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2013年2月24日 (日)

人相は変わる~落語『ちぎり伊勢屋』より

人相は、手相同様、日々変化しているようだ。流風はあまり占いは信用しないが、人相とか手相とかは、何かを示唆しているように思う。少し前のことだが、バスに乗っていると、いかにも悪そうな若い男が、態度も横柄に足を広げて、明らかに2人分の席を占領して座っていた。バスの中は、嫌な雰囲気だった。

そこに杖をついた高齢の女性が乗ってこられた時、その若い男は、さっと立ちあがり席を譲った。これには流風も驚いたが、他の乗客も同じ思いだったのだろうか、ほっとした雰囲気が流れた。そして、その男の横顔を見ると、前の表情とは異なり、晴れやかな表情をしていた。この時、人間の顔は、ここまで変化するのかと驚いたことがある。

また、話は一転するが、昔、ある経営者は業績がよく破竹の勢いで企業は成長していた。その表情は自信に溢れ、明るい顔だった。ところが、ある時、不正が発覚し、マスコミから攻撃を受けた結果、失脚し、彼の表情は、以前の顔とは全く違う暗いどんよりとした悪い人相になっていた。

人間の顔は、なま物だと思う。ちょっとしたことで第三者から見ると大きく変化する。それは気づかないうちに毎日変化しているのだろう。よく言われるように、善因善果、悪因悪果は顔に現れる。そういうことを題材にした落語に『ちぎり伊勢屋』というものがある。

『ちぎり伊勢屋』というのは、江戸麹町五丁目にあった質両替屋の屋号という設定。ちぎり(あるいは、ちきり)は、本来、木と木を結ぶものとか石と石を結ぶもの。よって人と人を結ぶということで屋号にしたのだろう。そこの店主は伊勢屋伝次郎と言った。

その彼が25歳の時、虫の知らせか、ふと、易の名人、白井左近という人に、人相を見てもらう。白井左近は、当時、今まで易では一度も外れたことがないと評判だった。ただ、その彼が、一度だけ、人相の見誤りがあった。それが伊勢屋伝次郎なのだ。

彼の人相を見ると、確かに死相が出ていたので、彼に告げる。「うーん、あなたの人相には死相が現れていて、来年の2月15日の正午に、この世を去るだろう」と。これを聞いた伝次郎は、まじめに商売に勤しんできたが、心の持ち方を変えて、放蕩三昧する。あの世に行く前に、やりたいことをやろうと思ったのだろう。

そして、その2月15日が近付いてくる。棺を用意し、表には忌中の札を貼り、多くの芸人を集めて、通夜をどんちゃん騒ぎした。そして、棺に自ら納まり、死期を待っていたが、その時間を過ぎても、なぜか、なかなか死なない。朝になると、生きているが、もうお金は一銭もない。お寺に行って事情を話し、寺に納めた、お布施百両から二十両だけ返してもらい、江戸を飛び出す。

この話は、世間でも話題になり、とうとうお上にも伝わる。そこで白井左近は、偽り事で、人の財を失わしめたとして、罪になり、江戸所払となる。だが、白井左近は、あくまでも自分の易には自信があったので、再度、伝次郎の易を見る機会をうかがう。大道易者となって、彼が通りかからないか、ずっと待った。

そうすると、翌年の春になると、ついに運命の伝次郎が通りかかる。彼は喜んで、彼の人相を見ると、不思議と、彼に死相は全くない。むしろ長寿の相が出る。それも百歳保証付き。これには、左近も驚き、伝次郎に、「あなたは、もしかして人を助けてやったことがあるのではないか」と。

伝次郎、答えて言うには、「そう言えば、母娘が首をくくろうとしていたので、二百両の金をやって、助けたことがあります」。左近、納得し、「それだ。その善の報いで、あなたの寿命が延びたのだ。これからは南に向かいなさい。いいことがあるでしょう」と伝える。

話はまだまだ続くのだが、切りがないので、ここら辺で止めておく。最終的には、回りまわって、助けた娘に助けられ、彼女の入り婿になり出世し、白井左近も、江戸所払は許されるということなっている。この落語は、一種の人情話だが、子供たちに聞かせたい内容だ。

* 注記

ただ、ある面で占いはいい加減だ。彼らは都合よく、占いの結果を解釈する。しかしながら、いい人相、いい手相というものはあると思う。他人に見てもらうより、自分なりに研究してみるのはいいかもしれない。

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