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2012年7月31日 (火)

『エネルギー・環境に関する選択肢』へのパブリックコメントの大切さ

今、東京では、国会周辺で、原発反対運動が展開されている。ネットでの呼びかけで、普通の人が参加しているらしい。多くの人々が本能的に生命の危機感を持っていることが分かる。

確かに、未熟な原発技術、人間がコントロールできない原子力発電所、理論と実際大きなずれ、使用済み核燃料の処理技術の不確立、活断層のように震災等に対応できない立地の問題等、不安なことがいっぱいだ。今後も、事故の可能性は否定できない上に、使用済み核燃料は、全て子孫に負担がかかる。

そういうことを心配して、政治家には、直接的に働きかけるのも必要とは思う。世論に働きかけて、ドイツのように、脱原発に国を転換させたい気持ちはわかる。ただ、それだけでは、有効性については、どうだろうか。それだけでは弱い感じがする。やはり官僚にも働きかけは必要だ。

もし、原発に反対して、脱原発に賛成したいのなら、意見を整理して、未来の形を想定した意見をパブリックコメントで表明することが大切だ。そうしないと力になりにくい。それは、既に、新聞等で一部は公開されている、7月2日に政府が発表された『エネルギー・環境に関する選択肢』という一文を読み、それに対して意見表明するものだ。それはネットを検索すれば、出てくる。パブリックコメントの要領も、分る。

『エネルギー・環境に関する選択肢』については、一部マスコミで紹介されているが、パブリックコメントについては、あまり報道されていない。作為的に隠しているのかもしれない。しかしながら、官僚たちの判断基礎はパブリックコメントにあることを忘れてはならない。

つまり、これに原発反対の意見がないと、それを基に政策を策定する。その中でも、一般に彼らに都合の悪い意見は切り捨てるが、今は、情報社会なので、それを安易にはできない。真に、脱原発を考えるなら、原発反対派の人々はパブリックコメントを提出すべきだろう。

意見の期限は、2012年8月12日午後6時までだ。

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2012年7月30日 (月)

業平の恋 補記 別れた二人のその後

業平と高子の恋は一応、終わる。だが、この二人、元々、嫌になって別れたのではなく、別れさせられたため、高子が女御、后となつてからも、その恋の気持ちはお互い消滅していなかった。もちろん、それはセーブされた大人の行動は取っていて、逸脱するような行為はしていない。

特に、高子の方にも女御になった後も、静かに業平への想いだけは続いていたようだ。それは業平が亡くなるまで続く。業平も、彼女の思いに呼応している。業平、高子は、お互いの気持ちを、業平が、和歌の中に、滲ませながら、交流し続けていたことを最後に、取り上げてみよう。

  大原や 小塩の山も けふこそは

     神代のことを 思ひいづらめ

これは女御が、大野原神社に参詣された時、業平も同行していた。その他の多くの同行者が禄を拝領し、最後に、女御は、業平に、お召しになっていた単衣の御衣を業平に下賜する。その時に、業平が詠ったもの。この解釈は、難しい。字面通り解釈すれば、「大原の小塩の山の神も、今日こそ、神代のことを思い出していられることよ」となるが、これでは意味は分らない。

まず、大野原神社とは、藤原氏の氏神であること。女御は、当然、藤原氏の出だから、参詣するのは当然だ。そして、この神社の祭神は、天児屋根命(あめのこやねのみこと)で、神代に天皇家を補佐していた。この歌は、少し謎をかけているようだが、底辺には、このような御衣を賜り、あなたも、昔の私とのことを思い出されているでしょうか、と言っているようだ。

  忘れ草 生ふる野辺とは 見るらめど

     こは忍ぶなり 後もたのまん

これは業平が、内裏に伺候していた時、女御より忍ぶ草に対して「この花は何の花ですか」と問い、業平に与える。それに対して詠んだのが、上記の業平の歌。「あなたには、私がまるで忘れ草の生えた野辺のようにお思いでしょうが、そんなことは決してなく、恋心を抑えての忍ぶ草なのです。今後も、このように逢えることを頼みとしています」といった感じ。

  うゑしうゑば 秋なきときや 咲かざらん

     花こそ散らめ 根さへ枯れめや

これは、后より菊の所望が業平にあったので、菊を献上した時に添えた歌。「ちゃんと、菊を植えておきましたので、毎年、秋のないような時には咲かないでしょうが、そんなことはないでしょう。もちろん、咲いた花は散るでしょうが、根まで枯れることはありません。私の心も、花は枯れても、根が枯れることなく、あなたのことをお慕い続けています」といった感じ。

  あやめ刈り 君は沼にぞ まどひける

     われは野に出でて 狩るぞわびしき

これは、后が、飾りちまきを、業平に送ってきたので、雉をお礼に送った時に付けた歌。「ちまきを作るために、沼にアヤメを刈るのに御苦労されたようですが、私は、野に出て、雉を狩るのに大変なことでした」という意。対照句と言われるように、ダジャレが組み込まれている。そして言外に、今は立場は違うけれど、お互いの思いやりを表現している。

以上のように、高子と業平は心の交流が続いていた。ちなみに、清和天皇は、881年に崩御されているから、その時、高子は39歳くらい。そして業平は、その前年に亡くなっている。高子は、恋人だった業平と清和天皇を一度に失っている。

*出典 『伊勢物語』、『大和物語』

 

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2012年7月29日 (日)

業平の恋 その七

業平は、仕事をさぼって、高子との恋愛に現をぬかしていることは宮中でも評判になってた。一方、藤原氏は、政権基盤を盤石にしつつあり、藤原氏との権力闘争に負けた在原氏は、業平の不行跡もあり、追放の理由の一つのなる。在原一族は、ばらばらになり、それぞれ地方に流される。業平は、東国へ流される。

高子の方は、最早、いかんともしがたく、業平との恋を終わらせるしかなかった。業平に対しては、初めは、それほどでもなかったのは、業平と同様であるが、逢瀬を重ねて、情が移ったのだろう。想いは深いものになっていた。時々、彼を思い出しては、東の方向を見て、涙を流し続ける。

それを見ていた、明子は、高子を宮中から退出させ、実家の蔵に押し込め、いい加減に諦めなさいと、折檻するのだった。その時、詠んだ歌が、次のもの。

  あまの刈る 藻にすむ虫の われからと

   ねをこそ泣かめ 世をうらみじ

「海人の刈る藻に住むという、われから虫ではないが、身から出た錆びと諦めて、泣きはするけれど、この恋をしたことを恨んだりはしない」というニュアンス。そして、業平は、配所から抜け出て、たびたび近くまでやってきたが、逢うことはかなわない。そこで、高子は、また詠む。

  さりともと 思ふらむこそ かなしけれ

   あるにもあらぬ 身をしらずして

「こうしている内に、いつかは逢えると、あの人は思っているのでしょうが、悲しいことです。蔵に閉じ込められて、どうしようもない私とは知らないで」

  いたずらに 行きては来ぬる もの故に

   見まくほしさに 誘はれつつ

「あの人は、いたずらに逢おうとして、やってきても、無駄に帰ってしまう。そうなのだけれど、そうは分っていても、逢いたさ見たさで、彼の想いに応えようとする気持ちはなくならない」といった高子の鬱々たる想い。

しかし、両者の想いは空しく、二人は、逢うことはかなわなかった。後に、高子は、清和天皇の后になり、業平は、東国へのセンチメンタル・ジャーニーを続けるのであった。その後も、彼は、多くの浮名を流すが、本当の恋は、高子一人と言えるだろう。そして、高子は、清和天皇崩御後、スキャンダルを流すが、原因の一つは、報われなかった業平との恋にあるかもしれない(*注)。

*注

なお、業平は、清和天皇崩御の前年に亡くなっている。

*注記

この記事は、『伊勢物語』のいろんな内容を、組み合わせて、独断で解釈する場合があります。あくまでも一個人の想像だということをお断りしておきます。

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2012年7月28日 (土)

業平の恋 その六

ところが、何度も業平が訪れるようになると、忍んでやってきても、すぐに噂になり、順子は、高子から業平を遠ざけようとする。まず、土塀の近くに衛視を配置して監視させ、業平が入れないようにする。

