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2013年1月31日 (木)

『神戸の抽象画 BLUE』(神戸ゆかりの美術館)を鑑賞

神戸ファッション美術館)で、『型絵染 三代澤本寿展』を鑑賞したついでに、同じフロアにある神戸ゆかりの美術館で、『神戸の抽象画 BLUE』を鑑賞してきた。ただ、抽象画の鑑賞は苦手。

今回は。新しい収蔵ということで、中右瑛、西村元三朗中心に、小松益喜、西村功、田中徳喜、中西勝等の作家の作品が展示してあった。しかし、中心は中右瑛の作品だ。中右瑛というと、浮世絵の収集、研究家として知られているが、画家とは知らなかった。フロアに青と白の混ざった画面がいっぱい。何を表しているのだろうか。

彼は1968年頃から40年「シェリト・リンド」シリーズとして描き続けているらしい。直接、キャンバスに絵具を流し込み、偶然性と即興性を重視した手法とある。なんだか、子供のお遊びみたい。青空と雲か、海の青さと白いしぶきか。それに赤や黄色が混じる。うーん、分らない(苦笑)。

抽象画は、他の作家も同様だ。先ほど観た三代澤本寿の型絵染のように具象と抽象が入り混じっていれば、まだ理解のしようがあるのだが、難しい。結局、「ならぬものはならぬ」ではなく、「分らぬものは分らぬ」になってしまった(笑)。

それで抽象画の鑑賞は諦め、同時開催の『絵画が奏でる港町ノスタルジー』展を鑑賞。作品は、川西英、別車博資、突々和夫、西村功、川端謹次、小出卓二、小松益喜、古家新等。古い神戸の港町を描いていて、少し懐かしく、ほっとする。肩がこりずに鑑賞できました。まだ抽象画を鑑賞する能力が足りないんだろうな。

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2013年1月30日 (水)

『型絵染 三代澤本寿展』(神戸ファッション美術館)を鑑賞

現在、神戸ファッション美術館で開催されている『型絵染 三代澤本寿展』を鑑賞してきた。久しぶりに神戸ファッション美術館に寄ってみたところ、上記の展覧会が催されていた。染織工芸には、それほど興味がなかったのだが、鑑賞してみると、なかなか面白かった。

そもそも染色工芸家、三代澤本寿について全く知識がなかった。パンフレットによると1909年生まれで、2002年に亡くなっている。長野県松本市出身で、芹沢銈介との出会いで、型絵染の道に入った。人生、確かに出会いが左右することは間違いなかろう。誰もが、そのように宿命と運命が絡み合う。

彼の場合は、更に、柳宗悦との出会いにより、民芸思想に触れ、暮らしの中の美を見出し、向上させていくことに目覚める。そして、そのやり方は、一貫生産。図案考案から始まり、染めに至る全ての工程をこなす型絵染の技法により、様々な作品を生みだしていく。

完成されたものを自ら作り出していくことに喜びを覚えたのであろう。ビジネスでは大きくすることは難しいが、芸術や工芸の分野では、むしろそれが尊ばれる。全てに目を通すという完璧を目指したのだろう。

実際、展示されている作品を看ると、素人目に見ても素晴らしいものばかり。題材は多岐に富む。圧倒される。アイデアの源泉は一体何なのだろうか。作家は、自ら手をかけて作ることから、手が覚えていく作品になりやすいものだが、その着想は桁外れ。理由はいろいろあるだろうが、日本だけにとどまらず世界の文化に触れ、自らを刺激していったのだろう。

更に図案の構想力が優れていると思う。大胆な構図の中に、「ある意図」が隠されているようだ。それは受け手により感じ方は異なるかもしれない。だが、部分の構成は緻密だ。残念ながら、この美術館で展示するには、空間がやや狭い感じ。それが残念だった。

なぜなら、彼の作品は、近くで観るのと少し離れて観るのでは、受ける感じが異なる。すなわち、近くで観ないと分らないことがあるのだが、遠くから観ると、また違った意味が隠されているように見える不思議な構成のものが多い。

それは着物のデザインも手掛けられた結果かもしれない。もちろん、そのようなものばかりではなく、写実的なものもあるが、そのままでは描かれていない。全て、ひとひねりある。具象と抽象の合体と言うべきか。

しかしながら、そんな理屈なしでも、結構楽しめる。流風の個人的印象だが、染織工芸に興味のない方でも、十分鑑賞する価値はあるだろう。入場料は一般が500円だが、着物(和装)で行くと無料らしい。もう一度鑑賞したいが、残念ながら和服は持ち合わせていない。もう一度行く時も料金を払うことになるだろう。2013年4月2日まで。

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2013年1月29日 (火)

吉野の仙女~万葉集より

古代の人々は、多くの自然現象の中からいろんな空想、妄想を紡ぎだしている。現代的には、多くは錯覚だろうが、自然科学の発達していなかった時代には当然のことであろう。ただ、文学として残っているものは、そのまま当時の雰囲気を現代人も感じ取りたい。

今回は、『万葉集』巻第三の中から取り上げてみよう。今は伝わらない『拓枝伝』に、吉野の漁夫、味稲(うましね)が、谷川で梁(やな)を仕掛けたところ、拓枝(桑の枝)が引っ掛かり、持ちかえったところ、それが仙女に化し、彼の妻(拓枝仙媛)になったという話がある。桑の木には神が宿るというところから来ているのだろう。

それをもとに詠った次の歌がある。二首目、三首目は反歌。作者は不明で、三首目は、若宮年魚麻呂(わかみやのあゆまろ)とあるが、もちろん仮名であろう。

  霰(あられ)降り 吉志美が岳を さがしみと

   草取りかなわ 妹が手を取る

流風が無理やり解釈する(*注)と、次のようになるだろうか。「霰が降って、吉志美が岳が騒がしくなって、草取りもかなわず、それを理由に、代わりに愛すべき女性の手を取った」と。手から情は伝わるものだ。今も昔も、男が気になる女性には最初にすることだ。要するに理由は何でもいい。きっかけさえあれば(笑)。

