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2013年3月31日 (日)

見て見ぬふりをするということ

人間、修業が足りぬと、何でも言いたくなる。人を使う場合も、従業員がミスをすれば、すぐ指摘したくなる。そして怒鳴りつけたりする。ところが、使われている人間は、ミスを自覚している場合と、そうでない場合がある。まず、その見極めが先だ。

それをせずに、いきなり叱りつけたりすると、反発を招く場合も多い。それでは逆効果だ。よって、まず、見て見ぬふりをしておくことは大切だ。それを「知らぬ顔をする」という人もいる。要するに、堪えどころが肝心なのだ。人間、直接言われるより、何となく雰囲気で分らせられる方が怖い。

このようなことは、一般社会も同様だろう。今は、ネットも発達し、いろんな情報が交錯するが、情報に乗せるかどうかの判断について、各個人の洗練された感性が、より強く求められている。流風も自戒せねばならない。

*追記

一般に、見て見ぬふりをすることは悪いことだと捉えられているが、上記のケース同様、干渉する時期とタイミングの見定めは大切である。

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2013年3月30日 (土)

マイブーム・ブロッコリー

本日、2本目。最近のマイブームとして、サンドウィッチを先に挙げたが、もう一つが、なぜかブロッコリー。以前から、ビタミンCが多いということで、時々買ってはいたが、少し使って、後は冷蔵庫に入れて、大抵が腐らせていた。

しかし、それではいけないと思い、最近やっと気づいて(苦笑)、買ってきて、すぐ小さい房に切り分け、熱湯で、さっと湯がいて、水で冷やして、水切りして冷蔵庫で保存。こうすれば腐ることもない。そういうことで、食卓の上に上ることが多くなり、食することになっている。そのままでもいいし、油で炒めてもいい。

人間、ちょっとしたきっかけで、食べる機会が増えるものだと思う。そういうと、最近使っているフライパンだと、餃子も、普通に焼き上がるので、炒め料理が増えた。このフライパンだと油も、そんなにいらいなし、健康にもいいだろう。今日は、ブロッコリーを炒めて食するとしようか。

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マイブーム・サンドウィッチ

朝食は、御飯にしたり、食パンのトーストだったり、体調の悪い時はお粥にしたりしている。ただ、最近、少しマイブームになっているのがサンドウィッチ。スーパーやコンビニのサンドウィッチではなく、手づくり。ただ関西には、八枚切りの食パンは、ほとんどの店で売られていない。店に置いても売れないそうだ。

東京方面は、サンドウィッチの需要が高く、売れるそうだが、関西は基本は、厚切りトーストが主体の為、売れないという。止むなく、パンの耳の落とされたサンドウィッチ用パンを買うが、持ちが悪い。一度に食するわけではないので、どうしても残るから、それを冷蔵すると、食感は落ちる。トーストしてくださいと書いてあるが、トーストすると縮んでしまう。一体どうすればいいのか。

でも、その辺は適当にやっている。パンにはさむ材料は様々だ。いろいろ変えられるのが楽しい面もある。慣れると、いろんなサンドウィッチができる。こんなに簡単なのに、今までなぜ気づかなかったのか。朝の食卓には、しばらく手製のサンドウィッチが並ぶ。まあ、流風のことだから、いつまでも続くことはなかろうが(笑)。でも、八枚切りの食パン、関西でも販売して欲しいものだ。

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2013年3月27日 (水)

外食の跛行現象

外食産業の多様化により、業態により、跛行現象が出ている。これは、かなり前から出ている現象だが、最近、更に拍車がかかっている感がある。それは経営者の気迷いがそうさせているかもしれない。確かに、世間は何となく景気がよくなるような雰囲気を政府は作り出していることが拍車をかけているのかもしれない。

ただ、一部の資産家を除いては、まだ景気の実感がないのではないだろうか。それが変わるのは、夏のボーナスからであろう。それまでは、外食産業も手探りの感じだ。それに伴い、外食産業の経営対応も、いろんな見方で、異なる対応をしてくる可能性がある。

しかしながら、従来から、日本の外食産業は、価格と料理・サービスとのバランスが極めて悪い。一般に、価格が高いと、いい料理やサービスを提供すると思われるが、最近は必ずしもそうではないので、案外、顧客満足度は低いケースがよくある。旧態依然の経営体質で、高い価格が常識化している業態も多い。ところが、世間の流れに反し、中身は落ちているところは、結局、生き残れない。

逆に、意外と普通の価格なのに、割といい食材による料理が提供される場合がある。サービスは、それなりのものであるが、顧客満足度は高い。だが、経営コストが高ければ、コストバランスが悪く、最終的には、経営を悪化させてしまう。

外食産業は、ここら辺を再度見直して、価格と料理・サービスのバランスを検討すべきだろう。景気がよくなったとしても、このことを修正しない限り、日本の外食産業の発展性には疑問が残る。

*追記

要するに、外食産業の価値と価格のバランスが悪いということを言いたかった。

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2013年3月26日 (火)

整髪剤を変える

1年くらい前に、大手化粧品メーカーの整髪剤に変更した。少し香が気に入ったからだ。そして、最近まで使っていたのだが、今年初めから変更した。実は、洗髪時に、髪の毛が多く抜けることは少し気になっていたのだが、その程度が激しい。身体の異変かなと思ったが、健康診断の結果は変わらない。

ということで行きついたのが、シャンプーの影響か、整髪剤の影響かということ。まず、シャンプーをいろいろ変更してみたが、結果は変わらない。そこで、ついに整髪剤を以前使っていたものに戻したところ、急速に改善した。やはり整髪剤も合う、合わないということがあるのだろう。結果的に、髪の毛もしっかりしてきたし、二重の効果がある。もっと早く気付くべきだったのかもしれない。

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2013年3月25日 (月)

