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2013年6月28日 (金)

民を恐れた黒田官兵衛

黒田官兵衛は、民を大切にしたことで知られる。彼は次の言葉を残している。

 天神の罰より君の罰恐るべし、

 君の罰より臣下・百姓の罰の恐るべし

菅原道真の祟りは、祈れば許される。主君の罰は、詫びれば許されることが多い。ただ、臣下や百姓の罰は、祈って許されることもなく、詫びて許されることもない。君主と臣下・農民は一体でなければならないと説いているように聞こえる。

この言葉は、『名将言行録』にあるが、筑前に入って、如水と名乗った頃のものとされる。長政の藩運営への警告と思われる。

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2013年6月27日 (木)

ゆるキャラ“ぼっくりん”に遭遇

昨日の記事の続きになるが、姫路駅北の「連絡デッキ」を通って、山陽百貨店に入ったところ、妙な物体が動いているのを発見。いわゆる、最近よく見る「ゆるキャラ」だ。店員の方に伺うと、「ぼっくりん」と言うらしい。高砂市(兵庫県)のイメージキャラクターということだ。

高砂市について記すと、当地に行くと分るのだが、工場が集積している。高砂神社に行く道すがら、いろんな工場があったのを思い出す。その高砂市のイメージチェンジを兼ねて、高砂青年会議所が、この「ぼっくりん」をデザインしたようだ。「ぼっくりんソング」、「ぼっくりん音頭」も作られており、熱の入れようがよく分かる。

聞くところによると、この「ぼっくりん」は、縁結びの象徴で、高砂神社にある「相生の松」に、ちなんで作られたものらしい(*参考参照)。フロアを、ひょこひょこ歩いていたが、図体が大変大きい。暑い中、中に入っている人は大変だろうな。

フロアを歩いて行くと、高砂市のブランド商品帆布が展示販売されていた。今回は、主として、女性向けに作られていた。なるほど、そういうことかと合点が行った。工楽松右衛門(*注)が考案したと云うものを復活させたものらしい。

今回、「ぼっくりん」に遭遇して、高砂市も頑張っているのだなと思った次第。

*注

工楽松右衛門については、後日、記したいと思うが、彼は江戸時代、高砂の船頭の家に生まれ、家を出た後、紆余曲折を経て、当時弱かった船の帆を強くしたものを開発して、全国に広めた。

*追記

高砂市のグルメとしては、「にくてん」が有名。昔は、別に高砂の「専売特許」ではなく、播磨周辺の、どの家庭でも作られていた。お好み焼きとは、当時、あまり言うことはなかった。確かに似ているけれど、使う材料が少し違う。牛のすじ肉、コンニャク、ジャガイモ等。後は、家や店で多少異なる。今は、高砂市に店が多いようだ。その他にも、高砂名物として、「焼きアナゴ」等があるようだが、あまり知られていないようなので、「ぼっくりん」の今後の活躍が期待されるところだ。

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2013年6月26日 (水)

JR姫路駅北側の「眺望デッキ」と「連絡デッキ」

JR姫路駅北側に、「眺望デッキ」が、6月15日にオープンしたとは聞いていたが、遅まきながら見てきた。JR姫路駅を降りて、北側の出口を出ると、左手にエスカレーターが設置されており(*注)、それを上がって、右側に行くと、「眺望デッキ」があった。

「眺望デッキ」は、地上約6.5mの所に位置し、約20m四方のスペースから真正面に国宝で世界遺産の姫路城を一望することが出来る。デザインは、姫路城の門をイメージしたもので、屋根がある。天井部分や床の部分は、県内産の杉材が利用されているそうだ。

天井があるため、写真も撮りやすいから、観光客にも、歓迎されるだろう。今は姫路城は大改修中だが、改修が終わった頃を想像すると、わくわくする感じ。更に奥に行くと、ピオレ姫路に、つながっているから便利だ。

そして、反対側には、「眺望デッキ」とキャスパビルを結ぶ「連絡デッキ」もできた。幅は約5m、長さ約114m。半分程度に、日除け・雨除けがあり、日差しを避けたり、雨を避けて通行できる。その先には、山陽電車姫路駅、山陽百貨店2階とつながっている。新装したフェスタ地下街(JR姫路駅から地下へのエスカレーターで、山陽百貨店等とつながっている)との利用を考えると回遊性が可能になり、よりショッピングを楽しめる。

