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2012年8月31日 (金)

行かず後家の女性たち

若い頃、いろいろ見合いの世話をしてくれた女性は、ある会社の社長夫人だった。彼女は、割と同性の女性に厳しく、女性の選定にも、いろいろアドバイスしてくれた。その一つは、「相手を選ぶ時、女は、歳が行くと、いろんな知識を得て、悪くなる。だから、できるだけ若い女性を選びなさい」という意見だった。

それは別の言葉で表現すれば、「薹(とう)が立つ」ということ。すなわち、女性の持つ柔らかさが失われるということだ。女性が一人で過ごしていくと、その防御のために、思考が、どうしても縮こまり固くなる。それは生物の成長と同じ。それは男から見て容姿と共に、魅力が半減する。

結果的に、行き遅れになり、ついには、行かず後家と言われるようになる。教養もあり、容姿も標準以上なのに、結婚を避ける女性は多いが、人間を小さくしてしまう。やはり結婚はされた方が宜しい。

ただし、こういうタイプの女性は、概して、パートナーを選ぶ鑑識眼は持ち合わせていないことが多いので、第三者(但し、年齢の離れた既婚者)に選んでもらった方がいい。そして、それに対して、理屈をこねて、文句を言わないことだ。そうすれば、道は開けるだろう。

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2012年8月30日 (木)

鈍行の妙味

車や自転車に乗っていると、必ず追い抜きがある。人には、それぞれ事情があるだろう。人生、急がなければならない時もある。ただ、先に行った人が、次の信号で停車しており、結果的には後続車に追いつかれることになることも多いものだ。

人生も同じことかもしれない。青春十八きっぷは利用したことがないが、基本的に特急には乗れない。しかし、普通電車に乗れば、見えることもある。それが人生の妙なのだろう。時代は、いつの頃からか、せわしなくなったが、それが人々を焦らせ、迷わせ、苦しめる。

今考えると、もっとゆっくりとした歩みで好いのではないかと思う。人生、なるようになる。そのように多分、人知れず、設計されているのだろう。そう考えると、鈍行の方が、多種多様な人々に出会える可能性が高い。せいぜい、出会いを大切にしたいものだ。

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2012年8月29日 (水)

秋の気配

   秋きぬと 目にはさやかに 見えねども

     風の音にぞ おどろかねぬる

        藤原敏行朝臣         

        古今集 第一六九番

今朝の気温もまだ高いが、台風の影響で風があるため、少し涼しい。気温も若干下がっている。残暑はまだ続きそうだが、秋の気配も感じられないこともない。ちょうど、それは上記の藤原敏行朝臣の和歌のような感じだ。

家庭菜園の方も、トマトの収穫はほぼ終わりだ。今年はたくさんの実ができて、しぱらく購入する必要がなかった。暑いのが幸いしたのかもしれない。ただ、今年の暑さは、予想外だ。そんなことを言っていたら、「今年は旧暦で、まだ七月ですよ」と言われてしまった。確かに。

ということは、まだ暑さが続くのだろうか。でも、蝉の声は静かになってきた。もうすぐツクツクボウシの鳴き始めそうな雰囲気だ。また今年は、種類も分らない、変わった鳴き声をする鳥が、いろいろやってきたが、全般的に、鳥の鳴き声も静かになってきた。時々、大きい鷺らしき鳥が、天高く飛んでいるだけだ。秋は、静かに進行しているのだろう。

 

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2012年8月28日 (火)

身だしなみの評価

人は、その持ち物で、大体、その評価ができると昔の人は言った。但し、高価な物をたくさん持てば、それでいいかと言えば、それは愚の骨頂。使わない物を持つのは、あまり宜しくない。よくご婦人方は、バーゲンとかで、ブランド品を買い漁り、タンスの肥やしになっている人は多い。それは馬鹿の見本である。

さて、それはさておき、男の場合は、できる人は、仕立て屋で一流ブランドの無地か、それに近いもので同じスーツを作り、何着も持っていた。これがかつて、おしゃれの基本と言われた。だから必要なのは、せいぜい四季に合わせた素材のスーツだけとなる。そうすると、手入れも行き届くし、修理も楽だ。

そのような人は、いつ会っても印象は変わらないし、それでいて、存在感はアピールされている。それは現在のようにクールビズでネクタイしてなくても、同じ工夫はできるだろう。そのような配慮ができる人は、高く評価される。外見は大切だ。

また、靴も評価の対象だ。安物の靴では、自分の足に合わないから疲れやすいし、足に不具合もできやすい。そういうことに気を取られると、仕事にも影響が出る。できれば、プロの人に見立てしてもらい、靴を選んだほうが賢明だ。お金に余裕があるなら、自分の両足を計測してもらい、特注で靴を作るのもいいだろう。そして、あと後の十分な手入れも必要だ。この点において、海外の真似をする必要はない。手入れされていない汚い靴は評価を下げる。

さらに、最近は、アクセサリーや指輪をする男がいるが、あまり宜しくない。これらは裏社会の人々のファッションを真似たのだろうが、不真面目な感じがする。首につける金色のアクセサリーは不良ぼく見えるし、指輪も結婚指輪以外の指輪をするのは変だ。独身者が指輪をすることもなかろう。また腕に、腕輪をしているのも違和感を覚える。

最後に、流風もよく注意されたことだが、ある程度の年齢になれば、安物のファッションは、休日や自宅以外では避けたいものである。外見で評価されると思えば、それくらいの投資はやむを得ないと思う。いい物をうまく大事に使いたい。品よく自分を演出するのも能力の一つと考えたいものだ。

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2012年8月27日 (月)

地方都市の未来 その一

今回から、何回かに分けて、地方都市の未来について感じたことを記してみよう。ただ、今回述べる「地方都市」の対象は、人口が30万人以上50万人以下を想定している。

地方都市というのは、住むには好い環境のところが比較的多い。大都市のような娯楽性は低いかもしれないが、適度な緑地や公園もある。それなりに活躍している企業もあるから、それなりの雇用もある。医療施設も、それなりに整っている。

