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2013年2月27日 (水)

富と貧~『言志四録』より

佐藤一斎は、なかなか深い見識を示している。今回は、彼の著『『言志四録』で、富と貧について述べている件を紹介しよう。

  物に余り有る、之を冨と謂う。

  富を欲するの心は即ち貧なり。

  物の足らざる、これを貧と謂う。

  貧に安んずるの心は即ち冨なり。

  冨・貴は心に在りて物に在らず。

  身労して心逸する者は貧賤なり。

  心苦しんで身楽しむ者は富貴なり。

  天より之を視れば、両(ふたつ)ながら得失なし。

蛇足で解釈すれば、次のようになるだろうか。

「物が余っている状態であれば、それを冨んでいると言う。だから、更に富を欲している心は、貧しい状態だ。逆に物が足らない状態は、それを貧と言う。ところが、それに満足して不満に思わない時、心の状態は案外豊かだ。精も根も尽きるぐらい身体を使って、あれこれ悩まない人は貧賤な人たちだ。逆に、身体は使っていなくて楽をしていているのに、あれこれ悩んで心を苦しめる人は、富貴な人たちだ。これらは天から見れば、どちらが得で、どちらが損だということは分らない」

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2013年2月26日 (火)

やってはならないこと

今回は、久しぶりに『菜根譚』から取り上げてみよう。『菜根譚』は為政者や官僚の、あるべき心構えを書いたものだが、庶民においても、役立つ内容だ。以下に紹介するものは、支配層がやってはいけないこととして、記されている。

 己の心を晦(くら)まさず、

 人の情を尽くさず、

 物の力を竭(つ)くさず。

 三者、以て、天地の為に心を立て、

 生民のために命を立て、

 子孫ために福を造(な)すべし。

独断で、解釈すると、

「自分の心を覆い隠し、分らなくするようなことはやってはいけない(そんなことをすれば、自分を見失ってしまうだけでなく、人々からも信頼されない)。次に、他者の思いや考えを無視して、自分の思いや考え方を押し付けてはならない(そんなことをすれば、同意を得られるどころか、反発を生み、やりたいことができなくなる)。最後に、物や金の力に過剰に頼ってはならない(人々を物や金で動かせても、それは一時的なことに過ぎない)。以上の三つのことを守れば、天地のために立心し、人々のために立命し、子孫のために造福することができる」となるだろうか。

基本的には、いくら世の中が濁っていても、高い地位にある人は、精神的基本支柱がしっかりして、ブレを少なくし、人々には思いやりの精神を以て臨み、その心を慮れと説いているように思う。

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2013年2月24日 (日)

人相は変わる~落語『ちぎり伊勢屋』より

人相は、手相同様、日々変化しているようだ。流風はあまり占いは信用しないが、人相とか手相とかは、何かを示唆しているように思う。少し前のことだが、バスに乗っていると、いかにも悪そうな若い男が、態度も横柄に足を広げて、明らかに2人分の席を占領して座っていた。バスの中は、嫌な雰囲気だった。

そこに杖をついた高齢の女性が乗ってこられた時、その若い男は、さっと立ちあがり席を譲った。これには流風も驚いたが、他の乗客も同じ思いだったのだろうか、ほっとした雰囲気が流れた。そして、その男の横顔を見ると、前の表情とは異なり、晴れやかな表情をしていた。この時、人間の顔は、ここまで変化するのかと驚いたことがある。

また、話は一転するが、昔、ある経営者は業績がよく破竹の勢いで企業は成長していた。その表情は自信に溢れ、明るい顔だった。ところが、ある時、不正が発覚し、マスコミから攻撃を受けた結果、失脚し、彼の表情は、以前の顔とは全く違う暗いどんよりとした悪い人相になっていた。

人間の顔は、なま物だと思う。ちょっとしたことで第三者から見ると大きく変化する。それは気づかないうちに毎日変化しているのだろう。よく言われるように、善因善果、悪因悪果は顔に現れる。そういうことを題材にした落語に『ちぎり伊勢屋』というものがある。

『ちぎり伊勢屋』というのは、江戸麹町五丁目にあった質両替屋の屋号という設定。ちぎり(あるいは、ちきり)は、本来、木と木を結ぶものとか石と石を結ぶもの。よって人と人を結ぶということで屋号にしたのだろう。そこの店主は伊勢屋伝次郎と言った。

その彼が25歳の時、虫の知らせか、ふと、易の名人、白井左近という人に、人相を見てもらう。白井左近は、当時、今まで易では一度も外れたことがないと評判だった。ただ、その彼が、一度だけ、人相の見誤りがあった。それが伊勢屋伝次郎なのだ。

彼の人相を見ると、確かに死相が出ていたので、彼に告げる。「うーん、あなたの人相には死相が現れていて、来年の2月15日の正午に、この世を去るだろう」と。これを聞いた伝次郎は、まじめに商売に勤しんできたが、心の持ち方を変えて、放蕩三昧する。あの世に行く前に、やりたいことをやろうと思ったのだろう。

そして、その2月15日が近付いてくる。棺を用意し、表には忌中の札を貼り、多くの芸人を集めて、通夜をどんちゃん騒ぎした。そして、棺に自ら納まり、死期を待っていたが、その時間を過ぎても、なぜか、なかなか死なない。朝になると、生きているが、もうお金は一銭もない。お寺に行って事情を話し、寺に納めた、お布施百両から二十両だけ返してもらい、江戸を飛び出す。

この話は、世間でも話題になり、とうとうお上にも伝わる。そこで白井左近は、偽り事で、人の財を失わしめたとして、罪になり、江戸所払となる。だが、白井左近は、あくまでも自分の易には自信があったので、再度、伝次郎の易を見る機会をうかがう。大道易者となって、彼が通りかからないか、ずっと待った。

そうすると、翌年の春になると、ついに運命の伝次郎が通りかかる。彼は喜んで、彼の人相を見ると、不思議と、彼に死相は全くない。むしろ長寿の相が出る。それも百歳保証付き。これには、左近も驚き、伝次郎に、「あなたは、もしかして人を助けてやったことがあるのではないか」と。

伝次郎、答えて言うには、「そう言えば、母娘が首をくくろうとしていたので、二百両の金をやって、助けたことがあります」。左近、納得し、「それだ。その善の報いで、あなたの寿命が延びたのだ。これからは南に向かいなさい。いいことがあるでしょう」と伝える。

話はまだまだ続くのだが、切りがないので、ここら辺で止めておく。最終的には、回りまわって、助けた娘に助けられ、彼女の入り婿になり出世し、白井左近も、江戸所払は許されるということなっている。この落語は、一種の人情話だが、子供たちに聞かせたい内容だ。