  人知れぬ わが通ひ路の 関守は

   よひよひごとに うちも寝ななむ

解釈は不要であろうが、蛇足的に記すと、「人に分らぬよう通った路にも、番人が張り付けられるようになったが、どうか毎晩、居眠りして欲しいものだ」というニュアンス。わかるなあ(笑)。

この歌を聞いた高子は、心を痛め、塞ぎこんでしまう。それを心配した順子(五条の后)も、あまりにも不憫と思い、業平が通ってくるのを許すのだった。しかしながら、文徳天皇の女御、染殿の后(明子)としては苦々しい思いであった。

彼女は、良房と長良の思惑を理解しており、高子を、清和天皇のお后にすることを望んでいたからだ。そして、正月を機に高子をついに隠してしまう。業平は、彼女が住んでいた住まい等、各所を探し回るが、見つけることはできない。

  月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ

   わが身ひとつは もとの身にして

「月は昔の月のままであるように、春も昔のままの春である。ところが、我が身だけは、最早、昔の私ではなく、恋しい人を想う身の上になってしまった」と業平は苦悶するのだった。

続く。

*注記

この記事は、『伊勢物語』のいろんな内容を、組み合わせて、独断で解釈する場合があります。あくまでも一個人の想像だということをお断りしておきます。

 

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2012年7月27日 (金)

業平の恋 その五

和歌のやり取りで、きっかけをつかんだ業平は、五条の后に仕えている高子のところに乗りこんでいく。それが可能だったのは、業平は、後宮への出入りはフリーパスであったから。ある意味、女性は、より取り見取り。

こういうところから、業平のプレイボーイぶりが発揮される。ついに正殿の西側にある高子の部屋にも押し掛ける。そして求婚し続ける。初めは、高子の方も、業平の悪い噂は聞いていたかもしれない。また、そんなには関心はなかった。

ところが、業平が押しかけ続けてくると、おぼこい高子は、美男子の業平の甘い言葉に、気持ちが高ぶるようになり、ついに恋愛関係になる(*注)。業平の方は、最初は軽い気持ちで、それほど強く高子のことを思わなかったのだが、逢えば逢うほど、真剣に深く愛するようになる。これは彼にとって、初めての経験だった。それほど、高子は、業平にとって新鮮だった。

ただ、業平と言えども、最初の頃は、逢引は、場所が場所だけに、正門から入れず、土塀の崩れたところから、人目を避けるように逢引を重ねていた。ところが、逢瀬を重ねるにつれて、業平は段々暴走する。高子の立場を無視するように、派手に大っぴらに求婚活動をするので、高子は、「あなたの身のためになりませんよ」と、たしなめるのだが、最早、業平の気持ちは、止められなかった。そして、次の様に詠う。

  思ふには 忍ぶることぞ 負けにける

   逢ふにしかへば さもあらばなれ

内容は、「あなたを恋い慕う気持ちには、耐え忍ぶ気持ちの方が負けてしまいました。あなたに逢えさえすれば、どんなになっても、後悔はしません」と。もちろん、業平も、こんなことを続ければ、身の破滅になるのも、なんとなく感じていた。この恋を諦めようと何度も苦悩する。お祓いまでもしている。そして、次の歌を詠う。

  恋せじと 御手洗河に せしみそぎ

   神はうけずも なりにけるかな

意味は、「もうこれからは、恋を決してしないと、御手洗河で、禊をしたのに、神は、この願いをお聞き届けにならなかった」と絶望的な心境になっている。それほどに、強く、高子を愛してしまったのだった。

*注

これには、別のエピソードがある。業平が何年も求婚し続けても、高子は、なかなかうんと言ってくれなかった。ついに勇んで、彼女を盗み出そうとする。ある夜、高子の盗み出しには成功するが、彼女の兄の基経や国経に見つけられて、連れ戻される。その時に、業平が詠んだのが、次の歌。

 白玉か なにぞ人の 問ひし時 

   露と答へて 消えなましものを

訳は、「高子が、(昨夜)白玉でしょうか、何でしょうかと尋ねた時、あれは露だと言って、一緒に消えてしまった方がよかったものを」という感じ。

これは、彼女を背負って、逃亡の折、彼女が、川のほとりの草の上の露を見て、尋ねていたことと、寝ずの番をしたのに、深夜の雷鳴の中、彼女が連れ去られたことが分らなかったことを歌に詠み込んだもの。

次回に続く。

*注記

この記事は、『伊勢物語』のいろんな内容を、組み合わせて、独断で解釈する場合があります。あくまでも一個人の想像だということをお断りしておきます。

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2012年7月26日 (木)

業平の恋 その四

それでは、業平と高子の関わりは、いつまで続いたのだろうか。惟仁親王が清和天皇になられたのは、9歳の時で、彼が成人になられた時、高子は入内する。高子は25歳で、清和天皇に入内しているから、一応、それまでとすると、約7年の間に、業平との間で、いろいろあったと考えられる。

その時、すでに、惟仁親王より8歳年上の高子は、順子(五条の后)のもとに、実家から出入りしていたと言われる。それまでの惟仁親王は、彼女を姉のように気に入り、やがて禁色の着用を許される。ただ、いとこで文徳天皇の女御であり、清和天皇の母である明子(良房の女)とは、清和天皇の后になる前から、微妙な関係であったかもしれない。

さて、最初の関わりのきっかけ、業平が、ひじきと共に和歌を贈った後は、どうなったのだろう。残念ながら、はっきりしたものは残っていない。ただ、高子は、返歌したか、手紙を送った可能性がある。大体、世間知らずのお嬢様は、物怖じせず、変わったものや人に関心を示しがち。そして冒険心をくすぐる和歌には、ちょっと興味をもったはず。

ところが、業平の方はと言うと、彼は、あちこちに贈り物や和歌を贈っているから、高子の存在は、多くの女性の中の一人に過ぎなかった。返歌(または手紙)はあったのにもかからず、放置していた可能性がある。ある日、ふと、その返歌(または手紙)を読んでみて気にかかり、誰だったかな、と思いを巡らす。そして、はっきり思い出せないが、歌を返す。

  吹く風に わが身をなさば 玉簾

   ひま求めつつ 入るべきものを

内容は、「私の身体が吹く風になれば、あなたの部屋の簾の間を探して、入ることができようものを」というようなもの。ちょっと、手紙の送り主が相手が誰だっかを探っている。

これに対して、高子は、怒って、次の歌を詠む。

  とりとめぬ 風にはありとも 玉簾

   たがゆるさばか ひま求むべき

意味は、「たとえ、手に取り押さえられない風であっても、この部屋の簾の隙間から入ることは決して許しません」と拒否している。高子にすれば、贈り物までしておきながら、今度は、誰にでも返すような適当な歌を送りつけてきたので、失礼な人と思ったのでしょう。

これによって、それで、やっと、業平は、返歌の送り主を確認する。彼の思惑通り。まあ、これは業平の高等戦術かもしれませんが(笑)。

次回に続く。

*注記

この記事は、『伊勢物語』のいろんな内容を、組み合わせて、独断で解釈する場合があります。あくまでも一個人の想像だということをお断りしておきます。

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2012年7月25日 (水)

『セレブの肖像 ケヴィン・ウエステンバーグの視線』展を鑑賞

神戸ファッション美術館で開催されている『セレブの肖像 ケヴィン・ウエステンバーグの視線』展を鑑賞してきた。写真家にはあまり関心がないから、ケヴィン・ウエステンバーグについても何も知らなかった。観に行ったのは、つい気まぐれから(笑)。

彼は、対象を主として音楽家に絞った写真家であるらしい。有名ミュージシャンやセレブリティを撮り、雑誌やCDのジャケットの表紙を飾り続けているという。展示数は、67作品。日本人は、ミュージシャンだけでなく、GLAY、EXILE、栗山千明、大竹伸朗、堀木エリコ、荒木経惟、桃井かおり、高木正勝。他は有名な外国のアーティストたちだ。

彼らの切り取られた表情は皆、個性的。大体、強い眼力がほとんど。表情を一つ一つ確認していくと面白い。音楽の世界で、頂点に達した人々の他を寄せ付けない力強さを感じる。ミュージシャンは、音楽で自己を発露させるものと思っていたが、彼らの表情から発するエネルギーも、その一部だと再認識した。これは意外な収穫だった。展示は、2012年10月2日まで。