これらにより姫路の玄関口が整備され、姫路のイメージアップに貢献するものと思う。私としては、散歩コースが増え、大変嬉しい(笑)。

*注

なお、エレベーターの設置もされるようだが、現在は工事中だった。これができれば、ベビーカーも上がることができる。

 ◎注記

6月27日再度確認したところ、エレベーターは既に稼働中で、若い母親がベビーカーを押して利用していた。工事中というのは私の勘違いだったようだ。

*追記

余計なことかもしれないが、「連絡デッキ」でつながった山陽百貨店2階の改装は必要だろう。今のところ、まだ垢抜けない感じ(笑)。展示商品構成も見直す必要があるのではないか。例えば、姫路や播磨に関わる商品群を展示販売してもいいだろう。飲食店も改装してイメージチェンジが必要だろう。

*2014年11月28日追記

山陽電車姫路駅前の山陽百貨店が大改装している。改装後に大いに期待したい。後は、百貨店周辺の商業施設をどうするかだろう。

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2013年6月25日 (火)

二世帯住宅の普及

二世帯住宅が普及しているらしい。今の同居は、昔の嫁姑のようなこともなく、関係性もいいらしい。そこには、戦後生まれの民主主義時代に育った二世帯ということで、考え方が比較的似ていることも影響しているようだ。

また、若い世代の所得が増えないことも大きな原因だ。この理由は、過去の自民党政権の経済政策が原因だが、ここでは触れない(いずれ機会を見て、別途記す)。そこに、男女同権ということもあって、女性が働くのも普通で、共働きが当たり前の時代になっている。

そこで問題になるのが、子どもの保育の問題だ。都会では保育所不足もあって、生活が大変になる。それなら親と同居して、子どもの面倒を親に見てもらおうと考えるのは自然の流れである。親が比較的若ければ、孫の面倒は問題はない。早く孫慣れすれば、家族の結束感は増す。

更に、同居すれば、住居費は実質タダになるし、親との合算所得があれば、生活は何とかなる。食費とか光熱費は人数に比例して、増えるわけではない。となれば、親が生存中は、子どもの教育費がかかっても、どうにかなる。

それに親としても、将来の介護の事を考えると安心感がある。子どもに面倒はかけたくないとは思うものの、何が起こるか分からないのが老後だからだ。それまでは、しっかり家の役割をこなし、元気に過ごす。心にもハリが出る。そういうことで、二世帯住宅が普及しているものと考えられる。この流れは、国や地方も、強く推進していく必要があるだろう。

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2013年6月24日 (月)

いたわる心 その二

雨宮敬次郎は、人生の成功者は、いたわる心を持っているというような事を言っている。「いたわる」は、漢字にすると「労わる」になる。辞書には、「ねぎらう、慰めるとか、大切にする、懇ろに扱う」とある。

いたわるのは、対象が物の場合もあるし、人の場合もある。物の中には、お金も含まれるだろう。そして、それが仮に他人の物であっても、いたわる心が大切と彼は説いている。他人の物を、ぞんざいに扱うようでは、自分の物も、いい加減に扱ってしまうものだ。

人を扱うことも、そうであろう。経営者が従業員を粗末に扱えば、やがて自分の身に降りかかってくる。逆に、従業員も、やるべきことをやらず、経営者を、ないがしろにすれば、同じ様なことになる。

現役時代、「上司の立場のつもりで仕事をしろ」とか、「将来、経営者になった時を想像して、仕事をしろ」とか、よく言われたものだが、対象をいたわれば、いずれ、自分にプラスになることも多い。見方によれば、利己的と言われるかもしれないが、いたわる心を大切にしたいものだ。

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2013年6月23日 (日)

黒田長政と毛利左近

人間、出世してトップに立ったりすると、段々、臣下は保身にまわり、諂い者が周囲に侍り、本当のことは耳に入らなくなる。そして、皆、裸の王様になってしまう。これがトップになる怖ろしさだろう。

筑前の城主になった黒田長政にも、同様の事が言えた。次のエピソードが伝わっている。ある夜、長政が宴を開き、無礼講で、臣下共に、飲めや歌えの大騒ぎ。宴たけなわの頃、長政が、謡曲を披露すると、周囲の家臣は、皆、褒め称えた。

だが、その時、家老であった毛利(本来、母里だが、将軍家が手紙で、間違って「毛利」と認めたため、その後「毛利」と名乗るようになったという)左近のみは、ただ黙して涙を浮かべる。長政が不審に思って、尋ねると、彼は、身を正して次のように言ったという。

「臣は、かつて有名な師匠について、謡曲を習いましたが、殿の謡は、とても聞けたものではなく、所詮、真似ごとに過ぎません。ところが、周囲の者は、囃したて、おほめ申し上げている。これは、諂いではございませんか。こんなことでは、黒田家の将来が危ぶまれます。非常に苦々しいことです」と。