* 注記

ただ、ある面で占いはいい加減だ。彼らは都合よく、占いの結果を解釈する。しかしながら、いい人相、いい手相というものはあると思う。他人に見てもらうより、自分なりに研究してみるのはいいかもしれない。

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2013年2月22日 (金)

狂言『柑子(こうじ)』と言い訳

みかんの季節も、そろそろ終わりだが、日本の伝統的みかんに「柑子蜜柑」がある。温州みかんより小さめのものだ。今回は、これを題材にした狂言『柑子(こうじ)』を取り上げよう。いろんな内容の筋があるが、基本は同じだ。太郎冠者が悪いことをした言い訳する話。

主人(大名とするものもある)が、昨夜の宴席でもらった、枝に実が三つ成った柑子を太郎冠者に預けていたのを思い出し、彼に返すように言うと、例によって、いろんな言い訳をするパターン。大体、問題を起こしそうな太郎冠者に物を預けること自体、間違っている。逆に言えば、主人は、そういうことを想定しているのかも。多分、あいつなら、何かをしでかすだろうと。

太郎冠者の言い訳の一つ目は、柑子の枝を槍に結び付けようとしましたが、一つが門から転げ落ちそうになったので、「好事(柑子にかけている)門を出でず」と呼びとめると、木の葉を盾に止まったので、そのまま食べたと言う。

ちなみに、「好事門を出でず」とは、「よい行いや評判は、世間に伝わりにくい」という意味。太郎冠者にすれば、転げ落ちた柑子を救ったのだから、一旦、手から離れた物は食しても、いいでしょう、という感じ。まさに自分の失敗を覆い隠そうとする理屈(笑)。

二つ目は、「懐に入れて歩くうちに、太刀の鍔(つば)に押しつぶされたので、食べました」と言う。そもそも、鍔に当るように柑子を懐に入れることが間違い。自分のやった行為に気づいていない。ヌケ太郎冠者。潰れた物は仕方ないから食べてもいいでしょうという判断。持ち主に報告もせずに。こういうことは案外、今でも、あるかも。

それではと、残りの一つを主人に出せと言われて、太郎冠者は、三つ目は、『俊寛』の島流しについて(俊寛ら三人は、鬼界ケ島に流されるが、二人は赦免されたのに、俊寛一人は島に残された)悲劇を語る。そして、「人と柑子はかわれども、思いは同じ涙かな」と謳って、自分の六波羅(六波羅は平家の住まいのあった所と腹をかけている)に納めたと言って、主人に叱られる。二つは食したのに、一つだけ残すのは可哀想だから食したという屁理屈。

人間、言い訳したい時は誰でもある。太郎冠者のように、悪気はなかったのに、ついついということはあるかもしれない。そういう言い訳は、子供の時によくあった経験を持つ人は多いかもしれない。でも、言い訳は、往々にして辻褄が合わず、結局、罰せられる。失敗した時は、時間をおかず、謝る方がいい。

ただ、この狂言の言い訳は、一種の人間観や『平家物語』の中の話を引っ張りだしたことにより、言い訳も、シャレが利いて面白いものになっている。でも、関西風のダジャレと捉えれば、おっさんの無理なダジャレに近く、ランク付けは低いかな(笑)。流風のような批評家の好餌(こうじ)になりやすい話だ。シャレじゃないよ。

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2013年2月21日 (木)

右傾化か、保守化か

欧米諸国が、安倍政権になって、右傾化すると懸念しているそうだ。確かに、安倍氏には、そういう発言もあるし、バックグラウンドもある。ただ国全体が硬くなっている(硬派)のには原因がある。それは中国、ロシア、韓国から領土問題で、トラブルを仕掛けられて、今まで大人しくしていた日本国民が、大変怒っていることから起っている。

だが、それは、どの国でも普通の国民が持つ国民感情であり、それを右傾化と言うのは少しおかしい。もちろん、戦後、平和主義を維持してきたため、それを侵害されると、従来より国家愛は今までより深くなるかもしれない。それは右傾化というより、純粋な国家愛だろう。

それは日本に対する周辺国家の不穏当な侵略行為がなされればなされるほど強くなるだろう。確かに国全体として、高齢化の影響もあり、保守思考が強くなっているのは否めない。ただ、その保守も戦前のものとは大きく異なる。謂わば、戦後の保守だ。

それは米国との関係を強化して、安全保障を維持していこうとするものである。自民党が政権に復帰したことも、その関連だ。それは欧米諸国が心配する右傾化ではないだろう。日本は依然として、世界平和主義を志向するだろうし、民主主義を標榜する(*注)。

そして、日本の伝統文化をより守ろうする動きが強くなることが特徴的だろう。だから、米国が望んでも、文化を侵害する可能性の高いTPPやFTAには反対する(農業だけが問題ではない)。

その点で、海外諸国と摩擦があるかもしれないが、文化の違いは認め合うというのが、一番いい。彼らの主張が通らないからと言って、日本の右傾化を心配するというのは馬鹿げている。ただ、彼らは、次に日本は保守化していると牽制する可能性はある。

*注

ただし、現在の自民党内には、若手で、どうも極論を発する教養のない右派的発言をする議員が多くいる。今、自民党は、彼らに振り回されているのは情けないことだ。

*注記

更に、日本は、既に左翼は崩壊し、自分たちの利権を守ろうとする組合勢力はあっても、左翼とは言い難い。そして、これに対抗する右翼も、最早、実質存在しない。存在の必要がないからだ。存在するとすれは、せいぜい、それを看板にするタカリ屋くらいのものだ。よって、日本に当面、右傾勢力は今後も育たない。

*追記

日本にも、一部の輸出産業の意向を受け入れ、国会議員の中には、与野党を超えて、TPPに積極的な勢力がある。ただ、彼らは国家全体を考えない思慮の浅い議員たちだ。リストアップして、次の選挙では落とす必要がある。次の参議院選挙では、TPPに反対しない議員は、支援する必要はない。

また日本経済新聞もマスコミの中で一番TPPに積極的だが、一般紙を目指すとすれば、おかしなことだ。あまりにも露骨なTPP何でも賛成記事は、新聞社として、機能がマヒしている。若い人たちが新聞記事を信用しないのも頷ける。

*追記

現在の日本の問題は、官僚の保守化だろう。彼らは、法を根拠に、利権を守ろうとする。米国による保護国の発想から、いつまでも抜けきらない。米国は、日本が自立して強くなるのを警戒しているのかもしれないが、最早、前近代的な時代遅れの発想だろう。経済力だけ、やたら大きくて、「司令塔になる頭」がいないのが、今の日本だ。恐竜が滅んだ理由を日本は、学ぶべきだろう。

