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2013年5月31日 (金)

他人の飯を食うということ

子供時代、親元に居ると、どうしても甘えが出る。そこで、昔の人は、子どもを家から出して、他家で修業させた。これを他人の飯を食え、とよく言ったものだ。

特に商家では、そのようであった。現在でも、そのようにやっているところはある。いきなり家を継がすのではなく、家から出して、他企業で他人様に揉まれて、世の中のことを知り、使われる側の気持ちを知ることは大切だ。

また、家業は継がないと出て行った子どもが、世の中のことを知り、改めて家業の大切さを知り、継ぐことを決心する例も多い。

このことは、別に家業を相続しなくても、一般のサラリーマン子弟にも言えることだ。一度、家を放り出される経験をすると、子どもは、強くなる。子どもには旅をさせよ、ということだが、現在、一般のサラリーマン子弟には親が甘すぎるのではないだろうか。今一度、他人の飯を食うということの大切さを考えてみてはどうか。

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2013年5月30日 (木)

子どもは大人の父~ワーズワースを思う

人生一回り60年と言うけれど、流風も、やっと一回りした勘定だ。また世の中は、60年で一回りするという。だから60年前と今は、似ているのだろうか。ただ、今年生まれた赤ん坊と流風の世代は似たような考え方をしたり、人生を歩むかもしれないし、嗜好も似たようなものになるかもしれない。

そういうことを思ったからというわけではないが、今回は有名なイギリスのロマン派詩人、ウィリアム・ワーズワースの詩を取り上げてみたい。ただ、英語読解力は乏しいので、解釈は、想像の域を出ないことをお断りしておく。

題は、“MY HEART LEAPS UP WHEN I BEHOLD”という超有名な詩。

My heart leaps up when I behold

A rainbow in the sky:

So was it when my life began:

So is it now I am a man

So be it when I shall grow old,

Or let me die !

The Child is father of the Man:

And I could wish my days to be

Bound each to each by natural piety.

1802年3月26日に作られた短い詩だけれど、彼の強い思いを感じる。1770年4月7日に生まれたワーズワースは、幼くして母を亡くし、そして少年期に父も亡くした。5人兄弟だから、天涯孤独ではなかったはずだが、母が亡くなってから、外に出されているから、彼の心の成長に微妙な影を落としているかもしれない。

ただ、彼を優しく見守った婦人たちがいたようで、そこに救いがある。そして、この詩の根底には、子ども時代の言いしれぬ孤独と戦いながら、自然を友達に過ごしたことによる、自然への感謝と賛歌があるように思う。

日本では、“The Child is father of the Man”の句が特に有名で取り上げられることが多く、直訳すれば、「子どもは大人の父」となるが、これは、本来、子ども時代の思いは、大人になっても変わることはないと言っているように思う。日本では、「三つ子の魂、百まで」という言葉があるが、それと少し似ている。

ワーズワースと比べれば、幼年期も少年期も両親健在で過ごせたことは感謝しなければと思う。でも、子どもの頃に、親を亡くしても、周囲が見守ってやれば、子どもは、それなりに立派に成長するという証かもしれない。ちなみにワーズワースは、ロマン派詩人としては、長生きで、80歳まで生きている。1850年3月12日に亡くなっている。

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2013年5月28日 (火)

今後の株価動向を読む 2013

ここ数日、株価が大幅に下落して、マスコミが、また騒いでいる。株は上がれば、下がることもある。当然のことだ。売り買いの思惑の中で、相場が形成されるのだから、当たり前と言えば当たり前。上がり続けること自体、あり得ない。

もし、急激に相場全体が上がり続けることがあれば、それはバブルと判断してよいだろう。本来、猫も杓子も相場に手を出そうとすれば、「売り」の判断が正しい(また、逆のことも言える)。株式相場で利益を取るということは、そういうことだ。

昨年末、民主党政権から、自公連立政権になってから、株価か上がり始め、急速に回復したことは確かだ。その理由は、以前にも記したし、各所で、いろんな人が解説しておられるので、ここでは述べない。

日本経済新聞は、かねてから日経平均が2万円になると伝えている。この根拠が何なのか分らないが、それは当局の意向なのかもしれない。もちろん、その可能性は来年にかけて、ないではない。

ただ、上げスピードが速すぎた。中には、期待値が大きすぎて上げている銘柄もある。先週、それらが調整された。今後も、調整は続き、各企業の将来性と業績査定が厳しくなるだろう。よって、秋頃までは、相場全体として値固め相場となると予測される。

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2013年5月27日 (月)

黒田長政の『掟書』を読むⅠ その七

今まで紹介してきた黒田長政の『掟書』の一文では、次のように終えている。

誠の威といふは、先(まず)其身の行儀正しく、理非賞罰明らかなれば、あながち人に高ぶり、おびやかす事なけれども、臣下万民うやまひ恐れて、上をあなどりかろしむる者なくして、をのづから威光備る者なり。

要するにトップの威光は、偉ぶったり臣下を脅かすことではなく、トップが、その身を正し、臣下が納得するような賞罰の与え方を徹底しておれば、自然と生まれるとしている。

*追記

『掟書』は、またまだ続くのであるが、ここでいったん終了し、次回からは、少し間をおいて、『掟書』を読むⅡとして、再開する予定です。

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2013年5月26日 (日)

黒田長政の『掟書』を読むⅠ その六

今回の長政の『掟書』は、トップリーダーの姿勢、態度のあり方を示している。それは次のようだ。

主将たる人は、威と云者なくては、万民の押へと成りがたし。悪敷心得て、わざと威をこしらへ付かんとすれば、かへつて大成る害に成る者なり。

諸人におぢらるるやうに、身を持ちなすを威と心得、家老に逢ても威高ぶり、事もなきに詞をあらくし、人の諫を聞入れず、我等あやまちもかさ押にいひまぎり、ほしひままに我が意を立る時は、家老も諫をいはず、をのずから身を引くやうに成行べし。