これを聞いて、長政は、左近を賞したと云う。もちろん、それ以後、謡曲を、ぷっつり止めたそうだ。直言を聞いた長政も偉いが、周囲の雰囲気に乗じず、常に忠義の道を心得、直言した毛利左近も、なかなかの人物だ。

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2013年6月22日 (土)

箸使いの作法

箸使いについては、以前にも記したが、相当前なので、また記してみる。テレビを視ていると、箸使いの悪いタレントが出ていることがある。あれを見ると、あまりいい気はしない。子供たちが見れば、あれでいいものと勘違いしかねない。箸使いの悪いタレントは、テレビで食事のシーンには出演しないことだ。

基本は、まず持ち方だが、最近は親が子どもに、しっかり教えない家庭もあるようだ。むしろ外人の方の方が、きちんと学ばれていて、持ち方が美しいことがある。流風の時代は、親が何かとうるさかった。「大人になって、お前が恥をかく」と言って。お椀の中の豆を掴む練習をすることを、よくさせられたことを覚えている。

それができるようになると、次に、作法を教えられる。まどい箸、さぐり箸など。どの料理か、決めてから箸を出せと。移り箸もいけないとされた。おかずとおかずの間に、御飯を食するようにと。次に、子どもの時は、なかなか難しいけれど、ねぶり箸、よこ箸。要するに、箸をなめることは禁じられた。また食べ終わった箸を置く方向も決まっている。逆に置くと、死人の箸となると叱られたことがある。

その他にも、「菜越し」、「込み箸」、「にぎりこ箸」、「ちょうふく箸」などある。これらのことは、子ども時代は、うるさく聞こえるけれど、正しい姿勢で、美しく食することは、健康にもよいと分ったのは、大人になってからだ。子ども時代の悪い癖は、なかなか直らない。親御さんは、気を付けて欲しいものだ。

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2013年6月21日 (金)

伊藤仁斎の容貌

江戸時代の儒学者、伊藤仁斎は、高い品格の容貌と公家たちから評されるほどであったという。彼は、実際、道すがら、公家と間違われたりしている。彼は、どのような容貌だったのだろうか。

彼は、儒学に於いて、「理」より「情」を優先した。そうしたことが顔に現れたのかもしれない。そして、何事にも、偉ぶることが無く、恭しく慎み深い人であったようだ。人の心は、顔に現れる。何人も、心の手入れは大切だ。

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2013年6月20日 (木)

軍師官兵衛の妻~光(てる)について

一般に軍師というと、謀略をめぐらし、敵方を討ち取るために、策を練る人物ということになろう。彼らの行動は、敵を欺き、場合によっては、味方をも欺く。よって軍師という人物像は、嫌な奴らと思われがちだ。

しかしながら、流風が、かつて接した企業の戦略参謀家と言われる人々は、皆、常識人で、努力家で人間味溢れる方ばかりであったと思う。彼らが一般人と異なるとすれば、それは常識を疑うことだろう。過去に学び、現在の状況を把握し、未来を予測し、常に仮説と検証を繰り返す。

そのような軍師の妻像は、いかばかりか。一般に成功した戦略家の妻と言われる人々は、普通の人である。強いて言えば、彼らの行動を明るく見守っているというイメージだ。だから、彼らの仕事に口を挟むことはない。

それでは、軍師官兵衛の妻・光(てる。雅号 幸圓(こうえん))の場合は、どうであっただろうか。残念ながら、彼女に関する資料は、あまり残っていない。

はっきりしていることは、まず、官兵衛22歳の時、光15歳を娶っている。彼女は、現在の兵庫県加古川市の志方城の城主・櫛橋伊定(これさだ)の娘で、官兵衛の主君、小寺政職(まさもと)の姪であった。

彼女は、光の方、光姫とか言われているが、戦国時代には珍しく官兵衛ただ一人の妻であった。官兵衛が側室を設けなかったのは、彼女に何か惹きつける魅力的な女性であったからだろう。軍師・戦略家というものは、その実、ストレスが大きい。彼女は、そのストレスを十分解消してくれる役割を果たしていたと考えられる。

黒田家譜によると、光は、容姿端麗、貞淑で、体格は、官兵衛より大きかったらしい。官兵衛自体は、細身で小柄だったようだ。官兵衛、それを補うように智略に通ずるようになる。母は、官兵衛夫婦は、ノミの夫婦(ノミはオスよりメスの方が大きいことから)だったと言っていたから、昔から、地元の皆誰も、そのように思っていたようだ。また光の性格は、おおらかだったという。それは法号・照福院からも、その人柄が偲ばれる。