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2012年7月24日 (火)

日本の貧困とは

最近、日本でも、貧困率が語られるようになった。厚生労働省の発表したデータ(平成21年)によると、一人世帯で年収112万円以下を相対的貧困と言うらしい。貧困率は16%と指摘する(*参考)。

この貧困率は、相対的貧困率と呼ばれるもので、「全国民の等価可処分所得の中央値の半分に満たない国民の割合」を指すとのこと。要するに、他者と比較した相対的な貧困率なのだ。よって、この貧困率が、絶対的貧困率とは異なり、それほど重要とは思われない。

それに、このデータは、預貯金、不動産などの資産、あるいは現物給付は考慮されていない中途半端なデータだ。このような怪しいデータで、一部の学者、官僚は大騒ぎするが、それは厚生労働省の思うつぼだ。他者との比較で貧困を問題にするのは、行き過ぎであろう。それは学者等の数字遊びに過ぎない。

また、人々の生活の価値観は異なり、何が幸せで何が不幸かなど、金銭だけで測れない。もちろん、絶対的貧困はなくさなければならないが、今の日本で、生活レベルは様々だが、食うに困ることはないだろう。

もちろん、生活に本当に困っている貧困層(傷病者等)は救済されなければならない。そして、その仕組みはすでに整っている。ただ、どの程度の生活レベルを基準にするかで、この問題は、大きく違ってくる。

地方に行けば、いわゆる相対的貧困に相当する人々は多く存在するが、彼らは生活保護を受けていない。質素な生活と地域力で何とか生活できるのだ。また途上国の貧困層からすれば、日本の貧困は、ハングリー精神を喪失した甘えにしか映らないだろう。

*参考

厚生労働省のデータによると、世帯別貧困率は次のようだと言う。ただ、すでに述べたように、このデータは、預貯金、不動産などの資産、あるいは現物給付は考慮されていない。あくまでも、フローの所得の範囲内でのデータ比較に過ぎない。

  大人1人             50.8%

  子供貧困率                       15.7%

  子供がいる現役世代           14.6%

  大人のみ2人以上               12.7%

            (注) 大人とは18歳以上

                子供とは17歳以下

                    現役世代とは18歳から65歳までを指す

 

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2012年7月23日 (月)

業平の恋 その三

それでは、業平と高子の恋は、実際は、どのようであったのか。読み解くと、業平にとって、高子との恋が、最初で最後の本当の恋ではなかったかということだ。彼らが最初に見知ったのは、高子18歳の時、清和天皇即位の大嘗祭(859)にて、彼女が五節舞姫を務めたことだろう。当時、舞姫になることは、各貴族では、誉れのあることで、いずれは、お妃候補となる可能性を秘めた、やや遅い貴族界でのデビューだった。

その時までは、いろいろ噂を聞いても、あまり関心はなかったものと思われる。ところが、高子の高い評判を聞いて、興味を示すようになる。高子は、大変美しく高貴に育っていた。それも教養も備えた美しさだ。心映えもよさそうだ。現代の例えで言えば、世間知らずの深窓の令嬢というところだろう。

当時、業平の方というと、34歳ぐらい。彼も、紀有常の女を妻としている関係上、紀家一派の片割れと取れないこともない。よって、藤原家一派との対抗心で、高子にちょっかいを出した可能性もないとはいえない。

それらがないまぜになって、、業平の意欲を掻き立てる。まず自分に関心を持ってもらわねばならない。きっかけ作りが必要だ。大昔は、逆の例だが、女性は、好きな男性の前にハンカチを落としたという(笑)。業平の場合は、和歌を付けて、物を贈っている。

  思ひあらば 葎(むぐら)の宿に 寝もしなむ

    ひじきものには 袖をしつつも (*参考)

一体、何を贈ったか。なんと「ひじき」だ。更に、敷物を引くにかけている。業平は、ダジャレがお上手。おじさんのダジャレを笑ってはなりません。和歌の意味は、「私のことを思ってくださるなら、この荒れ果てたあばら家で共寝をしましょう。そこには引敷物はないので、お互いの袖を重ねて」。

何と直接的。いきなりベットに誘う厚かましさ。それもあばら家で。相手の女性の反応が手に取るように分りそうです。ただ、業平は、後世に教訓も残している。それは贈り物に「ひじき」を選んでいること。それは、すなわち、「消え物」なのだ。後に残らないものだ。最近の男は、いきなり指輪を贈ったりするが、それは受け取る方も、いきなりでは迷惑なもの。

初めての女性に贈る品は、「消え物」が常識だろう。業平は、それを守っている。そして、「ひじき」には、「食べると長生きする」という意味が込められている。現代で言えば、健康にいいですよ、美容にいいですよ、是非、召し上がってくださいというニュアンス。女性の気持ちのツボ、押さえていますなあ。多分(笑)。

*参考

ちなみに、この歌は、二人の将来を暗示している。

*注記

この記事は、『伊勢物語』のいろんな内容を、組み合わせて、独断で解釈する場合があります。あくまでも一個人の想像だということをお断りしておきます。

次回に続く。

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2012年7月22日 (日)

業平の恋 その二

仁明天皇(810)の后になった順子は、五条に屋敷があったため、五条の后と呼ばれる。なお、紀名虎は長女の種子を、仁明天皇の更衣として送り込んでいる。順子には、親王があり、後の第55代、文徳天皇(827)になる。ここに嫁いだのが、彼女の姪、すなわち順子の兄、良房の女、明子だ。明子は、後に第56代、清和天皇(850)を生んでいる。

ただ、文徳天皇は、先に、紀名虎の女、静子を更衣とし、彼女は惟喬親王(844)、恬子内親王(848)を生んでいた。紀名虎は、更衣の種子、静子により異例の昇進をしている。よって、惟喬親王を次の天皇にと考えてもおかしくない。だが、文徳天皇は、一時、そういう考えもあったが、藤原家の強い意向により、そうはなっていない。

紀家は、武内宿禰を祖とする名家だが、紀名虎については、成年不詳であり、謎の多い人物だ。また紀家は、どちらかと言うと、文人を多く輩出する家系であったかもしれない。よって、政治的には、あまり強くなかったのだろう。そういうことで、藤原家に押されてしまう。

なお、名虎の息子には、紀有常がおり、彼の長女が、業平(825)の妻という関係である。そういうことで、業平には、天皇家の主流を外れた在原家のことに加えて、妻の実家の紀家との関係で、若干、藤原氏に抵抗する意識が無かったとは言えない。

順子のもう一人の兄、長良には、国経、基経、高子の子供がいた。高子(842)は、後に清和天皇の后になる。高子は、清和天皇より8つ年上であった。二条の后と呼ばれ、後の陽成天皇(869)を生んでいる。後に、兄の国経は大納言になり、基経は、堀川の大臣と呼ばれるようになる。

その高子が、まだ后になる前、業平との恋があった。それは歳の差はあるけれど、少し、ロミオとジュリエットの趣がある。

*注記 カッコ内は生年。

次回に続く。

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2012年7月21日 (土)

業平の恋 その一

在原業平については、今までに度々触れてきた。また多くの人々が業平について記している。一体、業平の魅力は何だったのだろうか。確かに、和歌には優れていた。しかしながら、政治には無頓着で、仕事でも能力は発揮していない。また武人としての面影は全くない。

それでも、女性からは、人気があった。まるで芸能役者かであるように。考えられることは、男前であったのだろう。そして、天皇家の流れ。更に、プレイボーイの必須条件、女性にまめだった。要するに、もてる三要素を備えていたことになる。和歌に通じていたことも、その要因だが、所詮、手段に過ぎないだろう。

それでは、業平の恋は、どのようであったのだろうか。その前に、彼を取り巻く周辺環境、背景を、まず記しておこう。業平の家系を見てみると、第50代、桓武天皇からは、三人の兄弟が天皇を継いでいる。第51代には、平城天皇、第52代には、嵯峨天皇、第53代には淳和天皇という具合だ。