*2017年4月18日追記

上記の記事を記した時と現在は異なり、安倍政権及び自民党は、かなり右傾化している。かつての自民党からは、大きく変質してしまった。よって自民党は保守党としての見識も失われている。このことを有権者は、しっかり把握しなければ、いずれ禍が国民に降りかかってくる。

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2013年2月20日 (水)

端唄 『梅が枝の手水鉢』について

今回は『梅が枝の手水鉢』について、備忘録として記す。『梅が枝の手水鉢(ちょうずばち)』は、今でも、温泉街の芸者衆は唄っているかもしれない端唄だ。若い頃、カセットで聞いていたら、「お前、乙な趣味があるんやな」と妙に感心された。流風は、この唄のテンポのよさが気にいっていただけなのだが。

  梅が枝の手水鉢

    叩いて お金が出るならば

  若しも 御金が出た時は

  その時や 身請けをそれたのむ

この端唄は、假名垣魯文が、『ひらがな盛衰記』から作ったとされる。「梅が枝」とは、腰元、千鶴が身売りされ、傾城になった時の名前だ。「手水鉢」は、最近はあまり見かけなくなったので、若い人はご存じないかもしれないが、手や顔を洗うための鉢だ。

腰元、千鶴の夫、梶原源太景季は、かつて父を助けた人と先陣争う。源太は、父を助けてくれたことに感謝し、勝ちを譲ったのだが、そのことを知らぬ父親は、源太を恥だと言って殺そうとするが、母親のとりなしで、勘当となり、家を追い出される。

一文無しになった源太は、武士として復帰したいが、武具も手に入らない。そのことを察した千鶴は苦界に身を落とし、お金を工面しようとする。その苦悩を象徴的な唄にしたものが、端唄 『梅が枝の手水鉢』だ。

なぜ鉢を叩けば金が出るかと言うと、無限の鐘を叩くと、現世で富を得るが、来世では無間地獄に落ちると言われたことを踏まえたもの。『ひらがな盛衰記』は浄瑠璃の演目になっているようなので、いずれ鑑賞してみたい。

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2013年2月19日 (火)

真間娘子のこと~万葉集より その二

真間娘子については、万葉集巻三で、山部赤人も歌にしている。題は、「勝鹿の真間娘子が墓を過ぐる時に、山部宿禰赤人が作る歌一首」となっている。

 いにしへの ありけむ人の 倭文機の

 帯解き交へて 伏屋立て 妻どひしけむ

 勝鹿の 真間の葉や 茂りたるらむ

 松が根や 遠く久しき 言のみも

 名のみも 名のみも我れは

 忘らゆましじ

解釈は、「昔、この辺の、ある男が、妻問いし、簡単な寝屋を設けて、粗末な帯を解きあい愛しあった女性が、真間の娘子だった。彼女の墓はここだと伝え聞くが、槇の葉が茂っているからそう言うのだろうか、松の根が古く生い茂っているから、そう言うのだろうか。ただ、昔からの言い伝えだけでも、私は彼女のことを忘れることはできない」と、なるのだろうか。でも、解釈していくと、山部赤人が自分の失恋相手と重ねているようにも感じられる。うがち過ぎかな(笑)。

反歌は二首あり、次のようになっている。

 我も見つ 人にも告げむ 勝鹿の

   真間の手児名が 奥つ城ところ

解釈は、「私は勝鹿の真間の墓を見て確認したと言える。人にも、ここが墓だと伝えるだろう」ぐらいかな。はっきりと確認できたわけでもないのに、その地に立った雰囲気から、彼女の墓所を、赤人に思い込ませる。昔に思いを馳せると、そういうことになるのかもしれない。

続いての反歌。

 勝鹿の 真間の入江に うち靡く

   玉藻刈りけむ 手児名し思ほゆ

解釈の必要はなかろうが、蛇足で記すと、「勝鹿の真間の入江で波に洗われている、藻を刈った娘子のことが偲ばれる」くらい。ただ、イメージとしては、娘子が真間の入江の海岸に立っている様子を想像しているとも思われる。

果たして、伝説の真間娘子は、どんな女性だったのだろうか。虫麻呂も赤人も両方とも歌人は男。手の届かない女性に対しては、男の空想は妄想を呼び、イメージは大きく膨らむ典型かもしれない(笑)。

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2013年2月18日 (月)

真間娘子のこと~万葉集より その一

男が好む女性のタイプは色々あるだろうが、今回は、播磨(兵庫県)とは関係ないが、『万葉集』に記されている一般的な事例を通して見ることにしよう。それは現在の千葉県市川市真間の伝説の真間娘子のことだ。

巻第九の、「勝鹿の真間娘子(ままのおとめ)を詠む歌」として記されている、高橋虫麻呂の長歌と短歌を取り上げる。少し長くなるが引用しておこう。

  鶏が鳴く 東の国に いにしへに

  ありけることと 今までに 絶えず言ひける

  勝鹿の 真間の手児名(てごな)が 麻衣に

  青衿着け ひたさ麻を 裳には織り着て

  髪だにも 掻きは梳らず 沓(くつ)をだに

  はかず行けども 錦綾の 中に包める 斎ひ子も

  妹に及かめや 望月の 足れる面わに

  花のごと 笑みて立てれば 

  夏虫の 火に入るがごと 

  港入りに 舟漕ぐごとく 行きかぐれ 

  人の言ふ時 いくばくも 生けらじものを

  何すとか 身をたな知りて 

  波の音の 騒ぐ港の 奥つ城に

  妹が臥せたる 遠き代に ありけることを

  昨日しも 見けむがごとも 思ほゆるかも

例によって、独断で解釈(流風による意訳)すると次のようになるだろうか。

「東の国に古くから伝わる話として、昔々あったことだと代々人々によって言い伝えられてきたものがある。それは勝鹿(葛飾)の真間という所に、一人の娘がいた。彼女は、粗末な麻の着物に青い衿をつけ、麻だけでできた裳を着ていた。更に、家事仕事(水汲み)のため、髪の手入れもままならず、紐でくくるだけで、櫛も入れず、沓も履かず、立ち働いていた。

そうであるのに、錦や綾で着飾った大事にされている、お姫様だって、この娘には敵わなかった。いつも晴れやかな感じの笑顔で、まるで花が満開のようだった。それゆえ、彼女がいると、たくさんの若い男たちは、夏の虫が火に入る如く、あるいは急いで港に入ろうする、たくさんの小舟のように、やって来て言い寄るのだった。