先日、大河ドラマ 『軍師官兵衛』の配役が発表されたが、何と光姫には中谷美紀さんが充てられていた。 彼女は身長160センチだから、現代では、そんなに大きくない。そして、彼女は、かなり癖のある女性を演じることが多い。よってミスキャストとは言わないが、少しイメージが異なる。流風の独断のイメージでは、綾瀬はるかさんが適役だが、今年大河に出演されているので、それは不可能。

後は、中谷美紀さんが、変にひねくれた光姫を演じないことを祈るのみだ。彼女も役者のプロだから、それは弁えていると思うので、そこに期待しよう。役柄として、出過ぎないことだ。また官兵衛を演じるのは、岡田准一さんで 推定身長169センチらしい。これでは、ノミの夫婦にはならない。まあ、その点は目をつぶることとしよう。そのことはドラマの大勢に影響はない。ただ最近の大河の失敗は、主人公にしっかり焦点を当てていないとことだ(主人公の周辺環境を描きすぎて散漫になり、テーマが放置されている)。人間官兵衛をしっかり描いてもらいたいものだ。

*追記 光姫

1627年(寛永4)75歳の生涯を閉じる。官兵衛の死から23年、長政より4年長く生きた。当時としては長生きだ。推定するに、楽天家の性分だったかもしれない。法号は照福院。

*平成26年03月20日追記

大河ドラマ『軍師 官兵衛』における官兵衛の妻、光の描き方には、やはり若干の違和感を感じる。演じている中谷美紀さんの個性を活かそうとしたのか、光は現代的な女性のように演じさせている。確かに、光については、確かな史実が少なく、どのようにも描けるのは間違いないが、やや考察に欠ける感じがする。中谷美紀さんが熱演すればするほど、白けてくる。それは次の三点だ。

まず、第一点として、軍師の妻という立場だ。官兵衛が当時、自分自身を軍師として感じていたかは別にして、彼のようなタイプには、あまりうるさい妻は似合わない。もしそうだったとしたら、彼は、委縮してしまって、あのように自由自在の発想はしていないだろう。

第二点は、官兵衛は、早く母を失い、父は後妻を迎え、子供時代、寂しい思いをしている。それを打ち消すかのように、野原を走り回り、あるいは歴史本などを読みふけったりしている。よって、彼が妻に求めたのは、見守る母親のような存在だろう。決して対等なパートナーを求めていない。

第三点は、光は播磨の女性で、地方の戦国時代の女性であること。現代と違い、男優位の時代だ。妻が意見を挟める環境にはない。せいぜい寝屋で甘えるくらいだ。農民出身の秀吉・ねね夫婦は、武家社会からすると異色の存在だ。彼らと一緒にしてはならないだろう。

全般的に、大河ドラマとは言え、現代的に作られているため、変な錯覚を起こさせる。時代考証がいい加減と感じる。ただ、大河ドラマも単なる時代劇として視れば、それなりに楽しめるのも確かだ。

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2013年6月19日 (水)

ポスト安倍は誰か

G8では、安倍首相は一人悦に入っているようだが、アベノミクスは、将来の恐慌ネタをばらまいているだけだ。現在、景気がよくなっているというのも、所詮、作られた数字に過ぎない。もちろん、全てが全て政策が間違いと言うつもりはない。だが、見掛けの数字で喜んでいられる状態ではないだろう。彼の上調子の話しぶりには懸念を感じる(*注1)。

また北朝鮮外交では、米国に知らせず秘密外交を展開しようとして、米国から睨まれている。これは小泉元首相と同じことだ。小泉元首相も、米国と相談せず、「日朝平壌宣言」を出して、米国から睨まれ、その後は米国に対して土下座外交を展開し、日本は多くのデメリットを背負った。安倍首相は、この事を学ばず、同じ様なミスをしている。既に、彼の首相としての政治生命は風前の灯と言えないこともない(少なくとも、米国に急所を握られている)。

それに、安倍氏が指名してなった高市自民党政調会長が、福島原発事故で直接の死者は出なかったと発言し問題になっている。やはり、自民党の驕りの発言が出てきた。福島原発事故被災者の事は何も考えていないのだろう。よって首相も同様のことを考えているのだろう。

彼女の発言は、安倍首相の原発再稼動の意向を受けての発言と見られている。大体、福島原発事故処理の目処や使用済み核燃料の処理方法も確定していない段階で、原発再稼動はありえないだろう。自民党と原発推進勢力の癒着が見え隠れする。また再稼動は、米国の意向を汲んだとしても、拙速ではないか。