平城天皇の第一皇子は、安保親王だった。だから、彼が天皇になるには、一番近かったが、藤原氏の策謀により、そうはならなかった。まず平城天皇、安保親王が、都を奈良に移そうとしたが、薬子の変が起り、彼らがまず失脚。

そして、淳和天皇の恒貞親王を追い落とそうという策謀を安保親王に働きかける者がいたが、それには賢明にも加担せず、事なきを得ている。安保親王は、それ以後、天皇になるのを避けている感じだ。その安保親王の子供が、業平である。複雑な環境が、彼の愛の精神構造を多少歪めているかもしれない。

話を戻すと、藤原氏としては、冬嗣の女(むすめ)の順子(じゅんし、但し、謚)を嵯峨天皇の親王に嫁がせているため、彼を天皇にさせたかったのだ。彼が、後の第54代、仁明天皇になる。なお、順子には、兄の長良と良房がいる。

次回に続く。

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2012年7月20日 (金)

無理に高い鰻を食さなくても

鰻の稚魚が不漁で、鰻が高騰しているとか。そこで、土用の丑に食することが恒例となっている日本人には、大変だと大騒ぎしている。ところが、今は、年中、鰻が販売されており、この時期に大騒ぎするのはどうかと思う。

根本的な問題は、捕り過ぎが原因だろう。鰻で、年中、商売しようとするからおかしくなったのだ。土用の丑の季節だけ、食すれば、こういった問題は起らない。甚だ、馬鹿馬鹿しい騒動だ。

それに庶民は、その時期にたくさん捕れるものを食せばいい。それが知恵というものだろう。例えば、明石浦漁協のアナゴ漁は好調と聞く。水揚げは前年の倍。小ぶりのものは、資源保護のため、再度放流するようだが、今年のアナゴは、脂がよく乗っているらしい。

流風は、アナゴが大好きだ。一般には、蒲焼されたものが売られているが、湯引きして、酢味噌和えにするのもいい。女性は、カルシウムやコラーゲンがいっぱいのアナゴを食するのもいいだろう。ビタミンも豊富だ。何も、無理して、高い鰻を食さなくてもいいのではないか。

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2012年7月19日 (木)

ほっこりする、という言葉

今回は、播州弁ではなくて、「ほっこりする」という言葉。主に、京都の女性が使っているように思う。客などに、「ほっこりしてください」とか言う。気分が、ほっとするような、心が落ち着くような場面や物に使われるようだが、案外、この言葉を使っている女性は、ほっこりしていないように見える(*注)。

本来、真に、ほっこりしていれば、この言葉は出てこないのかもしれない。相手に、ほっこりせよというのも、おかしな言葉。それは本人が自然に感じ取るもの。ご本人は分っていないかもしれないが、ほっこりしたいのは、この言葉を使う当人かもしれない。自らを癒す言葉なのかもしれない。

*注

旅館や飲食店の女将に、よく「ほっこりしてください」を言われるが、概して、彼女らの顔は笑っているが、目は笑っていない。それを誤魔化す言葉に感じられる。

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2012年7月18日 (水)

節電と断電対応

日本は地形、地層の特質上、原子力発電が不向きなのは明らか。現在、原子力発電所の下に活断層があると疑われているが、そもそも日本の地層は、幾重にも重なった断層の上に成り立っているのは昔から指摘されていた。だから、原子力発電に限らず、全ての施設はリスクを負っている。その中で、原子力発電は最悪だが、電力会社は、未だに鈍感に対応している。

他方、国民としては、電力の使用を減らすか、太陽光発電等自然エネルギーを自己調達するかが、国民に問われている。そして、その他のエネルギーは、天然ガス等の使用を増やしていくしかない。今後の国の国際的資源戦略にもよるが、エネルギーコストは、若干上昇していくことを覚悟せねばなるまい。

現在、流風は、太陽光発電等をまだ導入していないので、電力使用を減らす節電しか対応のしようがない。そして、ガスの使用等に振り替えることだ。昨日の猛暑でも、クーラーの使用は控えた。ただ、今年は、昨年より、簾を増やした結果、室内温度に関しては、2度ほど低くなっている。つる野菜の栽培はしていないが、塀の近くには、緑を増やして、輻射熱が少なくなるよう工夫した。

後は、「断電」だ。先日から電気オープントースターの使用を止めた。昨年、電子レンジの使用を止めたから、電力使用量は減っている。更に、トイレの便座用電源を切った。電気湯沸かし保温ポットは、ずっと前から使用禁止。炊飯保温ジャーも使用を止め、これは健康上の問題もあるが、パン食に切り替え。

もちろん、「断電」できないものもある。それらは節電で一工夫。照明は、夜と曇天のみ使用。パソコンの使用も極力、午前中に集中。洗濯機は、もともとずぼらだから、まとめ洗い(笑)。冷蔵庫は、庫内カーテンがいいそうだが、まだなので、早く揃えたい。まあ、それなりに色々やっている。

後は、高いガス代だ。ガス機器の開発も不十分だ。機器もなぜか高いままだ。電力会社同様、腰高経営、殿様経営であることは確かだ。従業員の平均賃金も、電力会社同様に非常に高い。彼らも、経営革新しないと、いずれ、俎上に上がらざるを得なくなるだろう。

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2012年7月17日 (火)

謡曲『小督』と、その教訓

昔から、身分の高い方も、美人には弱かったようだ。そういうことで、今回は謡曲『小督(こごう)』を取り上げてみる。この題材は、学生時代の『平家物語』にあったので、今更、くどくどと記すのも、どうかと思ったが、再確認の意味で、備忘録的に記しておこう。

まず高倉天皇の中宮徳子は、平清盛の娘である。清盛は、娘を中宮にすることで、外戚になり、権力をほしいままにする。ただ子供はなかなかできなかった。また、愛人、葵を失い、失意の天皇を慰めるため、中宮は、小督を送り込む。

しかしながら、小督には、ある人の恋人であった。ところが、ある人の妻は、清盛の娘であったという。そういうことを知っていて、中宮が、小督を送り込んだのなら、何たる皮肉。そして、高倉天皇は、絶世の美人の小督を大変気に入って、寵愛するから、ややこしくなる。

それで、小督が清盛の怒りに触れるというのだが、少し変。むしろ、天皇の世継ぎができないから、女人を自ら送り込んだわけで、天皇の寵愛を受けて、清盛が怒るというのは解せない。確かに小督は、範子内親王を生んでいるが、皇子を生んでいない。だから、中宮をないがしろにして、権勢をふるうということも考えにくい。

ただ、謡曲では、清盛の怒りを買うことを恐れて、小督は宮中から姿を消したことから始まる。高倉天皇は、彼女が去ったことが気になって、何もできない。そこで、仲国に勅命を出して探すよう命じる。

いつの時代も宮仕えは辛いものだ。トップの愛人がいなくなったので、仕事を適当にして、愛人を探し出せというのだから。こういうトップは長続きしないのも、いつの時代も変わらない。それでも、仲国は勅命ゆえ、手掛かりを探す。

そうすると、嵯峨野の片折り戸の家が怪しいとの情報を得て、更に十五夜の名月には、彼女が琴を奏でるだろうと予測し、上奏すると、帝は喜び、馬寮の御馬を貸し出すという厚遇。それほど期待が大きいというものだ。でも、仲国には、大変なプレッシャー。

そして、出掛けるのだが、なかなか見つからない。そして、やっとのことで、片折り戸の家から琴の音が。それは宿の主の要望で、小督が弾き始めたものだった。曲名は「想夫恋」。仲国、嬉しくなって、家を訪ねるが、小督は、宣旨であるのに、聞こうとしない。

仲国は、立場上、役目を果たすまでは帰れない。柴垣の下で、座り込み、待ち続ける。それを見かねた侍女のとりなしもあり、やっと心が落ち着いた小督は、仲国に会い、帝からの手紙を受け取る。そうすると、帝の深い愛を感じて、涙を流し、返事を書き、仲国に預ける。仲国は、やっと役割を果たし、心明るく、都へ帰るのであった。

以上が大体の筋。不明になった人を探すのは現代でも大変なこと。手掛かりを、噂と、その人の行動特性に求めた仲国は、正しかったのだろう。地を這う捜索を続けた結果、小督を見つけ、天皇の意思を伝えることができた。確かに、仲国は大した奴だろう。