  この夕(ゆうへ) 柘(つみ)のさ枝の 流れ来ば

       梁は打たずて 取らずかもあらむ

これを解釈すると、「今夕、仙女が化した桑の小枝が流れてきたならば、梁(仕掛け)はせずに、取らないだろうか(いや、そんなことはあり得ない)」という感じではなかろうか。密かに仙女の出現を期待している歌だ。でも、下心いっぱいの詠み手には仙女はやってこないだろう。

  いにしへの 梁打つ人の なかりせば

   ここにもあらまし 柘の枝はも

この歌の解釈は、「昔々に、味稲が梁を仕掛けなかったら、今も、柘の枝葉はあったかもしれないのに残念なことだ」という感じ。彼が桑の枝を取らなかったら、私が取って、仙女を我が妻にできたのにということかな(笑)。それをないものねだりというのだろう。

*注

『万葉集』の解釈は、一般人には難しいが、独断で解釈。あくまでも、想像による解釈です。流風は言葉だけの解釈ではなく、前後関係で、妄想で解釈している。でも、いろいろ解釈すれば面白い。

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2013年1月28日 (月)

朝起きれば雪

先日、春は近いと記した(1月15日付)ものの、その後の寒さは厳しい。ちょっと判断を間違ったかな。近所の人には、「流風さんが寒さに慣れただけでは」と指摘されてしまった(笑)。そして、妙に外が明るいので、今朝起きて外に出ると、雪が一面に積もっている。天気予報にはなかったのに。

  初雪や 水仙のはの たわむまで  芭蕉

当地では、初雪ではないか。一面、銀世界が広がるが、雪国のような悲壮感はない。かの地域からすれば、お湿り程度の雪かもしれない。それでも1,2センチの雪が積もっていた。本日は、外に出るのが少し大変そうだ。

  いざさらば 雪見にころぶ 所迄   芭蕉

芭蕉は、「いざさらば」と、雪見に行くのに、転べば、それはそれで、転ぶ所まで参りましょうと言っているが、流風は転びたくありません。雪見は自宅で十分です(笑)。出かけるのは少し遅らせるとしよう。

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2013年1月27日 (日)

仕事は自分で見つけるべきもの

新入社員が入社して、最初は仕事がない。流風も新入社員の頃、やることがなくて、ぼおっとしていたら、「仕事は与えられるものではなく、自分で探すもの。ごみ一つ取り除くのも仕事だ」と先輩に叱られた。同様のことを豊田佐吉も次のように言っている。

「人間が、この世に生まれてきて、仕事がないとか、職が得られないとかいうことは決してない。仕事は人が探してくれるものではなく、自分で見つけるべきものだ。職は人が作ってくれるものではなく、自分自身でこしらえるべきものだ」と。

仕事を受け身に与えられるものばかりやっていると、なかなか身につかないが、自分で仕事を探し出し、苦労して身に付けたものは、一生、自分のものとなり、それが本当の仕事になり、職業になる。

最初は、与えられる仕事をこなすことで仕方ない面もあるが、問題意識を持って仕事に取り組むことにより、自分の仕事にしていくことが、若い人には求められる。更には世間を広く見て、新たな自分の仕事を作ることが大切だろう。

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2013年1月26日 (土)

軽減税率見送りは当然

消費税増税に対して、与党の公明党が大騒ぎして、軽減税率を持ち出したが、自民党の判断で見送りになったようだ。それは正しい判断だろう。軽減税率を採用すれば、誰のための政策か分らない。それに各種手続きが複雑になるし、不正が起りかねない。

それに、軽減税率を採用すれば、その分、税収が減るから、それに相当する財源をどうするか考える必要が出てくる。それを無視すれば、現在上げることが決まっている消費税率より更に上げる必要が出てくる。遠い将来、上げるかもしれないが、それが早くなるだろう。それが弱者にいいとは、とても思えない。

公明党の主張は、目先だけを見た彼らの有権者に対する目くらましの選挙対策としか考えられない。日本には、すでに弱者救済の方策はいろいろ講じられていて、その運用で十分だ。農畜産物の価格は、政策的に、ある程度調整できるし、その他で必要なことは、公共料金の値上げだけに目を光らせればいい。軽減税率の採用は、見送って当然だ。

*追記

新聞社各社が軽減税率を求めたことには呆れた。新聞価格は高すぎるが、デフレ下でも彼らは効率を上げる努力は何もせず、値下げもしなかった。新聞業界自体、たるんでいると言えるだろう。そして、新聞のあり方自体問われているのに、そのことに手をつけない旧態依然の体質に問題がある。

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2013年1月25日 (金)

無形の借金

昔の人は借金には、二つの考え方があって、他者から本当に金銭を借りる借金と、親や他者から受けた恩を借金とする考え方だ。前者を有形の借金とし、後者を無形の借金と言ったようだ。最近は、無形の借金を意識する人が少なくなっているのではと危惧する。

ただ、人は文字の成り立ちの如く、他者に支えられて存在する。この世に生を享け、親の援助がなければ、生きていくこともままならない。成長すれば、本人に自覚はなくても、周囲の多くの見守りの中で大きくなっていく。

そういったことも「恩」と考えれば、いずれ、これらの借金も返さなくてはならない。その返し方は、様々だろう。結婚し、子供を生み、人間としてあるべき姿を伝えていくことも大切だし、事業を成功させることもその一つだろう。あるいは社会奉仕して貢献するのも、その範疇だろう。

そこまではできない人は、少なくとも他者に迷惑をかけないように、生きていくことが求められる。でも、一日一善ではないが、小さな親切でもできることはある。そのようにして、少しずつ、無形の借金を返していくことは大切と思う。仮に有形の借金はなくても、無形の借金を意識していくことは意味があるだろう。

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2013年1月24日 (木)

脳を健康にする

今回は備忘録として記す。脳を健康にするためにはという内容。確か、どこかの記事に載っていたものをベースに記す。若干、自分なりの解釈を付加。概ね、中高年者、高齢者に必要な姿勢かもしれない。

