« 科学的根拠とは | トップページ | 清水公照という人 »

2012年6月 1日 (金)

山片蟠桃のこと

大阪府が創設した賞に、『山片蟠桃賞』がある。これは国際的な日本学に関する文化賞で、日本の内外の研究者を対象としている。現在は、その方向感に迷いがあるようだが、日本に関心のある世界の人々は増えているのだから、この賞は、その意味の本質を失わないようにしてほしいものだ。

その山片蟠桃(やまがたばんとう)については、最近は、あまり知られていない。彼は江戸時代の商人であり、博覧強記の啓蒙学者でもあった。彼が生まれたのは、現在の兵庫県高砂市で、生家は綿糸取引をしていた。屋号は、そのものずばり『糸屋』で、父、長谷川小兵衛の次男として誕生している。

糸の相場は、動きも激しく、商売の厳しさを子供時代から見聞きして育っている。そして、親の方針で、当時、当地には、民家の子供たちに教養を身につけさせる私塾が開校しており、そこで、学問を学んでいる。

ただ、次男故、13歳で、大阪の両替商『升屋』の分家に養子に入り、その土地柄、商売を厳しく鍛えられていく。また、大阪でも、学問は続け、学校で、儒学を学んでいる。その他には、自然科学、天文学の範囲まで、広く学んでいるようだ。

もちろん、学問だけやっていたわけでなく、24歳で番頭を任せられると、店を仕切っている。そこでは、先に学んだ学問が役に立ったようだ。彼は徹底した合理主義で、通した。「先憂後楽」を旗印に、合理主義を持ち込んだ。だから、成功しないわけはない。

店は、大名貸ししていたのだが、仙台藩の不払いで大きな危機に陥る。そこで、知恵を出して、仙台藩の面目を潰さずに、問題を解決している。商売の方は、そのようであったが、学問も続け、より合理主義に志向していく。結果的に、無神論者、無宗教主義者になっている。

それは中国のあらゆる書籍を読み、また西洋の著作も読み、トータルで出した結論だった。天文、地理、歴史、経済、文化、宗教を全て、考慮しての彼なりの結論に導いた。彼の著作『夢の代』によると、次のように述べている。

「自分は、すでに、これ(*注)を信じない。誰か天下に、これを行おうか。ゆめゆめ誤ってはいけない。ただ、草木虫けらが、枯れ、あるいは、死んだように、われわれ人間も、朽ちてゆくのにちがいはない。どうして、その因があって、いつまでも生をひくであろうか。天地の生死は、そのまま、かけながし、と知るべきである。どうして、くだくだしく、ここに死し、かしこに生まれることの世話をしようか。これは、その見識のあきらかなところ、もとより弥陀の悲願というのは、けっして仏教の通法ではない。かえすがえすも、あやまられてはならない」

(*注・阿弥陀如来が、天下の大勢に代わって、この大願を起こし、すべて三千世界の人畜草木までも成仏させるということ)

彼には、仏教も方便と思ったに違いない。仏教だけでなく、世界の全ての宗教が、普遍的なものではないと指摘する。このように、当時としては、異才を発揮したわけだが、彼には、この世の中を合理的に透徹した眼で見たかったのであろう。ただ、彼には、現代の一般の科学者のような狭い範囲ではなく、広く知識を習得した結果、そのように感じたのであろう。

彼の思いは、亡くなる直前に、高砂に戻っての、彼の辞世の句に、よく表れている。

  地獄なし極楽もなし我もなし

    ただ有物は人と万物

  神仏化物もなし世の中に

    奇妙不思議の事はなをなし

だが、単なる合理的科学者ではない。現代のような分業された専門的科学者でもない。彼は、博学を活かして、当時の全ての知識を統合して、一つの知見に高めたことに彼の先進性がある。それはルネサンスのレオナルド・ダ・ヴィンチに通ずるものがあるのではなかろうか。彼が、もう一度、再評価されていいと思う。

|

« 科学的根拠とは | トップページ | 清水公照という人 »

姫路と播磨」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 科学的根拠とは | トップページ | 清水公照という人 »