このように、『小督』の逸話は、天皇と小督の愛の美談として伝えられるが、冷静に見ると、先に少し触れたが、愛人の失踪ごときで、仕事が手につかない未熟な高倉天皇ということになる。やはり政務を優先する気持ちが無ければ、為政者にはなれない。使われている者も堪らない。このようにして、政権は堕落していくのだ。仮に清盛が実権を握っていて、飾りものであったとしても、望ましいくない姿勢だろう。

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2012年7月16日 (月)

播州弁 その十六 すぼっこい

今回の播州弁は、「すぼっこい」。果たして、播州弁かどうかははっきりしない。ただ、母はよく使っていた。「あの奥さん、少し、すぼっこいやろ。そやけど、ええ奥さんやで。人は、その態度や外見で判断したら、あかんで」とは、流風に言っていた。

「すぼっこい」とは、無愛想で、とっつきにくいという意味。京都では、「すぼっこな」といい、悪い意味で使っているらしい。確かに、無愛想な人間は、あまりいい気持ちはしない。愛想良く対応してくれる方が、いい人のように思える。

しかし、母の見方は違った。「愛想のいい人には、気をつけるんやで。すぼっこい人は、ある意味、正直。何にも関心あらへんで、という風で、あんたのことをちゃんと見ていてくれるんや」とも。

ただ、播州の女性は、中高年は割と、皆、すぼっこいかもしれない。だから、第一印象はあまりよくない。これも、個人であれば、まだいいが、店の接客も、案外、すぼっこい。よく言えば、淡々としている。お愛想も、ほとんど振りまかない。観光の時代というのに、これでいいのかなと時々思う。

*追記

ちなみに、「すぼっこい」をネットで調べると、大阪弁では、「金払いがいい」と解説されていたが、未だ、そういう意味で使ったことはない。大阪時代も、そういうことを聞いたことが無いし、本当に使うのかな。また京都弁と播州弁は、同じ意味で使っている。

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2012年7月15日 (日)

姫路ビエンナーレに行く

姫路でも、ビエンナーレをやっているとのことで、観覧してきた。展覧会の正式名は、『世界文化遺産 姫路城 現代美術ビエンナーレ2012展』という長いもの。それに、ビエンナーレには、美術展覧会の意味があるから、言葉が重なっている。また、わざわざ「現代美術」と銘打たなければならないところに、この展覧会の苦労が垣間見える。

どこでも、そうだが、現代美術への理解は、まだまだだ。現代美術は、一般観覧者には、アーティストが、勝手に適当に作ったものと理解されがちだ。彼らの感性は一般的でないことが多いから、理解されにくい。

さて、この展覧会の会場は、イーグレ姫路B1F姫路市民ギャラリー一か所だ。これは神戸ビエンナーレと比べれば、非常に小規模だ。それに、単なる現代美術の展覧会の域を抜けていない。なかなか、客は呼べないだろうなと思った。

これは一般の美術館、博物館にも言えることだが、芸術だけの単なる展示場になってしまうと、そこからの発展性は薄い。神戸では、街の中に飛びだしたり、商店街の活性化に絡む実験的な試みが多く見られたが、姫路のビエンナーレは、まだこれからだろう。今後の方向性に期待したいものだ。7月22日まで。

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2012年7月14日 (土)

播州弁 その十五 わやくちゃ

今回の播州弁は、「わやくちゃ」。これは関西弁として通用しているので、今更という感じだが、取り上げておこう。意味は、無茶苦茶。「折角、段取り付けたのに、わえのお陰で、全部わやくちゃや。どないしてくれるんや」とか言う。「わえ」は「お前」。

段取りしているのに、それをぶち壊しにする人はよくいるものです。連絡が悪いと言えば、それまでだが。わやくちゃの語源は分らないが、「わや」は駄目にするという意味があり、それに小さな子供が、掻きまわして滅茶苦茶にするというイメージと重ねたのだろうか。

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播州弁 その十四 おちょくる

今回の播州弁は「おちょくる」。「われ、そんなこと、いうて、おちょくってんのか。いいかげんにせんと、かちまわすど」とか言って、昔、怖い兄ちゃんが、いちゃもんをつけて、街中で切れてるのを見たものです。兄ちゃんとは、チンピラのこと。「いちゃもん」とは、言いがかり。

「われ」とは、お前という意味。自分のことは「わい」と言う。「おちょくる」とは、からかうの意。今では、関西弁として、通用。「かちまわす」とは、叩きのめすという意味。

こういう言葉は、大きい声で、トントンと調子よく言わなければ迫力が出ないとは、昔の悪い友人が言っておりました(笑)。喧嘩は、まず言葉と眼力で、相手を威圧し、それで勝負は七割方、決まるそうです。そして、相手の出方にもよるけれど、中途半端には手を出さないと言っていた。彼らにも、喧嘩の作法があるものだと、当時、感心したものです。

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2012年7月13日 (金)

景況感の見誤りの可能性

日本銀行が、少し前の7月2日(2012年)に、企業短期経済観測調査、俗に短観を発表していいる。それによると、景況感が3期ぶりに改善したとのこと。輸出の改善傾向を背景に景況感が上向いているとしている。

確かに、日銀の分析は正しいのだろう。だが、このような景気観測が、為政者を誤らせる。それは景況感がよくなっても、労働者の所得は増えていないからだ。景況感を発表する時、個人所得の増加傾向が、確かめられているのだろうか。

現在の国のデータは、それが不足しているように思う。この20年間ぐらい、企業は収益を上げて、利益を計上しても、業界によって異なるものの、概ね、従業員の報酬は削られている。今後の景気感は、企業業績の傾向値も必要だが、個人所得の傾向値も合わせて発表すべきではないか。

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播州弁 その十三 まんがええ

今回の播州弁は、「まんがええ」。ちょうど、宴会を始めようかとしている時に、招待していない人がやってくると、「まんがええなあ。腹減っていたから、美味しそうな料理いただくわ」とか言って厚かましく陣取る。マンガ、サザエさんには、よく登場するが、そういう人はいる(笑)。

意味は、いいタイミングとか、よい巡りあわせとか、運とかを指す。でも、「まんがええ」と判断するのは、この場合、訪問者だけで、受け手は、「かなわんなあ」と思っていることがたびたびだ。「かなわんなあ」には、「来て欲しくなかった」ニュアンスがある。「まんがええ」とは、往々にして一方だけの判断になりがちだ。相手は、逆に「まんが悪い」と思うのだ。

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2012年7月12日 (木)

播州弁 その十二 「ごんた」と「おびんた」

今回の播州弁は、「ごんた」と「おびんた」。「ごんた」は、多分、「権太」だろう。ちょっと乱暴やいたずらが過ぎて、大人の手に余る子供のこと。力が強い上、子供の世界では、比較的顔が広く、悪さも含めて、いろんな遊びを知っていた。そういうことで、子供たちのリーダー格になりやすい。「ごんたぐれ」とも言っていた。

「おびんた」は、気の弱い小心者を指す。逆に見れば、何事にも慎重で、怪我をしそうなことには、なかなか手を出さない。そういうことで、仲間から、からかわれることが多い。それで、無理して挑戦すると、残念なことに、滅多にない事故や怪我を受けやすい。

子供の頃、流風は、「おびんた」の類だったと思うが、どうしたことか、年上の「ごんた」に贔屓にされ、流風の言うことに一目置いてくれた。この頃から、盲人、蛇に怖じずというが、誰にも怖じず、言いたいことを言っていたのが逆によかったのかもしれない。これを馬が合うというのだろう。

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播州弁 その十一 あたりきしゃりき

今回の播州弁は、「あたりきしゃりき」。子供時代、盛んにこの言葉を使う友達がいました。「あたりきしゃりき、けつの穴はブリキ」というもの(*注)。あたりきしゃりきは、当たり前という意味。播州以外でも使われていたようです。

最近は、あまり聞かない。ちなみに、ブリキのバケツは、よく穴が開きました。最近は、プラスチックのバケツが多いので、ブリキのバケツの穴を経験している若い人は、あまりいないかもしれない。そういうと、最近は、「いかけやっかー」と言いながら、家々を回る鋳掛屋も、全く見ないようになりました。