そういうことで、意外だが、20代、30代の若い女性に比較的人気があるらしい。もちろん、それなりのコスト計算もあるだろう。つまり住居費や物価が大都市と比べて、比較的低いことも支持される理由の一つだろう。

今後は、大都市は高齢化により人口が減っていく。つまり大都市の魅力は剥落していく可能性が高い。確かに、観光地としては、依然、勢力を保つかもしれないが、住む地域としては、やや厳しくなるかもしれない。そういうこともあって、地方都市は静かなブームになるかもしれない。

ただ、地方都市も、高齢化の波の影響は受けており、じっとして何も手を打たなければ、他の地方都市に負けてしまうだろう。比較的若い女性世代に魅力的な街にすることが、成功のポイントになるかもしれない。

“狩猟型”の彼女たちは、魅力を感じれば、案外、住んだことのない地域への移動を易々とやる。結果的に、彼女らが、同世代の男や親世代等を引き連れてやってくる可能性もあるのだ。

次回以降、若干、具体的に見ていこう(但し、このテーマに関する次の投稿日は未定)。

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2012年8月26日 (日)

お金の能率

日本で能率を説き、後に産業能率短期大学を創設した上野陽一は、お金の能率について、次のように述べている。今では、当たり前のことも、そのことを忘れている経営者も多い。

それは、すなわち、生産された富を、お金、物、智、力を合算して除したものを大きくすることだ。結局、分母の富を大きくするか、分子のお金、物、智、力の四要素を小さくするかにある。

その中で、お金の効率が重要だと彼は説く。ただし、産業の分野によっては、過度に集中してはいけないし、そうかと言って過小資本では非効率だ。その塩梅を経営者は、真剣に考えなくてはならないと言っている。

ただ、その他の物、智、力も流風は大切と思う。日本は全般的に、物には優れているが、智の発揮がやや不足しているようにも思う。智は知ではない。ある意味、ずるさ、交渉力だ。あるいは営業の深さというべきか。それをより高めていけば、上野の言う能率は更に高まると思う。

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2012年8月25日 (土)

お婆さんと饅頭

子供の頃、お菓子の摂取は制限されていた。よって、特に甘いものは禁止に近い状態。歯があまり良くなかった両親は、子供に苦労はさせたくなかったのだろう。そういうわけで、10時と3時のおやつは、母が作っていた。

でも、子供の時は、すぐにお腹が減る。それだけ活動量も多い。当時、流風は、いつもお腹を鳴らしていたように思う。ある時は、確か留守番している時だったと思うが、おやつがなく、とても辛抱ができず、水屋にある味噌に麩をつけて食べたが、後で発覚。不思議と、母は叱らなかった。遠い記憶だ。

さて、近所をあちこち、友達とふらふら歩きまわり、あるいは走り回り、水筒のお茶は、すぐに空になる。そうすると、近所の知らない家でも、お茶をもらった。大体、麦茶が多かったけれど、家々によって、いろんなお茶だった。

そして、時々、予想外のいいことが。お婆さんのいる家に行くと、お茶だけでなく、お菓子も出てきて、「遠慮なく、お上がり」と言ってくれる。初めは、母の顔が浮かんで遠慮していたが、強く勧められ、頂いたものだ。不思議と、どのお婆さんも、皆、そのようであった。

お婆さんの家には、饅頭が常にあるような感じだった。ところが、いいことはいつまでも続かない。あるお婆さんの家で、おはぎを頂いて食したのはいいが、帰って、夕食がどうしても食べられない。そこで母に寝間で問い詰められて、本当のことを白状すると、叱られた。

でも、「今回は、お父さんには内緒」と笑って、許してくれた。ただ、それ以降、近所のお婆さんに通達が行ったのか、あまり饅頭等は出なくなった。煎餅等が、代わりに少し出るようになった。当時は、何も思わなかったが、母がお願いしたのだろう。そういうこともあり、流風は煎餅も好きだが、饅頭が大好きだ。子供の時の食の記憶からは逃れられないということだろうか。

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2012年8月24日 (金)

去来するを休めよ

今回は、「直指人心 見性成仏」と内容は近いけれど、次の詩を掲げよう。

  你(なんじ)に勧む 去来するを休(や)めよ

     他の閻(えん)老を悩ますこと莫(な)かれ

     脚を失いて三途に入らぱ 

  粉骨1千擣(とう)に遭わん

  長く地獄の人と為り

  永く今生の道を隔てん

  你に勉(すす)む余の言を信じて

  衣中の宝を識取せんことを

上記の詩は、『寒山拾得』にあるものだ。内容は、「お前さんに勧めるのだが、あちらこちらにうろうろ、うろつくのはお止めにしなさい。例の閻魔大王を困らすようなことはしてはいけない。足を踏み外して三途の川に落ちたなら、骨は、1千回搗かれて、粉々になってしまう。そうなれば、長く地獄の人となり、永久に、この世とはおさらばだ。私の言うことをよく聞いて、それを信じ、衣服の中にある(すなわち心の中にある)本当の宝をよくよく考えて、我がものにしなさい」という感じかな。

流風も、あちらこちらにうろうろするのが好きだが、結局のところ、あまり得られるものはないのは確かだ。でも、あんまりじっとしているのも、健康によくない。そういう言い訳をして、またいつものように出かけていく(笑)。危ない、危ない。多分、まだ人生修行が足りないんだろうね(*注)。

*注

念のために記すと、もちろん、この詩は、そういう意味ではない。あくまで、心の問題。

 

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2012年8月23日 (木)

半身達磨図のこと

床の間の色紙飾りには、現在、『半身達磨図』を飾っている。白隠禅師によるものだ。もちろん、コピーで作られたものだけれど(笑)。そこには、達磨の上半身の絵と共に、次の文字が記されている。

   直指人心 見性成仏

書き下しは、「直に人の心を指差し、見性して仏となる」だ。意味は、「外的環境に惑わされて、外に向かって求めたりせず、素直な心で、何の介在もなく、直接、自分の中にある心をつかめ。そのようにしておれば、いずれ心の本質を極限まで見通して、真に目覚めた人間になるだろう」というような感じだろうか。そこまで行けば、迷いは無くなるだろう。流風は、まだまだだけれどね。