一、常に五感で感じて、新しいことに関心を持ち、それを学び、記憶し、書いて理解することの継続。

二、何事も、物事を考える癖を持つ。現象の裏側にあるものを考える。

三、付加された新しい知識を基に、自分なりに広く将来を予測する。近い将来、遠い将来、それぞれに予測する。

四、現在ある存在は死の連続と考え、今の環境にずっぽりはまらず、前に進んで新しい環境にも飛びこむ勇気を持つ。

五、何が正しくて何が悪いのか、深く善悪の価値判断を表明する。続く人々に伝えることの大切さを知る。

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2013年1月23日 (水)

人間観察における、ある視点

人間観察で注目するべきことは、いろいろ挙げられるだろうが、ある人は次のことを指摘している。

何人か人が集まり、何かひそひそ話をしている時は要注目せよ、と。特に、近所のおばちゃんたちが数人立ち話している時は要注意(笑)。二人で話している時は、まだ噂話ではない可能性があるが、三人寄ればなんとかで、噂話をしている可能性が高い。

噂話と言うと、大体、よい話は少なくて、悪い話が多い。後は、やっかみだろう。男は概して、そういう話を無視しがちだが、案外、そういうところに、いろんなヒントがある可能性が多い。彼女らが立ち話している時は、話の内容を追跡調査した方がいいかも。

*追記

多くのトップは、そういう情報をもたらす「早耳」社員を、陰の役員として重用した。組織運営では、くだらない情報でも必要悪である。

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2013年1月22日 (火)

一覧性のあるメモ帳

ふと思いついたことはメモしておくことは大切だ。なぜかと言うと、ふと感じたことは、すぐ忘れてしまうからだ。後で思い出そうにも思い出せないことは多い。そこにメモの効用はある。ただ、最近普及している情報機器でのメモもいいのだが、アイデアを組み合わせ新しい発想するには、一覧性のメモ帳がいいように思う。アナログの流風は手書きのメモを活用する。仮になぶり書きでも、後で、その時の状況を思い出せることがあるし、アイデアの広がりが期待できる。

*追記

最近は手書きのメモを電子コピーする機器が発売されている。それでも一覧性は可能かもしれない。アイデアを刺激するメモのシャッフル機能があれば余計にいい。ただ流風は、今更という感じはする。まあ、そうは言いながら、近い将来、購入しないとも限らない(笑)。

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2013年1月21日 (月)

痩せ我慢は駄目

人間、一生にはいろんなことがあって、壁にぶち当たることがある。その時の我慢のしようで、人間が評価される。ただ、我慢にも色々ある。そういうことを本田宗一郎は言っている。彼も初期には経営に苦労して資金繰りに困り、嘘をついて親の山を売り払っている。このことに対して、彼は後悔している。

彼は、頭を下げるのが嫌という変なプライドから痩せ我慢して、周囲の信用を得るため、苦しまぎれに、嘘をついて、親を騙した。そんなことなら、初めから本当のことを話して頭を下げればよかったのだと後悔している。その時、夫人は見るに見かねて、着物類を質に入れて、生活を何とか維持したらしい。

人からぼろくそに言われ耐えることは辛いことだけれど、そういうことに耐えて、道は開かれると彼は言っている。信用とは、そういう風にして築かれる。彼は武士は食わねど、高楊枝という痩せ我慢が一番いけないという指摘する。

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2013年1月20日 (日)

『むかしむかしのはりまのおはなし展~風土記1300年』を観覧

姫路文学館で、『むかしむかしのはりまのおはなし展~風土記1300年』が開催されている。『播磨国風土記』については、以前、拙ブログでも何回かに分けて、紹介しているので、先日、どのようなものか確認するため見に行ってきた。当日は高齢の女性の観覧者が多かった。

その内容は、『播磨国風土記』に関する内容を、子供にも、分りやすく紹介したものだ。ブログで紹介した記事と重なるものも多かった。イラストには、漫画家の西魚リツコ氏によって描かれていた。ただ、極めて現代的に描かれているので、多少違和感があるが、多くの若い人たちが関心を持つには、一つの手段としてはいいかもしれない。

そもそも姫路文学館の上田正昭館長は、『播磨国風土記』に関して、たくさんの著作があり、彼の専門分野を誰にも分りやすく展示したものとも言える。2月20日には、彼による講演会もあるようだ。演題は、「『播磨国風土記』のなりたちとその特色」だ。午後1時半から3時まで。関心のある方はどうぞ。

なお展覧会は、2013年2月28日まで。入場無料。

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2013年1月19日 (土)

「黒田官兵衛ゆかりの地をめぐる」写真展に行く

姫路文学館の望景亭・応接室で、写真展~「黒田官兵衛ゆかりの地をめぐる」が開催されている。妻鹿功山城跡調査会の三木敏之祐氏による写真だ。黒田官兵衛に関係する各地を写されている。姫路、中津、福岡などの彼の関連の足跡を追ったもので、城郭、古戦場、寺社、墓所などの写真を公開している。

来年の大河ドラマに決まっているので、予備知識としてはいいかもしれない。NHKの大河ドラマでは番組の後、いつも各地が紹介されているが、それの予習版と捉えてもいい。ただ、今後は、今回の目的とは異なるが、多くの人々に関心を持ってもらうには、各地を網羅した観光案内のパンフレットの準備が必要だろう。入場料無料。2013年3月31日まで。

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2013年1月18日 (金)

交際費損金拡大なるか

政府・自民党は、中小企業を対象に、交際費の損金に算入できる額を拡大する方向で検討しているらしい。これは景気刺激のためには、法人税減税より望ましいことだと流風は、かねがね主張してきたので、実現を期待したい(*注1)。

そもそも営業が飲み食いすることは営業活動における人間関係のコミュニケーションをスムーズにすることは確かだ。もちろん、バブルの頃のようなやり過ぎは問題だが、適度な交際費の活用は企業活動を活発にする。それでなくても、中小企業は営業が弱い。交際費を使って、飲食を誘い水に使えば、人間関係を築くには有効だ。