*注

「あたりきしゃりき へのかっぱ」とも言っていた。こちらは意味不明。

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播州弁 その十 「いぬ」と「いのく」

今回の播州弁は「いぬ」と「いのく」。「そろそろいのか」と言えば、「そろそろ帰ろうか」という意味。「いぬ」が「帰る」の意味があり、それが「いの」に変化したもの。「そうやな、いのか」と返す。帰ると言うより、退出する意味が強いかもしれない。

それと紛らわしい言葉に、「いのく」という言葉がある。「これ、ちょっと、いのかして」とか言う。「いのく」とは、「動かす」という意。

何気なく使っている播州弁だが、文字にしてみると、いろいろ面白い。

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2012年7月11日 (水)

漢詩『宝船』で夢を

街を歩いていると、多くの人だかり。何かと見てみると、宝くじの発売らしい。サマージャンボだそうだ。今回は、高額当選金らしく、長蛇の列。仕事の方は大丈夫なのかな(笑)。少し見ていると、買った人たちは嬉しそう。

束の間の夢か。それも悪くない。でも、金持ちは買わないだろうな。消費税の税率アップには反対している人も、この逆進性の強い宝くじに手を出してしまう庶民。流風は、あまり買わないが、時々、衝動買いして、後で後悔。でも、儚い夢でも見るのも悪くはない。

そういうことで、今回は、漢詩『宝船』を取り上げよう。作は、藤野君山という人によるもの。詳しいことは知らない。ただ、某銀行の頭取から祝賀記念に作詩を依頼されたものらしい。詩吟で詠われるようだ。

  寿海波平かにして 紅旭鮮やかなり

  遥かに看る 宝字錦帆の懸るを

  同乗の七福皆笑を含む

  知る是れ金銀珠玉の船

要するに、宝を積んだ船に、七福神が乗っていて、皆、笑っているということを詩にしたもの。俗に、宝船の夢を見ると、いいことがあるみたい。流風も、この夢を見たら、宝くじを買うとしますかな(笑)。

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2012年7月10日 (火)

播州弁 その九 おせらしい

今回の播州弁は、「おせらしい」。子供に対して使う。「お宅の子供さん、おせらしいなあ」。おせらしいとは、大人っぽいということ。一見、褒め言葉のように聞こえるが、一種の冷やかな皮肉にも聞こえる。それは男児、女児に関係なく、子供らしくないということ。大人しい子供に使う(*注)。

子供は、屋外で活発に動き回るニュアンスが強かった。それをせず、大人しい子供は確かに親としては扱いやすいが、子供らしくない。親が、あれをしてはいけない、これをしてはいけないと言い続けると、子供によっては委縮してしまって、子供らしさを失ってしまう。

「おせらしい」という言葉は、過保護している母親に対する、暗に伝える軽い警告の言葉でもあるのだ。ただ、その言葉を額面通りに褒め言葉として受け取る母親もいるから、困ったものだ。

*注

ただ、女児に対しては、褒め言葉のニュアンスもある。「おせらしくなったなあ」とか言ったりする。

*追記

昔は、子供たくさんあり、子供間の競争も激しく、おせらしく育つのは、良家の子女ぐらいにしか見られなかった。今は子供の数も少なく、どうしても、ある程度、過保護にならざるを得ない面もあるかもしれない。そういう意味では、現代の子供は、皆、お坊ちゃん、お嬢ちゃんなのだろう。結果的に、ひよわな子女に育つリスクを抱えることになる。

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2012年7月 9日 (月)

神戸市立博物館の夏の4つの展覧会2012

神戸市立博物館の企画展というと、割と大掛かりな展覧会というのが多い。ただ、それらが、この博物館とどのような関わりがあるのか、疑問を呈するようなものも多い。お金はかかっているかもしれないが、博物館としてのテーマを弱めてしまっているのだ。

それが、今回は、主として収蔵品にスポット当てて、4会場に分けて同時開催される。それが平成24年7月14日から始まる(9月2日まで)。展示内容は次の通りだ。なお、期間中は、この施設がクールスポット施設に相当するため、入場料は割引を受けられる。確か、通常、大人600円が200円に割引とか。

まず、開館30年記念 特別展として、『国宝 桜ケ丘銅鐸の謎に迫る』というもの。これは一般展示されているが、それに改めてスポットを当てたもののようだ。桜ケ丘銅鐸・銅戈は、昭和39年に、六甲山南麓から発見されたものだ。14個の大小様々の銅鐸と7本の銅戈だ。昭和45年には、国宝に指定されている。

銅鐸は、各地で発見されているが、それに先駆けたものだろう。銅鐸は、大小で様々な音を発するので、それを並べて、祭りに使用されたと言われる。弥生時代に制作された場所は不明だが、作業者たちによる細かい細工に注目だ。

それは流水紋だったり、袈裟襷紋だったりする。それによって、職工軍団の出身地が分るようだ。すなわち、これらの銅鐸は、各地で作られた銅鐸が集められているらしい。描かれるデザインにより、当時の風景が覗き見れるかもしれない。祭りと銅鐸のデザインはどのような関わりがあったのかを想像してみるのもいいかもしれない。

次に、南蛮美術企画展として、『Meeting with the West!~西洋と出会った江戸美術~』。これは、18~19世紀の日本美術が、西洋美術・文化をどのように取り入れ、理解したかをテーマに日本人の描いた洋風画を展示している。司馬江漢、亜欧堂田善、平賀源内、歌川国芳、羽川藤永などの作品を展示。

3つ目としては、古地図企画展としては、『海と陸の「みち」~江戸時代を旅する~』がある。江戸時代の街道の開発と航路の開発はね商業と通信のために主として使われた。やがて、それは庶民の旅にも利用される。そこで必要になったのが、地図。簡略な地図から、大型の地図まで、様々なものが制作されている。それを「みち」として、焦点をあて、展示。

4つ目としては、『絵画コレクション展』がある。伊川寛、大森啓介、田村孝之介、元川嘉津美などの洋画が展示される。

以上の内容なら、行っても価値はあるだろう。入場料は安いし(笑)。いつも、この程度の入場料で開催してほしいものだ。

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2012年7月 8日 (日)

播州弁 その八 あほんだら

今回の播州弁は、「あほんだら」。子供の時、「あほばかまぬけひょっとこなんきんかぼちゃ」と言いあいしていたことを覚えているが、緊急時に、そんな長い罵る言葉吐けない。一番、短く言うのが、まず「あほ」。その次が、少しきつく「あほたれ」。これくらいは、まだ口調に優しさがある。「あほんだら」は、播州の最上級の罵り言葉だ(一般的に、関西人の言う「どあほ」に匹敵)。

関西人は、最近の若い人は知らないが、馬鹿と言われると、屈辱的な感じがする。あほんだらは、それに相当する。関西で、「あほ」というのは、一番軽い罵り言葉だが、あほんだらになると、かなりきつい。播州で、「おんどりゃ、あほんだら」など、言い方を間違えれば、一悶着する。

あほんだらは、文字にすると、「阿呆垂ら」らしい。ただ、この言葉は、全ての播州人が使うわけでもない。かなりガラの悪い言葉だ。基本的なルーツは浜言葉だろう。漁師言葉は、どこも荒い。それは海上で、生死をかけた職業だからだ。一つの判断ミスで、命を失う危険性が大きい。だから、どうしても、言葉が荒くなる。昔は、一部の職人や大工の人たちも使っていた。

*追記

「あほんだら」以外に、罵り言葉としては、「だぼ」がある。文字にすると、駄坊だ。「だぼ」の後に、続けて、非難の言葉が続く。また、「だぼ」は、「あほ」よりきついが、「あほんだら」より軽いニュアンスで言っているようだ。

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2012年7月 7日 (土)

雷鳴と狂言『神鳴』

昨夜の雷鳴は凄まじいものだった。閃光と雷鳴に目を覚まされたのが、深夜。その後で、これまた激しい雨。そして、一時的には止むが、また同じ繰り返し。とても眠れるような気分ではなかった。激しい雷鳴は、3時ごろまで続き、4時になっても、まだ鳴り止まず。

