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2012年7月30日 (月)

業平の恋 補記 別れた二人のその後

業平と高子の恋は一応、終わる。だが、この二人、元々、嫌になって別れたのではなく、別れさせられたため、高子が女御、后となつてからも、その恋の気持ちはお互い消滅していなかった。もちろん、それはセーブされた大人の行動は取っていて、逸脱するような行為はしていない。

特に、高子の方にも女御になった後も、静かに業平への想いだけは続いていたようだ。それは業平が亡くなるまで続く。業平も、彼女の思いに呼応している。業平、高子は、お互いの気持ちを、業平が、和歌の中に、滲ませながら、交流し続けていたことを最後に、取り上げてみよう。

  大原や 小塩の山も けふこそは

     神代のことを 思ひいづらめ

これは女御が、大野原神社に参詣された時、業平も同行していた。その他の多くの同行者が禄を拝領し、最後に、女御は、業平に、お召しになっていた単衣の御衣を業平に下賜する。その時に、業平が詠ったもの。この解釈は、難しい。字面通り解釈すれば、「大原の小塩の山の神も、今日こそ、神代のことを思い出していられることよ」となるが、これでは意味は分らない。

まず、大野原神社とは、藤原氏の氏神であること。女御は、当然、藤原氏の出だから、参詣するのは当然だ。そして、この神社の祭神は、天児屋根命(あめのこやねのみこと)で、神代に天皇家を補佐していた。この歌は、少し謎をかけているようだが、底辺には、このような御衣を賜り、あなたも、昔の私とのことを思い出されているでしょうか、と言っているようだ。

  忘れ草 生ふる野辺とは 見るらめど

     こは忍ぶなり 後もたのまん

これは業平が、内裏に伺候していた時、女御より忍ぶ草に対して「この花は何の花ですか」と問い、業平に与える。それに対して詠んだのが、上記の業平の歌。「あなたには、私がまるで忘れ草の生えた野辺のようにお思いでしょうが、そんなことは決してなく、恋心を抑えての忍ぶ草なのです。今後も、このように逢えることを頼みとしています」といった感じ。

  うゑしうゑば 秋なきときや 咲かざらん

     花こそ散らめ 根さへ枯れめや

これは、后より菊の所望が業平にあったので、菊を献上した時に添えた歌。「ちゃんと、菊を植えておきましたので、毎年、秋のないような時には咲かないでしょうが、そんなことはないでしょう。もちろん、咲いた花は散るでしょうが、根まで枯れることはありません。私の心も、花は枯れても、根が枯れることなく、あなたのことをお慕い続けています」といった感じ。

  あやめ刈り 君は沼にぞ まどひける

     われは野に出でて 狩るぞわびしき

これは、后が、飾りちまきを、業平に送ってきたので、雉をお礼に送った時に付けた歌。「ちまきを作るために、沼にアヤメを刈るのに御苦労されたようですが、私は、野に出て、雉を狩るのに大変なことでした」という意。対照句と言われるように、ダジャレが組み込まれている。そして言外に、今は立場は違うけれど、お互いの思いやりを表現している。

以上のように、高子と業平は心の交流が続いていた。ちなみに、清和天皇は、881年に崩御されているから、その時、高子は39歳くらい。そして業平は、その前年に亡くなっている。高子は、恋人だった業平と清和天皇を一度に失っている。

*出典 『伊勢物語』、『大和物語』

 

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