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2012年8月22日 (水)

浄瑠璃 『芦屋道満大内鑑』について

今回は、以前にも、少し取り上げた浄瑠璃『芦屋道満大内鑑』を再度、話の内容を一部見てみよう。

今は亡き賀茂保憲の養女、榊の前は、賀茂保憲の後妻の謀略で、秘書『金烏玉兎集』を詐取され、その責任を負って自害に追い込まれる。彼女の恋人で許嫁だった賀茂保憲の弟子、安倍保名は、ショックで気が少し変になり、和泉の国の信太の森で、榊の前の妹の葛の葉にめぐりあい、彼女の両親の勧めもあり、葛の葉を榊の前の代わりとする決心をする。

そこに、追われていた白狐が安倍保名と葛の葉の間にやってきたので、助けてやる。そうしているところに、狐狩りをやっていた石川悪右衛門が現れる。安倍保名は、葛の葉に言い寄っていた石川悪右衛門と争うことになるが、何せ学者の保名は、こういことには全く駄目で打ちのめされる。そして、葛の葉も危ないところだったが、保名の従者、与勘平によって、助けられる。この時、保名は、傷を負ってしまうが、その時、葛の葉が介抱する。

話の内容は一応ここまでにするが、義理、人情、男の権力欲、女の嫉妬などが絡んで、いつの時代にも、通用する物語だ。続きの内容は後日、ブログで取り上げるかもしれないけれど(笑)、是非、読者で確認してほしいものだ。浄瑠璃関係者は、このようなあらすじや時代背景の解説を普及させるべきだろう。

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2012年8月21日 (火)

文楽の振興のためには

大阪市で文楽への助成金カットで、大阪市長と揉めていたが、人形浄瑠璃は、確かに伝統を守るだけでは、維持は難しいかもしれない。もっと誰もが鑑賞しやすい状態に持って行くことが望まれる。すなわち、現代的な普及活動が望まれる。

方法はいろいろあるだろうが、まず、新たな観客を増やすには、いろんな話の簡易あらすじ現代語訳版の普及が必要だろう。江戸時代の言葉は、ある程度、わかるにしても、当時の時代背景とかは分りにくい。それをきっちり解説したものが必要だ。

人々は、あらすじを知って、演劇を見ようとする。両親の世代は、確かに、話を知っていたが、流風の世代でも、それほど浄瑠璃に明るい人は、そんなにいないのではないか。そして、落語も、筋は十分知っているのに、わざわざ高座に足を運ぶ。同じ出し物でも、演者によって、違うからだろう。そのような楽しみ方にまで持って行くのが望ましいだろう。

人形浄瑠璃は、その点、目にする機会も少なく、話の内容も全く知らない人も多いから、ここら辺に、今後の文楽のあり方が問われているのではないか。また入場料の高額さにも驚かせられる。需要もないのに、高い入場料を取れば、人は当然集まらない。悪循環だ。

確かに一流の演者がやるのだから、そうしないとペイしない面もあるのかもしれない。逆に言えば、コストダウンの余地はある。ただ、落語には大学に落研があるのに、人形浄瑠璃にはそのようなものはない。人材の層が薄いと言えよう。たまに、地方で子供人形浄瑠璃が見られるくらいだ。

文楽も、単に伝統を引き継ぐだけでなく、現代的なものも取り入れながら、新しい観客に受け入れられるような工夫をしなければ、いずれ過去の遺物として、消滅しないとも言えない。結局、他のビジネス同様、顧客の満足をどのように考えるかが、再生のポイントだろう。

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2012年8月20日 (月)

現代の武士の商法の危うさ

明治維新以後、失職した武士たちは、生きるために、ビジネスを仕掛けた。しかしながら、そのビジネスは、あまりにも現実を知らないものだから、当然うまく行かない。それを武士の商法と言って、からかった。

ところが、現代でも、武士の商法をやって失敗している企業がある。欧米的経営手法を取り入れ、机上の計算で、利潤極大化を目指して、ある大企業は困難な状況に直面している。顧客現場を知らずして、ホワイトカラー的な発想をすると、必ず失敗する。一流大学出身(特に東大出身)がトップになると、往々にして、企業は衰える。

それは左脳に依存するからだろう。確かに会計上の理屈は合っているが、企業組織はなま物。人間という感情を持った人の集合体であることを忘れると、不思議と顧客と遠くなり、経営は傾く(*注)。長期的視点を持ちつつ、現場、現実、現象に、いかに対応するか、経営者は、いつも問われていることを忘れないで欲しいものだ。

*注

上記の企業の場合、それに加えて、需要の見誤り、市場の見誤り、先行企業としての経営者の過剰な自信、過剰先行投資、二番手ライバル企業の能力の見誤り等がある。基本的には、攻めの経営に比重がかかり過ぎ、守りの経営の視点が欠如していた。

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2012年8月18日 (土)

播州弁 その十八 程度を表す言葉

今回の播州弁は、程度を表す言葉。ただ、播州だけでなく、関西で通用しているものを紹介。

まず「ごっつい」。程度が大きい。「ものごっつい」とか言って、更に強調する場合もある。体格がいい奴にも、「ごっつい奴や」とか言う。大きいことを成し遂げた人にも言う。

「こまいで」とは、小さいという意味。物が小さいと言うより、人間の器が小さいとか、お金に細かい人に対して言う。

「ようけ」は、「たくさん」の意。他に、「ぎょうさん」、「たんと」、「ようさん」とも言う。これらが、どの程度異なるかは、不勉強で、よくわからない。「ようけ」と「ようさん」は、同じ程度だろう。そして、「ようさん」は「ぎょうさん」が縮まったものだろう。「たんと」だけが、少し違う。この「たんと」は、ここらではあまり耳にしなくなった。

その他には、「なんぼでも」がある。「これ、美味しから、なんぼでも食べられでえ」とか言う。「なんぼでも」とは、限りなくという意味。また、「どっさり」という言葉もある。「こんなにどっさり、お土産もらって、すまんのう」とか言う。「どっさり」とは、たくさんの意味だ。

