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2012年7月22日 (日)

業平の恋 その二

仁明天皇(810)の后になった順子は、五条に屋敷があったため、五条の后と呼ばれる。なお、紀名虎は長女の種子を、仁明天皇の更衣として送り込んでいる。順子には、親王があり、後の第55代、文徳天皇(827)になる。ここに嫁いだのが、彼女の姪、すなわち順子の兄、良房の女、明子だ。明子は、後に第56代、清和天皇(850)を生んでいる。

ただ、文徳天皇は、先に、紀名虎の女、静子を更衣とし、彼女は惟喬親王(844)、恬子内親王(848)を生んでいた。紀名虎は、更衣の種子、静子により異例の昇進をしている。よって、惟喬親王を次の天皇にと考えてもおかしくない。だが、文徳天皇は、一時、そういう考えもあったが、藤原家の強い意向により、そうはなっていない。

紀家は、武内宿禰を祖とする名家だが、紀名虎については、成年不詳であり、謎の多い人物だ。また紀家は、どちらかと言うと、文人を多く輩出する家系であったかもしれない。よって、政治的には、あまり強くなかったのだろう。そういうことで、藤原家に押されてしまう。

なお、名虎の息子には、紀有常がおり、彼の長女が、業平(825)の妻という関係である。そういうことで、業平には、天皇家の主流を外れた在原家のことに加えて、妻の実家の紀家との関係で、若干、藤原氏に抵抗する意識が無かったとは言えない。

順子のもう一人の兄、長良には、国経、基経、高子の子供がいた。高子(842)は、後に清和天皇の后になる。高子は、清和天皇より8つ年上であった。二条の后と呼ばれ、後の陽成天皇(869)を生んでいる。後に、兄の国経は大納言になり、基経は、堀川の大臣と呼ばれるようになる。

その高子が、まだ后になる前、業平との恋があった。それは歳の差はあるけれど、少し、ロミオとジュリエットの趣がある。

*注記 カッコ内は生年。

次回に続く。

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