「ワード・イン・アート~字は絵のごとく 絵は字のごとく」観覧

久しぶりに、横尾忠則現代美術館に行ってきた。開館記念展Ⅱは、「ワード・イン・アート~字は絵のごとく 絵は字のごとく」というテーマ。彼の作品は、鑑賞するというより観覧して眺める感じだ。彼が語るように、瞬間瞬間のひらめきをアートにしているため、深く鑑賞するには分り難いものも多い。よって観覧側にも、それなりの感性が求められる。

要するに、ぱっと見てぱっと分るのは分るし、何度見ても分らないものは分らない。すなわち、彼の作品は、彼が今までに得てきた数々の情報(例えば、描いた時の社会情勢、当時、接触した人物、彼の経験の積み重ね等々)が脳にインプットされたものが、一瞬のうちに具現化されたものだろうから、観覧者には、結果的にそうなる。だから観覧者のレベルで、作品の印象は様々だろう。

さて、今回は彼の作品の中に文字が組み込まれた作品が展示してあった。その表現は様々で、絵の中に自然に溶け込んでいるものもあれば、不自然に、まるで「セール中」のように文字が上書きされているものもある。だから、文字を絵の一部として彼が強く意識しているものは、ある意味、絵と一体化されておらず、不自然なものもある。この展覧会のテーマのようには受け止められないものもある。

よって、作品としては、観覧者からすると、いいものとあまり良くないものとが混然一体になっていた感じを受ける。一部は、どこか不自然なのだ。それが彼の作品の意味するところであれば、それは仕方ない。それが彼の表現手法なのだから。

だが、文字を果たして、そこまで意識する必要があったのだろうかとも思える。場合によっては蛇足に映る。文字が絵を活かす場合もあるが、文字が、折角の絵を殺してしまう場合もある。観覧者に文字で意識させる必要があったのか。それは彼が商業分野から出発していることと無縁ではなさそうだ。

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2013年3月24日 (日)

「三ツ山大祭」が1週間後に迫る

姫路・播磨国総社で開催される20年に一度の「三ツ山大祭」が1週間後に迫ってきた。3月31日より4月7日まで、祭行事が行われることは、以前のブログで記したので、詳しいことは、そちらを参考にしてほしい。基本は、八難苦厄を祓い、国中の人々の幸福を祈り、播磨地方はもちろん、日本各地の平安と発展を願う祭だ。

今、駅や商店街各所には、すでに、いろんな造り物が展示されている。内容は播磨地区に昔から伝わる話を基に構成されている。流風が、かつてブログ記事にしたものも、多く含まれる。播磨地区の各高校の学生たちが主体になって作ったようだ。彼らにも、いい記念になっただろう。なかなかの出来で、カメラを持った人が、パチパチ写している。これらを見るだけでも祭りモードで、楽しくなる。

また姫路はまだ桜は咲いていないが、蕾は膨らんでいる。花見見物にも、ちょうど、いい時期になるだろう。一部の飲食店では、店内飲食もできるが、持ち帰り用「三ツ山記念花見弁当」も販売されるようだ。ただし、数量限定で事前予約は必要だ。間に合うかどうか分らないが、一応、飲食店を紹介しておこう。

  持ち帰り用「三ツ山記念花見弁当桜」 

    和風弁当 二段重 五寸折

    一日100セット限り 1,500円(税込)

    持ち帰り用「三ツ山記念花見弁当絆」 

    和洋折衷弁当 三段重 五寸折 

    一日100セット限り 2500円(税込)

   予約問い合わせ先飲食店

   ◎和ダイニング三日潮 079-224-1113  

   ◎福亭                       079-222-8150

   ◎清交倶楽部 商工会議所店  079-281-6800

なお、姫路駅地下街GRAND FESTAが誕生し、3月28日にリニューアルオープンする。52店舗。ずっと工事中で不便だったが、これで便利になる。休憩できる店も増えた。多くの人に、三ツ山大祭を楽しんで欲しいものだ。

*参考

播磨国総社 三ツ山大祭実行委員会

  播磨国総社 射楯兵主神社 http://www.sohsha.jp 

  姫路観光ナビ「ひめのみち」   http//www.himeji-kanko.jp

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2013年3月23日 (土)

厚生年金基金廃止に伴う出費の見直し

国は一部健全な団体を残して、厚生年金基金廃止を廃止することを決定した。以前にも記したが、流風は若干、老後において、金額は大きくないが、厚生年金基金からの年金を期待していたので、失望している。廃止に伴い、一時金は得られるかもしれないが微々たるものだろう。

ということで、世間はアベノミクスで賑やかだが、流風は老後に備えて、収入を増やすことも考えたが、無理はできないので、とりあえず、習慣的経費の見直しにより、生活リストラを行うこととした。

一、まず新聞定期購読の廃止。情報はネットあるいは、図書館で。これで年間5万円の削減。

二、各種雑誌の定期購読廃止。これも年間5万円位削減。新聞同様、ネット及び図書館で情報入手。

三、各種団体を脱退し年会費を節約。約4万円程度削減。別に支障はない。

四、各種文化施設の年会員停止。各年会費が合計で3万円程度削減。

五、バス利用の見直しで、年間5万円程度削減。

六、喫茶店、外食の利用頻度を下げることで、年間8万円程度削減。

七、その他の浪費削減で5万円程度。

合計で年間35万円程度の削減。もちろん、これでも十分ではないが、これ以上やると、生活に潤いが無くなる。また光熱費の削減も考えたが、限界がある。後は病気にならないように気をつけるだけだ。大した金額ではないと仰る方もいるかもしれない。ただ、老後、これだけの収入を増やすことも、お金持ちでなければ、難しいのも事実。筋肉質の家計体質にしておくことは必要。国は気楽に制度を廃止するが、困ったものだ。

*追記

計画的出費では、リフォーム計画を内容、金額の見直しし、当面、今年の予定は延期することとした。また年一回の旅行の計画もプランの見直しをし、再設計の予定。

*注記

もちろん、厚生年金基金廃止が決まっても、すぐには廃止にならないだろう。多分、一定の期間をおいて、廃止になる形が想像できる。ただ受給者側としては、突然、打ち切られる事態も考えておかないと、その時になって、慌てても対応できないから、この記事にした。

