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2013年2月 4日 (月)

穂積朝臣老のこと~『万葉集』より

今回は、『万葉集』より穂積朝臣老の歌を取り上げたいと思う。彼は物部氏の流れのようで、官吏歌人だ。彼の一生は浮沈に富んでいる。というのは、722年(養老2年)、元正天皇を名指しで批判したことで、斬刑を命じられる。乗輿を指斥した事件として有名。

ただ、この事件には、裏が感じられる。権力闘争に巻き込まれた可能性がある。あるいは、少し調子に乗って、彼が日頃から、天皇のことを陰で悪口行っていたのを讒訴されたのかもしれない。結局、周囲のとりなしで、死一等を減ぜられ、佐渡島に配流される。

元正天皇については、以前、ブログで謡曲『養老』で取り上げたが、聖武天皇の叔母だ。彼女は女性らしく、樵が養老の水を発見したことで、樵を美濃守に任じたほどだから、少し組織を乱す人材の登用をしたとされる。

大体、抜擢というのは、問題が多い。人材を一時的な功績に対して高い評価をすることによって、高い地位につけるのだが、組織には、極めて刺激的だ。確かに組織に活性化とい言う点ではいいのだが、往々にして、妬みを生み、組織に波風が立つ。

よって、こういうことを批判する口の悪い官吏がいてもおかしくない。ただ、そういうことをはっきり言う人間は、表裏がない正直な人と言えよう。多くは本音を隠し、不満を積み上げ、反勢力になりがちだ。元正天皇は、そういう過ちを犯している。

しかしながら、いろんな推量はできても、穂積朝臣老が配流された、はっきりとした理由はわかっていない。ただ、流されて、実に18年間、佐渡島に居たことは事実だ。それでは、まず、万葉集巻 第三にある彼の歌を挙げてみよう。まだ流される前の歌だ。

  我が命 しま幸くあらば またも見む

      志賀の大津に 寄する白波

この歌は、彼が行幸に同行した時の歌とされる。歌の解釈は次のようになるだろうか。「私の命が無事であったなら、志賀の大津に打ち寄せる白波を、再び見ることもあるだろう」と。これは見事に将来を暗示している。まさに人生の皮肉。

そして、万葉集巻 第十三には、佐渡島に流された時に詠んでいる長歌と反歌がある。

  大君の 命畏み 見れど飽かぬ 奈良山越えて

  真木積む 泉の川の 早き瀬を 棹さし渡り

  ちはやぶる 宇治の渡りの たぎつ瀬を

  見つつ渡りて 近江道の 逢坂山に

  手向けして 我が越え行けば 楽浪の

  志賀の唐崎 幸くあらば またかえり見む

  道の隈 八十隈ごとに 嘆きつつ

  我が過ぎ行けば いや遠に 里離り来ぬ

  いや高に 山も越え来ぬ 剣太刀 

  鞘ゆ抜き出でて 伊香胡山 

  いかにか我がせむ ゆくへ知らずて

解釈は、「大君より下された官命を恐れ慎み、何度見ても飽きない奈良山を越えて、檜等を積んで運ぶ木津川の早い瀬に棹指して渡り、宇治の渡りの逆巻く瀬見ながら渡って、近江道の逢坂山の神に手向けして、私が越えていくと、楽浪の志賀の唐崎に着いた。

運が良ければ、また帰ってきて見ることができるだろうか。曲がり角の多い道を嘆きつつ、通り過ぎていくと、遠く里を離れ山奥に入ってしまった。剣太刀を鞘から抜き出して伊香胡山ではないが、望郷の念が強くなる。一体、私は行き先で、どうなってしまうのだろうか」という感じかな。

「剣太刀 鞘ゆ抜き出でて 伊香胡山」というのは、剣太刀が男を指し、鞘が女を指す。つまり妻を都に残して、心残りで心配だが、穂積朝臣老だけが、流されていく辛さを万感の思いで詠ったのだろう。

そして、反歌が続く。

  天地を憂へ 祈(こ)ひ禱(の)み 幸くあらば

     またかへり見む 志賀の唐崎

解釈は、「天地の神々にお願いして、運が良ければ、また志賀の唐崎に無事に立ち返って、また見たいものよ」という感じかな。悲壮感が漂っている。当時の佐渡島は現在の日本から想像もできない寂しい場所だ。それが近づくに従って、足が重くなっていく心情を見事に表している。

*追記

なお、彼は後に、740年(天平12年)に恩赦により入京し、帰京して9年後に亡くなっている。生年不明のため、享年不詳。

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