彼は何を言おうとしたのだろうか。威厳と威圧は異なるということだろうか。基本的に、トップは、一つの役割に過ぎないと言うことだろう。トップには、それなりの威厳は必要だが、トップだからと言って、偉そうにしていて、威圧的であれば、臣下は保身的となり誰も諫言してくれなくなってしまう。そうなれば、藩政は危うくなる。

この後も、文は続くが、ここでは省略する。そこでは、彼は、臣下に対して、威圧的で独断的であるならば、やがて、それは一般の家臣や武士たちも重臣と同じ行動をとるだろうと警告している。それは、いずれ万民の心も離反し、国を滅ぼすとしている。

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2013年5月25日 (土)

黒田長政の『掟書』を読むⅠ その五

今回も、引き続き、長政の『掟書』を紹介しよう。

当家の軍法は他術なし。只君臣法令を正しうして、士卒の一致するを肝要とす。

平生無事の時、臣下をあはれみ、功有ものに賞禄をおしまず与え、其志を能(よく)諸人に通じ置候時は、其恩徳に思ひ付て上下心を合(あわせ)、一筋に武勇に励む故、兵のつよき事金石の如し。勝利を得る事うたがひ有べからず。

組織運営の要諦を述べている。基本的には、特別な方法はないとしている。結局、丁寧な情理に基づく運営しかない。トップの、そのような意思を常々、実践して伝えておくことが大切と説く。そして平時での、その扱いが、緊急時の力になるとしている。

次回に続く。

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2013年5月24日 (金)

神戸ファッション美術館の二つの展覧会観覧

神戸に所要で行ったついでに、少し足を延ばして、神戸ファッション美術館に行ってきた。そこでは、二つの展覧会が開催されていた。まず、『高田喜佐 ザ・シューズ展』が開かれていたが、流風は女性の靴にはあまり関心がない。

それでも一応感じたことを記しておこう。高田喜佐(1941~2006)氏は、詩人・高田敏子の娘らしい。彼女は41年間、靴を世の中に送り出してきた。多分、その世界では有名なのだろう。今回、それらのたくさんの靴、デザイン画、写真が寄贈され、今回の開催に至ったようだ。

会場に入ると、たくさんの靴が並べられていた。でも、流風には全く分らない。ただ羅列されているだけだ。それなりに分類されているのだろうか。さらっと見てパス(笑)。ただ、デザイン画には、少し見入った。よく見ると、既視感が、どこかにある。そこで気づいたのが、横尾忠則氏のデザインと、どこか通ずるものがあるということだ。プロから見れば、それは違うと言われるかもしれないが、ふと感じた。

次に、『アーノルド・スカージ展』を鑑賞。ファッションに疎い流風は、アーノルド・スカージのことは全く知らないが一応鑑賞。今回、ボストン在住のシャーフ夫妻から寄贈されたことにより、開催されたとのこと。アーノルド・スカージは、アメリカのオートクチュール・デザイナーらしい。バーバラ・ストライサンドの衣装を公私にわたって担当。歴代大統領夫人のドレスも手掛けている。

素人の見た印象を一応記す。全体的に、イブニングドレスは、ふわっとしたデザインが多い。肌に直接身につける感じ。また体型を隠すためか、割と寸胴のデザイン多い。それは立派な体格の米国人女性の要望に沿ったものかもしれない。それは日本女性の体型を隠す着物に通ずるものがある。そして、世界の民族衣装のデザインが組み込まれているように感じた。それほどデザインが多様性に富む。大体、そんな感じ。それ以上はコメント能力ありません。悪しからず。

*追記

久しぶりに、六甲アイランドに行ったのだが、全体的に静か。商業施設も撤退してしまって、飲食店も消えている。元気が感じられないのは残念。

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2013年5月23日 (木)

王維の『鹿柴』を読む

今回は、久しぶりに、『唐詩選』より、王維の『鹿柴』を取り上げてみよう。有名な詩だが、その意味するところは、なかなか理解しがたい。一体、人々は、この詩に、なぜ惹かれるのだろうか。

まず、王維の経歴を簡単に記すと、彼は、子供の頃から詩文、書、音楽に秀で、早くから皇族に認められ、やがて科挙に合格し官僚になっている。そして順調に出世するのだが、安禄山の乱に巻き込まれ逃げ遅れ、捕えられる。禄山は、彼の能力を評価し、仕官を強要され仕えることになる。これが不幸の始まりだ。

やがて反乱は鎮圧され、王維たちも捕えられる。そこで問題になったのが、彼らが安禄山に仕えたこと。仕えた官吏たちは、重罪ということで処分される。王維も、もちろん、その対象だったが、弟と友人たちの助命嘆願で、一命は救われ、降格になっただけで済む。

私が思うに、このことで、彼の人生観が変わったのではないだろうか。人生は、自分だけでは、どうにもならないと感じたことだろう。恵まれた環境で、エリート街道を歩んできた彼も、悟ることはあったと思う。

それでは、詩の紹介をしてみよう。まず題の『鹿柴』とは、鹿を囲う柵のことらしいが、やはり当時も鹿の食害はあったのだろうか。彼の長安郊外の別荘に、この鹿柴はあったらしい。

  空山 人を見ず

  但だ人語の響きを聞く

  返景 深林に入りて

  復た照らす 青苔の上

表面的解釈は、次のようになるだろう。「山には誰もおらず、人は全く見かけない。ただ、どこからともなく人の声だけは聞こえる。夕日が深い林の中に差し込み、青い苔の上だけが照らし出されている」ぐらいか。

この詩が、別荘地で、いつ頃作られたものかは判らない。ただ、この内容は何を示しているのか。まるで、人生の終わりのような詩だ。実際は、彼の周りに多くの人がいるのに、強い孤独を感じているようにも感じられる。見方によっては、捕えられた時のことを回顧しているようにも捉えられる。