また「たいていやない」という言葉もある。語源は多分、「大抵やない」ということだろう。普通を超えて、大変だなという意味。

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2012年8月17日 (金)

社外取締役は必要か

「仏作って魂入れず」とはよく言ったもので、欧米の作った会計システムは、あまり有効ではないようだ。いくら立派な会計システムを作っても、それを運用するのは、人間だ。人間が、それを守る意識がなかったら、何も役立たない。むしろ害になるくらいだ。

英国の金利不正、日本の証券会社によるインサイダーの不正、形だけの監査システムが機能しなかった大企業の不正等、エリートのすることは、あくどい。社外取締役も、ほとんど役に立っていない。基本的に金儲けだけに走るからそうなる。企業倫理など守られていない。

それなのに、日本の法制審議会は、未だに欧米の会計システムに右に倣えの姿勢が強い。会社法の改正でも、意味のない社外取締役の義務化をもくろんだりした。最終的には、経団連や経済同友会の反対で今回は見送りになったが、いつまた話を蒸し返さないとも限らない。

凡そ経営のことは分っていない方たちが、会社法をいじるのは問題が多い。日本は、現場が第一。社外取締役のように現場の実態を知らない方が、あれこれ言うのは、ピントがずれる傾向が強い。むしろ社内を混乱させ、トラブルのもとだ。

それなのに、彼らを経営の一員に入れれば、コストもかかる。企業にとって何もいいことはない。外部の経営監査システムさえ、実質、ほとんど意味のない時に、更に社外取締役など、もってのほかと言うしかない。経営の監視は、基本的に企業で行うしかない。それができない企業は市場から去っていくだろう。基本的に自然淘汰が望ましい。欧米の変なシステムに捉われないことだ。

*追記

別に社外からアドバイスをもらうには、社外取締役でなくても可能であろう。西欧会計システムは、形を重んじるが、あるべき実態が伴っていないことがほとんど。それより、不正をすれば、それ相応の負担をしてもらうという方が現実的だ。日本は、相対的に、それが軽すぎる。企業を自制させる方法は、他にいくらでもあるはず。

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2012年8月16日 (木)

問われる対韓外交

凡そ、どこの国でも、国民感情に訴える政治ほどレベルの低い政治はない。そして危険だ。残念ながら、韓国は、今、その方向に流れている。元々過去に捉われやすく、激しやすい国民性を利用し、イ・ミョンバク大統領は、それを煽って、日韓関係を悪化させている。韓国政治は確実に劣化している。

そもそも竹島は、戦後のどさくさに韓国が横領したようなもの。それゆえ韓国の正当な領土ではない。それはロシアの北方領土占領とよく似ている(*注1)。両国は、情報を捏造する方法に通じている。韓国は、最近は文化の捏造も多く、よく中国と揉めている。慰安婦問題も捏造の一つだ。キーセンと慰安婦をごっちゃにしている。

日本は、敗戦国故、戦後、そのことを批判せず、遠慮気味にして、外交を控えめにしてきたが、最早、その時代は終わろうとしている。正当な史実及び法的根拠を国際的に主張し、権利は権利として主張しなければならない(*注2)。イ・ミョンバクは、日本をなめて、判断を誤ったと後年、後悔するだろう。

日本政府は国際仲裁裁判所への訴えるようだが、韓国はそれに応ずることはないという。それは韓国の主張が根拠に乏しく、裁判になると勝てないからだろう。その時点で、韓国は何を言おうが負けである。韓国は、竹島が自国領と喧伝してきたが、それは大いなる誤りだ。ただ、長い間、実効支配してきたという事実だけが彼らを強気にさせる。それはロシアの北方領土占領と同じだ。

今後、日韓関係は、数年間にわたって停滞するというのが外交プロの見方だ。日韓FTA交渉は止め、韓国への金融支援(通貨スワップ)も中止すればいい。イ・ミョンバク大統領は、最早、日本の影響力はないと言いきっているのだから、彼らが危機に陥っても、敢えて、日本が支援することはない。日本は、政経一体の外交を推進すればいい。

そして、民間商業レベルでは、政治的なことを抜きにしても、敢えて韓国に投資するのはリスクが高い。民間では、韓国に旅行に行くのもリスクだし、渡航制限まではしないにしても、旅行会社は積極的なツァー計画は組みにくい。ユーロへの輸出も韓国経由を止める動きも出てくるだろう。日本が韓国への部品供給を止めれば、韓国はビジネスが成り立たない分野も多くある。

結果的に多くの文化ビジネスも停滞するだろう。竹島問題では、韓国芸能界も積極的に関与している。彼らの出演しているドラマ等を日本のテレビで放映することは全面的に止めることになるだろう。それに以前から韓国ドラマは、少し過剰に放送され、もういいという感じはあったから、いずれその雰囲気は日本に蔓延する。もちろん文化交流への助成金は全てカットされる。

結局、困るのは誰か。関与している両国民の人たちだろう。国民感情に訴える低レベルの政治から、韓国はいつになったら脱っせるのだろうか。日本としては、冷静に粛々と外交を進め、韓国をスルーする外交を展開するしかないだろう。

*注1

戦後のどさくさに日本の領土を掠めとったことは同じだが、但し、韓国とロシアとは、その背景は異なる。韓国は戦前、日本の植民地下であったの対して、ロシアは終戦前直前に連合国側に参戦し、どさくさにまぎれて北方領土(樺太、千島諸島)を横領した。

韓国は、戦後、リ・ショウバンが勝手に、ラインを設定し、領土を主張した(その時、日本人漁師を殺戮している)。そこに竹島が含まれるが、法的根拠は何もない。また当初、彼らが竹島と認識していたものとは、現在は全く異なるとの指摘もある(当初、彼らが「独島」とするものは、現在の竹島より韓国側にある島であり、竹島とは異なる)。彼らは漁業権の拡大のために、恣意的にやっている。そして、彼らは乱獲し、漁業を駄目にしている。

