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2012年7月26日 (木)

業平の恋 その四

それでは、業平と高子の関わりは、いつまで続いたのだろうか。惟仁親王が清和天皇になられたのは、9歳の時で、彼が成人になられた時、高子は入内する。高子は25歳で、清和天皇に入内しているから、一応、それまでとすると、約7年の間に、業平との間で、いろいろあったと考えられる。

その時、すでに、惟仁親王より8歳年上の高子は、順子(五条の后)のもとに、実家から出入りしていたと言われる。それまでの惟仁親王は、彼女を姉のように気に入り、やがて禁色の着用を許される。ただ、いとこで文徳天皇の女御であり、清和天皇の母である明子(良房の女)とは、清和天皇の后になる前から、微妙な関係であったかもしれない。

さて、最初の関わりのきっかけ、業平が、ひじきと共に和歌を贈った後は、どうなったのだろう。残念ながら、はっきりしたものは残っていない。ただ、高子は、返歌したか、手紙を送った可能性がある。大体、世間知らずのお嬢様は、物怖じせず、変わったものや人に関心を示しがち。そして冒険心をくすぐる和歌には、ちょっと興味をもったはず。

ところが、業平の方はと言うと、彼は、あちこちに贈り物や和歌を贈っているから、高子の存在は、多くの女性の中の一人に過ぎなかった。返歌(または手紙)はあったのにもかからず、放置していた可能性がある。ある日、ふと、その返歌(または手紙)を読んでみて気にかかり、誰だったかな、と思いを巡らす。そして、はっきり思い出せないが、歌を返す。

  吹く風に わが身をなさば 玉簾

   ひま求めつつ 入るべきものを

内容は、「私の身体が吹く風になれば、あなたの部屋の簾の間を探して、入ることができようものを」というようなもの。ちょっと、手紙の送り主が相手が誰だっかを探っている。

これに対して、高子は、怒って、次の歌を詠む。

  とりとめぬ 風にはありとも 玉簾

   たがゆるさばか ひま求むべき

意味は、「たとえ、手に取り押さえられない風であっても、この部屋の簾の隙間から入ることは決して許しません」と拒否している。高子にすれば、贈り物までしておきながら、今度は、誰にでも返すような適当な歌を送りつけてきたので、失礼な人と思ったのでしょう。

これによって、それで、やっと、業平は、返歌の送り主を確認する。彼の思惑通り。まあ、これは業平の高等戦術かもしれませんが(笑)。

次回に続く。

*注記

この記事は、『伊勢物語』のいろんな内容を、組み合わせて、独断で解釈する場合があります。あくまでも一個人の想像だということをお断りしておきます。

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