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2013年4月19日 (金)

姫路時代の池田光政について

今回は、姫路では、あまり話題にされない池田光政について備忘録的に記しておこう。池田光政は、姫路藩の第3代藩主になった人である。父である二代目藩主・池田利隆は、岡山城代を兼ねていたので、光政(当時は幸隆)は、慶長14年(1609年)、岡山城で生まれていて、祖父の池田輝政が亡くなった後、慶長18年(1613年)父と共に姫路城に入っている。彼は、子供時代から、眼光鋭く、家康と謁見した時、只者ではないと感心したという。

そして、元和2年(1616年)に、父・利隆が亡くなったため、幕府の許可を得て姫路42万石の跡を継いでいる。ところが、1年もしないうちに、因幡鳥取藩に移封されている。石高は、32万5千石に減らされ、彼の苦労が始まっている。

彼は、後、備前岡山藩主になり、名君と呼ばれるようになるのだが、残念ながら、姫路との関わりは薄い。姫路城城主になったのは、幼少期の1年足らずでは、地元の印象も薄いのは仕方ない。ただ、彼を取り巻くエピソードもないではない。それはいずれ機会を見て取り上げる。

*追記

現代の視点からすると、播州姫路・岡山東南部・鳥取東をつなぐ経済圏の発想は求められる。実際、行政は、少しずつ、そのように動いているようである。県を超えた新しい経済圏が将来、形成されるかもしれない。

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