これは二次効果もある。要するに外食産業の活性に役立つ。外食産業は国が交際費を締め始めた頃から、やや困難な状況に直面し続けてきた。企業が交際費枠を拡大することで、外食産業にかつての勢いが取り戻せば、景気の刺激になる。更に、付け加えれば、ブランド農畜産物関係の振興に寄与する可能性もある。

内容は資本金1憶円以下の中小企業は現状、交際費のうち年600万円を上限に、最大その9割まで損金として処理できるが、その金額の上限を拡大しようというものだ。果たして、どれくらいの金額まで上げるのかが注目される。

ただ、中小企業の交際費枠の拡大だけでなく、大企業に対しても交際費を損金で落とせるようにすることが求められる。何と言っても、大企業の使う交際費は桁が違う。大企業の接待交際費が経費にならないのは、明らかに景気に影響している(*注2)。当局は、交際費課税を緩めるべきだろう。北風と太陽じゃないが、租税政策においても、太陽政策は重要だ。

*注1

法人税減税は、景気に寄与しない。法人税減税しても、所詮、企業の内部留保に回されるだけだ。それに国の財政の厳しさから見て、減税すれば、どこかを増税しなければならない。

*注2

確かに一人当たり5000円以内の飲食は損金計上できるが、外部の接待のみにしか使えないし、飲食記録を詳しくと残さないと当局から認められない。ただ、日にちを改めれば、何回も使えるので、昼ごはんの接待等、使い方次第かもしれない。

*追記

飲食代としての処理仕方としては、その他に、「会議費」として計上する方法がある。但し、会議の裏付けのないものは違法になる。会議の記録は必要だ。また場所も制限される。それに、会議に付随する食事なので、一人あたりの金額も常識の範囲(約数千円以内と言われている)を超えてはまずい。

*平成25年1月21日追記

本日の報道によると、政府・自民党は、中小企業の交際費の全額損金を認める方向にあるようだ。後は交際費枠が撤廃されるかどうかだけだ。

*平成25年1月23日追記

2,013年度税制改革で、中小企業の交際費については、800万円まで全額損金で、ほぼ決定したようだ。

*平成25年2月19日追記

麻生財務相が、交際費損金算入について、「大企業に広げていくのは方向として考えられてしかるべきかな思っている」と発言。財務省が慎重なため、実現には紆余曲折が考えられるが、大企業の交際費損金算入は、中小企業の景気に大きな影響を及ぼすと思う。是非、実現してほしいものと思う。

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2013年1月17日 (木)

阪神淡路大震災18年

阪神淡路大震災が起こって、もう18年。もうそんなになるか。当時は、たまたま仕事の都合で神戸を離れていて無事で、マンションも倒壊せず、部分損壊程度で収まった。しかし、周辺の古い家はほとんど倒壊していた。人間が自然に、いかに無力かを思わせたものだ。高速道路の倒壊は現代文明をしても、自然の力にはどうしようもなかった。

神戸は国や多くの人々の支援で立ち直ったが、被災者の心の癒えは個人差があるだろう。それは東日本大震災の被災者も同じこと。どんなに支援しても、被災者当人しか、分らないこともある。ただ、辛くても、人は前を歩むしかない。

今後も、日本では、多くの大災害が予測されているが、日本人は災害と共に生きていくしかない。そのためには、お互い助け合うしかない。最近、あまり言われない相互扶助の精神は実際は、日本人の心に今も生きている。

阪神淡路大震災の折、多くの若者が被災地にやってきた。ボランティア元年になった。現在のように統制のとれたボランティアではなかったが、何かをしなければと被災地に集まった。気持ちだけが逸っただけかもしれないが、被災地に居た者としては、その気持ちだけでも有難かった。私達は一人ではないと。

日本では、今後も、多くの災害に襲われるかもしれない。それでも、先人の辿った道を歩むように、お互い助け合って生きていくだろう。そして、得られた知恵を後世の世代に残すことが私達の使命だ。

*追記

毎年1月17日には、神戸市が平成12年に発行した『震災を体験して、あのとき役立った私の知恵~神戸からのメッセージ』を読むことにしている。今、この冊子があるのかどうか知らないが、多くの人に読んでもらいたいものだ。

今回は、その中の知恵を一つ紹介しておこう。それは屋内の履物をスリッパではなくて、サンダルを常用するということ。震災で飛散したガラス等を踏んでも大丈夫なようにする工夫だ。また、いざという時の場合に備えて避難用に寝室に運動靴の用意も大切だ。

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2013年1月16日 (水)

新しい帽子を買う

若い時は、一年を通じて、あまり帽子を被った経験はない。だが、最近は、よく被るようになった。理由は、いろいろあるが、まず頭頂部がややさびしくなってきたからだろう。禿げてはいないが、年々、毛が細くなっている感じ。結果的に、薄く見える。もともと、腰の強い髪質だったが、年齢には勝てません。

そのため、夏は太陽の日差しを受けると、暑く感じ、冬は、逆に寒くなる感じ。それをカバーするため帽子の登場というわけ。流風は、ファッションについては、あまり他人さまから褒められたことはないが、帽子姿は、よく似合っていると言われる。今まで2種類の帽子を被っていたが、少し飽きてきたので、新しいタイプの帽子を購入。デザインは、まずまず。柄が、やや好みだ。

それまでに、いろいろ見てきたのだが、あまり気に入ったものはなくて、先日、通りすがりに、ふと目についたので、滅多にしない衝動買いをした。まあ、価格も比較的安いしね。ただ、帽子に合う服が難しい。もう少し、暖かくなってから被ってみようと思っている。

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2013年1月14日 (月)

考え過ぎと迷路

今でもあると思うが、迷路遊びが一時流行った。いかに短い時間で出口に辿りつけるかというもの。この遊び、時間に捉われて、焦れば焦るほど、出口に着くのが遅れる。最初は気持ちが逸っているから、勢いよく走りだすが、行き詰まりに突き当たると、そこから、冷静に判断できるかできないかで結果が違う。