周囲は、どなたかに決めなさいと言うけれど、なかなか決められず思い悩み、人生、それほど長くないのだと無常に悟ってしまって、とうとう身投げしてしまった。今は、波の音が騒がしく激しい港の墓所に眠っているようだが、ここにいると、昔あったことが、昨日今日のことのように感じられる」と。なお、男たちからの求婚に悩む様子は、以前の記事で取り上げた謡曲『求塚』になっている伝説の美少女、菟名日処女(ウナイオトメ)と似ている。

そして、反歌は次のようになっている。

  勝鹿の 真間の井見れば 立ち平(なら)し

     水汲ましけむ 手児名し思ほゆ

解釈は、「勝鹿の真間の井戸を見ると、地面をならすほどに何回も水を汲んだ娘子のことが偲ばれる」という感じ。昔は、現在の途上国の子供のように、子供が労働力として期待され、水汲みのような重労働が幼い子供たちに課された。そういう厳しい状況であっても、笑顔を絶やさなかった真間の娘子が、かつての古代の日本にいたことを今の子供たちが知ることは大切なことだ。

そして、真間娘子のことから分ることは、男が惹かれる女性は、時代が変わっても、いつも溌剌として元気で明るく笑みを絶やさないということになろうか。そういうと、母は娘の育て方は、女は男にとって心の鏡だから、どんな状況でも、いつも明るくにこにこがいいと言っていた。だから、変に知識ばかり身につけると、笑顔が無くなり、男が寄り付かなくなると(笑)。若い男性諸君も、本当の笑顔の少ない女性は相手に選ばない方がいいかも。それには、まず彼女らの本当の笑顔なのか、作り笑いなのか見分けることが必要だが。

 

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2013年2月17日 (日)

兵庫県公館美術品鑑賞 2013年2月

まだ少し寒い中、昨日、神戸元町をうろうろしていたのだが、昼食まで少し時間があるので、それまでの間どうするか思案していたところ、土曜日は兵庫県公館の公開日だったことを思い出し、久しぶりに寄ってみた。以前のブログでも記したが、ここには多くの美術品が展示してある。ちょっとした美術館なのだ。それに無料。

当日は、一階は他の催しがあり、三階の展示のみ観覧(後で考えると、二階も観覧できたのかもしれないが、今回は見逃した)。三階には合計で34点あった。皆、見ごたえがある。それに各部屋ごとに、ゆったりと展示してあり、美術館で観るのとは明らかに違う。

気に入ったのは、小磯良平 『KOBE,THE AMERICAN HARBOUR』、小林等 『関屋・・・源氏物語』、直原玉青 『羅浮春夢』、森月城 『水郷』、菖蒲大悦 『浅春』、石阪春生 『三つの椅子(女のいる風景)』など。

前に展覧したものとは異なり、定期的に入れ替えがあるようだ(但し、大幅な入れ替えではないようだ)。公館は美術館ではないけれど、入れ替えの時期が分れば、今後も行きたいと思った。それにしても、暇つぶしに入ったにしては大きな収穫だった(笑)。受付の方々も高齢と思うが、気持ちのいい人ばかりだった。美術館・博物館の受け付けは一般に若い女性が多いが、品のある高齢者の受け付けも有りだろう。

場所は、JR元町駅西口か、阪神元町駅西口下車し、北に上がっていくと在る。

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2013年2月15日 (金)

2月15日は西行忌

2月15日は西行忌だ。ただし、西行は1190年2月16日に亡くなっている。西行忌は一日早い。それも旧暦だ。現在の新暦で言えば、4月初めごろ。だから彼の和歌を理解する時には、当然、旧暦を踏まえて理解しなければならないが、なぜか西行忌は新暦で行われる。

それはそれとして、彼は希望通りの日にちに亡くなった。『山家集』に載っている彼の有名な歌に次のものがある。

  願わくば 花の下にて 春死なむ

    そのきさらぎの 望月の頃

「花の下」とは、桜の木の下のこと。如月の望月の頃に死にたいと詠っていた。これは彼が亡くなる10年前に詠まれたもの。まさに彼の希望どおりになった。なぜ、この時期かというと、旧暦2月15日は、釈尊が入滅した日とされるから。実際は、釈迦はインド暦の第二の月に亡くなったらしいのだが、はっきりとは分らない。

それをインドから仏教を持ちかえった中国人が、釈迦の入滅日を2月15日と定め、日本も、それに倣っている。全国の寺では、毎年、涅槃会として行事が行われる。仏涅槃図を飾り、お経を唱える。仏涅槃図は、釈尊が頭を北にして、西に向き、右脇を下にした姿で、周囲には嘆き悲しむ十大弟子の様子を描いたもの。

西行も出家者だから、釈迦のように、現象を理解しながら悟りの世界に入ることに憧れ、庵の近くの1本の桜の木の下で、安らかに眠りたかったのかもしれない。後世の人々は、彼の気持ちを察して、亡くなった日にちより一日早くして、涅槃の日に西行の忌日としている。でも、新暦の、この時期には、桜の花は咲いていないから、無理があるのだけれど。心に桜が咲いているつもりで、彼を追悼されるのかな。

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2013年2月14日 (木)

告白する勇気

本日、バレンタインデーには、全国各所で若い女性たちは、気に入った男性にプレゼントと共に告白する風景が見られることだろう。初めて告白する女性は、いろいろ悩むのだろうか。まあ、ハエ女にならないようにね(笑)。

今回は、そんな女性たちに、世界の名言を紹介しておこう。まずは次の言葉。

  「幸運は大胆に見方する」

オランダの人文主義者(エラスムス)の発言だが、男女の告白でも同様のことが言えるだろう。思い切りが大切。告白しないで後悔するより、告白して駄目もとだと考えよう。男としては、気にしていない女性に告白されても、それなりに嬉しいものだ。

次に、

 Nothing venture, nothing have.

これは誰にも言えることかもしれないが、挑戦しないと何も得られない、ということ。そして、結果はなるようになる。あまり気にしないことだ。更に、次の言葉を示しておこう。

 Every cloud has a silver lining.

直訳すると、「すべての雲には、銀の裏地がついている」。ちなみに、このことわざの本当の意味は「雲を地上から見る(黒く見える)のと、雲の上から見る(白く見える)のでは見えるものが違う」ということ。これは目当ての男性が他の女性に靡いて、仮に振られても、その時はさっと諦める。往々にして、思い込みで異性を評価しがちだが、このことわざのように、いろんな角度が見ることによって、本当の姿が見えてくるというもの。

最後に、次の名言を紹介。

 Tomorrow  is  another day.

