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2012年7月 7日 (土)

雷鳴と狂言『神鳴』

昨夜の雷鳴は凄まじいものだった。閃光と雷鳴に目を覚まされたのが、深夜。その後で、これまた激しい雨。そして、一時的には止むが、また同じ繰り返し。とても眠れるような気分ではなかった。激しい雷鳴は、3時ごろまで続き、4時になっても、まだ鳴り止まず。

そして、一番心配したのが、河川の氾濫だ。ラジオを聞いていると、水位が危険水位に近づいている。流風も、床下浸水くらいは覚悟しました。そして、うとうとして、朝方、目覚めると、まだ雷鳴は聞こえるが、小さくなって、遠くに行っている感じ。

今回の雷鳴は、生涯であまり経験してことのないようなもの。人間生きていると、いろんな経験をします。一応、河川の氾濫も、ぎりぎり免れ、床下浸水もなかった。ただ、家庭菜園は目茶目茶だ。折角、作っていた作物もダメージが大きい。ああ、残念。自然の猛威には、勝てません。

さて、狂言にも『神鳴(かみなり)』というものがある。これはちょっと、雷のイメージとは違い笑わせてくれる。都の藪医者が、東国で荒稼ぎしようと出向く。その途中、広い野原に出ると、空が急に暗くなる。そこに、がらがらどっしゃーんと雷が落ちてくる。

雲の切れ目を見誤り、地上に落ちたのだ。そこで、腰を強打。そこに居合わせた藪医者に、治療を命じる。藪医者は、雷の腰に針を打つと、雷は、痛いと大騒ぎ。ツボをはずしたのかな。

それでも、何とか治った雷は天に帰ろうとするので、藪医者は治療代を請求するが、雷は、持ち合わせがない。そこで、日照りや水害から、雨風を支配して800年間、守ってやり、藪医者の出世も、約束して天に昇っていく、というもの。

こんな雷がいればお願いしたいものだ。でも、藪医者がなぜ、治すことができたのだろう。患者が人間でないから、治せたということもできる。藪医者という怪我の功名とも捉える事が出来る。ただ、どんな藪医者も、開眼することはある。多くの医師が、誤診を通じて、それを修正して一人前になるように。

この狂言は、そこまで考えていないかもしれない。藪医者と雷のやり取りを単純に楽しめばいい。それにしても、梅雨の終わりに雷鳴が轟くというけれど、天気予報では、梅雨明けは、まだらしい。明けると、暑い夏が待っているから、それも善し悪し。でも、こんな暴風雨は、もういい。もっと穏やかな天候は期待できないのか。まあ、そんなことより、眠いから、二度寝、いや、五、六回寝になるのかな。少し、寝るわ。

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