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2013年3月22日 (金)

春の歌~賈至の「春思」

こちらは今朝も大変寒い。まだ本格的に暖かくなるには時間がかかりそうだ。ところが、朝起きると、鶯が鳴いていた。当地では、この時期、珍しい。毎年、6月ぐらいにならないと鳴かない。でも、梅の花は散ってしまった。メジロは、もういないから、タイミングが悪い(笑)。

ところで、梅の花は散ってしまったが、次に咲こうと待機している花はたくさんある。桜はまだこちらでは咲きそうにないが、各地で咲いたという話はよく聞く。家の方は、今、ヒイラギナンテン、ピンクユキヤナギ、アセビとギンモクセイが咲いている。そして、源平桃、花桃、木瓜、ドウダンツツジ、椿、ハナズホウ、そして先日植えたハナカイドウが蕾を大きくしている。間もなく咲くのだろう。

さて、前回、楽府題として、郭震の「子夜春歌」を取り上げたが、今回も、違う詩人による楽府題を取り上げる。それが『唐詩選』にある賈至の「春思」。彼も唐代の詩人で、玄宗皇帝の時代の人。「春思」は二首に分れているが、その第一首を示す。

第一首

  草色青青として柳色黄なり

  桃花歴乱として李花香し

  東風 為に愁えを吹き去らず

  春日偏えに能く恨みを惹いて流し

いつものように蛇足の解釈は、「草は青々として、柳は芽が黄色くなっている。桃の花は咲き乱れ、スモモの花はいい香をしている。ところが、東から吹く春風でさえ、私の愁いを吹き飛ばしてはくれない。むしろ春の日は、ひたすら、深い嘆きの心から溜息をつかせる」という感じかな。

春の日差しで、朝遅く目覚めた飲み屋のお姉さまの嘆息という感じ。春は、彼女らに限らず、春眠暁を覚えずで、誰もついつい寝過してしまう。清少納言のようには起きれない(笑)。

*参考

第二首は次のようになっている。何となく雰囲気は感じるが、分らない意味の言葉が多く、解釈は止めておく。

  紅粉して壚に当れば弱柳垂れ

  金花臘酒 酴醿を解く

  笙歌 日暮 能く客を留め

  酔殺 長安軽薄の児

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2013年3月20日 (水)

ユキヤナギと漢詩~郭震の「子夜春歌」

昨年植えたユキヤナギが、可愛い花を咲かせている。ただ、まだ小さいので、まだ柳のような感じはしない。他家にあるものを見ると、いずれ大きくなることだろう。風にしなやかに対応するのは、女性の特性と見られていたが、最近の女性には、しなやかさがやや欠ける人も多い。柳を見習ってほしいものだ。

今回取り上げる詩は、『唐詩選』にある「子夜春歌」だ。作者は、郭震という唐の時代の人で、身体は大きかったようだ。則天武后に認められて、大将軍として、度々成果を挙げ、その期待に応えている。だが、玄宗皇帝即位の頃、天子に逆らい流され、後、罪を軽減されるが、無念の死を遂げている。

さて、題の「子夜」は、そもそも「子夜歌」という南方土着の民歌があり、そこから取ったもの。呉の時代の子夜という女性が歌曲を作って歌ったらしい。現代でいうシンガーソングライターということか。誰に当てはまるのだろうか。

ただ、特定の女性を指すということでもなさそうだが、「子夜」という女性が詠んだことにした民の歎きだ。その物悲しさに、多くの人々は胸を締め付けられ涙を流し流行した。その曲を「子夜歌」と呼ぶようだ。

郭震は、その曲に倣って、彼女らの気持ちになって歌詞を作った。この彼のような詩は、「楽府題(がふだい)」と言うそうだ。

  陌頭(はくとう) 揚柳の枝

  已に春風に吹かれたり

  妾が心 正に断絶するも

  君が懐いは那(いか)んぞ知るを得ん

解釈は、「道の傍に生い茂っている揚柳の枝は、春風に吹かれて、ゆらゆらと揺れている。私の心は、逆に激しく揺れ動き、不安で断ち切られそうだ。一体、あなたは私のことを、どのように思っているのだろうか。どのようにしたら知ることができるのだろうか」ぐらいだろうか。

女性の歌に似せているが、やはり男の歌のように思う。女性だったら、もっとしなやかに作詞しただろう。やはり、詩は人柄が出るようだ。

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2013年3月19日 (火)

人は人の為に在る~『寒山拾得』より

『寒山拾得』は、解釈がなかなか難解で、先人も、そのことに苦労している。今回は、中でも、特に最も解釈が難しいと云われる所に敢えて挑戦。無謀かな(笑)。よって、正しい解釈かどうかは自信ありません。流風による曲解になるかもしれませんので、悪しからず。それでは、その一文をまず記しておこう。

 人の為に常に喫用せられ  

 愛意須らく慳惜すべし

 老い去りて自由ならず

 漸く他に排斥せらる

 送られて荒山の頭に向かい

 一生虚擲(きょてき)を願う

 羊を亡いて牢を補う罷む

 失意終に極まること無し

無理やり独断で、解釈をすれば、次のようになるだろうか。

「人はいつも人の為に使われても、嫌がらずに、その意向を受けて一所懸命勤めるべきだ。老いてしまうと、人の意向に沿うこともできず、ままならない。そのため、段々、多くの人たちから、あてにされなくなってしまう。

人からあてにされなくなると、心は姥捨山に打ち捨てられたような気持ちになる。これは羊がいなくなって、やっと羊の囲いの辛い修理を止めるのと似ている。自分の役割が無くなったと思うことは、深い喪失感に襲われること、この上ない」ぐらいかな。

果たして、流風の解釈は、作者の意図を反映しているだろうか。皆さまは、どのように解釈されるだろうか。知りたいものだ。

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2013年3月18日 (月)

