李白の詩『答山中人』を読む
源平桃やハンナイドウの花も、少しずつ、はらはらと散りつつある。このまま散ってしまうのかと思うと、寒さがぶり返し、散り状態が停止しているような日々が続いている。花たちも、気ままな季節の変化に戸惑っているのだろう。
さて、李白の詩に『答山中人』というものがある。昔から、文人に親しまれてきた漢詩だ。それを今回、取り上げてみよう。多分、李白が左遷されていたことろの詩と思われる。読み下しは「山中の人に答う」となる。
余に問う 何の意ぞ 碧山に棲むと
笑いて答えず 心自ずから閑なり
桃花流水杳然として去る
別に天地の人間(ジンカン)に非ざる有り
いろんな解釈があるようだが、流風の解釈を示してみる。
「私に皮肉を込めて問う人がいる。なぜ、そんな山奥に隠棲しているのですかと。私は、その皮肉には答えず、苦笑いするばかりだ。でも、心の方は、整理されて、むしろ、何の迷いもなく、心静かだ。それは陶淵明が言ったように、桃の花が水に流れていって見えなくなるような自然な気持ちだ。世間と離れたところには、別天地(桃源郷)があり、そこは汚れた俗世間とは違うものなんだ」と。
李白が、どのような人柄であったかは勉強不足の為、十分には知らないが、何事もオープンな性格であったかもしれない。その言動が禍して、時には、苦境に立たされることもあったであろう。他者が、李白の、その行いから、左遷されたのだと皮肉を言われたことから、それに微かな抵抗を表したのが、この詩かもしれない。
*追記
李白に限らず、人生の浮き沈みは誰でもある。そして、過去は過去として、新しい環境から何かを得ることが求められるということだろう。
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