*注2

日本の主張は、基本的に裏付けがある。日本は伝統的にいい加減な主張はしない。それが国民性だ。それに比べて、韓国(竹島)、中国(尖閣諸島)、ロシア(北方領土)の主張は根拠が出鱈目。やたら政治宣伝で民意を巻き込み、ごり押ししてくる。日本及び日本国民は、耐えに耐えてきた。もう、日本も堪忍袋の緒が切れる寸前だ。

*追記

なお、韓国、北朝鮮は、日本の植民地下であったから、戦後独立できたという見方もある。仮に、日本の植民地でなかったら、現在でも中国か、ロシアの属国の可能性が高い。すなわち、独立していた可能性は極めて低い。日本に対して、あまり暴言を吐かないことだ。

日本は、両国に対して、それに感謝せよと言わないが、当時、特にロシアが南下政策の下、虎視眈々と彼の地を地を狙っていた中で、そのような冷厳な事実は知っておく必要がある。日本の統治方法の問題はあったかもしれないが、彼らに危機意識が薄かったのも事実だ。そういうことも無視して、イ・ミョンバク大統領が、天皇に謝罪を要求した段階で、残念ながら日韓関係は終わりだ。

*追記

さらに、日朝間には、雰囲気に改善がみられる。このことは今後、韓国抜きで、事態は動くことになるだろう。米国は、そのことを心配しているようだが、北朝鮮の経済開放は、ほとんど既定路線。いずれ日本の関心は、拉致問題さえ解決すれば、北朝鮮に比重がかかることになるだろう。その時、韓国と組むことはない。それを促したのは、イ・ミョンバク大統領という皮肉につながる。

*平成24年8月21日追記

野田政権の対韓は生ぬるい。経済と政治の分離はありえない。そもそも天皇が侮辱されているのに、もっと強い措置を取らなければ国民は納得しない。自国の経済への影響を懸念して、腰が引けてはならない。もう一度、天皇への侮辱内容を確認すべきだろう。イ・ミョンバクの天皇への発言は、非常識だ。

「日王は韓国民に心から土下座したいのなら来い。重罪人に相応しく手足を縛って頭を踏みつけて地面に摺り付けて謝らせてやる。重罪人が土下座しない、言葉で謝るだけなら、ふざけた話だ。そんな馬鹿な話は通用しない。それなら入国は許さない」

こんなことを言われて、国は黙っているのですか。もっと強い経済制裁は当然だ。

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2012年8月15日 (水)

米一粒までも

子供時代、茶碗に、ご飯粒一粒でも残していると叱られた。「お米は、お百姓さんが苦労して稲を育てた結果、私たちが頂けるもの。一粒さえ無駄にしてはいけません」と母に強く言われた記憶がある。それゆえ、今でも、弁当の蓋に御飯がついていると、それも食べるし、外食でも、一粒も残さない。

今のような飽食の時代には、笑われるかもしれないが、母の教えは、今も通用することだろう。戦中戦後を生きた両親の世代は食糧で苦労した。戦中から配給米で十分な食料が得られなかったが、戦後は、インフレと配給米という苦難。

配給米では、健康を維持できないし、ヤミ米は禁止されていた。それでも、止むなく、多くの人は高くてもヤミ米を危険を冒して入手していた。戦後没落した人達は、所得を得る術もなく、家財、家具、衣服、骨董品等を売って、筍生活をしたと言われる。

両親は、米穀通帳を見ながら、食べる苦労をしたことをよく話してくれた。サツマイモ、いものツル、野草等、食べられるものは何でも工夫して食べたという。両親の食事内容は、一生、粗末なものだったが、あまり贅沢な食事は体調が悪くなると敬遠していたようだ。まあ、それでも母の方は肉を好んで比較的食していたが。

今は、日本では、食べるのに困ることはないだろう。しかし、過去に、食糧危機の状態があったことは忘れてはならないだろう。流風は貧乏くさいと笑われても、今後も弁当のご飯一粒さえも無駄にはしないつもりだ。

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2012年8月13日 (月)

姫路神社のこと

姫路の神社で、案外知られていない神社に姫路神社がある。この神社は明治になって、廃藩置県により酒井家が、東京に移ったことを、江戸時代15代続いた酒井家の恩顧に対して地元の人によって創建された。祭神は、家康に仕えた酒井正親で、後に、姫路藩酒井家歴代藩主が合祀された。

姫路城主は、ころころ変わっているのだが、酒井家になり、やっと安定し、明治まで続いた。財政改革等苦しい時代を河合寸翁が変革し、借金を無くす過程で、庶民の知恵が活用された。そのことにより、庶民も潤い、酒井家は慕われ、恩を感じた人が、随分といたということだろう。そのため、酒井家の人徳から縁結びの御利益があると言われている。

場所は、姫山公園内。姫路城に行かれることがあれば、少し寄ってみるのもいいだろう。

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2012年8月12日 (日)

なぜ銅鐸は埋められたのか

先日、ブログで案内した『国宝 桜ケ丘銅鐸の謎に迫る』を鑑賞しに、神戸市立博物館に行ってきた。当日は、平日にもかかわらず、多くの高齢者が観覧していた。歳が行くと、こういうものに関心が行くのは自然の流れ。

展示品は桜ケ丘銅鐸だけでなく、他所の銅鐸も展示してあった。模型も含めて、計92点だ。その中で、昭和39年に山中から発見された14個の桜ケ丘銅鐸は、約2100年前(弥生時代中期)に造られたもののようだ。サイズは、6号銅鐸(高さ63.7センチ)から14号(高さ21.05センチ)までと様々。

銅鐸の役割は、いろんな意見があるが、基本的に神事に使われたようだ。なぜなら、それらが発見された地は、全て「神」の名がついているというから、その可能性は高い。桜ケ丘銅鐸には、人や動物が描かれているのが珍しく国宝に指定された(*注)。なお、同じ鋳型で作られた銅鐸が鳥取県や滋賀県でも発見されているそうだ。

それでは、なぜ銅鐸は埋められただろうか。銅鐸は、製作当初は、金銀と眩い光を放っていたと考えられる。埋められた可能性としては、流風の独断的な想像では次のように思う。