「日本中がマチオモイの春 ! わたしのマチオモイ帖」を観覧

2013年2月22日に全国でスタートした、「日本中がマチオモイの春 ! わたしのマチオモイ帖」を観覧したきた。この催しは、日本全国13か所のサテライト会場で、各地のクリエイターが、町へのそれぞれの思いを込めた冊子や映像で紹介する展覧会。兵庫県下では、ひょうごマイオモイ実行委員会主催で、神戸と姫路で開催されているが、とりあえず、姫路会場に行ってきた。

納屋工房コミュニティーペースという貸し会場で、初めて行く場所。でも、初めての場所には、なかなかスムーズに辿りつかない流風も、すぐ分かった。イーグレ姫路という有名な施設があるのだが、そのちょうど西側に道を渡った古びたビル。そこの四階だった。

会場は、当日のみの喫茶コーナーがあり、その壁に、各クリエイターの作品が展示してあり、手にとって、内容を確認できた。町や街のいろんな表現の仕方があるものだと思う。クリエイターにかかれば、どんな小さい町にも、スポットを当てて、魅力を引き出せるということだろう。

それぞれの町や街には歴史があり、人々のいろんな思いがある。それを第三者がスポットを当てて表現することで、知られていない町や街が、多くの人にその存在を知られるようになる。地域の活性化の一つの手法であることは間違いなかろう。ただ、ネット社会では、それが瞬時に世界に伝わるリスクも内包している。どこまで表現するかは、今後の課題であろう。

2013年2月24日まで

*参考

姫路会場

 納屋工房コミュニティーペース

  午前11時より午後7時まで。木曜日休み。

    http://nayakobo.com/

神戸会場

 KIITO(デザイン・クリエイティブセンター神戸)

  午前11時より午後7時まで。月曜日休み。

    http://kiito.jp

淡路会場

 淡路島美術大学

  午前10時より午後5時まで。火曜・水曜・木曜休み。

          http://awajibidai.net/

神戸空港会場

  神戸空港ターミナル

    http://www.kairport.co.jp/

 

 

         http://kiito.jp/

 

 

 

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2013年3月17日 (日)

物産展の限界

先日、神戸に行った時、大手百貨店で、東北六県の物産展が開催されていたので寄ってみた。見慣れた風景だ。この2年間に東日本大震災の被災地物産展に何度足を運んだことか。ただ、今回は、被災地物産展とは謳っていなかったと思うが、それを連想させる内容だ。

ところが、買いたいものが見つからない。今までは、少し無理して買ってきたが、2年間に露出度が大きかったものだから、見慣れた商品ばかりだ。大体、流風自身、百貨店の物産展に少し飽きが来ている。価格も必ずしも安くない。

それを無理して購入する動機付けも段々薄くなっている。旅行に行けば、多少散財気分で、多少価格が高くても買うが、百貨店の物産展では冷静でいられる。確かに旅行する代わりにという需要はあるのだろうが、それも単に物が並べられているだけでは限界がある。

それは被災地の物産展であっても同じだ。単に物として見れば、必ずしも魅力があるわけでもない。あまりにも代わり映えのしない商品が並んでいても、購買意欲は増さない。被災地の支援ということは分っていても、無駄な消費はしたくないという意識も働く。会場を何回か回ってみたのだが、買いたいものがない。

ということで、今回は購入をあきらめた。せいぜいお弁当ぐらいと思ったが、いつものことだが、2000円近くするものが多い。料理をするから、どうしても原価が見えてしまう。とても高い。価格設定を間違っているのではないか。よく亭主にワンコインを渡し、主婦の方は、1500円ランチをしている姿は見かける。それでも1500円だ。弁当であれば、それより安くする必要があるのではないか。物産展は旅行ではない。企画担当者の手腕が問われる。

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2013年3月16日 (土)

優先順序のはき違え

大事にしているものが、案外、客観的に見れば価値はなく、本当に大事にしなければならないことを、放っておいたりする。政治において、それは多く見られる現象だ。また企業活動や個人の生活でも、往々にして、そのような判断間違いをする。

それは被災地でも、そのようだ。例えば、震災の記憶を遺すべきだと言うが、まず人々の生活の復興が優先されるべきで、震災の記憶を遺すことは、後々でやればいいこと。また記憶の残し方は色々あるはずで、復興の妨げになるようなものを、何が何でも原形で残す必要もない。明らかに優先順序をはき違えている。

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2013年3月15日 (金)

有りそうにないものを大切にする過ち~徒然草より

人間、それぞれの嗜好により、大切にするものがある。子供の頃は、流風のようにグリコの景品や切手を収集したり、あるいは山で採掘した水晶を後生大事に持っていた人もいるだろうが、大人になればなればで、それぞれの関心事から、価値があろうとなかろうが、いろんな物を収集したりする。

少し観点は異なるが、兼好法師も、『徒然草』にて、有りそうでないものを尊ぶ人がいることを指摘している。或る人が、小野道風筆による『和漢朗詠集』があると言って、大切にしていたが、よく考えると、小野道風が亡くなった後で編纂された『和漢朗詠集』を道風が筆写することは不可能。ところが、そのことを他者から指摘されても、或る人は、「それだからこそ、珍しいのだ」と言って大事にしたという。

実は、小野道風は、967年に亡くなっている。そして、『和漢朗詠集』は、1018年頃に藤原公任によって編纂されている。だから、小野道風が、『和漢朗詠集』を筆写することはありえない。大体、藤原公任は道風が亡くなる前年に生まれているのだから、全く可能性はない。すなわち、或る人が偽物を掴まされていることは明らか。少し考えれば分ることなのに、関心事には心の隙がある。

誰かが小野道風の筆跡に似せて、『和漢朗詠集』を筆写し、道風のものだと詐欺まがいのことをしたのだろう。昔から、こういうことはよくあったのかもしれない。でも、これは笑いごとではなく、現代人でも形を変えて、結構やっているのかもしれない。よく調べれば分ることなのに、それも調べず、高い金を出して買い求める人たちがいて事件になっている。関心事とは切り離して、物を買い求める時は慎重さが求められる。