更に安倍政権には、ネットを含め言論封殺の動きがある(*注2)。安倍首相も、元外務官僚を批判するなど、おかしな言動が目立つ。元外務官僚は現在、民間人だ。何を言っても許されるはずだ。外交手法には色々考え方があるだろうが、安倍首相のトップとしての発言としては決して容認できるものではない。言論の自由を否定するだけでなく、彼の器のなさを感じる。彼では政権運営は無理だろう。

それに、怪しい思想信条の日本維新の会(平成28年現在のおおさか維新の会)と組んで、憲法改正を急ごうとしたりして、民主主義を破壊しようとしている。彼らと意思疎通できるということは、彼も、かなり極端な政治思想の持ち主だと言えるだろう。彼らと結託しての拙速な憲法改正は、極めて危険だ。彼らは、右翼だとは言わないが、独裁者志向が強い。危険な全体主義の臭いが漂って来つつある。

早く自民党は、本来の党の持ち味である自由な雰囲気を持ったポスト安倍を決めるべきだろう。野党も、彼を引きずり降ろすべく動くべきだろう。首相がころころ変わるのはよくないが、彼ではどうしようもない。何度やっても、器のない者に日本のかじ取りを任せられない。この流れを止めるべく、野党も国民も、もっと危機感を持つべきだ。

*注1

確かに円安により、輸出企業の利益は、消費税の還付等により、膨らんでいる。ただし、それらの利益の行き先は、多くは株主への配当であり、内部留保に回される。結果的に、内需が盛り上がることはない。むしろ円安による輸入物価の上昇により、国内経済は悪化気味だ。

*注2

実際問題、ブログ等は、恣意的なネットワーク管理ソフトにより、アクセス制限がかけられ、言論の自由を損なっている。

*平成25年6月20日追記

自民党の高市政調会長は、原発関係の発言に対し、謝罪し発言を撤回したそうだが、過去の大臣たちの失言からすると、あれは彼女の本音だろう。自民党には、原発被災者の気持ちが分らない人達がトップ層に居ることが判明した。福島の被災者の方が言われていたが、自民党政治家は、彼らの事など、どうでもいいのだろう。

*平成25年7月6日追記

自民党が、TBSの報道番組が野党寄りだと批判して、自党の議員を出演させないとか言っていた。どうも最近の自民党は、器が小さい人ばかりという印象を受ける。これは小選挙区制の弊害かもしれない。市会議員レベルの人たちが、国会議員になっている感じだ。これは、もちろん、他の党にも同じことが言える。ちまちました議員が多すぎる。

*平成25年12月27日追記

ついにと言うか、予想されていたことだが、安倍首相が昨日、靖国神社に参拝した。これは小泉元首相と同じ過ちを繰り返している。確かに靖国神社の成り立ちは複雑だが、首相は参拝すべきではないだろう。首相を辞めれば、いくらでも参拝できるが、小泉元首相が頻繁に参拝しているということは聞かない。

首相という立場は、外交的に複雑だから、参拝したことは大きな失敗だろう。自ら墓穴を掘ったに近い。最近の中国、韓国の外交は子供じみているが、安倍首相も、それに倣ったとしたら、彼らのことを笑うことはできない。米国あたりは、真剣にポスト安倍を工作するかもしれない。表題の通り、「ポスト安倍」は誰か、まもなく話題になるだろう。

*平成26年2月20日追記

安倍政権がNHKを取り込もうとして、息のかかった人物を選び、会長や委員に選定されているが、彼らの考えを主張して、米国から牽制されている。一体、何をやっているのやら。政治が全く分っていない輩たちだ。民間人であれば、何を言おうと自由だが、NHKのような公共放送に於いては、発言は自ずと制限される。兎にも角にも、安倍政権の周りには口の軽い人物が多過ぎる。結局、彼らが安倍政権の寿命を決してしまうだろう。

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黒田長政の『掟書』を読むⅡ その十

黒田長政の『掟書』を読むⅡは、今回の、その十で最終です。そこには、困窮している家臣を救えとしている。

諸士無力に及びては、不慮の事ある時は、用に立たざるものなれば、兼て無力に及ばぬやうに心を付べし。

要するに、家臣たちが経済的に困窮していては、いざという時、役に立たないと言うのである。ただ困窮にも色々あり、それが、本人では防ぎようのない不幸や家族の不幸から出たものは仕方ないが、本人の贅沢、遊興等、本人の不始末から生じたものは、罰することはしても支援はしないとしている。