さて、世の中のことも、そういうことがよくある。現代は、学歴の高い人が多いので、行動する前に、まず考える人が多い。ところが考えれば考えるほど、堂々巡りして分らなくなる。そして迷路に迷い込むと、さらに、外部から色々言う人がいるので、ますます分からなくなる。

考えることはいいことだけれど、考え過ぎると、あまりいい結果は得られない。このことは流風も経験済みだ。だから、ある程度の考えができれば、一旦動いてみることだ。そこから見えることがある。要するに、『過ぎたるは尚及ばざるに如かず』ということだ。

*追記

関西の某会社では、トップが、よく「まず、やってみなはれ」と、失敗をを恐れる社員に発破をかけていた。それはトップ自らに対する戒めをしていたのだろう。トップこそ、そういう挑戦意欲が求められるということだろう。ただし、クールな頭で。

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2013年1月13日 (日)

明石市立文化博物館の『生誕130年 魯山人の宇宙』展を鑑賞

2013年1月5日より始まっている、明石市立文化博物館の『生誕130年 魯山人の宇宙』展を鑑賞してきた。作品は、神戸市立小磯記念美術館の『自らを見つめる画家と自画像』展同様、笠間日動美術館所蔵のものだ。約80点展示されていた。観覧当日は、高齢者で溢れていた。多くの人が魯山人の挑戦を再確認したかったのだろう。

北大路魯山人については、以前にも記したが、この京都生まれの料理人は、料理だけでは満足できず、料理空間にまで、強い関心を持ち、ついには、自分で容器等の製作にまで手を出している。料理は単に料理だけでなく、器や、その他のものによって作りだされる空間・雰囲気にあって、初めて価値が認識できると感じたのだろう。

ただ、彼の作品を博物館や美術館で、美術品として評価するには若干、違和感がある。実際、彼の作品の評価は様々だ。流風が見ても、素人が作ったような中途半端な作品が多い。それらは彼が自分の手で実際に作ったもの、あるいはアイデアを提案して作らせたものなど、いろいろあるだろう。

もちろん基本的に料理を意識した上での美意識だ。だから彼の作品は、彼の料理と合わさって、初めて作品となる。だが、博物館や美術館に展示される場合は、料理はない。どう見ても物足りない感じがする。料理のない抜け殻には、あまり美しさは感じられない(確かに、アイデアを提供し、実質、陶芸作家に作らせたものは、作品だけで、評価できるものもある)。

そうはいっても、魯山人は、多くの陶芸作家たちに、料理を提供する料理人の立場から、いろんなアイデアを提供して刺激したことは間違いない。彼の作品という“残骸”は、時代の雰囲気を表している。そういう意味で、少し大袈裟に言えば、「歴史的遺産」として、魯山人の作品は評価されるべきかもしれない。

そして言えることは、魯山人の陶磁器だけの作品の展覧会は限界があるかもしれない。彼の作品の展示は、料理の盛られた、どこかの料亭でもない限り、難しい。博物館や美術館で展示するには、更なる工夫が必要だと、企画担当者は心してほしいものだ。また、今回は購入しなかった図録の構成の粗さも感じられる。まさか粗野に作られた魯山人の作品に影響されたわけではないだろうが、少し残念だ。

2013年1月5日より2月3日まで。会期中無休。

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2013年1月12日 (土)

『自らを見つめる画家と自画像』展、始まる

以前、拙ブログで、「画家は、なぜ自画像を描のか」(2008年12月22日付)を記したが、似たような切り口で、神戸市立小磯記念美術館にて、特別展として、『自らを見つめる画家と自画像』展が1月11日から始まった。これは自画像が並ぶ、笠間日動美術館の所蔵品が展示されるらしい。明治から現代に至る画家、約85名の作品が90余点が展示される。

笠間日動美術館は、今まで、その存在を知らなかったが、すでに、そのようなテーマで絵画を集めていたとすれば、素晴らしいことだ。それを神戸の美術館で鑑賞できるのだから、有難いことだ。パンフレットから判断する限り、自画像は、若い時のもあれば、高齢になってからのものもあり、様々だ。自画像を描く、きっかけも様々なのかもしれない。

今回の展覧会に行くのは、多分2月になってからだと思うが、自画像より受けた印象については、日を改めて示すことになる。ただ、この美術館の小磯良平の自画像は、何回も見たことがある。彼が若い時の自画像だ。その関連で、少し記しておこう。

かなり前のことだが、神戸市立小磯記念美術館に行ったことを今は亡き母に話したところ、「小磯は嫌い」と言われて、続けて話ができなくなった。その時の母の嫌そうな顔は脳裏を離れない。母は彼と会ったことがあるのだろうか。あの嫌いようは尋常ではなかった。

さて、その小磯の自画像だが、若者らしく、自信に溢れている。若干、その自信が、周囲を見下した感じになるのは否定できない。母は小磯の何が気に入らなかったのは、今となってはわからない。

2013年1月11日より3月24日まで。

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2013年1月11日 (金)

プッチンプリンの遠い記憶

本日は鏡開き。ただし、今年は、簡易な鏡餅にしたので、残念ながら鏡開きの感はない。プラスチックで作られた鏡餅型から小餅を取り出すだけ。ちょっと物足りない感じ。来年は、やはり本当の鏡餅にしようかな。後処理は大変だけれど、鏡開きの雰囲気は味わえる。

さて、本日の報道に、江崎グリコの「プッチンプリン」が世界一売れているプリンとして、ギネスの世界記録に認定されたとあった。1972年の販売開始で、累計販売個数が51億個を超えたらしい。1972年か。そうだとすれば、流風はすでに大学生ぐらい。でも、記憶違いかもしれないが、それ以前にもあったような感じがするが、勘違いなのかな。母がよく買ってきて、よく、子供のおやつにしていたはずなのだが。違うプリンだったかもしれない。

それはそれとして、確かに、この「プッチンプリン」は、いずれにせよ昔からある長寿商品だろう。母が度々買ってきていたのは、多分、プリンが母の嗜好に合ったのだろう。特に「プッチンプリン」が、価格的にも手頃で、多くの人の舌に合ったからだろう。それが長寿商品として残った。