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2013年3月14日 (木)

毎年、嫌な花粉症の季節

『枕草子』を読んでいたら、第八十一段に、「もののあわれ知らせ顔なるもの」として、次のようにある。

 はな垂り、間もなうかみつつ、もの言ふ声。

清少納言は、可哀想に見えるものとして、鼻水を垂らして、絶えず鼻をかみながら話す声としているのだ。確かに、鼻水が止まらないのには同情の余地はある。そうして話す声はセクシーだと言う人もいるが、あまり見たくない姿。それにくしゃみが加われば、更に悲惨。

寒い冬が去って、ほっとしたが、次には嫌な花粉症の季節だ。流風は外出先では、あまりくしゃみが出ないが、家でくしゃみが出るので、多分、屋内アレルギーかもしれない。掃除をこまめにしても、寝起きの朝は、この時期だけ、くしゃみに襲われる。掃除の仕方に問題があるのかもしれない。毎年、医師には、相談するが決定的な解決法はない。所詮、薬は一時しのぎだ。春は、それを除けば、過ごしやすい季節なのに、うまいこと行かないなあ。

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2013年3月13日 (水)

最早TPP参加は不要

昔から、米国がくしゃみをすれば、日本は風邪をひく、と言われてきた。それがリーマンショック以降、米国が斜陽の感を強くする中で、日本は、それに影響されて低迷してきた。ところが、昨年から、少し流れが変わってきた。シェールガス革命が、米国の景気に大きく影響していると思うが、雇用が増えている。景気の流れは大きく変化しつつある。

ところが、日本は安倍政権による大幅金融緩和宣言で、円安によりインフレ期待で資本市場は盛り上がっているが、実際は米国の金融緩和政策と景気回復が大きな原因だ。だが、同時に、未だにTTPなど日本にとって、デフレ政策を、米国の輸出拡大政策として押しつけられようとしている。

TPPとかFTAは基本的にデフレ政策だから、国内の雇用は守れない。むしろ失業を拡大させる。米国にとって国益でも、日本は国益に反する。構造改革とはいうが、今までの例で見ると、国は産業構造の転換も、雇用の転換にも成功していない。結局、失業を増やし、非正規雇用を増やしただけだ。

それなのに、マスコミも、どうしたことかTTPを支持する。国内の不景気要因を増やすだけではないか。もちろん、既得権にしがみつく産業は、問題かもしれない。しかしながら、政治は彼らをなだめるために、補助金等の政策を推し進めれば、かえって、その業界の改革を遅らせてしまう可能性が強い。皮肉にも、TTPは、産業改革にとっても、大きな障害にもなる。

財政厳しき折、そのような補助金の予算化は、更に財政を悪化させる。基本的には、日本はTPPに参加する時期ではない。そのことは米国も分っているはず。それを無理に日本側が忖度して、参加しようとするのは、おかしなことだ。米国の市場の変化の把握をすれば、本当に米国が欲しいのは、せいぜいアジアの市場における進出ということになる。

当面は、TPP等は棚上げして、日米で、共同で、アジア市場開発に注力すべきだ。米国は、アジアに直接進出することもやっているが、売る「物」は限られる。となれば、アジアに進出している日本企業に投資を増やし続けるだろう。その方が成果は手っとり早い。あるいは協業して成果を勝ち取るということになる。

結論的には、米国も国内景気の変化により流れが変わり、最早、一部業界を除けば、日本市場に期待していないことは明らかだ。そのことを考えると、日本が財政再建を含めて、国家の立て直しが完了するまでは、TPP等への参加は見送って、全く問題はない。大きく捉えれば、輸出業者にしても、関係国の関税等は微々たる問題だ。

*追記

もちろん、日中韓FTAも、全く必要はない。事務レベルでの協議も早く打ち切るべきだ。

*追記

東京オリンピック開催を目指している2020年には、世界は経済恐慌状態に陥っている可能性が高い。アベノミクスで景気がよくなるのは、せいぜい2年。その後は、国は運営を誤れば、インフレ下の大不況となる可能性もある。それはTPP参加によって、より悲惨になるだろう。先々のことを見ない安倍政権には不安を感じる。そもそも自民党は、TPPに反対して政権を奪取したのに、TPPに参加すれば、それは裏切りだ。

*平成25年3月14日追記

残念ながら、自民党はTPPにおいて、聖域を守ることを放棄したようだ。守ると見せかけて、守れないということだろう。農業問題では、作物そのものより、環境が破壊されていく可能性が高い。その結果、水資源も危うくなる。その他の面でも、日本社会を混乱させうる。自民党をはじめ、TPPを支持する野党も、危機感が不足している。

また交渉参加して、不都合なら脱退が可能というが、現実は不可能だろう。小泉政権といい、安倍政権といい、大衆受けする政権は、結局、将来国民を苦しめたし、苦しめる。もちろん、戦後、ずっと続く米国の属国化は逃れられないのかもしれないと思うと、暗い気持ちになる。

*平成25年6月2日追記

オバマ政権は、中国に対して、TPP参加を呼び掛けているようだ。米国政府は、一体、TPPで何をやりたいのか、ますます分からなくなってきた。基本的に、「世界を一つに」という思想が底辺にあるのだろうが、時代遅れの危うい考え方だ。

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2013年3月12日 (火)

やっぱり薬用入浴剤

今年の冬は、大きな風邪もひかず、インフルエンザにも罹らず、無事過ごせた。冬の苦手な流風にとっては有難いことだ。十分な睡眠と食事、そして水分の補給。これらが効いたのだろう。ただ、若干の皮膚のトラブルには悩まされた。皮膚科の診察を受けて、膏薬をもらうが、一時的にしか回復しない。

どうしたものか考えたところ、5,6年前のことを思い出して、過去のブログを調べていたら、2007年7月27日付で、「薬用入浴剤の効用」として記していました。そういことで、久しぶりに、その時の薬用入浴剤を思いだし、薬局に行ってみた。