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2013年5月22日 (水)

黒田長政の『掟書』を読むⅠ その四

前回では、文武両道の大切さを説き、どちらに偏ってはならないとした。その後の文では、文武について、それぞれの大切さを丁寧に解説している。彼が、この点に長々と記しているのは、おそらく、秀吉亡き後、豊臣政権の武闘派の加藤清正等と官僚派の石田三成一派の対立のようなことを、臣下に対して、危惧してのことだろう。これらの文章は少し長いので中略し、その後の一文を続ける。

凡(およそ)国主の文道を好むといふは、かならず書を多く読み、詩を作る故事を覚るにはあらず。真の道を知り、諸事につきて吟味工夫を委(く)わしく、万の筋目を違へず、あやまち無用にして、善悪を糾し、賞罰を明にし、あわれみ深きを肝要とす。

又は武道を好むというふは、専(もっぱら)武芸をもてはやし、いかつ成ると言うに非ず。軍(いくさ)の道を能(よく)知り、常に乱をしずむる智略をめぐらして、油断無く士卒を訓練して、功有る者に恩賞を与へ、罪有る者に刑罰を加へ、剛臆を正しうして、治世に合戦を忘れざるをいふ。武芸を専にして、一人の働きを勤るは、匹夫の勇也。国主と武将の武道にあらず。

文人派、武人派の心構えを、それぞれに示している。これは現代でも、通用することだろう。例えば、国政に於いては、政治家と官僚のせめぎあいがあるが、これに似ている。企業においても、営業と製造をはじめとする内部とのせめぎあいがある。結局、それぞれの役割を認めつつ、自身の役割をそれぞれ怠りなく勤めることが大切だということになる。

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2013年5月20日 (月)

人の情~『閑吟集』より

情というと、人情とか思いやりの意もあるが、『閑吟集』では、大体、男女の情愛を指す。男女間のいろんな見方を示している。たとえば、次の言葉がある。

 ただ人は情あれ 朝顔の花の上なる露の世に

これは、一般的な人生観としても捉える事が出来るが、無常観を詠いながらも、そうであるなら、男女の愛は、刹那的であっても、大切と言っている。それはたとえ、決まったパートナーであっても、愛は一時的なものと冷めているようにも聞こえる。男の言葉かな(*注)。

こういう句もある。

 思ひの種かや 人の情

これは、どちらかという女性の立場の文言かも。人から受けた情愛は、困ったことに悩みの原因だ、と受け身ながら、自分のどうしようもない感情を示している。愛されるのは嬉しいけれど、相手が自分の思いのままにならない女心というところか。

さて、現代の若い人たちの『閑吟集』は、どのようになるだろうか。短い言葉や一文を集めて、『新・閑吟集』を作っても面白いかもしれない。

*注

大体、男の女性に対する情愛は、ある錯覚、思い違いから来ると言って間違いない。夜目、遠目、傘の内、というのは鋭い指摘。ということは、男の目は、いつも曇っているのかな(笑)。それでも、そのぼんやりとした目で、錯覚を楽しむことも、この世に生きる楽しさと男は割り切るべきなのだろう。

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2013年5月19日 (日)

黒田長政の『掟書』を読むⅠ その三

今回は、黒田長政の『掟書』を読むの三回目。文武両道を説く。

文武は車の両輪の如くなれば、かたがた欠けても、もちがたし。

勿論、治世には文を用ひ、乱世には武を以て治まるといへども、

治世に武を忘れず、乱世に文を捨てざるが、尤(もっと)も肝要成るべし。

特に解説は不要であろう。戦時には、武が中心になり、平和時には、文が中心になるが、それに溺れてはならないということ。極論すれば、戦時に平和を考え、平和時に戦時を考えるということだ。

また「武」は、必ずしも武器で戦うだけを意味していない。「平和ボケ」という言葉があるが、長政の警告は、現代の日本にも通用する。国が長政の言うように、きちんとしておれば、領土問題であくせくすることはなかったはず。

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2013年5月18日 (土)

「神戸まつり」開催中だけれど、、、

神戸では、毎年恒例の「神戸まつり」が、5月17日から開催されている。18日は地区の祭りで、19日は、パレードやステージイベントが開催される。今年、第43回だそうだ。この神戸の祭は、本来の祭というより、街起こしの感が強い。多くの多様な外国人が住む神戸は、特定に宗教に左右されることのない催しで、調和を図ってきた。だから、「祭」ではなく、「まつり」だ。多くの人が集い、わいわいやる。そんな感じだ。

流風も、神戸に住んでいた頃は、よく行っていたが、神戸時代の終わり頃は、あまり行かなくなっていた。催しが想像できてマンネリなのだ。「まつり」の意味は分るが、「祭」のような意味性が弱く、ふわふわして芯がない感じだ。だから、参加者以外、それほど楽しくない。よって観光客からは飽きられている。それに、若干押しつけがましい催しもある。それは多分、行政の介入があるからだろう。

もちろん、神戸市に住む人々にとっては、マンネリであろうと、毎年参加することによって楽しまれることはいいことだと思う。それを否定するつもりはない。各区での催しは、特にそうであろう。ただ、市の内外から観光客を呼び寄せたいのなら、最終日の全体のまつりの日は、観光客向けと割り切って、催しの見直しが検討されてしかるべきだろう。そうしないと、観光客は、それほど期待できないことを覚悟しなければならない。なお流風は、今年は行く予定はない。

*平成25年5月21日追記

報道によると、5月19日には、約70万8900人訪れたという。雨の中、御苦労さんのなことだ。テレビで少し視たが、パレードしている子供さんたちが可哀想だった。無理やり強行した感じだ。それに観客の人数はサバを読み過ぎでは。どんな計算の仕方をしたのだろうか。画面から見る限り、ガラガラだった。傘をさして見るには限界があるだろう。実数は10分の一程度ではないか。