 一、祭事の時だけ、人の目に触れ、それ以外では、禁忌とされた可能性

  二、その祭事は権力者の限られた秘事であった可能性

 三、敵対者から略奪されるのを防ぐ可能性

 四、段々と金銀のように光らなくなり、青銅色になり捨てられた可能性

 五、好い音が出なくなったため捨てられた可能性、等々。

他にも、いろんな可能性があるだろう。たまには、そういう想像力を発揮するのも楽しいものだ。

*注

描かれているのは、「鹿」、「鹿の群れ」、「弓を持った人と鹿」、「魚と人」、「イモリ」、「二人で脱穀する人」、「魚をくわえた鳥とスッポン」、「カマキリとカエルとクモ」など。

*平成27年8月14日追記

最近、淡路島で発見された銅鐸には、舌も一緒に見つかっている。更に舌を吊るす紐も発見され、銅鐸は舌で鳴らす器具だということが立証されたようだ。ということは、風鈴のルーツと言えるのだろうか。と考えると、風鈴にも、それなりの意味があるのだろう。

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2012年8月10日 (金)

消費税増税による駆け込み需要

消費税増税がやっと本決まりする。2014年4月に8%、2015年10月に10%になる。本来、社会保障政策に使われるべきだが、自民党のねじ込みにより、一部、公共投資に回される可能性もある(附則にそのように謳われている)。これにより、自民党に対しては悪意を感じる。消費税増税を政争の手段に使ったことは許されない。

そういうわけで、消費税増税には賛成していたが、複雑な心境だ。政治家は何をやるか分からない。一部の選挙民のために、政策を捻じ曲げることが許されていいのか。ただ、庶民としては、それに対応するしかない。選挙もそうだけれど、増税にいかに対応するか。

駆け込み需要が囃されるが、そんなに生じないかもしれない。大きな買い物を予定した人は前倒しするかもしれないが、生活用品や消耗品あるいは生鮮食料品は、買いだめするにも限度がある。

増税後、流通業者が生産者に無理強いしなければ、消費税増税分は価格転嫁されるだろうが、結局、流行るのは、ネット等の直販による更なる流通改革だろう。多分、農産品はスーパーで買わなくなるかもしれない。農家直販が当たり前になるだろう。今でも、地域の農家が、時々、街中で物産展をやっているが、スーパーの値段と大きく違って安い。

野菜を買うサイクルさえ考慮すれば、経済合理性は高い。よって、消費税増税後は、農産品の流通が大きく変わる予感はする(ただし、一般消費者の地産地消でなく、多様な農作物を必要とするレストランは、別の形の卸専門業者は依然、必要)。スーパーも、今はネットスーパーというものを一部展開しているが、価格が特に安い訳でもない。となると、今後、新たな流通業者が、価格ダウンを推進するかもしれない。

いずれにせよ、消費者をめぐって、生産者と流通業者のせめぎあいは激しくなるだろう。ただ、それ以外では、増税後、価格が転嫁されれば、一時的に消費は低迷するかもしれない。

しかし、供給者は、常に消費者の懐具合を観察しながらビジネスをするのだから、それなりの商品展開をすれば、ビジネスチャンスにもなりうる。一般に、ビジネスや投資において、変化はチャンスと言われる。ここは事業者の知恵の出しどころだろう。

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2012年8月 8日 (水)

播州弁 その十七 つぶす

久しぶりに播州弁を取り上げよう。東京に行った当初、売店で五千円札出して、「これ、(千円に)つぶして」と言ったところ、変な顔をされた。ああ、ここは東京なんだと後悔。「つぶす」とは、「両替する」という意味。大きいお金を小さいお金につぶす発想から来ているのだと思う。だから百円玉をたくさん持って行って、千円に両替する場合には、使わない。

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2012年8月 7日 (火)

米紙が日本は円高を容認と報道

直接確認はしていないが、日本経済新聞によると、米紙ニューヨーク・タイムズが、2012年8月2日付で、日本政府が選挙で投票率の高い高齢者の歓心を買うために為替市場の円高を容認しているとする記事を掲載したらしい。

具体的内容は、「強い円は日本の世代を分断する」と題し、まず「円高は日本の製造業などに打撃となるが、円高によるデフレは金融資産を保有する高齢者にプラス」とし、「日本政府が円高に手を打たないのは、投票率が高く人口の四分の一を占める高齢者の機嫌を損ねたくない政治的な背景がある」としている。

為替の動向は、国際為替市場の動向も絡んで、それだけではないことは分った上で、更に、「高齢者の政治的な力が強まっている中、こうした傾向を反転させるのは難しいだろう」と解説しているそうだ。いろんな見方があるものだ。

このような分析は、当っている面もあるが、全面的に当っているかというと疑問が残る。ただ、日本は、福島原発事故に伴い、原発はあきらめざるを得ない。それにコスト的にもメリットがないと明らかになりつつある。

そうした中で、資源を安く入手するには、円高が望ましいのは確かだ。日本は貿易国家かもしれないが、輸出を主体とする国ではない。対GDPでは、輸出比率は15%にも満たない。そういうことを勘案すれば、日本にとって、円高が望ましい。

財界は、円高になると、すぐ大騒ぎするが、基本的に産業界は、円高になろうが、円安になろうが、柔軟に対応できる経営運営システムが望まれる。それができていないところが、騒ぐだけだ。政府も、それに煽られて、為替介入などをするが、これは明らかに一部産業界との癒着だろう。

それに円高介入して、ドルを過大に抱え込んでも、ドルは当面、今後も下落するから、日本としての資産は目減りするだけだ。そんなところに税金投入する旧態依然の財務省のセンスが疑われる。財務省としては、たくさんの米国債を購入しているので、それが減価するのを恐れているのだろうが、堂々巡りだ。

また高齢者が円高を望むというのは当っているだろうか。高齢者の経済状況は様々だ。円高で円の実質価値が高まっても、物の充足で、購買意識がそれほど高くない日本の高齢者は、円高メリットをそんなに感じていないと思う。それに金融資産を持つ高齢者の一部は、むしろ、投資した海外信託等が円高で目減りしているので、円安を望んでいるかもしれない(*注)。

