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2012年11月30日 (金)

自由とFTAの理解

どうも、FTA(自由貿易協定)の「自由」に対する日本人の理解が曖昧なようだ。

以前にも、同様なことを記した(*参考)が、“フリーダムやリバティ”が「束縛や牽制から解放される」という意味だ。よって、これから対象に働きかけて、束縛や牽制を取り除いていくという主体的動的な面がある。

他方、日本語訳となっている“自由”は漢語で、その文字からわかるように「抑圧や制裁もなく、他から手の出しようのない自ずから出る働き」を意味している。すなわち、絶対自由だ。よって、もともと、束縛も牽制のない状態だ。だから、これは、あるがままの静的状態を指す。

よって、FTA(Free Trade Agreement)を自由貿易協定と訳すのが、いいのか問われる。むしろ、(限定地域)貿易障壁撤廃協定とした方がいいように思われる。

*参考

拙ブログ 2006年2月11日付 『“自由”と規制緩和』

「最近、規制緩和により、いろんな事件が起こっているとの指摘が一部マスコミなどで見受けられる。さて、それは真実なのだろうか。どうもポイントがずれているように思う。

規制緩和を考える前に、まず“自由”の理解が為政者を含めて、日本人には不明確なような気がする。“自由”とは“フリーダムやリバティ”の翻訳である。しかし、この翻訳が問題であることは、以前のプログで触れた。

“フリーダムやリバティ”が「束縛や牽制から解放される」という意味である。それに対して、日本語訳となっている“自由”は漢語で、その文字からわかるように「抑圧や制裁もなく、他から手の出しようのない自ずから出る働き」を意味している。

このように、全く意味が異なるにもかかわらず、日本人は“フリーダムやリバティ”を日本的に“自由”と解釈している。

規制緩和というとき、それは規制を緩和して、“フリーダムやリバティ”の状態にするというのが本来の意味に近い。言い換えれば、“フリーダムやリバティ”の状態にするため、束縛したり牽制する規制を現状に合わせて緩めようという行為と捉えられる。

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