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2013年5月17日 (金)

黒田長政の『掟書』を読むⅠ その二

引き続き、黒田長政の『掟書』を示し、流風なりの解釈を示しておこう。

凡(およそ)国主は常に仁愛にして讒(ざん)を信ぜず、善を行ふを以て務(つとめ)とすべし。

政事は青天白日の如く明白にして、深く思案をめぐらし、一事もあやまつべからず。

国のトップに在る者は、常に仁愛、すなわち恵み慈しめとしている。誰に対する仁愛かと問われれば、まず各目下に対する仁愛であろう。そうすれば、それば、いずれ民にも伝わる。

次に、讒言を決して取り上げるなということを言っている。そのためには、まずトップが私心を捨て、確たる信念を持つことだろう。それは、付け入られる心の隙を作らないことだとも言える。その他には、諫言を受け入れる心の余裕を常に持ち続けること、人材の選び方への思慮、情報の多様なルートの確保などが挙げられよう。そのようにして、思慮深くして、善政を心掛けることが大切と説く。

そして政治は、公明正大に、一つの誤りもないように、常々深い思慮と配慮を通じて行うものとしている。

次回に続く。

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2013年5月16日 (木)

黒田長政の『掟書』を読むⅠ その一

黒田長政は、来年の大河ドラマの主人公・黒田官兵衛(如水)の息子で、筑前黒田藩の藩主になった人物だ。官兵衛は、長政は、天下を取る器ではないと思っていたが、長政は、決して無能の人物ではない。確かに、官兵衛のような、混乱した世の中で天下を賭けて勝負を挑むというような性分ではなかったが、平時での組織の運営では、立派なリーダーだったと言える。それゆえ、黒田藩は西国大名として、明治維新まで、続いた。

今回から何回か分けて、彼が亡くなる1年前くらいに書いたと伝えられる『掟書』を解釈してみたいと思う。この『掟書』は、息子や家臣団に示された遺言書に近い。彼が親の官兵衛の薫陶を受けたことも含めて、彼の人生のまとめと教訓に近い。それでは、その『掟書』を示してみよう。

国をたもつ主将は、格別之思慮なくしては叶ひがたし。

凡人と同じ様に心得べからず。

まず身の行儀作法正しくして、政道に私曲なく、万民を撫育すべし。

また我が好む事を慎み撰ぶべし。

主君のこのむ事を諸士もこのみ、百姓町人までも、もてあそぶもの也。

仮初の遊興たりとも、目に立たぬやうにして、四民の手本となること、片時も忘るべからず。

これらは、要するにトップリーダーの心構えを示している。トップは何かにつけて、一挙一動が注目される。一つの言動、一つの行いが、多くの人に影響を与える。よって、その影響力を考え、言葉を選んで発言し、行動も、同様に慎重にする必要がある。トップは、決して軽挙妄動してはならないと戒める。どこかの政治家に聞かせたいですな。

*注記

この『掟書』は、ある意味、黒田如水(官兵衛)が長政に、常々言い残したことを彼なりに付加解釈して、整理したものとも言える。よって、これらの多くの言葉は、官兵衛の言葉だとして紹介しているものもある。

次回に続く。

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2013年5月14日 (火)

首相は憲法改正に夢中になるな

安倍首相は、従来の自民党の党是を反映して、盛んに憲法改正を主張しているが、あまり夢中にならない方がいい。与えられた憲法云々より中身だ。確かに、憲法の改正の必要性はないでもないが、自民党の主張する全面改正というのは、かなり難しいハードルだ。

また安易に憲法を改正できる憲法96条を、まず改正しようとするのも頂けない。憲法というものは、謂わば国家理念であり、その運営を定めたものだから、頻繁に改正するものであってはならない。ドイツは、度々憲法を改正しているが、決して望ましくないし、お手本にはならない。

それでは、どうすればいいか。憲法改正については、順序があり、現在の憲法で、どうしても見直しが必要とするなら、やるとすれば、まず公明党や生活の党が主張するように、「加憲」から始めるべきだろう。それでも一歩踏み出せば、重大な一歩だ。まず、それを国民議論にすればいい。

しかしながら、安倍政権は、憲法改正にエネルギーを投ずることが、そんなに有効とは思われない。基本的には、アベノミクス後の将来リスクを見定めて、経済の立て直しと、その方向性を明確にして、一歩一歩進めて、まず政権基盤を確立することが大切だ。

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2013年5月13日 (月)

夏を感じて、神戸市内を散策

昨日、久しぶりに神戸に行ってきた。朝はまだ涼しいけれど、昼間は、もう夏だ。午前中にも、気温はどんどん上がっていき、暑かった。人は、まだ、そんなに多くなかったが、当日は結婚式が多いのか、そういう装いの人たちか、あちこちに見られた。暑い中、御苦労さんです(笑)。

午前中の為、各商業施設は、まばら。人は全体的に、そんなにいない。新しい施設が出来上がっていたり、あるいは撤退してなくなっていたりだった。ハーバーランドにも行ってみようと思ったが休日なのでパス。いずれ平日に行ってみるつもり。新しい商業施設もできているし、観察してみたい。

よって、ひたすら歩くことに集中。神戸は、本当に散歩するには、適当なところが多い。周囲の建物を見ながら、散歩しても楽しいし、見飽きない。これが神戸の魅力なのだろう。ただ、当日、帽子は被らなかったのだが、少し後悔。あの日差しでは、帽子は必須。次回から忘れないようにしよう。そして、久しぶりに、歩数計が1万歩を上回った。

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2013年5月12日 (日)

まずくなった大手スーパーの米

長らく大手スーパーで、米を買い求めてきたのだが、ついに止めることにした。ここ半年ほど、銘柄は替えてみるのだが、どれも、かつてほど美味しくない。価格は上がっているのに。そこで、これは日本全体の現象なのかなと思って、地元スーパーの米を久しぶりに買ってみた。

