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2012年9月20日 (木)

反逆の人~赤松円心 その五

円心は、播磨国守護国になった後は、出家し、後のことは、息子たちに任せている。もちろん、完全に引退したわけではなく、尊氏には、諸々の相談に乗っている。北朝のアドバイスをしたのも彼とされる。そのようにして、主として播磨で、赤松氏繁栄のもとを築いた。

赤松氏は、円心、則祐、義則の三代が最盛期で、則祐、義則は足利幕府の要職に就いている。播磨、美作、備前、摂津(現在の阪神地区から播磨地方、岡山県の東部地域)という、いわば大播磨圏を領有する。これらの地域は、それ以後も支配者が必死になって押さえたい要所となっている。

円心は、その後、禅の道をひたすら歩む。それは戦乱で多くの人々が亡くなったのを弔い供養するためであった。円心は、上郡に法雲寺を建てて(開基)、あの雪村友梅を開山に招いている。法雲寺は、赤穂郡上郡町苔縄にある。ここは赤松氏の菩提寺で、全国の「赤松」さんが、よく訪れるそうだ。更に、円心は甥の大灯が京都に大徳寺を開くのを援助している。

なお、円心の三男・則祐は、宝林寺を創建し、境内には、現在、「円心館」という赤松一族の歴史を伝える資料館がある。ここには、円心と則祐、その娘の覚安尼(千種姫)の赤松三尊像、及び雪村友梅像を保存している。

これらは鎌倉彫刻の名残を残すと言われ、製作は、運慶の弟子、康俊によるもの。円心像は、法衣姿でありながら、太刀を差している。常戦戦場という意識があったのだろう。この表情を見ると、玉眼になっており、眼力のある精悍な感じで、口をぐっと引きしめている。また耳が大きく耳たぶも大きく、鼻も大きい。

残念ながら、雪村友梅が見た若い時の円心の顔は分らない。果たして、どんな顔であったのだろうか。円心像を見て、想像してみるのも面白いかもしれない。

赤松円心については、今回で、一応了とする。

*参考 円心館

        赤穂郡上郡町河野原 279

        JR上郡駅より智頭急行乗り換え 

   河野原円心駅下車、徒歩5分。

   入館料300円。

   問い合わせ 

    松雲寺 要連絡 0791-52-1277

               松雲寺も赤松氏ゆかりの寺。

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