商品をひっくり返して、裏ぶたに付いている小さな棒を倒して折ると、穴があいて、プリンが押し出されるので、子供時代、面白かった記憶がある。最近は、長らく買ったことはないが、久しぶりに味わってみようかな。

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2013年1月10日 (木)

部活体罰と幼児虐待

某高校のスポーツの部活で顧問より体罰を受け、高校生が自殺するというショッキングな報道があった。体罰は、スポーツのような縦社会では、昔から、そのことはよく指摘されていた。時には指導者の行過ぎた体罰は全国の部活で見られることだろう。

それをうやむやにするのは、当事者は告発すれば、継続してクラブ活動はできなくなるであろうし、その学校に居づらくなるのも確かだろう。それでずるずると指導者のやり方を見過ごしてしまう。また当事者でない周囲も、選手が強くなるには仕方ないのだろうと傍観してしまう。

しかしながら、スポーツの世界も、最早、合理性が問われるのは間違いない。昔のような精神論だけでは、生徒を導けない。選手を強く鍛えるには、個々の特性を見抜きつつ、それにあった指導が求められる。指導者は自分が過去に受けた体罰という指導を生徒に繰り返すのは時代遅れと言えよう。

これは幼児虐待に似ている。幼児虐待するのは、親自身が子供時代、彼らの親から虐待を受けた経験があり、そのことから自分の子供も虐待するという連鎖だと指摘されている。このことは部活を指導する指導者にも言えるのではないか。スポーツ界は、悪い連鎖を断ち切り、指導のあり方自体が問われていると言える。

*追記

体罰にも、いろいろあるだろうが、行き過ぎた暴力的体罰が最もいけない。体罰の全面的禁止で、指導者が委縮してしまうのも問題だろうが、生徒が心身に傷つくような体罰は、絶対に認められない。

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2013年1月 9日 (水)

簡素にして気品あり

人生観には、人によりいろんな考え方があり、これが絶対というものはない。ただ、先人の教訓は、たびたび役に立つ。ある人は、英国風の暮らしを是としている。それは大きな古い家に住んで、生活は質素というもの。持ち物も悪くないが、古いものばかり。でも、手入れは行き届いている。こういうのを簡素にして気品ありと言うものだろう。

高いローンを組んで新築を買って、備品は全て新しい高級なものばかりというのもいいが、ちょっとしたことで生活は破綻する。無理な生活は、潤いがない。気持ちに余裕がないと、気分まで意地汚くなる。それなら中古を買って、リフォームして住んだ方が賢明だ。家具だって、探せば中古でいいものはある。それらは手入れ次第で、いい住空間になる。結局、空間は住まう人によって決定される。

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2013年1月 8日 (火)

健康を保つには、まず安眠

流風の年代になると、夜中に目が覚め、なかなか安眠とはいかない。寒さの影響もあるが、それだけではないだろう。これは健康にはよくないことは確かだ。これに対する対策はないではないが、薬の服用は避けたい。最近は、それに慣れてしまって、二度寝、三度寝が当たり前になってしまった。ただ、熟睡しているのが唯一の救い。

さて、ビジネスマンも、仕事のことで、あれこれ悩んで眠れないことがあるだろう。流風の現役時代も、そういうことが多々あった。今から考えると、仕事の詰めが甘かったから、そのようになったのだと思う。

先人も、そういう事態にならないためには、無理をしないこと、危ないことに手を出さないこと、不正なことに手を染めないことなど、挙げている。確かにビジネスは、境界ビジネスがおいしいことは確かだが、そのためにストレスを抱えてしまっては、健康を害し、長い目で見れば、マイナスということになる。

大きな結果は出なくても、安眠できるような生活や仕事が望まれる。利益は牛のよだれの如くに出せとは、これにも通じることではないだろうか。

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2013年1月 6日 (日)

播磨国総社~第二十二回三ツ山大祭について

今年、姫路では、播磨国総社で、大きな祭がある。それは三ツ山大祭と言われるもので、20年ごとに催される。そこで、その祭りについて記しておこうと思う。

播磨国総社は、地元では、一般に「総社」とか「総社さん」とか呼ばれている。流風が毎年、初詣に参拝する神社だ。正式名称 射楯兵主神社といい、主祭神は東殿に射楯大神(五十猛命、いたけるのみこと)、西殿に兵主大神(ひょうずのおおかみ。大国主命)が祀られている。

なぜ総社と呼ぶかと言えば、その地域の主な神々を一か所に集めて合祀した社だからだ。播磨国総社は、1400有余年を数える古社であるが、平安時代後期に総社の性格を与えられた。その範囲は広く、東は神戸垂水、西は赤穂、北は宍粟(しそう)となり、播磨国16郡174座の神々を祀っている。

この播磨国総社で、第二十二回三ツ山大祭が、平成25(2013)年3月31日(日)から4月7日(日)まで行われる。この大祭の意味は、八難苦厄を祓い、国中の人々の幸福を祈り、播磨地方はもちろん、日本各地の平安と発展をお願いするものだ。

この祭りは20年に一度行われ、前回は1993年に行われた。今回の、祭りのテーマは「よみがえれ日本。『神・人・絆』」である。因みに、山が一つの一ツ山大祭は60年に一度行われる。この置山の大祭は兵庫県の重要無形民俗文化財に指定されている。

大祭の起源は、宍粟市一宮の伊和神社とされる。伊和大神は、以前にも記したと思うが、播磨国風土記に登場する神で、大和政権が誕生して、播磨に進出するまで、出雲から来て播磨を開拓したと云われる。大国主命だという話も伝わるが、大国主命の一族であることは間違いなかろう。

その伊和神社では、置山ではなく、本当の山にて大祭が行われていた。古代の人々は、神様は高い所に降臨すると考えていた。だから、山は神聖な場所であった。そこから信仰が生まれる。すなわち、白倉山、花咲山、高畑山の三山で三ツ山祭が行われ、一ツ山祭は、宮山で行われる。行われる期間も若干異なり、一ツ山祭が61年に一度、三ツ山祭が21年に一度となっている。