ところが、これは美味しいのだ。まだ2種類ほどしか試していないが、一体どういうことのなのだろう。確かに、かつては大手スーパーの扱う米は美味しくなかった。だが、いつ頃からか急速に改善し、美味しくなっていた。それが今では逆戻り。残念なことだ。

もちろん、全ての大手スーパーが、そうだとは言えない。流風が買う大手スーパーだけかもしれない。しかし、日本人にとっては、米の善し悪しは大切。価格だけで買う人もいるだろうが、そうでない人も多い。

それとも作り手が減って、質の良い米が流通しなくなったのだろうか。また今後、TPPにより、海外に質の良い米が流通していき、国内には不味い米が流通するとしたら最悪だ(*注)。私達は、どうすればいいのだろう。

*注

昔。某首相が、「貧乏人は麦を食え」と言った。今後は、「貧乏人は外米を食え」と言われかねない。

*平成25年10月5日追記

報道によると、イオンの弁当等に、中国産の米が混入していたとのこと。三重の米卸が産地偽装し、中国産米を混入していた。その量は4400トンの可能性があるとのこと。やっぱりという感じがする。価格を追求しすぎると、こういうことになる。大手スーパーの姿勢も問われる。

また、このようなことは全国の弁当業界に可能性があると考えられる。外食や中食では、何を食べさせられているかわからない。不信感は募るばかりだ。

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春の終わりの朝食の変化

最近、暖かくなって、朝食は、御飯でなくて、パンのことが多い。ただパンは塩分が気になるので、玄米入り食パン、ライ麦入り食パン、あるいは五穀入り食パン等を選んでいる。これらだと塩分が少なめだからだ。ただ、これらには、8枚切りの食パンがない。少し前にサンドウィッチに挑戦して気に入っていたが、普通の食パンを利用せざるを得ず、断念した。

そして、食することが増えるのがサラダ。以前は、ブロッコリーをよく食していたが、値段が2倍、3倍と上がっていくので、最近は少なめ(海外産は安いけれど買わない)。代わりにレタスを増やしている。包丁で切ると悪いらしく、手で適当に細かくちぎって利用。苦味が少なく食感がいいサニーレタスも頂いたりしている。

後は、トマト。家庭菜園にも、最近植え付けたが、実るのはまだ先のことなので、購入することになる。完熟の方が美味しいが、日持ちが悪い。今の時分は、まだいいけれど、暑くなれば、完熟は買えない。そして、作り置きのサラダ類(ポテトサラダ、マカロニサラダ)に、細かく切った薄切りハムを混ぜ込み、レタスに乗せ、軽くドレッシングすれば、いい感じ。

デザートには、リンゴとキュウリのサラダ。リンゴとキュウリをスライスして混ぜ込み、マヨネーズで合える。これは子供時代からの定番。そして、各種果実の缶詰(桃、みかん、パイナップル等)を利用して、ヨーグルトかけ。それに市販の野菜ジュースを少し。

コーヒーは、一人用ドリップコーヒーメーカーを利用して、よく飲んでいたが、以前のようにペーパー式に最近戻した。味がすっきりした方が、いいと思うようなったからだ。外で飲むと、ドリップタイプが多いが、どこか、味がひっかかる感じがするので、家での飲むのは、ペーパー方式にすることにした。紅茶の場合は、ダージリンか、ウバセイロンのことが多いような感じ。いつも2種類ぐらい使っているが、特に凝ることはないので適当だ。

こうして記してみると、結構なボリュームだ。食パン(6枚切り)を除けば、それなりの量を食している。でも、朝は、これくらいしっかり食さないと、元気が出ない。しばらく、このような朝食が続く。

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2013年5月11日 (土)

俳優の健康管理から考える

女優の天海祐希さんが、軽い心筋梗塞に罹られ、舞台を降板されたとのこと。彼女については、特にファンではないし、イメージは男ぽく近寄りがたい印象の強い女優さんだ(笑)。実際は、オフの時、出不精の女性らしい。よって、本当のところは分らない。

今回のことは、宝塚時代からトップスターだった彼女は頑張り屋さん過ぎたのだろう。早く治して欲しいという気もするが、ここで、仕事と健康のバランスについて、十分考えられた方がいい。事務所の意向もあるだろうけれど、仕事を選んでセーブすることもいい。天は、そういう機会を与えられたということ。

それにしても、最近、歌舞伎俳優が次々と、年齢の割に早く逝ってしまったり残念なことだ。原因は、やはり不摂生なことだろう。食事内容も、弁当など塩分過多になりがちなことだろう。流風も、あまり偉そうなことは言えず、現役時代、過度に外食に依存して、身体を壊してしまった苦い経験がある。身体は一旦、壊すと、元に戻ることはない。病気が治るというのは、一時的なことに過ぎない。

心筋梗塞・脳梗塞の原因も、塩分過多になり、高血圧になり、それが知らず知らず動脈硬化を引き起こし、そして、ある日、突然、心筋梗塞・脳梗塞になって倒れるというパターンだから、天海さんも、同じ経路を辿ったと思う。

天海さんは、早く生活習慣を改善し、再起してほしいものだ。そして彼女のことは、我々一般人も同様のリスクを負っていると言って差し支えない。最近は、厚生労働省も、日本人の塩分摂り過ぎを警告して、一日の摂取6グラム以下にするよう指導している。

しかしながら、日常生活の中で、それを守ることは、今の時代、現役時代、なかなか困難だ。特に単身者は仕事を抱えていれば、より難しい。となれば、国も、外食業者やお惣菜業者に、そういう塩分制限した、ヘルシー食品の販売指導をするしかないのではなかろうか。

*平成25年5月15日追記

報道によると、天海祐希さんは退院されたとのこと。とりあえず、最悪の事態は避けられてよかったね。ただ、今後は無理をしないことだ。そして、定期健診を欠かさないことだろう。40歳を過ぎれば、年1回では心もとない。2回ぐらいは必要だ。今までとは異なるペースで仕事に取り組んでもらいたいものだ。どんなに頑張っても、人間、死んだら終わりだよ。