この薬用入浴剤は、大阪の某漢方薬会社が作っているものだが、大手ではないので、あまり有名ではない。今回も、薬局に置いてあるか心配だったが、棚の奥にひっそりと置いてありました。試してみると、たちまち改善。更に目的外だが、加齢による足の痒みも治ってしまった。薬用入浴剤、恐るべし。よかった。

色々助けてくれた、この入浴剤。他の入浴剤では効かないのだから、今後は、入浴剤の浮気は止めるとしよう(笑)。

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2013年3月11日 (月)

東日本大震災の2年

東日本大震災が起こって2年経つ。例によって、この日ばかりは、マスコミの報道は騒がしいが、NHKを除けば、その間の報道は、薄れつつある感があった。それは阪神・淡路大震災の時も同様だった。次から次へと新しいニュースが入れば、マスコミは、それに対応しなければならないから仕方のない面もある。

けれども、この時期の報道内容のワンパターンは頂けない。復興が全く遅れてできていないとか、国の政策が空回りしているとか、否定的な報道が多い。しかしながら、復興の進捗状況は、がれき処理を除けば、一応順調と思う。もちろん、被災者にすれば、もっと早く何とかならないのかという思いはあると思う。

今からよく考えると、阪神淡路大震災の時も、似たようなテンポであったよう思う。誰でも、第三者からの支援は遅く感じるものだ。それに多くの同意が必要な事業は時間がかかる。それを無視して強引に進めれば、しこりを残す。この辺の塩梅は難しい。全体的に見て、復興は、データ的には、少なくとも前に進んでいると思う。

もちろん、個人の思いは様々で現在置かれた状況は複雑だ。その目配りは、被災地行政の力にかかっている。だが、流風が見る限り、首長も含めて、その必死さは伝わってこない。ここら辺に住民の不満があるのではないか。東日本の行政機構はお上意識が強く、住民が大人しすぎるのかもしれない。住民は、行政への諦めがあるように見える。

もちろん、神戸でも、復興を感じるには10年程度かかった。都市型大震災ではない東日本大震災の復興も、福島を除けば、時間の経過と共に、確実に進展するだろう。そうすれば、いずれ人は戻ってくる。あまり悲観的にならないことだ。

ただ、福島原発事故の被災地の復興は簡単ではない。国は、住民の方たちに、いつか戻れるというような変に期待感を持たせるより、彼らに過去の経験を活かせる別天地を提供し支援することを考えた方がいい。そのことについて、全国民に協力を求めるべきだろう。地域によっては人が足りないところもあるのだから、お互いに助け合ったらいい。そして、原発被災地は、国が買い取ることを早く決めて欲しいものだ。

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2013年3月 9日 (土)

春山と秋山のどちらがいいか

春になると、緑も青々として、花も咲き、いろんな鳥もやってくる。天智天皇から鎌足に、春山と秋山(春山の万花の艶と秋山の千葉の彩)と、どちらがいいかと論争させた。その時、額田王は、次の歌で、秋山がいいとしている(『万葉集』巻第一)。

  冬こもり 春さり来れば 

  鳴かずありし 鳥も来鳴きぬ 

  咲かずありし 花も咲けども

  山を茂み 入りても取らず

  草深み 取りても見ず

  秋山の 木の葉を見ては

  黄葉をば 取りてぞ偲ふ

  青きをば 置きてぞ嘆く

  そこし恨めし 秋山我れは

解釈は不要だろう。でも、敢えて蛇足的に(笑)。「冬が去って春がやってくると、今まで、あまり鳴かなかった鳥がやって来て鳴くようになる。花も、同様に、咲かなかったものが咲く。ところが、春山は、木の枝が広がり繁茂するので、分け入ることもできない。草が深いので、それを手折ることもできない。

それに比べて、秋山は、木の葉を見るには、もみじ葉を手にとって愛でることもできる。ところが、春山の青い葉となると、そのままにして、遠くから嘆くしかないのが残念です。私は、やはり秋山がいいと思う」ぐらい。

一応、これは表面的な解釈。裏には、額田王が、天智天皇が、昔と違って、遠い人になってしまったのを嘆いていると思われる。「偲ふ」には、「離れている人のことを思い慕う」と言う意味があるが、今は天智天皇の周りには、賑やかにいろんな人がいて、容易に近づくこともできない。

昔は、そんなこともなく、天皇になられる前は、いつも手が届くところにいらっしゃったのに、今は、身近に触れることもできない。昔のことが羨ましい。極めて女性的な感想。女性は、今も昔も変わらない。

 

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2013年3月 8日 (金)

姫路城内堀に和船仮復活

姫路城堀に和船を期間を限定して、運行するということなので、見てきた。実際は、「姫路城文化観光学習船」といい、文科省の支援になるもののようだ。見ると割と大きい船だ。船大工の方がいらっしゃったので、いろいろ聞いてみると、大学の先生が設計されたとか。

製作には、御苦労があったようだ。江戸時代の高瀬舟のようなものを望まれたが、最初に設計されたものは、明治時代の仕様で、変更を余儀なくされた。文科省から金が出ているため、余計に支援に合致したものにする必要があったようだ。結果的に、細かい所にも、凝っていて、確かに、出来上がりは、素人が見ても、なかなかのものだ。

12人乗りで、当日は、船頭と、案内するボランティアを含めて14名になるらしい。ただ14名も乗船すると、なかなか動かないだろうな、ということでした。運行に要する時間は、一応「所要時間30分」と設定しているが、満席になると、スピードが落ちるので、そのように行かないかもしれないと指摘されていた。

運行予定は、平成25年3月16日から4月14日までの午前9時半から午後5時までと、4月20日から5月26日までの午前9時半から午後4時まで。いずれも土曜日・日曜日・祝休日のみとなっている。ボランティアも乗り込み、船から見える姫路城等を解説してくれるそうだ。

乗り場は、姫路城内堀乗り場で、好古園の方向に歩いて行くとすぐ分る場所。乗船料は一般1000円、小学生500円。当日券のみ。午前9時より販売。船から見ると、どのような景色になるのか見てみたいから、乗船してみたいとは思うが、土日祝日限定となると、希望者は多いだろうな。

