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2013年4月26日 (金)

漢詩『西宮春怨』を考える

有名な漢詩に『西宮春怨』というものがある。詩吟でも詠われるようだ。作者は王昌齢だ。題材は、かつて帝の寵愛を受けた女性のことを詠ったもの。具体的には、以前に記事として取り上げたが、班婕妤は、前漢の成帝の愛人であったが、やがて趙飛燕姉妹に奪われる。その寂しさを表現したものが、この詩。ちなみに西宮とは大極殿の一番奥まった一角を指す。

  西宮夜静かにして百花香し

  珠簾を捲かん欲して春恨長し

  斜めに雲和を抱きて深く月を見れば

  朧朧たる樹色昭陽を隠す

解釈は、次のようになるだろうか。なお雲和は、「うんか」と読み、琴のことらしい。これについては、他の解釈に倣った。「私のいる、誰もやって来ない西宮は、静かで、ひっそりとしており、ただ花の香りだけが漂っている。花の匂いに誘われて、簾を巻き上げようとすると、昔のことが偲ばれて、春の感傷に浸ってしまう。斜めに琴を抱いて、遠く月を見上げると、かつて帝から寵愛を受けた、木々の間から見える昭陽宮は、涙が溢れて、ぼやけて、はっきり見ることもできない」ぐらいか。

まあ、失ったものほど大きいということかな。寵愛されている時がピークとは誰も思わない。ただ、禍福は糾える縄のごとし、とは、男女を問わず、誰にも言えること。つまり福は禍であり、禍は福に通ずる。広く考えれば、班婕妤も必ずしも不幸とは言えないということになる。

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