いろいろ記したが、話を戻すと、はっきり言えるのは、高齢者が円高の強い支持者とは限らないということだろう。このタイミングで、米紙ニューヨーク・タイムズが、日本政府が円高を容認と報道したのだろうか。この報道の裏には、何かきな臭いものを感じる。

ただ、日本としては、円高に振れようが、産業界がどんなに騒ごうが、どんと構えておけばいい。変化対応できる柔軟性が、全ての国民階層に求められているということだけがはっきりしている。

*注

確かに、インフレになれば、年金生活の高齢者は、困るのは確かだろう。円安になれば輸入インフレの可能性はある。その時、所得が基礎年金だけの高齢者は、辛い状況になる可能性もある。それは電気、ガス、公共料金の値上げになる時だ。

*追記

ただ、米紙の論理は、正しいとは思わないけれど、国民全体としては円高が望ましい。輸出比率15%程度のために、円高介入して、85%の国民が犠牲になってよいとは思わない。

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2012年8月 6日 (月)

『やなせたかしの特別展』を鑑賞

『やなせたかしの特別展』のパンフレットを頂いたので、姫路文学館に観に行ってきた。やなせたかし氏というと、アンパンマンが有名だけれど、流風の世代ではないので、キャラクターは知っているけれど、内容は全く知らなかったので、新鮮であった。

やなせたかし氏は、戦争経験もあるし、戦争で親族も失い、飢えも経験されている。彼の描く世界は、一つの人間観であり、哲学だ。それを子供にも分かりやすくした漫画がアンパンマンだろう。人というものが、どういうものか、人間はどう生きていかなければならないのか。

もっと言えば、正義とは何かも示しておられる。流風もかつて正義について記したが、正義感は、それぞれが持っていて、それぞれの見方がある。だから、何が正しくて正しくないなど明確には言えない。

しかし、その上で、人間として、どのようにあるべきかが問われている。アンパンを切り取って他者に与える行為は、どこから来るのか。極限に追い詰められた時、それはいつも発揮できるのか。生きるということは厳しい。

最近の童話を書店で、ちらほら読むことがあるが、底が浅いものが多い。主として女性が描かれたものだ。確かに彼女らが経験したことをベースにしているのだろうが、根源的なものに迫っていないことが多い。

これらを児童に読ませていいのか、疑問も多い。童話は子供に大きな影響を与えるため、誰でも描いてよいとは言えないだろう。また親も、その選択には十分な配慮が必要だ(あるいは専門家によるアドバイスを受ける)。

その点、まだ一部しか読んでいないが、やなせたかし氏の作品は深いものがあり、推薦できると思う。第一会場では、アンパンマンを主体に、シエラザラード等の作品も展示されていた。第二会場では、彼の言葉と共に絵にしたものが多く展示されており、彼の考え方がよく分かったように思う。

当日は、多くの子供連れの家族で賑わっていた。彼の人気は相当高いのだろう。平成24年9月17日まで。

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2012年8月 5日 (日)

神戸バーバーランドの再生

神戸時代、三宮、元町から続くハーバーランドによく遊びに行った。ハーバーランドは20年前くらいに街開きしたものらしいが、土日を除けば割と静かな街だった。だから、散歩するにはいいが、ビジネスとしては、厳しい状態が続いている。百貨店、スーパー、ホテルの進出、撤退が延々と続き、あまり好い状態にならない。

観光客は三宮、元町周辺に集まり、一般の買い物客も、あまりハーバーランドを利用しないようだ。原因は何なのか。考えられるのが、まずアクセスの問題。JR神戸からは比較的近いというものの、結構歩かなくてはならない。高速神戸からだと、距離はもっと延びる。

だから、これに対応する方策が求められるのだが、そのような手が打たれてきた形跡はない。基本的に待ちの運営だ。それでは、三宮、元町に負けてしまう。単に、流通業者、ホテルの入れ替えだけでは、街の個性は創られず、同じことを繰り返すだけになる危険性が高い。

それに、人を呼び込む仕組みが少ない。確かに、新たな施設が計画されている。2013年4月に、遊園地モザイクガーデン内に、「神戸アンパンマンこどもミュージアム&モール」がオープンするらしい。ただ、こういう魅力ある施設もいいが、それ以外に、客を引っ張り込む仕組みも必要だ。

例えば、街としてのいろんな催し計画も必要だ。それは必ずしも大規模である必要はない。小さな催しの足し算で好い。神戸ビエンナーレの小型の年中継続版もいいだろう。街全体をアートの街にするのも一考だ。そういうことを継続的に重ねれば、いろんな人が集まり、いずれプラスに働くだろう。

それ以外では、人々は、楽して、手ぶらで楽しみたい。炎天下に、街をうろうろするのは誰でも避けたい。ハーバーランドの夏は暑い。それが避けられる施設の造り方も求められる。そうすれば、それは冬にも役立つ。

駅から施設内小型巡回バス等(*注)の運営でも当面はいいかもしれない。各所にコインロッカーの充実も求められる(*注)。ハーバーランドで買い物すれば、どこでも一時預かりとして無料にすればいい。施設関係者には、いろんな方策を求めたい。ハーバーランドが、新しい個性を発揮して、三宮、元町と真に競争すれば、神戸はもっと面白くなる。

*注1

基本は無料小型バスでいいが、移動手段をビジネスにするのもいい。馬車、駕籠かき、人力車等。いずれにせよ、ハーバーランド関係者は、基本的に域内移動手段を面白いやり方で取り組んで欲しいものだ。

*注2

いずれは、どこに預けても、自動的に、指定の駅近くのコインロッカーに移動できる仕組みが開発されたら面白い。

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2012年8月 4日 (土)

喫茶店が次々とオープン

最近になって、近隣では、次々と喫茶店がオープンしている。しかしながら、チェーンのコーヒーショップではない。すべて、個人が経営する個店だ。それゆえ、それぞれ特徴的だ。経営者の年齢は様々。コーヒーの味に凝った店もあれば、食事にウエイトを置いた店もある。店の造りもいろいろだ。

前々から指摘しているように、今は高齢者が適当に集まる場所が少ない。何か特別の趣味とか、いろんな活動をしている高齢者を除けば、集まってがやがや話す場所は、街中は特に少ない。そういうわけで、喫茶店に高齢者が集まるようだ。もちろん、それは女性の高齢者が多いのだが。