そして、一番心配したのが、河川の氾濫だ。ラジオを聞いていると、水位が危険水位に近づいている。流風も、床下浸水くらいは覚悟しました。そして、うとうとして、朝方、目覚めると、まだ雷鳴は聞こえるが、小さくなって、遠くに行っている感じ。

今回の雷鳴は、生涯であまり経験してことのないようなもの。人間生きていると、いろんな経験をします。一応、河川の氾濫も、ぎりぎり免れ、床下浸水もなかった。ただ、家庭菜園は目茶目茶だ。折角、作っていた作物もダメージが大きい。ああ、残念。自然の猛威には、勝てません。

さて、狂言にも『神鳴(かみなり)』というものがある。これはちょっと、雷のイメージとは違い笑わせてくれる。都の藪医者が、東国で荒稼ぎしようと出向く。その途中、広い野原に出ると、空が急に暗くなる。そこに、がらがらどっしゃーんと雷が落ちてくる。

雲の切れ目を見誤り、地上に落ちたのだ。そこで、腰を強打。そこに居合わせた藪医者に、治療を命じる。藪医者は、雷の腰に針を打つと、雷は、痛いと大騒ぎ。ツボをはずしたのかな。

それでも、何とか治った雷は天に帰ろうとするので、藪医者は治療代を請求するが、雷は、持ち合わせがない。そこで、日照りや水害から、雨風を支配して800年間、守ってやり、藪医者の出世も、約束して天に昇っていく、というもの。

こんな雷がいればお願いしたいものだ。でも、藪医者がなぜ、治すことができたのだろう。患者が人間でないから、治せたということもできる。藪医者という怪我の功名とも捉える事が出来る。ただ、どんな藪医者も、開眼することはある。多くの医師が、誤診を通じて、それを修正して一人前になるように。

この狂言は、そこまで考えていないかもしれない。藪医者と雷のやり取りを単純に楽しめばいい。それにしても、梅雨の終わりに雷鳴が轟くというけれど、天気予報では、梅雨明けは、まだらしい。明けると、暑い夏が待っているから、それも善し悪し。でも、こんな暴風雨は、もういい。もっと穏やかな天候は期待できないのか。まあ、そんなことより、眠いから、二度寝、いや、五、六回寝になるのかな。少し、寝るわ。

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2012年7月 6日 (金)

神戸らんぷミュージアムに行く

神戸に行ったついでに、「神戸らんぷミュージアム」に行ってきた。大体、10年くらい前に行ったとは思うが、長いこと訪ねていない。展示内容がそんなに極端に変わることがないので、何かの機会がないと、足が向かないのも事実だ。

今回は、リンクしている『神戸居留地BLOG』に、神戸らんぷミュージアムが、夏の電力需要に対応するため「クールスポット施設」になっているという記事が、ちょうど行くきっかけを提供してくれた格好。何といっても、通常の入場料が400円なのに、今回は、8月31日まで、100円というのが魅力的(笑)。

神戸らんぷミュージアムは、あまり目立たず、少しマイナーな施設かもしれない。日本銀行神戸支店のちょうど道を挟んで北側のビルの3階にあるため、知らない人も比較的多いかもしれない。ビルの中に入って、エスカレーターで3階へ。受付の女性がにこやかに対応してくれる。

当日は、入口ロビー近くで、何かの催しをしていたが、ランプとは関係なく、ごちゃごちゃして多少違和感。そこを通って、中に入ると会場だ。「あかりのイメージ映像」、「最初のあかり」、「あかりをともす知恵」、「ろうそくのあかり」、「あかりの大革命」、「資料展示室」、「あかりのミュージアムウォーク」と続く。以前に訪問した時より、展示が洗練されている感じだ。それにしても、いろんなあかりが展示されている。来てよかった。

中に入ると、若い女性観覧客の方たちが、盛んにカメラのシャッターを切っていた。芸術関係の学生さんだろうか。ただ男は、私以外、誰もいない。あかりに興味を持つのは、女性が多いのかもしれない。考え方によっては、ここは、カップルのデートコースにはいいかもしれない。確かに雰囲気はいいだろう。気分も高揚させるかもしれない。

流風が、特に気に入ったのが、昔の部屋とあかりの関わり。昔の部屋は、こんなに暗かった。でも、最近の時代劇は、皆、明るすぎる。時代考証がいかに出鱈目かが分る。そして、現代の明るすぎる照明環境。節電下、考えさせられる。

*参考 神戸らんぷミュージアム

 神戸市中央区京町80番 クリエイト神戸3階

 開館時間 午前10時から午後5時まで。

 月曜日 休館

 二階には、ミュージアムカフェやミュージアムショップがある。

 穴場の休憩地の一つの候補にするのもいいかもしれない。

  因みに、この施設は関西電力関係の施設だ。

*平成25年2月19日追記

関西電力は、「神戸らんぷミュージアム」を4月から当面、休館すると発表した。経営効率化の一環という。もともと入場者は少ないし、やむを得ないと思う。あの分りにくい場所では、今後の運営の継続は難しかろう。そもそも、この施設の運営費が電気料金の原価に含まれているというから驚きだ。一般の事業会社では考えられない。関西電力は更なるリストラが求められるだろう。

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2012年7月 5日 (木)

播州弁 その七 ええし

今回の播州弁は、「ええし」。母が次のように使っていた。「あそこの奥さん、上品やろ。ええしの出やからな」とか。「ええし」とは、旧家の金持ちを指す。金持と解説しているのもあるが、単なる金持ちではない。成り上がりではなく、代々続く家柄で、金持ちなこと。

そして、昔の旧家は、金持であっても、贅沢はしなかったと云う。一般家庭より、質素な生活を送っている家庭もあったと聞く。それは贅沢すれば、代々守ってきた財産を減らすからである。その点が、成金と大きく違う。もちろん、成金も代々続けば、「ええし」に洗練されていくのだが。

しかし、戦後の農地解放と相続税の改正により、大地主は逼塞し、このような昔の「ええし」の生き残りは少なくなってしまった。現代では、あまり見受けられない。残っていた「ええし」も、世代交代で、バブルでお金に毒され、崩壊で多くは失い、贅沢気質だけが残ってしまった(*注)。

*注

崩壊家庭は、「ええし」も成り上がりも同じである。そして、贅沢した経験だけ残る。それはバブルを経験した団塊の世代も同様だろう。

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2012年7月 4日 (水)

口上と落語『錦明竹』

口上は、口頭で伝えることだが、昔は、商家では、丁稚等に伝える言葉を暗記させて、先様に伝えるようにしていたという。これは何を意味するかと言えば、識字率の問題もあろうが、人を通じて、伝えさせることにより、人間的な関係を強めていく手法ではなかったか。

丁稚等も、意味は分らなくても、文言を覚えることによって、商家のやりとりの方法を自然と覚えさせられる。相手方には、顔を覚えられ、また相手方の様子を見させる効果もある。それは現在、新人営業が、トップの営業とは、違った感性で、得意先を観察するのと似ている。まあ、最近は、長々と口上を述べさせられることはないだろうが。

さて、この口上、聞く者が聞けば、その内容も理解できるが、分らない者が聞けば、ちんぷんかんぷんになる。そういうことをネタにした落語に、有名な『錦明竹』がある。ある道具屋が、例によって頭の足りない与太郎という小僧に店番させて、店主は出かける。そこに、上方の客が来て、早口で口上を述べるというもの。それが次のようで、長い。

「わたしは京橋中橋の加賀屋佐吉方から参じましたが、先立って仲買いの弥市をもって、取次ぎました道具七品、裕乗宗乗光乗三作の三ところのもの、刀身は備前長船(おさふね)の住則光、横谷宗珉四分一拵(こしら)小柄付きの脇差、柄前は鉄刀木(たがやさん)じゃと、いうてごわりましたが、ありゃあれ埋れ木で、木が違うておりますさかい、ちょっとお断り申します。自在は黄檗山(おうばくさん)錦明竹、ズンドの花活には遠州宗甫の銘がございます。利休の茶杓、織部の香合、のんこの茶碗、古池や蛙飛びこむ水の音、これは風羅坊正筆の掛物。沢庵木庵隠元禅師張り混ぜの小屏風。あの屏風は、わたしの旦那の檀那寺が、兵庫にございますが、その兵庫の坊主の好みまする屏風やさかい、兵庫へやって坊主の屏風にいたしまする。こないにお伝えねがいます」