これは『風と共に去りぬ』の名言だが、原題、“Gone with Window”から、「明日には明日の風が吹く」と翻訳されていた。うまく行こうが行かまいが、今日は過去になり、明日が始まる。結果に拘らないことだ。おおいに告白して、バレンタインデーを楽しんでもらいたいものだ。

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2013年2月13日 (水)

日本のバレンタインデー

明日は言わずと知れたバレンタインデーだ。過去のブログ記事でも断片的には触れたが、テーマとはしていなかったので、改めて記事しにしてみる。そもそもバレンタインデーは、ローマ帝国の迫害を受け殉教したバレンタインがルーツであることは多くの人が知っている。

戦争時に、男に恋人がいると軍の士気が下がるので、結婚を禁じたことから、それに抵抗したバレンタインが、ある男女を結婚させたため、彼は殺される。そういう話から、後世、彼が愛のキューピットの役割をしたと考えられるようになった。

だが、日本のバレンタインデーは、昨日のブログで記したように、完全に商業ベースで、これらの謂れや宗教とは全く関係なく普及している。最初に、仕掛けたのは確かメリーチョコレートだと思うが、初めは小さい催しだったものが、段々業界を挙げて取り組むようになり、現在に至っている。

だから基本的には、女性が男性に贈るプレゼントとしては、チョコレートが選択されてきた。ただし、最近は多少変化があり、多くの異なる業界から、プレゼント品が開発されている。それでも、まだチョコレートが主流だろう。

一般に昔は女性から関心のある男性にプレゼントを贈る習慣がなかったため、この販促は、女性にとって好意的に捉えられ、男性にプレゼントする格好のいい訳に使われるようになった。

ただ、それにとどまらず、職場では、コミュニケーション・グッズとして理解されるようになり、「義理チョコ」として普及した。但し、一部には、これは女性にとって負担になるため、敬遠される傾向にある。それでも、一年間に一回の低額のチョコレートで、人間関係の潤滑油になれば安いものとも言える。

また一ヶ月後の3月14日の「ホワイトデー」なるものがあるが、男は気に入った女性からバレンタインデーに贈り物をもらうと、その返しをするというもの。ただ、これは日本のオリジナルで、完全に商業ベースである。もちろん、男女交際の機会を作るという面では有意義だろう。

さて、流風も若い頃は、この日にチョコレートをもらった記憶がある。1年にもらった、今までの最高は、生命保険のおばちゃんからもらったものも含めて10個。でも、その当時はチョコレートなどはあまり食しなかったので、棚に入れたまま一年というものもあった(笑)。ある年の夏にふと棚を開いて見ると、チョコレートが柔らかくなってヤバイ状況になっていたこともあった。

そして、残念ながら、お返しした記憶はない。もらう方も、大方、義理チョコで、多分、本命チョコはなかっただろう。手紙もなかったし。後で聞いた話では、義理チョコに見せかけて、本命の場合もあるとのこと。でも、そんなややこしいことは止めて欲しい。本命なら「本命よ」と渡して欲しいものだ。

今年も各所で泣き笑いがあるのだろうか。まあ、最近の若い女性は、そういうことはなく、遊びの催しと割り切っているのかな。でも、男は鈍感な動物(笑)。こういう方法で直接伝えた方がいいのは確か。バレンタインデーも一つの機会だろう。手づくりチョコはありがた迷惑だけれど(笑)。

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2013年2月12日 (火)

つまみ食い文化

百貨店の食品売り場に行くと、チョコレート売り場は毎年のように盛況だ。若い人たちだけでなく、いろんな世代の人々が集まっている。バレンタインデーは、キリスト教文化の一つだと思うが、日本のチョコレート会社が考えた販促はバレンタインデー文化になり、NHKが特集するほどに日本に定着してしまった。

最早、チョコレート会社の一年分の稼ぎが、この時期にかかっていると言うから、ビジネスとしては成功したことになるのだろう。更に海外のチョコレート会社も注目せざるを得ない状況だ。有名なゴディバ以外にも、いろんな欧州のメーカーが売り込みに熱心だ。

これは日本の商魂逞しい企業の成果とも言える。商売のためなら、何でもネタにしてしまう。本来の宗教行事も日本的に拡大解釈して拡散させていく。そもそも、キリスト教徒でもないのに、教会で結婚式を挙げるも、本来はおかしいのに、普及してしまったし、先日の節分の恵方巻にしても、日頃は恵方など気にしないのに、迷信を利用して、ビジネスにしてしまう。

クリスマスにしてもそうだろう。本来、キリストの降誕なんて全く関心はない。ひたすら西欧文化への憧れと、異文化から来る新鮮さから、取り入れたに過ぎない。

またハロウィンも、本来ケルト人の土着文化だが、米国から取り入れている。これはキリスト教とは関係なく、むしろ日本の多神教に通ずるものがあるが、多くの人々は、そんなことには関心はなく、ただ、かぼちゃをくりぬくデザインを面白おかしくして楽しんでいる。神戸のルミナリエも、本来、震災の鎮魂としてはおかしいのだが、単に光のデザインが面白いから取り入れている。今では、鎮魂の意味は薄く、観光化している。

この、つまみ食い文化は古くは雑食文化とも言われてきた。何でも柔軟に取り入れ、日本的に練り直して、日本化しバージョンアップする。それが、あらゆる文化の基にになっていく。いい悪いは別にして、日本は、これからも世界の文化を柔軟につまみ食いしていくことだろう。

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2013年2月11日 (月)

直線主義と曲線主義

直線主義と曲線主義というのは流風の造語。あまり世間では語られないだろう。むしろ、直線思考、曲線思考と言った方が適切かもしれない。これらは何を意味しているかと言えば、例えば、米国は、現在は分らないけれど直線主義と思う。目標を、こうだと定めると一直線に進み、他と妥協を許さない。

他との交渉では妥協はつきものだが、米国は自らの主張を貫こうとする。それに抵抗すれば、刃向かう者として徹底的に痛めつけようとする。かつて彼らと接した日本人は米国人は単純だから困るとこぼしていた。また日本人も、そのことが分っておりながら、コミュニケーション・説明不足で、彼らを怒らすことをしてしまうのも問題なのだが。

だが、人生同様、交渉事は直線的に進まないものだろう。例えば、目的地に行くのに、地図上で直線的に見れば、近いかもしれないが、実際は、まっすぐ行けないことが多く、道が入り組んでいることは多いものだ。結局、小さい目標を定めつつ、それへの到達を繰り返して、目的地に到着する。

それと同様、交渉事も、程度はあれ、曲がりくねった感じで、歌ではないが三歩進んで二歩下がりながら、摩擦を回避しながら一歩進めていく。往々にして、その方が目的に早く着いたりするものだ。

猪のように猪突猛進は怪我の素だ。怪我で済めばいいが、生命に及ぶとなると、何をやっているのか分らない。これは何も国際社会での交渉事だけでなく、個人レベルでの交渉事でもそうであろう。まどろっこしいと思っても、急がば回れと思って、目的に到達したいものだ。

