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2013年4月19日 (金)

大播磨圏構想

大播磨圏構想は、行政によって推進されているようだが、住民には、まだ実感は薄い。今回は、このことに触れてみたい。まず、その歴史的背景を見てみる。

古代において、『播磨国風土記』に見られるように、播磨は、出雲との流れで、現在の鳥取、岡山東南部との結びつきがあった。そして、当時から、この辺一帯は、豊かな土地柄であったと推定される。

次に、赤松氏の時代には、円心、則祐、義則の三代が最盛期で、則祐、義則は足利幕府の要職に就いている。播磨、美作、備前、摂津(現在の阪神地区から播磨地方、岡山県の東南部地域)という、いわば大播磨圏を領有する。

その流れは、徳川時代になっても続き、池田輝政の嫡子・利隆は、姫路城主になり、弟の忠継は岡山城主になっている。利隆の嫡男・光政は、姫路城主、鳥取城主を経て、最終的には岡山城主になっている。輝政の弟・長吉は、鳥取城主になっている。

輝政の三男・忠雄は、洲本城主を経て、岡山城主になり、彼の嫡男・光仲は、岡山城主を経て、鳥取城主になっている。これらを合わせれば、洲本藩を含めて90万石以上になり、いかに徳川家が、国を治める要所として、姫路藩・岡山藩・鳥取(因幡)藩のトライアングルをいかに大切にしたかが分る。

さて、現代は、どのようか捉えると、残念ながら、行政は、これらの地域連携を模索しているようだが、鉄道関係は、まだ十分機能していない。鳥取との道路は整備され、便利になったが、鉄道網はまだ不便なままだ。近畿エリアの兵庫県播磨圏と、中国地方の岡山県・鳥取県の連携は、JRの理解がないと難しいのかもしれない。新幹線を使っていては限界がある。例えば、新快速が岡山まで延伸すれば、もっと行き来が増えると思うのだが。

これらの地域は食文化が似ている。姫路B級グランプリが催しされた時も、多くの岡山の食が上位入賞したこともある。地域が、もっと交流できるような仕組みが望まれる。それには、まず今後の沿線開発を推進するにしても、まず鉄道網・道路網の再整備が求められる。

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