さて、総社の祭りは、10世紀前期に瀬戸内海を中心に起った藤原純友の乱の鎮定祈願のため、各地の神々に集まってもらったもので、939年に催された「天神地祇祭(てんしんちぎさい)」が起源だ。総社の祭神である兵主大神が6月11日の「丁卯(ひのとう)」の日に鎮座したことから、天神地祇祭が行われたと云う。

はじめは、播磨国総社が鎮座している国衙(こくが)庄を中心に行われていた。現在のように「山」が築かれるようになったのは1300年代後半と推定される。置山は近くに山がない人々が近くに宿って欲しいという願いから人工的に作られた。三ツ山とか一ツ山というのは、置山の数を意味する。より近い場所に宿ってもらおうとしたものだ。人々の利便性を図ったのかもしれない。当時は、まだ一ツ山だった。

三ツ山大祭の方は、一ツ山大祭の臨時祭として始まった。記録では、一ツ山大祭が1521年に行われ、翌年の1522年に三ツ山大祭が行われたとある。1500年代末期に定期化。最初は、「装山の車」の形式、すなわち曳き山だったのを、当時の播磨国守護の赤松晴政が、置山に改めさせらしい。その後、池田輝政が姫路に入ると、派手になり、町々の屋根に飾られた造り物や練り物が当時の人々に人気となった。

会場には、三つの山が並ぶ。二色山、五色山、小袖山と言う。人工の大きな山(高さ18メートル、裾の直径約10メートル)を「置き山」として、3基造り、枠組みに色絹を巻いたり、着物の小袖を飾りつけたりする。

二色山は、播磨国の174の神々が祭神で、白と浅黄の二色の布を使い、富士山を模したものと言われる。側面には、「富士の仁田四郎の猪退治」の飾り人形が飾られる。

五色山は、祭神が九所御霊大神で、緑・黄・赤・白・紫の五色の布を巻く。「大江山の源順光の鬼退治」の人形を飾る。

小袖山は、祭神は天神地祇、すなわち国中の神々です。山は800枚あまりの小袖や着物を貼り付けたもので、寄付されたものを使う。神様の布団になるとも言われる。飾り人形は「三上山の田原藤太のムカデ退治」だ。更に、勇猛な武将の人形と樹木を飾る。

それぞれの山の頂に設けた山上殿に全国より八百万の神々をお迎えして(それぞれ天神地祇、播磨の国の大小明神、地元ゆかりの神々が勧請される)、神門に設けられた門上殿に遷られた射楯・兵主の神が、お祭りの期間の七日間、接遇され、八難苦厄を祓って国中の幸福を祈る。

地面に固定した「置き山」は、全国的に珍しいと言われる。京都の祇園祭をはじめ、車のついた「曳き山」が多いからだ。山の祭りは、祇園祭の山鉾が有名だが、その原点は、播磨国総社の三ツ山大祭だ。「置き山」は動かないので、「曳き山」ほどの派手さはないが、祭の原点として、文化的価値は高いと思う。多くの人に是非、見てもらいたいものだ。

祭りの日程

●三月三十一日

   潮かきの儀

    早朝に、白浜海岸に入って禊を行う。

   千人稚児行列

    パレード

   門上殿渡御祭

    総社本殿から門上に造った門上殿へ神様が渡る。

   山上殿降神祭

    それぞれの山頂に造った山上殿に神様を迎える。

まず、三ツ山の頂点に、3月31日の日暮れに、総社の射楯の神、兵主の神も、本殿から門の上に引っ越す。

●四月一日

   初日奉告祭

   献華祭

    生け花を奉納する。

●四月二日

   播磨国総神祭

   献茶祭

    家元による献茶

●四月三日

   中の日大祭

    神様に特別な神饌をする。伝統的な神饌。特殊神饌。

     小判餅、箸餅、短冊餅、串餅、ブト餅、角餅、まがり餅からなる。

   神幸祭

    パレード

   五種神事

    三の丸広場まで神輿が渡御をする。

    五種類の神事が行われる(*注参照)。

     流鏑馬(やぶさめ)、競馬(くらべうま)、

     一ツ物、神子渡、弓鉾指。

    五種神事と同等のものが、播磨地方の郷村で、

    鎌倉、室町時代に広く行われていた。

    現在は、この祭りのみ。

四月四日

   文化振興祭

四月五日

   産業振興祭

四月六日

   復興祈願祭

四月七日

   山上殿昇進祭

    三ツ山にいらっしゃった神をお送りする儀式。

   門上殿還御祭

    門上殿から総社本殿にお還りになる儀式。

   祭典終了奉告祭

なお、期間中は、大手前公園では、多くの各種記念行事がある(*参考参照)。

*注

この催しは、姫路城三の丸広場で行われる。

  流鏑馬 (やぶさめ)

     的に矢を放ち、その年の吉凶を占う神事

  競馬 (くらべうま)

  馬が順調に走るか否かで、

  その年の稲作の豊凶を神意に伺う神事

  一ッ物 (ひとつもの)

  一つよりない神聖なるものを意味し、

  神の依り代とされる神事

  神子渡 (かみこわたり)

    邪気を祓い清め、福徳をもたらすと考えられた神事  

  弓鉾指 (ゆみほこさし)

    神の依り代であるとされる弓をささげ持つ神事

*参考

     三ツ山大祭実行委員会

   播磨国総社内

    http://sohsha.jp/mitsuyama.html

 

*参考 期間中の、その他の催し

三ツ山大祭の期間中、その他の恒例のいろんな催しがある。

◎花あかり姫路城夜桜会

   4月5日より14日まで、午後6時から午後9時まで。

   姫路城西の丸庭園で。

   庭園内の約100本の桜をライトアップ。

   ミニコンサートも有り。

◎ひめじぐるめらんど

   4月5日より4月7日まで。大手前公園にて。

   播磨地区の「うまいもん」が集合する

   食のイベント。

◎好古園夜桜会

   4月5日より7日までの午後8時まで。

   但し、入園は7時30分までに。

◎姫路城観桜会 お花見太鼓

   4月6日のみ。午前10時より午後4時まで。

   姫路城三の丸広場にて。

*追記

なお、関連の催しとしては、平成25年1月26日より、兵庫県立歴史博物館にて、『姫路・城下町の祭礼~播磨国総社の三ツ山大祭~』が展示される。姫路の祭礼文化を紹介すると共に、過去の三ツ山大祭の写真等を展示する。この催しを観覧してから、祭に行かれたら、より理解は進むだろう。4月7日まで。

