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2013年4月 3日 (水)

謡曲『半蔀(はしとみ)』に思う

今回は、昨夜、三ツ山大祭「御神能」で演じられた謡曲『半蔀(はしとみ)』について、残念ながら、能は鑑賞できなかったが、その内容について確認しておこうと思う。

夕顔は、夕闇に咲き、朝には萎んでしまう白い花だそうだが、未だ育てたことはないので、見たことはない。その実は、かんぴょうの材料になるそうだ。『源氏物語』では、光源氏と結ばれる薄幸の女性として、描かれている。頭中将の側室だが、訳あって、市井に住んでいた。光源氏とは、お互い身分を明かさず、恋に陥る。ある日、逢瀬をしていたところ、六条御息所と思われる霊に呪い殺される。

題の蔀((はしとみ)とは、上半分を押し上げられる蔀戸のこと。今でも、窓が、そのような構造の物があるが、半蔀を見ることは、なかなかない。古典を鑑賞するには、この辺の知識がないと、分らない。

内容は、雲林院の僧が、夏安居の修行を全うする頃、仏前に供えていた花供養をしていると、一人の女が、一本の白い花を供える。それは一際美しい花だったので、思わず、花の名を尋ねると、女は、夕顔の花だと告げる。

更に女の名を尋ねると、名乗らなくても、いつか分かるとして、かつて五条の辺りに住んでいた亡き者と答える。そして、花の陰から来た者だとして、花の中に消え去る。不思議に思った僧は、所の者に、光源氏と夕顔の悲恋の話を聞く。

それで、僧が先ほど出遭った女は、夕顔の亡霊だと思われるので、弔いをしてやってくれと勧められる。そこで、五条の辺りにやってくると、半蔀にいっぱい夕顔が咲いている家があった。中から女の声が聞こえてきたので、菩提を弔うので、姿を現してくれと言うと、半蔀が上げられて、夕顔が現れる。

夕顔は、源氏との慣れ染めを話し、舞を舞うが、夜の明けきらないうちに、また半蔀の中に消えていく。その時、僧は、夢から目覚める、というもの。

僧は、半蔀にいっぱい夕顔が咲いているので、目的の女性を見つけるのだが、侘びしさを示している。最近はグリーンカーテンと称して、ゴーヤーを遮光ということで、利用している人も多い。だが、少し貧乏くさい(笑)。それをツタや朝顔に替えても、その印象は変わらない。でも、庶民的だと言える。

夕顔は、本来、上流の生活をできたはず。でも、それを避けて市井に生活した。紫式部が、夕顔を、可憐で朗らかな性格として描いている。宮中は息苦しくて、それを逃れようとして、自分らしく生きようとしたが、結局、源氏との恋に陥り、ままならなかった。

これは何を意味しているのだろうか。夕顔に仮託して、運命からは逃れられないと言いたかったのだろうか。あるいは、人の一生は、どのように生きても、夕顔の様に儚い夢だと言いたかったのだろうか。

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