« 現代の武士の商法の危うさ | トップページ | 浄瑠璃 『芦屋道満大内鑑』について »

2012年8月21日 (火)

文楽の振興のためには

大阪市で文楽への助成金カットで、大阪市長と揉めていたが、人形浄瑠璃は、確かに伝統を守るだけでは、維持は難しいかもしれない。もっと誰もが鑑賞しやすい状態に持って行くことが望まれる。すなわち、現代的な普及活動が望まれる。

方法はいろいろあるだろうが、まず、新たな観客を増やすには、いろんな話の簡易あらすじ現代語訳版の普及が必要だろう。江戸時代の言葉は、ある程度、わかるにしても、当時の時代背景とかは分りにくい。それをきっちり解説したものが必要だ。

人々は、あらすじを知って、演劇を見ようとする。両親の世代は、確かに、話を知っていたが、流風の世代でも、それほど浄瑠璃に明るい人は、そんなにいないのではないか。そして、落語も、筋は十分知っているのに、わざわざ高座に足を運ぶ。同じ出し物でも、演者によって、違うからだろう。そのような楽しみ方にまで持って行くのが望ましいだろう。

人形浄瑠璃は、その点、目にする機会も少なく、話の内容も全く知らない人も多いから、ここら辺に、今後の文楽のあり方が問われているのではないか。また入場料の高額さにも驚かせられる。需要もないのに、高い入場料を取れば、人は当然集まらない。悪循環だ。

確かに一流の演者がやるのだから、そうしないとペイしない面もあるのかもしれない。逆に言えば、コストダウンの余地はある。ただ、落語には大学に落研があるのに、人形浄瑠璃にはそのようなものはない。人材の層が薄いと言えよう。たまに、地方で子供人形浄瑠璃が見られるくらいだ。

文楽も、単に伝統を引き継ぐだけでなく、現代的なものも取り入れながら、新しい観客に受け入れられるような工夫をしなければ、いずれ過去の遺物として、消滅しないとも言えない。結局、他のビジネス同様、顧客の満足をどのように考えるかが、再生のポイントだろう。

|

« 現代の武士の商法の危うさ | トップページ | 浄瑠璃 『芦屋道満大内鑑』について »

経営関連」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 現代の武士の商法の危うさ | トップページ | 浄瑠璃 『芦屋道満大内鑑』について »