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2013年2月10日 (日)

一つの言語と外国語教育

一つの言語だけで一生暮らせるなら、それが幸せだ。国によっては13の言語を操らなければならない。日本では、過去の英語教育の失敗から、小学生に英語を覚えさせようとする愚策を実行中だ。学校でだけ英語を話しても、意味はない。英語圏環境になければ、それは無駄な時間を過ごすことになる。更に日本語教育が不十分なまま外国語を覚えれば、混乱するだけだ。

それに世界で英語が通用する国は限られる。そのことを教育者や文科省は意外とご存じないらしい。それとも英語教育利権で動いているのだろうか。最近は、大手企業でも、社内用語を英語だという経営者がいたが、馬鹿もいいところ。日本に居て、英語は必要ないだろう。就職の条件にするのも、特別の職種以外に必要はなかろう。

どうしても、外国語の習得が必要なら、その国に留学させたらいい。その前に1年間くらい国内で基礎とヒアリングだけ教えればいい。実際、海外で活躍する人達は、そのように思っている。特定の言語環境に入れば、人間、慣れて、理解できるようになる。その方が理にかなっているだろう。

世界では、外国語の通訳を使うのが普通で、何も特定の言語を習得する必要はないだろう。文部科学省は、偏った意見の持ち主の主張を取り入れ、変な政策を推し進めている。迷惑するのは学生たちだろう。

日本人も、確かに一つの言語で暮らせない時代が来ているのかもしれないが、過度に外国語教育に時間をかけるのは間違いだ。正しい日本語や歴史教育を疎かにしているならば、それこそ問題だ。

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2013年2月 8日 (金)

抜きん出るには

世の中、競争社会である。子供時代は兄弟間でも競争がある。今は兄弟が少ないが、兄弟が多いと食そのものが取り合いであった。もちろん、現在のように少なくなっても競争はある。そうかと言って競争なき社会がいいかというとそうでもない。お互い切磋琢磨するから成長がある。

ただ、競争社会も、ある程度のレベルに達すると、能力的には、そんなに差異はない。その中で抜きんでるには、どうすればいいか。小林一三は、まず「何人も、やり得ないことをやってみせるという堅固な決心が必要である」と言う。

それは大変なことなのではないか。彼は続けて言う。そのためには、「ごく平凡な日常生活を几帳面に厳守するだけの決心でよい」とする。そうすれば、誰もが彼の言葉では、「一等地を抜く」ことができるとしている。

抜きん出るには、ありふれた平凡な生活を淡々と送り続け、自分の土台を固め、背骨をしっかりする必要があるということだろう。そうすれば、見えるもの以外にものが見え、先を見据えることができる。ということは、案外、そういうことが難しいことを彼は指摘していることになる。

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2013年2月 7日 (木)

中国の大気汚染

中国の大気汚染がひどいようで、報道によると、北京の空は灰色に濁っている。そして、大気の流れ具合で、日本に今月10日頃に、やってくるという報道があった。そうなると洗濯もできないし、外出もままならないことになる。日本も高度成長期、大気汚染等公害に悩まされた。中国の公害も途上国にありがちなことなのだろうが、日本は隣国ゆえ、大きな影響を受ける。

かつてフランスの関係者が、「日本の製造業は、なぜ中国に進出するのだ。進出すれば、いずれ、それは隣国の日本に公害として跳ね返ってくる。それは正しい判断と言えるのか」と嘲笑っていた。

彼の予測は的中し、まさにそのようになっている。日本企業は、どうしても目先の業績に集中する。それは日本企業に限ったことではないかもしれないが。やはり国が進出先の吟味は必要だろう。それに中国とは体制の違いもあり、政経共に、なかなか難しい相手だ。

一部商社には、今後も中国に期待する向きもあるが、少なくとも製造業は、中国以外に展開するか、国内回帰の時期にあるだろう。安易な中国進出は最早ありえない。ただ、大所高所から中国との付き合いを考えるべきだろう。公害除去ビジネスに関しては、関与することもやむを得ないと思う。

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2013年2月 6日 (水)

葛城王にまつわるエピソード

葛城王(かづらきのおおきみ)とは、後に臣籍に下った橘諸兄のこと。彼は、父を美努王、母を県犬養三千代の子だ。美努王は敏達天皇系皇親だ。県犬養三千代は阿閉皇女に使える女官であったが、皇女の信頼は厚かった。

ところが、県犬養三千代は、葛城王等を産んで後、美努王と離別している。そして、藤原不比等の後妻におさまっている。この辺の事情はよく分からない。ただ、阿閉皇女が天明天皇に即位されると、藤原不比等は異例の出世を遂げている。それは天皇の信頼厚い県犬養三千代の影響があったと考えられている。

その後、県犬養三千代は橘姓を与えられる。彼女が橘姓の祖だ。このことから葛城王が、なぜ橘姓にかわったのかが理解できる。また、葛城王は当時の天皇が病気になられた時、その快癒を願って、評判を聞いた弓削の道鏡を引き合わせた人物として知られる。

今回取り上げる『万葉集』の巻十六に載っている話は、彼がまだ葛城王だった時のエピソードである。

彼が陸奥の国に遣わされた時、国司の対応が無礼千万な態度が甚だしかった。そのため、お坊ちゃんの葛城王は気色もあらわに機嫌を悪くした。接待の席は設けられたけれど、不機嫌に酒席を楽しもうとしなかった。

これには、周囲も困ってしまったが、食前の用意を整えていた、ある采女が、都風の知識を備えていたため、左手に杯を捧げ、右手に水の入った瓶を持ち、軽く王の膝を打ち(甘える感じかな)、次の歌を詠んだ。

 安積香山 影さへ見ゆる 山の井の

   浅き心を 我が思はなくに      

                          (三八〇七)

意味は、「安積香山(現、福島県郡山市にある山)の影を映し出す山の泉。そのような浅い心ではなく、深くあなたをお慕い申し上げています」と。

これには、葛城王も、一遍に機嫌がよくなり、酒宴を楽しむことになった、という。これに似たことは、全国のあちこちで、現在でも起っているのでしょうな(笑)。

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2013年2月 5日 (火)

定額消費

流風は、若い時から、一定額の消費を続けている。それは給料が安く、ボーナスが期待できない時代が長く続いたからかもしれない。今の若い人たちも、給料が安いというが、それなりにもらっていると思う。一般に、給与所得者は、給料が安いと思いがちなことも事実だ。

