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2013年3月 9日 (土)

春山と秋山のどちらがいいか

春になると、緑も青々として、花も咲き、いろんな鳥もやってくる。天智天皇から鎌足に、春山と秋山(春山の万花の艶と秋山の千葉の彩)と、どちらがいいかと論争させた。その時、額田王は、次の歌で、秋山がいいとしている(『万葉集』巻第一)。

  冬こもり 春さり来れば 

  鳴かずありし 鳥も来鳴きぬ 

  咲かずありし 花も咲けども

  山を茂み 入りても取らず

  草深み 取りても見ず

  秋山の 木の葉を見ては

  黄葉をば 取りてぞ偲ふ

  青きをば 置きてぞ嘆く

  そこし恨めし 秋山我れは

解釈は不要だろう。でも、敢えて蛇足的に(笑)。「冬が去って春がやってくると、今まで、あまり鳴かなかった鳥がやって来て鳴くようになる。花も、同様に、咲かなかったものが咲く。ところが、春山は、木の枝が広がり繁茂するので、分け入ることもできない。草が深いので、それを手折ることもできない。それに比べて、秋山は、木の葉を見るには、もみじ葉を手にとって愛でることもできる。ところが、春山の青い葉となると、そのままにして、遠くから嘆くしかないのが残念です。私は、やはり秋山がいいと思う」ぐらい。

一応、これは表面的な解釈。裏には、額田王が、天智天皇が、昔と違って、遠い人になってしまったのを嘆いていると思われる。「偲ふ」には、「離れている人のことを思い慕う」と言う意味があるが、今は天智天皇の周りには、賑やかにいろんな人がいて、容易に近づくこともできない。昔は、そんなこともなく、天皇になられる前は、いつも手が届くところにいらっしゃったのに、今は、身近に触れることもできない。昔のことが羨ましい。極めて女性的な感想。女性は、今も昔も変わらない。

 

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