以上のように、『掟書』黒田家が、家臣たちの内情に、常に目配りし、家臣団の結束を強めていたことが分かる。組織というものは脆い。蟻の掘った穴でも、崩れていく。これは現代社会で言えば、社員の生活管理までしていたということだ。今は個人のプライバシーがうるさいが、社員の生活指導は、組織運営に有効だろう。

以上

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2013年6月18日 (火)

黒田長政の『掟書』を読むⅡ その九

今回は、家臣にも節約を心掛けるように言った文言を記そう。原文は記さないが、まず、家臣たちに、分相応の物より、控えめな物を持てとしている。そうすれば、家内経済は安定して、いざという時の備えになる。ただし、出陣の折は、財力より、少し、いい物でもいいとしている。要するに、

 兎角、平生みだりに財宝を費やすべからず。

である。浪費をすれば、生活に困り、平時での勤めも十分にできず、戦時にも、全く対応できない。このような者には、罰を下すとしている。これらのことは、現在のサラリーマンにも十分言える事。それにしても、黒田家は、家臣に対して細々と指示している。全ての事に考え深く慎重だったことが、よく分かる。

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2013年6月17日 (月)

神戸ハーバーランドumieに行く

昨日、今年4月19日にオープンした神戸ハーバーランド商業施設umieに行ってきた。ここは、商業施設が進出しては撤退の繰り返しをしてきたところだ。立地はいいのに、なかなか苦戦していた場所だ。今回、どのようになっているか、ずっと気になっていたのだが、やっと行ってきた。日曜日なので人は多い。それもかなり。オープン以来の勢いは失っていないと言うことだろう。

今までの施設とどのように違うのか。店舗をざっと見て回った。まずは一番関心のあった「神戸アンパンマンこどもミュージアム&モール」。神戸駅から海の方に歩いて行くと、行く先々でアンパンマンの石像が設置してある。そこで、多くの家族が写真を撮っておられる。笑顔満開だ。子供も大人も笑顔にしてしまうアンパンマンパワー恐るべし。

じばらく歩いていき、階段を上がると、「神戸アンパンマンこどもミュージアム&モール」だ。朝早くから、ミュージアムには、家族連れで並んでいる。子供たちは期待に胸を躍らせている雰囲気。家族も嬉しそうだ。一応、ここはパスして、モールの方に行く。

そしたら、ここも家族連れでどこも満員。パン屋だけではない。凄いと言うしかない。それに少子化と言うけれど、ここにはもこんなに多くのお子さん達がいる。尤も、彼らを取り巻く両親や祖父母も多いのだが。彼らの熱気に押されて、止むなく退散(笑)。パンフレットだけもらってきた。

そして、横にはモザイクがある。ここは従来と同じ飲食店中心の施設。ただテナントは、以前と変わっている雰囲気。少し庶民的価格かな。ファストフードもある。こちらの施設も人がいっぱい。それなりに潤っているようだ。

そして、umieの「South Mall」と「North Mall」に行く。店舗をざっと見た限りでは、20代、30代をターゲットにした買いやすい商品群が多く、以前の百貨店のような品揃えではない。ここがポイントかもしれない。人は、それなりに多い。特に低層階は人が多かった。飲食店があるからだろう。ファストフード中心だ。客の入りは、店舗によって異なる感じ。

全体として飲食店が少ないかなと思ったら、7月5日に、「North Mall」にフードコートが設けられ、新たに11店舗入るようだ。それらも、ほとんどがファストフードだ。大量に、速く、程よい価格で提供するということなのだろう。

全般的には、購入しやすい価格帯になっており、実売が伴う売り場づくりになっている。そういう理由で集客しやすいのだろう。明らかに対象顧客層を変えている。そして、一番の効果は、何といっても、「神戸アンパンマンこどもミュージアム&モール」だろう。この施設に用事はなくても、人を惹きつけてしまう磁力のようなものを感じる。当面、これらの施設が勢いをなくすことはないだろう。次回は、平日に訪れてみたい。

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2013年6月16日 (日)

明石城に演武の銃声轟く

先日案内した明石における「時のウィーク」の催しを本日(平成25年6月16日)見に行ってきた。本日は、昨日の雨も上がって、朝から快晴。比較的早く着くと、皆さん、朝早くから、たくさんの出店の準備に追われていた。いつもより食べ物の店が多い感じ。大抵、食べ損なうことが多いから、これなら多くの観客が来ても大丈夫な感じ。

そして、目的の「鉄砲隊演武」を観覧。岡山城鉄砲隊の皆さんによるもの。暑い中、大変だと思うが、甲冑姿で、明石公園内を行進され、その後、演武が催された。こんなに間近に見たのは初めて。多くのカメラマンが、シャッターを切っていた。