だが、実際、事業を立ち上げれば、ビジネスの厳しさが分るだろう。いかに他者からお金を頂くことが大変なことかと。それゆえ、自分の給料がどこから出ていることが認識できれば、仕事への取り組み意識も変わってくる。よって新入社員に、まず営業を経験させることは大切なことだ。

さて、本題に戻ろう。定額消費を続けているといろんなメリットもある。給料やボーナスの多寡に関係なく、生活に乱れが少なくなるということだ。課題は、定額消費を、どの程度にするかということ。あまり高くしてしまうと、収入を越えてしまう事態も考えられるし、あまり低くし過ぎると、生活が惨めになる。

ただ、岩波茂雄が言っていた、「低く暮らし、高く想う」を理想としている。流風は、今問題になっている生活保護支給額を目安にして、若い時に設定した。それを何十年も続けている。それで何とか今も生活できている。ただ、別れた妻とは、そういう経済観念が合わなくて離婚した。

このことを以前、ある経営者に話したところ、同意できると賛同を得た。経営は波風が多く、変動が激しい。儲かった時に贅沢してしまうと、危機に陥ると、経営は破綻してしまう。いかに儲かった時に、儲からない時のことを考えるかが大切なんだ。生活も同様だと。企業経営も、家庭経営も同じだ。

*追記

もちろん、タイプによっては、まず一定額の貯金をして、残りを使うというやり方もある。

*追記

ちなみに定額消費という以上、毎月、定額は使い切りする。月末に残ることは少ないが、残れば、できるだけ持ちこさないようにしている。

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2013年2月 4日 (月)

穂積朝臣老のこと~『万葉集』より

今回は、『万葉集』より穂積朝臣老の歌を取り上げたいと思う。彼は物部氏の流れのようで、官吏歌人だ。彼の一生は浮沈に富んでいる。というのは、722年(養老2年)、元正天皇を名指しで批判したことで、斬刑を命じられる。乗輿を指斥した事件として有名。

ただ、この事件には、裏が感じられる。権力闘争に巻き込まれた可能性がある。あるいは、少し調子に乗って、彼が日頃から、天皇のことを陰で悪口行っていたのを讒訴されたのかもしれない。結局、周囲のとりなしで、死一等を減ぜられ、佐渡島に配流される。

元正天皇については、以前、ブログで謡曲『養老』で取り上げたが、聖武天皇の叔母だ。彼女は女性らしく、樵が養老の水を発見したことで、樵を美濃守に任じたほどだから、少し組織を乱す人材の登用をしたとされる。

大体、抜擢というのは、問題が多い。人材を一時的な功績に対して高い評価をすることによって、高い地位につけるのだが、組織には、極めて刺激的だ。確かに組織に活性化とい言う点ではいいのだが、往々にして、妬みを生み、組織に波風が立つ。

よって、こういうことを批判する口の悪い官吏がいてもおかしくない。ただ、そういうことをはっきり言う人間は、表裏がない正直な人と言えよう。多くは本音を隠し、不満を積み上げ、反勢力になりがちだ。元正天皇は、そういう過ちを犯している。

しかしながら、いろんな推量はできても、穂積朝臣老が配流された、はっきりとした理由はわかっていない。ただ、流されて、実に18年間、佐渡島に居たことは事実だ。それでは、まず、万葉集巻 第三にある彼の歌を挙げてみよう。まだ流される前の歌だ。

  我が命 しま幸くあらば またも見む

      志賀の大津に 寄する白波

この歌は、彼が行幸に同行した時の歌とされる。歌の解釈は次のようになるだろうか。「私の命が無事であったなら、志賀の大津に打ち寄せる白波を、再び見ることもあるだろう」と。これは見事に将来を暗示している。まさに人生の皮肉。

そして、万葉集巻 第十三には、佐渡島に流された時に詠んでいる長歌と反歌がある。

  大君の 命畏み 見れど飽かぬ 奈良山越えて

  真木積む 泉の川の 早き瀬を 棹さし渡り

  ちはやぶる 宇治の渡りの たぎつ瀬を

  見つつ渡りて 近江道の 逢坂山に

  手向けして 我が越え行けば 楽浪の

  志賀の唐崎 幸くあらば またかえり見む

  道の隈 八十隈ごとに 嘆きつつ

  我が過ぎ行けば いや遠に 里離り来ぬ

  いや高に 山も越え来ぬ 剣太刀 

  鞘ゆ抜き出でて 伊香胡山 

  いかにか我がせむ ゆくへ知らずて

解釈は、「大君より下された官命を恐れ慎み、何度見ても飽きない奈良山を越えて、檜等を積んで運ぶ木津川の早い瀬に棹指して渡り、宇治の渡りの逆巻く瀬見ながら渡って、近江道の逢坂山の神に手向けして、私が越えていくと、楽浪の志賀の唐崎に着いた。

運が良ければ、また帰ってきて見ることができるだろうか。曲がり角の多い道を嘆きつつ、通り過ぎていくと、遠く里を離れ山奥に入ってしまった。剣太刀を鞘から抜き出して伊香胡山ではないが、望郷の念が強くなる。一体、私は行き先で、どうなってしまうのだろうか」という感じかな。

「剣太刀 鞘ゆ抜き出でて 伊香胡山」というのは、剣太刀が男を指し、鞘が女を指す。つまり妻を都に残して、心残りで心配だが、穂積朝臣老だけが、流されていく辛さを万感の思いで詠ったのだろう。

そして、反歌が続く。

  天地を憂へ 祈(こ)ひ禱(の)み 幸くあらば

     またかへり見む 志賀の唐崎

解釈は、「天地の神々にお願いして、運が良ければ、また志賀の唐崎に無事に立ち返って、また見たいものよ」という感じかな。悲壮感が漂っている。当時の佐渡島は現在の日本から想像もできない寂しい場所だ。それが近づくに従って、足が重くなっていく心情を見事に表している。

*追記

なお、彼は後に、740年(天平12年)に恩赦により入京し、帰京して9年後に亡くなっている。生年不明のため、享年不詳。

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2013年2月 3日 (日)

業者の思惑通り恵方巻

2月3日は節分なので、子供の時、豆まきはよくやった。室内でやるのだが、後の処理が大変。みんなで、豆をかき集め、わいわいやっていた。ただ、恵方巻というものはなかった。恵方巻は関西から始まったというが、子供時代、そういう習慣はなかった。

恵方巻は、大阪から始まったものだろう。海苔の業者が売り上げを促進するため、考え出したと言われる。人々は、慣習に弱い。「恵方」に向いて、巻き寿司を食べるなんて、よく考えたものだ。