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2013年5月10日 (金)

住めば都と言うけれど

世の中、実践しないと、本当のことは、分らない。それは住まいも同じ。周旋屋に案内されて、見に行って、気に入っても、昼と夜では感じが違ったり、季節により、雰囲気の異なる町もあるだろう。住めば都とは、言うけれど、やはり自分の価値観に基づく許容範囲の中での生活になる。慣れない生活が続けば、その地を離れることを決断せねばならない。

以前、住んでいた神戸は、イメージ通り、面白い町及び街であった。ただ、住みやすかったかと問われれば、神戸も広く、住む地区によって、住みやすさは大きく異なった。そして、欠点として共通することは、物価が相対的に高い。いわゆる大都市価格だ。

ただ、街は刺激的だし、いろんな催しが年を通じて、継続的にあるから、そんなにお金を使わなくても楽しめる。観光面に配慮した街づくりは、住民にも楽しめる恩恵を享受できる。そういう意味では、有難い街だった。ただ、刺激的すぎて、いろんな誘惑にかられるという点で、やや落ち着けないという難点もある。

そういう意味では、現在住んでいる姫路は、第一次産業と第二次産業とが併存し、観光等第三次産業は、従来、それほど重きは置かれていないかもしれないから面白みは神戸と比べたら少ないかもしれない。しかしながら、ある統計では、住んでみたら、よかったという評価を得ているようである。

この回答は、少し微妙。すなわち、それほど期待していなかったけれど、住んでみたら、案外いいではないか、ということ。田舎と都市の中間に位置し、歴史的には古代から栄え、すべてのものが、ほどよく揃っている。それに自然も豊かだし、農産品も美味しい。また街としての機能もある。刺激的ではないけれど、のんびり過ごせる土地柄だ。

それゆえ、昔から、この地は、大災害が少ないので、大物は出ないと揶揄されてきた(笑)。でも、そういう所に住むのも有りだろう。ある意味では、ここは、都よりいいかもしれない。刺激が欲しかったら、神戸まで出かければいいから。

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2013年5月 9日 (木)

忘れていた空気清浄機のフィルター交換

ここ1週間ぐらい、夜間に喉が痛くなったり、咳をしたりするので、寒暖の差が激しいから風邪をひいたのかなと思っていた。そこで、いろいろ手当てしたものの改善せず。これは大変なことになったのかなと思っていた。

室内の掃除を念入りにして、ふと気付いた。そういえば、そろそろ寝室の空気清浄機のフィルターの交換時期かなと思って調べてみると、すでに交換時期を1年も過ぎていた。ありゃりゃ。まず、すぐ機器のスイッチを切り、翌日、空気清浄機を清掃して、フィルターを交換。すると、全てが解決した。

空気清浄機の古いフィルターは、健康を害す可能性が高いと気づいた。ただ、メーカーの説明書だと「煙草を一日5本吸って、約2年で交換必要」とある。流風は煙草を吸わないが、いろんな環境条件によって、フィルターの寿命はあまり長くならないのだろう。流風のような、ずぼらな人間の為に、自動的に機器で交換時期を案内してくれるようなシステムにできないものかと思う。

とにかく、喉の痛みも、咳もなくなり、大きな病気ではなく、ほっとしているところです。

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2013年5月 8日 (水)

大きくなり過ぎた大手流通業

消費税増税に対して、国が、その転嫁をスムーズにするため、「消費税還元セール」の中止を法制化するとしたところ、大手流通業を中心として、強い反対論を展開していた。しかしながら、彼らは、今まで、消費税増税ごとに、納入業者に、税率アップ分の減額を求めてきたではないか。

その悪弊が、納入業者を苦しめてきた。更に、海外から安く仕入れた商品を国産品の代替品として販売し、国内製造業を圧迫している。結局、それらが積み重なって、不景気が続いている。従来、デフレは、これらの輸入によって引き起こされていたことも事実だ。国際化社会に於いてはやむを得ないという声もあるが、自分たちだけがよければいいという発想が感じられる。

それは回り回って、消費者へのツケとして増税という形で返ってくる。消費者も、購入先を吟味する必要があるだろう。流通業の規模拡大が、国際流通業の流れだから仕方ないというのなら、独禁法により、大手流通業を解体させなければならない。海外大手流通業との競争があるというのなら、国内への海外大手流通業の日本進出を禁止にはできないだろうが、制限すべきだろう。

どこの国の流通業であろうと、理不尽に雇用を奪う流通業はいらない。流通改革と雇用のバランスは必要だ。大手流通業は大きくなり過ぎ、結果として購買力が強くなり過ぎた。一定程度解体が求められる。それが嫌なら、自社だけがよければいいという経営を止め、彼らは商売の原点に戻って自制すべきだろう。

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2013年5月 6日 (月)

菖蒲の匂いと恋歌

ボタンと共に咲いていたアヤメも、終わりかけている。咲く花も、少なくなってきた。後は、バラとシャクヤクぐらい。

さて、古今集に、アヤメを詠ったものがある。但し、現在のハナアヤメとは異なる菖蒲のことのようだ。それでも、一応、ここに一首挙げておこう。四六九番だ。

  ほととぎす 鳴くや五月の あやめぐさ

    あやめも知らぬ 恋もするかな

                         (よみ人知らず)

恋は魔物ということかも。恋には、声と匂いが大切と言っているのだろうか。女性は、背後から、いい匂いをさせて、いい声で話しかけられると、ぞくっとするらしい(笑)。そういうと、女性にとって、異性の匂いは、好き好き。本能的に、自分の好きな異性の匂いに引き寄せられるということだ。また異性の声も大切と言う人も多い。