鉄砲にも色々あるようで、その音は異なる。各銃声は轟き、梅雨も、最早、明けてしまうのではないかと思う感じだった。小さなお子さんも、観覧していたが、あまりの轟音に、思わず「うるさい」と言う子供さんも(笑)。赤ちゃんは泣きだす場面もあった。でも、女のお子さんは割と静かに見ている。ここら辺から、胆力の差が出るのかな(笑)。

それにしても、本日の岡山城鉄砲隊の皆さんによる鉄砲隊演武は見事なものでした。確かに鉄砲とか大砲の轟音は、暑気払いにはいいかもしれない。これも平和だから言えることだけれど。そして確か、今年の姫路お城まつりでも鉄砲隊演武(同じメンバーかも)があると聞いた。その頃は、もっと暑いだろうから、夕涼みがてら今年は行ってみようかなと思っている(*注)。

*参考

   備州岡山城鉄砲隊

      http://www.nihonntou.net/teppoutai.html

   甲冑姿だったので、年齢はよく分からないが、感じでは高齢の方が多かったと思う。

*姫路お城まつりにおける岡山城鉄砲隊による演武

これは8月3日に大手前公園で予定されているのは間違いないようだ。ただ時間は、午後1時から6時の間で、はっきりした時間は発表されていない。夕方ではなく、日中に行われると、夕涼みにはならない。

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2013年6月15日 (土)

黒田長政の『掟書』を読むⅡ その八

官兵衛の時代から、黒田家は節約に励んだ。そのことは、もちろん『掟書』に記されている。

倹約を専として、無益の費なきやうに心を用ゆべし。治世には万の事皆花美(かび。華美のこと)に成りもてゆくものなれば、倹約を旨とせざれば、年々つもりて夥敷費(おびただしきついえ)となり、後には行きつまりて国家を敗るに至るべし。(中略)。財宝をみだりに用ざるは、軍陣天災其外不意の吉凶に備へ、又は諸人に益有る事に用んがためなれば、平生我身の物好を止めて少の費もなく、万の事皆過不及もなきやうに、委しく思案すべきこと肝要也。

祖父は、常々、人間は日々知らず知らず贅沢になっていくから注意するように、と言っていた。今から思っても、彼の指摘は当たっていたと思う。倹約は昔から当たり前のように語られてきた。残念ながら、今の日本は景気がよくないのに、バブル時代の贅沢体質が残ったがための不幸だと思う。

ところが、現在の国家財政に於いて、倹約をしているかと問われれば疑問符が付く。バブル予算は続いているし、国、地方ともに、各省庁の縦割りの弊害に伴い、極めて無駄遣いが多いが、未だに直っていない。そして、もっとも大きな問題は、国民も「公」に対して依存体質が残っていることだ。それが国や地方に浪費を強いている。

よって国側だけでなく、国民側にも、国に対して節約姿勢が望まれる。倹約するのは、将来の有益なことをやったり、各種リスクに備えてやるものだ。将来は何が起るか分からない。それへの備えはやっておく必要がある。そのためには、日々の倹約が大切だ。

*追記

もちろん、ここでは記さなかったが、吝嗇(りんしょく)は、いけないとしている。吝嗇は、目的もなく、私のために、ただただお金を貯めるだけである。それでは人心は得られず、別の意味で、国にを亡ぼす原因になるとしている。

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2013年6月14日 (金)

暑いのは好きだけれど、

寒いより、暑いのが好きだけれど、梅雨の季節に、急に、この暑さ。ここ数日、熱帯夜。まだバテてはいないけれど、ちょっと暑すぎ。昨日は、菜園にトンボがやって来た。どこか、まだ雰囲気が合わない。トンボも、びっくりの暑さかな。農業をされている方々は、少し大変かもしれない。

梅雨の時期に、雨がしっかり降らないと、いい作物ができないと言う。まあ、来週あたりは、雨が降るらしい。そうなると、蒸し暑くなるのかな。まあ、いずれにせよ、当面、暑い暑いと言って過ごすのだろう。読書が、はかどらない。避暑地に行くべきか。喫茶店だけれど(笑)。

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黒田長政の『掟書』を読むⅡ その七

トップになると、段々と本当の事が伝わりにくくなる。そして、ついには「裸の王様」になってしまう。今回の『掟書』の内容は、それを防ぐ手立てとして記されている。少し長いが記しておく。