流風も、喫茶店巡りは唯一の贅沢だ。コーヒーや飲み物を味わう以外に、それぞれの店の雰囲気を楽しめることが好きだ。そういうことで、次々とオープンしてくれることは、楽しいことだ。散歩していて、途中の水分補給の意味もあるけれど。それにしても、お婆さんたちの話声は、姦しいなあ。

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2012年8月 2日 (木)

第42回(2012) 姫路城薪能『杜若』と「東下り」

明日の平成24年8月3日から、5日まで、恒例の姫路お城まつりだ。今年は63回目。ゆかた祭りと異なり、開催日は、毎年異なる。一応、土日に合わせているようだ。その中で、催されるのが、薪能(たきぎのう)。姫路城の三の丸広場、特設舞台で、8月3日午後6時30分ごろから演じられる(雨天の場合は、会場を変更して、姫路市市民会館)。

今年の能は、『杜若(かきつばた)』と『鞍馬天狗』。その内、『杜若』(*内容は参考参照)を今回、取り上げてみる。ちなみに、能の『杜若』は、ちょうど、最近、業平について、記してきたので、ちょうどいいタイミング(笑)。『杜若』については、学生時代、「東下り」という題で、古文で習った記憶がある。『伊勢物語』の九段にある話だ。能の『杜若』は、この話をベースにしている。

多くの方がご存じだろうが、念のために概略を記すと、失意の業平は、友人たちと、東国に安住の地を求めて出かけていくが、誰も地理に詳しくない。結局、迷って迷って、三河の国の八橋というところに行きつく。

その沢のほとりに、一服しようと、馬を下り、乾飯を食べていると、美しい杜若が咲いていた。そこで、業平に、杜若の五文字を各句の頭に置いて詠めと促すと、業平は次のように詠んだ。

  から衣

  きつつなれにし

  つましあれば

  はるばる来ぬる

  旅をしぞ思ふ

『古今集』四百十番にある有名な歌だ。「唐衣を着慣らすように、長年連れ添ってきた妻を都に残して、遠い国に、はるばるやってきた旅だが、深く身にしみることだ」という感じ。この妻が誰を指すかは、彼がかつて愛した、今は后の高子と考えられる。業平は高子に未練がいっぱいだね。これは男にありがちなことだが(笑)。

*参考

うまくまとめられた薪能のパンフレットのあらすじを元に記すと、次のような内容である。

一、都から東国へ向かう旅僧が三河の国までやってくると、杜若が今を盛りと咲いている。

二、花を眺めていると、杜若の精が里の女の姿で現れる。

三、旅僧が、「ここはどのような場所か」と尋ねると、里の女は、「ここは『伊勢物語』で有名な三河の国八橋で、業平が、東下りの途中で、和歌を読んで所だと言う。

四、更に、この八橋に心を留めた業平は、すでに昔の人になってしまったが、杜若の花だけは、業平の形見のように、変わることなく、今も見事に咲いているのだと、と言う。

五、やがて日が傾くと、女は自分の庵に案内し、泊まるように、旅僧に勧める。

六、旅僧が寛いでいると、女は、美しい冠と唐衣を身にまとった姿となる。

七、粗末な庵に住む女が、立派な衣服を持っているのを不審に思った旅僧に対して、実は、唐衣は、業平が愛した高子の后のもので、冠は業平の形見だと言う。

八、そして、自分は本当は杜若の精だと告白する。「業平は、極楽の歌舞の菩薩が仮に、この世に生まれ変わり、身を現わしたのであり、その業平が歌に詠んでくれたお陰で、草木までも成仏を得ることができた」と語る。

九、そして、伊勢物語に書かれた業平の多くの物語を語り、冠、唐衣の美しい姿でゆかしく舞う。

十、夜が白々と明け始めると、「草木国土悉皆成仏」という経文の通り、自分も成仏できるのだと喜びながら言い残して、杜若の精は消えていく。

*追記

業平からみの能としては、他に『雲林院』というものがあるが、こちらの方は、創作が強く、若干、『伊勢物語』を逸脱しているように感じられる。いずれ、関心が向けば、記してみたい。

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2012年8月 1日 (水)

『江戸時代のペーパークラフト』展を鑑賞

この暑い時期は、どこの文化施設も、夏枯れのようである。また学生は夏休みに入っているので、彼らを対象としたものが多い(どういうわけか兵庫県下では絵本の原画展が多い)。あまり、そういうものには関心がないので、この時期、暑いこともあって、なかなか文化施設に行く機会が少ない。

ただ、兵庫県立歴史博物館で開催されている『江戸時代のペーパークラフト』展は、少し面白そうだったので、先日、行ってきた。これは浮世絵同様、入江コレクションを中心に、日本のペーパークラフトについて、紹介している。

ペーパークラフトは、子供時代、雑誌の付録に付いていたので、よく作った記憶がある。段取りさえ間違わねば、きちんと形になり、プラモデルを作るのとは、また違った趣があった。ただ、今回展示してあった、江戸時代の細かい仕様の物はなかったように思う。

江戸時代のペーパークラフトは、大変手が込んでおり、大人のペーパークラフトを感じさせる。当時にも、オタクのような人はいたのだろう。生活や文化の様子が手に取るように分る。最近、江戸時代の文化について記された古書を読んでいるが、文章だけではなかなか分りづらい。それが、これらのペーパークラフトを見ると、一目瞭然。

当時は、ペーパークラフトのことを「組上絵」と言ったようで、庶民に親しまれていたようだ。そして、夏の風物詩として、家々で飾られたりもしたらしい。やはり、庶民的に、コストが安かったのでしょう。しかしながら、浮世絵同様、庶民が作り出す文化も、あながち無視できない。

当日は、親子連れ、あるいは孫を連れて、多くの観覧客の方々がいた。父親やお爺さんたちが得意そうに説明されていたのは微笑ましい。久々に、この展覧会とは趣は異なるが、紙飛行機でも、作ってみるか。2012年9月23日まで。

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