。ただ、紫雲たなびいたことにしているが、性空は、姫路飾磨の思案橋で、京に行くか、書写山に登るか、かなり迷ったようだ。人間、性空も迷いながらも、彼の意思で入山したのは間違いのないところでしょう。

そして結果的に、書写山を選び、徹底した修行に励む。ただ、他の修行者たちは、修行が終わると下山し、祈祷して布施を得ることを繰り返していた。性空は、俗化することを嫌い、山を動こうとせず、下山の心を断つ。その評判は各地に広がり、やがて都にも伝わり、教えを請う人たちがやってくるようになる。

円融上皇は、重い病気に罹られたので、性空を都に招き寄せようとするけれど、性空は頑として動こうとしない。時の権勢を誇る都人を恐れることなく、一徹な姿勢を貫くと、更に、評価を高まっていき、人々は書写山に押し寄せることになったという。

*注

実際は、別の話も伝わっていて、性空が子供の頃、藤原時平の孫、時朝(ときとも)の家で、子息の学問相手をしていて、うっかり、その家の宝物の硯を割ってしまう。ところが、その家の子が、彼をかばって、私が割ったと言えば許される、と言って名乗り出たところ、父親は、その場で、その子供の首をはねてしまった。性空は、この衝撃を忘れることができず、彼の菩提を弔うため、出家を志したという。

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