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蕎麦屋の暖簾

今回は備忘録として。世の中、知らないことばかり。結局、父が、よく言っていたように何も知らず、誰もが、あの世に行くのかもしれない。知らないことが、真砂の砂、つまり掘っても掘っても砂が出てくるように、出てくる。分っているということは、ほんの少しだけ。それも必ずしも正しいとは限らない。所詮、現時点の知識に過ぎないことも多い。

さて、今回は、蕎麦屋の暖簾について。若い頃、あの暖簾に書かれている文字が読めなかった。先輩に聞くと、「きそば」と書いてあるという。「きそば」、すなわち「生蕎麦」。でも、生蕎麦というのは、上等な蕎麦を指すようだが、どうしても、そのように読めない。

ところが、ある本を読んでいると、あの文字の原形は、「幾楚波」で、それを崩したものが、暖簾の文字らしい。まだ、その由来は知らないのだが、もう一度、蕎麦屋で、じっくり見てみようと思う。少し暖かくなってきたので、ざる蕎麦でも食べようかな。

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2013年5月 4日 (土)

人材の促成栽培と銃後の備え

最近、人材の使い捨てをする企業を「ブラック企業」と呼ぶらしい。昔から、大量に採用して、大量に辞めていく企業はあった。いわゆる離職率が高く、結果的に定着率の悪い企業だ。賃金水準の高さにつられて入社したものの、入社してみて、労働条件がきついので、音を上げる例が多かった。

それは一般的に、人材が不足しており、人事・労務システムの確立していない中堅企業や中小企業に多かった。人材がいないから、若い人でも、管理者になれるが、経験がないと組織や社外の組織を十分に使いこなせないから、その苦労も多い。ただ、そうすることによって、大企業の人材より、いろんな経験を早く積むことができるので、人材の促成栽培は可能とされた。

もちろん、誰でも彼でも、人材の促成栽培に対応できるものでもない。基本的に、仕事をこなすには、持ち時間が足りなくなるので、仕事がうまく行っている時はいいが、うまく行かなくなると、私生活が心身共に乱れがちになる。結果的に、健康を害する例も見られる。

よって、人材の促成栽培に対応できる人材は、結婚していて、家庭のことや食事のことに余計な心配のいらない人ということになる。ところが、最近は、若くて結婚しない若者も多いし、結婚しても共働きが多いと、いわゆる昔の言葉で言うと「銃後の備え」は不十分になる。

止むなく、独身者を対象にすると、成果は様々な結果になり、安定しないから、本当は選んではいけないが、人材がいないから、選択せざるを得ない状況にある。また共働きをなくすには、男女どちらかの稼ぎで暮らしていける所得が必要だが、企業は、過剰に株主対応思考で利益優先になっているため、従業員の所得が伸びない。

こういうところから、大手でも、労働法規は最低限守りつつも、「ブラック企業」と言われる企業が存在することになる。これからは、「ブラック企業」と呼ばれる会社も、働く従業員の幸せに配慮(配偶者を持たせつつ、安定的な所得アップ)しつつ、利益も上げていく企業への転換が望まれる。そうしないと、やがて消費者からも、そっぽを向かれるだろう。

*追記

『菜根譚』の前集(210)には、次の言葉がある。経営者の頭の片隅に置いて欲しい。

「人を用うるには、宜しく刻なるべからず。刻なれば、則ち効を思う者も去る」

刻とは酷のこと。人を使うには、酷ではあってはいけないということ。酷な扱いをすれば、どんなに成果を上げようと思っている者も去っていく。企業は人によって成り立っていることを忘れてはならないだろう。

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2013年5月 3日 (金)

割と面白い刑事ドラマ『確証』

子供の頃、流風も、友達が持っているものを欲しがるのは、今の子供と大差はなかった。あれが欲しい、これが欲しいとよく言ったものだ。ところが、家計は苦しいから、簡単には買ってくれない。

ある日、「みんな持っているから買って」と、せがんだところ、父から「みんなとは一体誰のことだ」と突っ込まれた。知っているのは、せいぜい一人か二人ぐらいだから、結局、みんなではない。「そんな曖昧なことを言っているのなら、買うことはできない」と、すげなく断られた。結局、父の論法に、うまく丸めこまれた。

そして、父は、いろんな噂話についても、「確証のないことは言うな」、とよく母に話していた。父の論法は、理屈が合っていて、確かに正しいのだが、母は、いつもブツブツ言っていたことを思い出す。

そういうことで、思い出したわけではないのだが、最近、比較的よく視ているドラマにTBSの『確証』がある。正式名は、『確証~警視庁捜査3課』らしい。主演は、高橋克実と榮倉奈々。高橋克実演じる刑事が「確証のないことは言えない」と盛んに言う。現実、そういう刑事ばかりだといいのだが。

刑事ドラマは、『相棒』とか、軽いタッチのものしか視ないのだが、このドラマも、どぎつさは少ない。窃盗犯担当刑事たちの活躍を描いていて、『鬼平犯科帳』の現代版のような、一部『相棒』的で、女性刑事が相棒というもの。刑事ドラマは、余りシリアスだと疲れるし、でも、あまり非現実的だと、却って楽しくない。少し、現実的で、ありそうかなという内容がいい。

そして、テンポの運びのよさが求められる。2時間ドラマだと、あまりにも詳細に描きすぎて、ダレてくるが、この番組は1時間番組なのでちょうどいい。それに就寝時間の早い流風には、現代のお子様時間の午後8時の番組なので、なお良い(笑)。多分、しばらく視聴し続けると思う。

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2013年5月 2日 (木)

JR姫路駅に「ピオレ姫路」がオープン

JR姫路駅に「ピオレ姫路」(地下1階、地上6階)がグランドオープンしたというので、見てきた。要するに駅ビルで、姫路にしては、かなりファッショナブルな店が多く出店している。ここだけ見ると、神戸と変わらない。従来、播磨周辺で、神戸まで買い物していた人々が、姫路で買い物を済ませることも可能だろう。