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2013年3月 7日 (木)

春を感じて、朝の音楽を変える~ビートルズ

朝晩は、まだ寒いものの、昼間は暖かくなってきた。近所の梅は、満開である。紅白の花が美しい。枝を切り取ってプレゼントしている人もいる。自宅の水仙も、ようやく咲いて、さわやかな匂いを漂わせている。またクロッカスも賑やかに咲いている。

そういうと、やってくる鳥たちも、種類はよく分からないけれど、春の鳥になった模様。やっと春が来た感じだ。そういうことで、寝起きの音楽を変えてみた。基本はクラッシックが多いのだが、今回はなぜかビートルズにした。ビートルズと言っても、初期、中期、後期と分れるそうだが、聞くのは、多分、中期、後期のものだろう。

ビートルズというと、確か中学生の頃、同級の女子が、きーきゃーと大騒ぎしていた。聞いたところによると、コンサートにも行って追っかけをしたとか。当時、流風は、こんなうるさい曲のどこがいいのかと思っていたが、今になって思うと、彼女らの先見性は当っていたのかもしれない。

ただ、何回も聞かされると、脳は馴らされる。刷り込まれるというべきか。そういう意味では、英国の国を挙げての支援は、成功したと言えるだろう。ただ、今、刷り込まれた脳で聞くと、懐かしさが込み上げてくる。

『イエスタデイ』、『キャント・バイ・ミーラヴ』、『ラヴ・ミー・ドゥ』、『愛こそはすべて』、『ミッシェル』、『ハロー・グッバイ』、『ヘルプ』、『涙の乗車券』等々。次々とメロディーが浮かぶ。今また、朝に、その音楽を自ら更に刷り込んでいる。でも、やっぱり、いい曲が多いなあ。一生の音楽になるのだろう。

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2013年3月 6日 (水)

笑いの基準とテレビ業界

お笑いの基準は、どこにあるのだろうか。若手の漫才師が演じても、笑いのポイントが、どうもわからない。あるいは芸人がたくさんでる芸人たちの井戸端会議のような番組が、増えているが、お互い笑い合っているが、どこか変。

若い観客には受けているのかもしれないが、内容がない。台本や脚本を書いているのは別の人がいるのだろうが、そのレベルが落ちているのかもしれない。確かに、年齢層により、笑いの基準は異なるのかもしれない。

それは過去の経験差が生み出すのだろう。ということは、あまり若手の芸人ばかりでは、番組は成り立たないのに、若い芸人が出演料が安いため、重宝された結果なのだろう。お笑い業界を含めて、業界は顧客満足を忘れているのだろう。

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2013年3月 5日 (火)

フライパン一つで

具体的に料理を習ったことはないが、自己流だが、毎日、いろいろ作っている。少なくとも現役時代よりはメニューは確実に増えている。それでも、あまり複雑な料理はパスして、簡単にできるものばかりだ。材料から作るものもあるが、半製品を買って来て、いろんな野菜と組み合わせることも多い。

その時、重宝しているのが昨年末に買った、お椀型の蓋が付いていたフライパンだ。炒めもの、蒸しもの、煮物も全て、これ一つで可能だ。また、冷蔵していた、いろんな料理を温めると美味しく感じる。電子レンジは、あるにはあるが、最近は、ほとんど使っていなくてお蔵入りした(笑)。使い方が悪いのか、電子レンジでは、火が通らない感じがして、うまみも増さないと思う。

それに、このフライパンは、あまり油を必要としないので、健康的。素材も、こびりつかないから、後の掃除も楽だ。先日、テレビ通販でも、同様な物が販売されていたが、最近は、こういう物が多いのかもしれない。いずれにせよ、この冬は、このフライパンのお陰で、いろんな料理が美味しくできている。

また、かつてホットケーキを作っても、出来不出来が作る日によってバラツキがあったが、このフライパンだと安定して、いつもふっくらとできる。よく母は、料理は道具だと言って、一向に上手にならなかったけれど、今考えると、必ずしも母の言っていたことも間違っていなかったようだ。母は少し研究が足りなかっただけかも。

この調子がいつまで続くかは分らないけれど、当面、このフライパンの世話になって、流風の食生活は、幾分ましな状態が続くかもしれない。

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2013年3月 4日 (月)

『老子』第九章 身を引くタイミング

今回は、『老子』第9章を取り上げてみたい。人は、その役割を果たして、身を引く時が誰でもやってくる。だが、往々にして、引退時期を誤る。年金支給延長に伴う、定年65歳延長という国の馬鹿げた政策も、使いにくい先輩たちは、若い世代に、やる気を失わせる。あるいは現在の地位に執着して、次の世代に引き渡さないことによる弊害は大きい。定年延長者は、どのように処すべきか。

それでは、老子は、どのように語っているか以下に記そう。

  持して之を盈(みた)すは、

  其の已むに如かず、

  揣(おさ)めて之を梲(するど)くるは、

  長く保つべからず。

  金玉堂に満つれば、

  之を能く守ること莫(な)し。

    富貴にして驕れば、

  自ら其の咎を遺す。

  功遂げ身退くは、

  天の道なり。

解釈は、いろんな人たちによって、様々になされている。それらを参考に流風なりに解釈すれば次のようになるだろうか。

「器に水を満たして運ぼうとすれば、それは止めておけばよかったと後悔するだろう。刀は鋭くすれば、よく切れるかもしれないが、すぐに刃が毀れてしまうので長持ちしない。金銀財宝か蔵に満ちても、それを守る術はない。権力を握り富貴にして驕れば、やがて、いつかは追い落とされる時期が来る。功名を成し遂げたなら、それをタイミングに身を引くべきなのだ」と。