この落語は、よく聞くけれど、内容を確認したのは今回が初めて。こうして、書きとどめても、なかなか理解しずらい。覚えてきた使いの者は、大したもの。ただ、これを覚えて、旦那に伝えよというのも酷なことだ。書き留めればいいが、そうでなければ、与太郎でなくても無理でしょう。

それに内容は、道具に、ある程度、詳しくないと、耳で聞くだけでは、理解が難しい。道具商には当たり前のことも、関心がないと、専門用語が全く分らない。頭の足りない与太郎では全く無理。ちなみに、三ところのものとは、刀の柄頭・ふち頭・目貫のことらしい。また、風羅坊とは芭蕉のことのようだ。

落語では、なかなか覚えられない与太郎が、何回も、使いの客に聞いて、言わせるが、埒があかない。そこに、女房が現れ、再度何回も聞くが、女房もてんで分らない。使いの者は、ついにあきれて、帰ってしまう。困り果てた女房のところに、主人が戻ってくるが、女房はしどろもどろで、全く違う内容を伝えてしまい、てんやわんや。それ以上に詳しいことは、ここでは止めておこう。

この落語の意図するところは、相手に伝えると云うことはなかなか難しいということだろう。聞き手の能力、知識によって、意図せざる伝達になってしまうことがある。口上のように、一言一句間違ってはならないようなことでも、伝わらない時は伝わらない。

今は、文明の利器が溢れているから、こういうことはないのだろうが、むしろ直接、顔を見て伝えることが疎かになっているかもしれない。商売は人間関係。顔を見て、コミュニケーションを取ることを忘れては、本来の商売は廃れてしまう。コミュニケーションを取ることは難しいけれど、十分な配慮をすれば、成果は大きいことを忘れてはなるまい。

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2012年7月 3日 (火)

求められる景気のための方策

よく議論として「円高により、デフレが解消しない」という話を聞く。円高になると、財界を中心として大騒ぎするが、日本経済にとって、円高が望ましいことが、なぜ分らないのだろうか。確かに輸出業者は、円高になると円換算の収益は落ちるが、商品に力があれば、値上げできる。それができないのは、商品力がないということを示している。

実際、オンリーワンの企業は、円高になれば、スライドして値上げしている。確かに一時的に若干の影響は受けるが大勢では問題ないという。これは明らかに企業戦略の問題で、環境変化に対応できない企業が為替の変動に対して対応できないことを表している。

また、父と生前、よく話していたことだが、日本経済は原油価格に引きずられているということだった。だから、日本はいかに安く原油等エネルギー資源を安く入手する努力が必要なのだが、原発という安易な方法を採用し、国も企業も、資源を安く入手することを怠り続けてきた。

今、問題になっている電力会社も、原油や天然ガスを世界一、高値で引きとってきた(*注1)。もちろん、効率のよい資源は高いのだと云う説明も理由としてはあるかもしれないが、それは経営の怠慢の何物でもない。

更に、国としては、内需中心の国なのだから、いかに円高にして、資源を安く入手するかという国民的コンセンサスづくりを怠り、輸出価格への影響ばかりに配慮した結果、高い資源価格の輸入がデフレを引き起こし現在に至っている。

そして日本銀行に海外との金融緩和競争になり、円安にするため、量的緩和を継続させたことが、問題だった。今の金融規制の中で、量的緩和で景気が良くなることはあり得ない。景気をよくしたいのなら、むしろ国際的金融規制を緩和(あるいは解除)させることなのだ。

BIS規制は、銀行を委縮させている。それが国内の資金循環を悪化させている。本来のあるべき金融活動の復活のためには、国は規制をを解消させるための外交交渉を優先させるべきだろう。それをしないかぎり、金融緩和は何の意味も持たない(*注2)。

*注1

それは原発を推進するため、原油価格や天然ガスの価格は、高止まりしていた方が、都合がよかったのではと勘ぐられる。

*注2

ところが、日本銀行には、量的緩和派の人を3名追加してきた。インフレ政策は、ある程度止むをえないとしても、その方策は量的緩和ではないことを肝に銘じるべきだ。

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2012年7月 2日 (月)

播州弁 その六 「めぐ」と「しょうない」

今回の播州弁は「めぐ」。東京に行った時、「これ、めんだら大変やな」と言ったら、相手の方はきょとんとされていた。「めぐ」とは壊すという意味。子供の頃、父が大事に育てている菊の植木鉢をひっくり返して、母に「これ、めんでもた。どないしょ」と、半べそで泣いていた流風。口語文にすれば、「これ、壊してしまった。どうしよう」ということ。

母は、「そら、あやまらなしょうないな」。怖い父の帰りが嫌で、その日は、ずっと暗い気分。父が帰ってきて、渋々、そのことを告げると、母のとりなしもあり、意外と父は怒らなかった。壊れた植木鉢を見ながら、「ほかすしかない。しょうないな。新しいの、買うしかないな。今後は、気をつけるんやで」と。「ほかす」は捨てるの意。「しょうない(あるいは、しょうがない)」とは、「仕方ない」ということ

ただ、流風は、その後も、色々壊して、遂には、大目玉を食らうことになる。でも、わざと壊したことがないのが、唯一の救いかな。今でも、不注意で、壊す癖はなかなか直らず、何かを壊している。ある人から、「あんたは、安物ばかり、こうて(買っての意)、壊すんやから、高いものを買ったらええんや」と忠告を受けたことがある。でも、それには、先立つものが、、、(苦笑)。さすがに、最近は、壊すことが少なくなったかな。歳行った証拠かも。

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2012年7月 1日 (日)

半夏生と狂言『蛸』

今年(2012年)の半夏生は、いつもは7月2日になることが多いが、本年は、本日、7月1日だ。なお、半夏生は、一年二十四節季を更に候で区切ったひとつのこと。夏至から数えて、11日目の7月2日頃からの5日間をいう。

関西では、蛸を食して、豊作を祈る風習がある。蛸に含まれるたんぱく質やタウリン、亜鉛が疲労回復、夏バテ防止に利くということから広まった。蛸の産地の兵庫県明石市では、色々催しが計画されているそうだ。ただ、一部の地区を除いては、蛸を食する風習は、そんなに広がっていないと思っていたが、最近は、東日本でも、取り入れているらしい。

今回は、そういうこともあり、狂言『蛸』を取り上げよう。ただ、通常の狂言と多少趣が異なり、能の色彩が強い。しかしながら、題材に蛸を取り上げたところが狂言らしい。演者によっては、非常にユーモラスに演じられるらしいのだが、残念ながら、まだ舞台で観たことはない。

筑紫の僧が、播磨の国、清水の浦(現在の明石市周辺)にやってくると、蛸の幽霊が現れる。それは去年の春に死んだらしく、回向してくれと頼み、消えていく。

そこで、地の者に、そこに建てられている卒塔婆の謂れを聞いてみると、所の者は、昨年、大蛸が揚がったので、皆で食べたが祟りがあったので、慌てて卒塔婆を立てて弔ったと語る。そこで、僧が、「生蛸生蛸」と祈ると、蛸の霊が現れ、最後の有り様を語る。

大綱を曳きまわされ、遁れることもできず、捕えられ、皮を剥かれ、張り蛸にされてしまう。苦しんでいた蛸も、弔いを受けて成仏して、消えるというもの。そういうと、今の時期、張り蛸が干されている風景はよく見る。

明石の蛸は、昔から食されていたのだろう。今でも、美味しいので、時々買う。スーパーには、海外産と明石産が並んでいるが、明石産は少し高いが、色艶がいい。最近は、たこ焼きには海外産を使用されることが多いらしいが、海外でも、段々取れなくなって、価格が上がっているとのこと。今後は、蛸も高値の花になるのかな。本日は、蛸とキュウリの酢の物にして食するとしよう。

*追記

8月8日には、別途「タコの日」というのがあり、蛸供養が、蛸の産地で催されるそうだ。

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