ただ、内容は、ほとんどが20代、30代の女性を対象にしている(40代も対象になっているかも)。当日も、そういう人たちで溢れていた。若い女性同士、母娘の組み合わせ、あるいは若いファミリーが多かったように思う。流風のような男の年配者は、ちらほら見られる程度。確かに、買う物がないのだから仕方ない。お呼びでないのだ(でも、目の保養の為、散歩コースには入れる予定。笑)。

しかしながら、5階にあった東急ハンズとユニクロには、今後、世話になるかもしれない。特に、東急ハンズは、いつも神戸まで買いに行っていたので便利になる。後は、4階にあるスタバ。ここは結構見晴らしがいい。お城も正面に見える。休日はともかく、観光客の少ない平日に利用しようかなと思っている。

また、従来、「プリエ」と言っていた周辺商業施設も、「ピオレ」と冠がつき、「ピオレヤング館」、「ピオレ姫路おみやげ館」、「ピオレ姫路ごちそう館」となっている。先日、再オープンした地下街「グランドフェスタ」とも、つながっており、商業施設全体として、きれいになって、かなりすっきりした感じはある。

なお、姫路駅周辺は、今後も都市型ホテル(ホテルモントレ姫路)、国内最大級のシネマコンプレックス、公園広場型エンターテイメント施設、都市型スーパーマーケット、医療・福祉・保育の三分野に携わる専門学校やこども保育施設の建設が予定されている。播磨中核都市の姫路市は、姫路駅周辺を核として、播磨全体の格上げを狙っているようだ。

今後の課題としては、これらの施設を活かしながら、多彩な催しをして、多くの人々を惹きつけ続けられるか、ということだろう。その点、神戸は、観光都市として、いろんな催しをしており、見習う必要がありそうだ。

*追記

なお、地下1階の飲食店は、サンクンガーデンに面している店舗は、皆、流行っていた。今は、物珍しさがあるかもしれない。ただ、韓国料理の臭いが、フロアーの一部に漂うのは、どうにかならないのかと思う。このフロアーには、コスメ等も扱った店も多く、雰囲気を壊すのではないかと懸念される。予算は、一人当たり1500円前後か。

*平成25年5月7日追記

連休明けということで、ピオレ姫路に、再度お邪魔(笑)。行くと、物珍しさか、本日は、結構高齢者と思しき人たちが来ていた。単身、夫婦連れ等、あちらにも、こちらにも、いる、いる、いる。まあ、こういう施設に行く元気があけば、健康な証拠。買うものは余りないけれど、4階、5階のフロアーは、探せばあるかもしれない。

そして、初めて、4階のスタバを利用。予想通り、平日なのに、客で溢れていた。喫茶店は、一般に、地階とか一階が多く、上層階は、どこも苦戦している(姫路の場合)。だが、ここは見晴らしのよさと、スタバのブランドで、成功するだろう。

*平成25年5月8日追記

報道(神戸新聞)によると、ゴールデンウィーク中にピオレ姫路には、プレオープン(4月28日)も含め、105万人訪れたそうだ。確かに、当日は人で溢れていた。売り上げも、目標の22%増らしい。

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2013年5月 1日 (水)

膝枕と狂言『寝音曲』

多趣味の父は、謡曲も趣味の一つであった。確か、流風が、まだ小さい頃の話だが、時々、食後の夕暮れ時、突然、朗々と謡いあげるので、家族はびっくりしたことを記憶している。今から考えると、謡う時は、概して、機嫌がよい時が多かったようだ。ただ、流風が、大きくなってからは、父は、なぜか謡うことは止めた。理由は分らない。

さて、今回は、謡を題材にした狂言『寝音曲(ねおんぎょく)』を、備忘録的に取り上げる。海外の人に割と受ける一番という。内容は、例によって、他愛のない話だ。前夜、太郎冠者が、一杯入って機嫌よく、謡曲を謡っているのを、通りがかりの主人に聞かれてしまう(*注)。

そこで、主人は太郎冠者を呼び出し、「昨夜、謡をやっていたのは、お前かと」問うと、太郎冠者は、「あれは私ではありません」と言うが、子供の頃から声を聞かれているわけだから、誤魔化すことはできない。主人に「ここで謡え」と言われ、断ろうとするが聞き入れてくれない。

そこで、「私の謡いは、癖があり、酒が入らないと謡えません」と言い、これで主人は諦めるだろうと思ったが、あに図らんや、主人は、大盃で酒をふるまう。ところが、簡単には太郎冠者は謡わないので、主人はじれて、「さあ謡え、さあ謡え」と急かす。

太郎冠者は、「女の膝枕でないと謡えない」とほざく。それでも、主人は謡を聞きたいから、「自分の膝を枕にしてよい」と太郎に貸す。そこまで言われたら仕方ないと、頭を乗せて謡いだす。喜んだ主人は、今後は座ったまま謡えと言うと、そうすると声はかすれ、また横にするとよい声で謡いだす。

これを繰り返していると、一杯機嫌で、段々どちらが横にしているのか、座っているのか、訳が分からなくなり、終には、立って謡い舞い、「その声は、どこから出た」と追われ終幕、というものだ。

大体、横になって声を出すのは大変なこと。歌手が横になって歌っているのを見たことがないが、多分、発声はうまく行かないと思う。それは謡いでも同じだろう。演者は、相当の修業をしないと、この演目を演じられないかもしれない。

そういうと、謡が好きだった父は、時々、母の膝枕で、耳垢を取ってもらっていた。流風は、謡はしないけれど、誰かの膝枕で眠ってみたい(笑)。今日は、久しぶりに一杯やって、ごろ寝でもするか(苦笑)。

*注

ちなみに、太郎冠者が謡う演目は、流派により異なり、『海人(あま)』の玉の段だったり、『放下僧』の小歌だったりするようだ。

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