« 「日本中がマチオモイの春 ! わたしのマチオモイ帖」を観覧 | トップページ | ユキヤナギと漢詩~郭震の「子夜春歌」 »

2013年3月19日 (火)

人は人の為に在る~『寒山拾得』より

『寒山拾得』は、解釈がなかなか難解で、先人も、そのことに苦労している。今回は、中でも、特に最も解釈が難しいと云われる所に敢えて挑戦。無謀かな(笑)。よって、正しい解釈かどうかは自信ありません。流風による曲解になるかもしれませんので、悪しからず。それでは、その一文をまず記しておこう。

 人の為に常に喫用せられ  

 愛意須らく慳惜すべし

 老い去りて自由ならず

 漸く他に排斥せらる

 送られて荒山の頭に向かい

 一生虚擲(きょてき)を願う

 羊を亡いて牢を補う罷む

 失意終に極まること無し

無理やり独断で、解釈をすれば、次のようになるだろうか。

「人はいつも人の為に使われても、嫌がらずに、その意向を受けて一所懸命勤めるべきだ。老いてしまうと、人の意向に沿うこともできず、ままならない。そのため、段々、多くの人たちから、あてにされなくなってしまう。

人からあてにされなくなると、心は姥捨山に打ち捨てられたような気持ちになる。これは羊がいなくなって、やっと羊の囲いの辛い修理を止めるのと似ている。自分の役割が無くなったと思うことは、深い喪失感に襲われること、この上ない」ぐらいかな。

果たして、流風の解釈は、作者の意図を反映しているだろうか。皆さまは、どのように解釈されるだろうか。知りたいものだ。

|

« 「日本中がマチオモイの春 ! わたしのマチオモイ帖」を観覧 | トップページ | ユキヤナギと漢詩~郭震の「子夜春歌」 »

古典文学・演芸」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 「日本中がマチオモイの春 ! わたしのマチオモイ帖」を観覧 | トップページ | ユキヤナギと漢詩~郭震の「子夜春歌」 »