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2013年1月 5日 (土)

平成25年の干支~癸巳

今年、平成25年の干支は癸巳(きし、みずのとみ)だ。要するに蛇年。ただ、干支では蛇とは表記せず「巳」だ。子供の頃、近所は田んぼが多かったこともあり、あちこちに蛇がうろうろしていた。当時は、ネズミも多く、餌に困らなかったからだろう。青大将や蛇の種類は分らないが、いろんな蛇があちらこちらにいた。

権太の子供たちは、蛇を捕まえては、振りまわして、近所の子供たちを泣かせていた。蛇は子供たちには怖い存在だった。蝮もいたから、その危険性は親からも教えられていたから、当然だ。権太は、そのことをよく知っており、青大将等を振りまわすのだが、他の子供たち、特に女児は、ワーワー言って泣いていたものだ。

確かに蛇はとぐろも巻くし、舌を出して、あのしゅっしゅっと言わせながら歩くのは不気味でもあった。野原から突然出てきて、舌を出して威嚇するから、驚きも大きい。まあ、彼らも身を守るために必死なのだが、子供には、そのことは分らない。恐怖感に襲われるだけだ。

ところが、子供の恐怖感とは違って、母は蛇を決して傷つけてはなりませんとよく言っていた。時々、ヤツデに絡みついている蛇の抜け殻を取って、「これを財布に入れておくと金持ちになる」とか言っていた。また「家には、白蛇がいるから、それに悪さをしてはいけません。白蛇は家を守ってくれているのだから」と言っていた。

白蛇は見たことがない(子供時代、それらしきものを見たような記憶もあるにはあるが、うろ覚え)のだが、山口県岩国市には、白蛇がいるらしい。福運金運の神として崇めたため、現在まで生存しているらしい。母と同じような考え方が、昔、あったのだろう。岩国に多く残っているのは、人々が神様と崇めて、保護するから、家の近くに棲み続けてきたようだ。

流風は、はっきりと白蛇を見た記憶はないが、時々、家の天井で、しゅっしゅっと蛇の歩くような音がしていたり、ぱたんという音がしていたから、蛇が棲んでいたのかもしれない。また、一般に蛇は水を好み、川沿いや田んぼの小川近くによくいた。また雨降りの後によく出現した。昨年、近所や畑て、蛇と出くわしたが、やはり雨の後だった。

干支の話に戻すと、「癸」には、「揆(はか)る」に相当する。あの一向一揆の「揆」だ。この意味は、種子に宿った生命体の大きさが計られる程になったことを表すようだ。「巳」は、「已(や)む」で、万物が繁盛の極みになった状態を指すらしい。昨年までに蒔いた種が芽を出し、草木が伸長したものが、大きく育ち生い茂るということだ。

ところで、過去の癸巳の年に何が起ったかについて、兵庫県立図書館から頂いた資料をもとに記しておこう。残念ながら、いいことばかりではなさそうだ。

まず753年(天平勝宝5年)には、摂津国に津波が押し寄せている。その被害は甚大だったらしく、この年、田租を免除している。イメージとしては、関西に地震による大津波が押し寄せるということだろうか(*注)。関西人は、しっかりと用意と準備が大切と言うことかもしれない。

1053年(天喜元年)には、藤原頼道が平等院内に鳳凰堂を建立。1173年(承安3年)には、平清盛が大輪田の泊に経島を増築。これは日宋貿易を拡大するための投資。1413年(応永20年)には、播磨国朝光寺(現、兵庫県加東市畑)の本堂再建。源平合戦で焼失したものを移転して再建したもの。なお昨年、75年ぶりに大改修がなされた。

時代が飛んで1953(昭和28年)には、韓国の李承晩が勝手に設けた、俗に「李承晩ライン」により、日本の第一大邦丸が韓国警備艇に拿捕され、機関長は射殺された。その他にも多くの漁民が殺された。彼らは戦争中に、やられたことをしつこく言うが、やったことは忘れてしまっている。これが竹島問題の根っこにあるもので、日本人が韓国を嫌う理由だ。

なお、日本では、同年、衆議院で吉田茂首相による「バカヤロー解散」があった。少しニュアンスは異なるが昨年末の野田首相による解散も似ているような気がする。「バカヤロー」という気が動いたのかも(笑)。そういう意味では、政党再編は近いかもね。

いずれにせよ、日本は、いい意味でも悪い意味でも、これまでとは大きく変わるかもしれない。大きい変化はリスクとチャンスの背中合わせ。庶民は、その変化に気後れしないようにしたいものだ。

*注

単に巳年の大震災を見ていくと、次のようだ。

  1185年 文治大地震(京都)

  1257年  正嘉大地震(関東南部)

  1293年  鎌倉大地震

  1317年 京都大地震

  1449年 山城・大和大地震

  1965年 静岡地震

こうしてみると、巳年には、京都方面で地震が多い。

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2013年1月 3日 (木)

平成25年初詣

つい先ほど、初詣に行ってきた。いつものように歩いて行くのだが、少し風があり寒かった。そういうことで長い距離を歩いている人は少なかった。神社に近づくと、いつもより出足がいい。参拝者が多い。でも、それほど待つことなく、参拝できた。心新たに、今年もスタートできそうだ。

その後は、おみくじを引く。皆さん、おみくじの結果を真剣に見ている(笑)。たかがおみくじ、されどおみくじ、ということか。流風は、ここ数年と同じ結果。上々だ。よって慎重さが求められるということだろう。

それからは街を歩きながら、初売りを見て歩く。いつものことだが、声が出ている店は、声に引き寄せられて流行っている。元気は商機を生む。今年は、少し景気がよくなるかもしれない。

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