ただ、極めて行儀が悪い。子供なら、まだいいとしても、若い女性が大きな口をあけて、巻き寿司にかぶりつくのを想像するだけで、変な気分だ。ところが、この恵方巻ビジネス、かなり成功している。本日は、どこの店に行っても、恵方巻の売り場に人が集まっていた。

恐るべし、恵方巻。そこで流風も、長いものには巻かれろ式で、久しぶりに恵方巻を買ってしまった。そして、先ほど、恵方に向いて食したところ。いつもの巻き寿司より美味しかったので、一応、よかったとしておこう。業者の思惑に乗ってしまった流風でした。

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『自らを見つめる画家と自画像』展を鑑賞

神戸市立小磯記念美術館にて、特別展として、『自らを見つめる画家と自画像』展が1月11日から始まったことは先日のブログで記した。その展覧会に鑑賞しに、先日行ってきた。

さて、この展覧会では、画家の自画像がずらっと並ぶ。主として、笠間日動美術館の所蔵品の展示だ。明治から現代に至る画家、約85名の作品が90余点が展示される。彼らは対象をよく観察しているはずだか、自分自身をどう捉えているか。

ちなみに展覧会に展示してある画家の自画像を描いた年齢は、はっきりしているもので、10代で3名、20代で13名、30代で15名、40代で12名、50代で16名、60歳以上が22名だ。不明は16名だが、比較的若い感じがするものは少なく、多くは40代以降と感じられる。

自画像を描くきっかけは何だったのだろう。中には、鴨居玲のように人生の中で何回も自画像を描いている人もいる。実際は、どうなのだろうか。作品として残っているのだけが自画像でないのかもしれない。デッサンだけで絵にしていないものがあるかもしれない。

人の顔は人生の中で大きく変化する。画家がそれを見逃すはずはない。鴨居玲は、19才の時、自画像を描き、54才、55才、57才と、しつこく自画像を描いているのは例外としても、自分の変化に気づけば、それは描く対象として、十分だ。

ただ、今回の展覧会を観る限りでは、画家は特定の年齢で、自画像を描くということはなさそうだ。その時の画家の状態は様々だろう。仕事がなかったからか、忙しい中、エアポケットのような時間ができたからか。あるいは、その他の強い動機づけがあっからだろうか。

しかしながら、晩年描かれる自画像は、自分の顔を残したいという表情が多い。そして晩年の顔は皆同じだ。皮肉を言えば、それは葬式用写真に近い。老いるということは、そういうことだ。母が、葬式用写真には若い時の写真を候補として挙げていたのが、少し分るような気がする。自画像で他人に老醜をさらすのも、どうかと思う(*注)。自画像は若い時か壮年期に描いた方がいい。

*注

老人を描くな、という意味ではない。そこにはテーマがなくてはならない。あくまでも自画像は止めておけ、と言っている。

見方を変えれば、画家はモデルの高齢者は美しく描けても、自分自身はできないということかもしれない。

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2013年2月 2日 (土)

危ない高齢者の運動能力過信

高齢者の運転する自動車には、できるだけ近づかないようにしているが、なかなかいつもそのように行かない。先日も、危なっかしい運転をしている高齢者に遭遇。田舎なら仕方ないけれど、街中での運転は止めて欲しいものだ。人それぞれに事情がおありとは思うが、事故を起こしてからでは遅すぎる。

それは自転車運転でもそうだ。何事にも慎重な父は、早くから自転車に乗るのを止めたが、母は亡くなる一年前まで、車とすれ違うのは、「怖い怖い」と言いながら自転車に乗っていた。でも、母が怖いというより、車を運転する人々に迷惑をかけていたのではないかと思う。結局、流風のアドバイスに聞く耳を持たなかったけれど、幸い事故には遭わなかった。

さて、先日、自転車で、うろうろしていたところ、かなり先を行く高齢者と思しき、お爺さんが自転車から転倒されて立ち上がれなくて難儀されている様子が遠目からも分った。その時は、行き来する人がいなかったので、スピードを上げ、急いで駆け付け、自転車を引き起こし助けたのだが、幸いけがはなかったようだった(実際は打撲とかはあったかもしれない)。

そのお爺さんは、自転車の下敷きになって自力で自転車を最早、引き起こすことができなかったようだ。「ありがとう、ありがとう」と言って去って行かれたが、大丈夫かな。自転車の運転は止めた方がいいだろう。

高齢者は、歳が行っても、自分の運動能力を過信しがちだ。ある、お婆さんは、信号のない道路を横切ろうとするが、なかなか時間がかかる。車を運転している方々も、はらはらされていたに違いない。そういう迷惑顧みず、とぼとぼと、やっと渡りきった。残念ながらも高齢になると周囲が見えないのであろう。

流風も、高齢者になったら自分の運動能力を過信しないようにしたいものだ。

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2013年2月 1日 (金)

『姫路・城下町の祭礼~播磨国総社の三ツ山大祭~』展を観覧

先日にも案内したが、兵庫県立歴史博物館にて、『姫路・城下町の祭礼~播磨国総社の三ツ山大祭~』が展示されているので、観覧してきた。姫路の祭礼文化(播磨国総社の三ツ山大祭)を紹介すると共に、過去の三ツ山大祭の写真等を展示している。

内容は、「播磨国総社と三ツ山大祭」、「三ツ山大祭の現況」、「天神地祇祭」、「播磨国一宮と総社」など、先日の三ツ山大祭について記した内容とほぼ同じ。ただ、三ツ山のひな型が展示されていて、身近に、その仕様詳細が確認できていい。その他、多くの由緒書なども紹介されていた。

更に、江戸時代に城下町ができて、この祭りが官民一体となった祭になったことが紹介されていた。江戸時代の三ツ山大祭の絵図や画図が展示されていて、当時の雰囲気がよく分かる。当時の人々がいかに、この祭りを大切にしていたかが感じられる。

そして、ある意味、当時の巨大エンタテイメントの趣がある。人口の10倍近く人が集まっている。実際、20年ごとにやる、この祭りの経済効果は大きく、町を挙げての賑やかなお祭りであったようだ。その後、明治、大正、昭和と続くが、それぞれに人々の期待が集約されている。

特に、昭和28年の大祭は、戦後のこれからの復興の意味もあり、情熱を注ぎ盛大に行われたようだ。いろんな状況下、この大祭は行われてきたのだが、その時代を代表するテーマと共に今後も人々を元気づけるため、行われていくことだろう。果たして、今年の大祭は、どのような雰囲気になるのだろうか。少しわくわくしている。

なお展示は、4月7日までで、詳しく記したパンフレットを頂けるので、それを読んで、実際の三ツ山大祭を行かれると、祭の意味が分りやすいだろう。いずれにせよ、祭に行く前に、この展覧会に足を運んで欲しいものだ。

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