これを踏まえてか、『菜根譚』でも、似たようなことを記している。

  事を謝するは、まさに正盛の時に謝すべし。

  身を居くは、よろしく独後の地に居くべし。

解釈は、「身を引く時は、まさに全盛の時がちょうどいい。新たに身を置く所は、誰も行きたがらない所がよろしい」と。

これらを考慮すると、定年延長者は、仕事をするとすれば、現役世代の邪魔をせず、現役世代では手の出せない、遠い将来を見越したところにスポットを当てるべきだろう。それが現代の日本の定年延長者の身の引き方であろう。

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2013年3月 3日 (日)

「マイナンバー」法案、動き出す

民主党政権時代から検討されてきた「共通番号制度(別名マイナンバー)」法案が、自民党安倍政権で閣議決定され、国会に提出された。法案が通れば、住民票を基に決められた番号が、2015年中に個人に書面で通知され、書面と引き換えに番号情報を入れた顔写真付きICカードが受け取れる。

このことにより、国も行政、個人は、効率的に事務処理できるとしている。各種行政手続きが楽になったり、消費税増税に伴う低所得者緩和策の給付付き税額控除も可能になる。適切な税や社会保険料の徴収も可能になる。当面は、納税や年金の給付申請の行政手続きに利用されるが、法が施行されて後、3年後を目途に利用範囲の拡大が検討される。

懸念事項としては、個人情報が丸裸にされることであろう。しかしながら、既に日本人の大半がサラリーマンであり、所得や社会保険の状態は国に把握されており、実際は、多くの個人情報は国に管理されている。分りにくいのは、それ以外の人々であると考えれば、それらが統合される感じだ。公平性の観点からも、国の情報管理・危機管理上も必要であろう。

ただ、行政に各種個人情報が、一律に管理されることで、情報が漏れやすくなることはあるかもしれない。番号を扱う行政機関を監視・監督する「特定個人情報保護委員会」を設置するようだ。ただ、これで情報管理が徹底するかと言えば疑問は残る。公務員に対しては情報を漏らした場合は、組織犯罪と理解し、連座制も含めて厳しい懲罰規定が必要だろう。

*2015年5月13日追記

マイナンバー法案は、既に実施レベルで動いている。課題となることは、行政から個人情報が漏れること以外に、民間から情報が漏れることが懸念されている。また、成済ましによる犯行の可能性もある。まだ体制の甘さが見られる。当面、安易に申請することは、避けた方がいいかもしれない。

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2013年3月 2日 (土)

治そうという意思

セネカは、次のように言ったらしい。

  To wish to be well is a part of becoming well.

寿命は自分自身で健康管理することで、ある程度コントロールできるだろう。そして病気になった時、患者自ら治そうという意思が強ければ、病気も跳ね返してしまう。逆に、どんな名医でも、患者が自ら励まして治そうという気持ちが弱ければ、治るものも治らないという。寿命も、自分自身の気持ち次第で左右される。

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2013年3月 1日 (金)

喚子鳥(よぶこどり)とは何か

今年も、もう今日から3月。早いなあ。そして、昨日から大気の流れが変わったのか、多くの鳥があまりやって来なくなった。彼らは季節を感じ取るのが早いから、季節の変わり目かもしれない。そういうと、鳥は、人々に春を告げてきた。春告鳥は、鶯のことだけれど、それはまだ鳴きそうにない。この辺では、毎年、6月ぐらいになって、やっと山から下りてきて鳴き出す。

さて、『万葉集』や『古今和歌集』にも取り上げられ、吉田兼好も『徒然草』で記している春を呼ぶという喚子鳥(よぶこどり)とは、どんな鳥なのだろうか。色々調べると、はっきりしたことは分らないようで、ヒヨドリ、カッコウ、ウグイス、ホトトギス、ツツドリの可能性があるという。

そして、この鳥は、古今伝授の三鳥と言われるらしい。三鳥とは、稲負鳥(いなおほせどり)、百千鳥(ももちどり)、そして喚子鳥。ちなみに兼好は、喚子鳥について、『徒然草』第二百十段に記しているが、それを挙げると次のようになっている。

「喚子鳥は、春の物なり」とばかり言ひて、いかなる鳥とも定かに記せる物無し。ある真言書の中に、喚子鳥鳴く時、招魂の法をば行ふ次第、有り。これは鵺(ぬえ)なり。『万葉集』の長歌に、「霞立つ 永き春日の」など、続けたり。鵺鳥も、喚子鳥の事様に通ひて聞こゆ。

彼によると、喚子鳥は春の鳥と伝えられているが何かは不明としている。そして鵺の可能性に言及している。では、鵺鳥とは何か。一般に鵺は、想像上の怪鳥とされるが、実際は、トラツグミのことらしい。トラツグミは、図鑑を見ると、ムクドリより大きく、腹の部分が虎斑模様になっているから、ついた名前。かつて見たような記憶はあるが、はっきりとは言えない。

この鳥は、「ヒィー、ヒィー」とか、「ヒュー、ヒュー」と鳴くらしい。これも記憶がある。多分、この鳥には接しているのだろう。この鳴き声が夜鳴くと不気味なので、鵺と名付けられたようだ。鳥にすれば迷惑なこと。果たして、喚子鳥はトラヅグミなのだろうか。もうすぐ、トラツグミに出会えるのだろうか。

*注

「霞立つ 永き春日の」は『万葉集』巻第一の五番にある長歌。「讃岐の国の安益の郡に幸す時に、軍王が山を見て作る歌」とある。

長歌

  霞立つ 長き春日の 暮れにける

  わずきも知らず むらきもの 

  心を痛み ぬえこ鳥 うら泣き居れば

  玉たすき 懸けのよろしく 遠つ神

  我が大君の 行幸の 山越す風の

  ひとり居る 我が衣手に 朝夕に

  返らひぬれば ますらをと 

  思へる我れも 草枕 旅にしあれば

  思ひ遣る たづきを知らに

  網の浦の 海人娘子らが

  焼く塩の 思ひぞ焼くる 我が下心

反歌

  山越しの 風を時じみ 寝る夜おちず

   家にある妹を 懸けて偲ひつ

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