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2012年7月 4日 (水)

口上と落語『錦明竹』

口上は、口頭で伝えることだが、昔は、商家では、丁稚等に伝える言葉を暗記させて、先様に伝えるようにしていたという。これは何を意味するかと言えば、識字率の問題もあろうが、人を通じて、伝えさせることにより、人間的な関係を強めていく手法ではなかったか。

丁稚等も、意味は分らなくても、文言を覚えることによって、商家のやりとりの方法を自然と覚えさせられる。相手方には、顔を覚えられ、また相手方の様子を見させる効果もある。それは現在、新人営業が、トップの営業とは、違った感性で、得意先を観察するのと似ている。まあ、最近は、長々と口上を述べさせられることはないだろうが。

さて、この口上、聞く者が聞けば、その内容も理解できるが、分らない者が聞けば、ちんぷんかんぷんになる。そういうことをネタにした落語に、有名な『錦明竹』がある。ある道具屋が、例によって頭の足りない与太郎という小僧に店番させて、店主は出かける。そこに、上方の客が来て、早口で口上を述べるというもの。それが次のようで、長い。

「わたしは京橋中橋の加賀屋佐吉方から参じましたが、先立って仲買いの弥市をもって、取次ぎました道具七品、裕乗宗乗光乗三作の三ところのもの、刀身は備前長船(おさふね)の住則光、横谷宗珉四分一拵(こしら)小柄付きの脇差、柄前は鉄刀木(たがやさん)じゃと、いうてごわりましたが、ありゃあれ埋れ木で、木が違うておりますさかい、ちょっとお断り申します。自在は黄檗山(おうばくさん)錦明竹、ズンドの花活には遠州宗甫の銘がございます。利休の茶杓、織部の香合、のんこの茶碗、古池や蛙飛びこむ水の音、これは風羅坊正筆の掛物。沢庵木庵隠元禅師張り混ぜの小屏風。あの屏風は、わたしの旦那の檀那寺が、兵庫にございますが、その兵庫の坊主の好みまする屏風やさかい、兵庫へやって坊主の屏風にいたしまする。こないにお伝えねがいます」

この落語は、よく聞くけれど、内容を確認したのは今回が初めて。こうして、書きとどめても、なかなか理解しずらい。覚えてきた使いの者は、大したもの。ただ、これを覚えて、旦那に伝えよというのも酷なことだ。書き留めればいいが、そうでなければ、与太郎でなくても無理でしょう。

それに内容は、道具に、ある程度、詳しくないと、耳で聞くだけでは、理解が難しい。道具商には当たり前のことも、関心がないと、専門用語が全く分らない。頭の足りない与太郎では全く無理。ちなみに、三ところのものとは、刀の柄頭・ふち頭・目貫のことらしい。また、風羅坊とは芭蕉のことのようだ。

落語では、なかなか覚えられない与太郎が、何回も、使いの客に聞いて、言わせるが、埒があかない。そこに、女房が現れ、再度何回も聞くが、女房もてんで分らない。使いの者は、ついにあきれて、帰ってしまう。困り果てた女房のところに、主人が戻ってくるが、女房はしどろもどろで、全く違う内容を伝えてしまい、てんやわんや。それ以上に詳しいことは、ここでは止めておこう。

この落語の意図するところは、相手に伝えると云うことはなかなか難しいということだろう。聞き手の能力、知識によって、意図せざる伝達になってしまうことがある。口上のように、一言一句間違ってはならないようなことでも、伝わらない時は伝わらない。

今は、文明の利器が溢れているから、こういうことはないのだろうが、むしろ直接、顔を見て伝えることが疎かになっているかもしれない。商売は人間関係。顔を見て、コミュニケーションを取ることを忘れては、本来の商売は廃れてしまう。コミュニケーションを取ることは難しいけれど、十分な配慮をすれば、成果は大きいことを忘れてはなるまい。

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