大国の主将は、君臣の礼儀のみ取繕ひて、定まりたる出仕の対面ばかりにては、たがひの善悪心底分明ならざるもの也。去によつて出仕の外、一ヶ月に両三度づつ、家老中ならびに小身の士たりとも、小分別も有る者を召し寄せ、咄(はなし)を催すべし。其節咄候事は、主人も聞捨、家老中も同前にして、伏蔵なく其時節の事を物語すべし。たがひに心底を残すべからず。

もし遺恨と成る事申出す者ありても、此の会の問答にをいては、君臣ともに少もいかり腹立べからず。或は主人の了簡の事、仕損じありて勘気を申付たる者の侘言等、其外何事によらず、主人へ申達し難き事を残さず語るべし。斯くの如くする事怠らざれば、諸士は勿論、万民の上までも委しく聞ふれて、毎事其善悪明白にはかりて、政道益に成る事多かるべし。

要するに、組織機構が形式主義に陥ると、誰も本音を話さず、建前だけの話になってしまう。そうなると、トップには、本当のことは何も伝わらず、トップの思いも、臣下のトップに対する思いも、分らなくなってしまう。

それを避けるためには、一般的な仕事以外に、無礼講の時間を設け、お互い本音で話し合おうと言うのである。封建時代に、極めて民主的な考え方を持っていたことが分かる。そして、その会では、思っていることを身分の上下関係なく、何を言ってもいい。また、それに対してお互い聞き捨てにし、、関係者は怒ってはならないとしている。

内容に関しては、仮に多少ピントが、外れていても、問題なしとし、とにかく、日頃思っていることを吐き出せと言っている。そして、これを常々やっておれば、誰も不満を持つことが無くなり、政道に適うものになるとしている。

*追記

このことについては、エピソードが残っており、ある時、臣下が、長政のことを徹底的に、こき下ろしたところ、さすがの長政も堪え切れず、少し顔色が変わった。そのことを指摘され、長政は慌てて、顔色を直したらしい。このことを見ても、黒田藩では、様々な意見が活発にやり取りされていたことが分る。風通しの良い組織は強い。このことは、現代の企業組織等あらゆる組織でも有用であろう。

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2013年6月13日 (木)

黒田長政の『掟書』を読むⅡ その六

今回は、トップの遊楽などの道楽を戒めている。その内容は次の通り。

鷹狩鹿狩漁等、其外乱舞遊芸遊宴に必ず長ずべからず。程能(よく)たしなみて、あふれざるやうに心を用ゆべし。殊に農人の痛みと成るべき事は、能思案して堅く慎むべし。

トップというものは、それなりにストレスのたまるものだから、ある程度の遊楽は仕方ない。しかし、それも行き過ぎれば、本来の仕事にも影響するし、民にも迷惑がかかることになる。そうなれば、民心は離れ、政がうまく行かなくなるとしている。遊楽には適切な距離感が必要だということを述べている。

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2013年6月12日 (水)

黒田長政の『掟書』を読むⅡ その五

今回の黒田長政の『掟書』では、政治のあり方を述べている。

国主たる人は慈愛を旨として、人をあはれみ恵む事肝要也。罪人ありともむざと罪すべからず。国中に罪人有るは、政事正しからずして、裁判を行ひ届かざる故也と知るべし。常(つねに)能(よく)吟味を遂げ、あらかじめ罪人のなきやうに、国政を執行すべし。賞罰にくはしく、吟味を経て、人を罪する事は、仁道によりて申付べき事肝要也。

要するに、犯罪が起こるのは政治の責任としている。当時と現在の日本では国情は異なるけれども、政治の善し悪しで犯罪が起るのも確かだ。ただ、当時は年貢の厳しい取りたてで、生活に困窮し、犯罪を犯す人々が多かったことから、この掟では、人を罰する場合、その背景をしっかり調べるようにと記している。民を大切にした黒田家の戒めと言えるだろう。

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2013年6月11日 (火)

野党が消えていいのか

日本維新の会共同代表の橋下氏の失言により、世間では、いや国際的に非難轟々となり、この政党は風前の灯である。もともと、国民政党を目指すには早すぎた。政治家としては、極めて未熟だ。また、その政治手法も、政治独裁を目指しており、感心できない。

更に、前東京都知事にそそのかされて、その気になったのだろうが、気まぐれな意見表明は、国民を惑わせる。国民におもねるように見えて、結局は国民を愚弄しているに過ぎない。主張の内容の是非はともかく、深みが無く、彼には、国民を小馬鹿にしていて、明らかに驕りが感じられる。若いが故の落とし穴だ。

また、日本維新の会に絶縁状を叩きつけた、みんなの党も、ふらふらしている。この党は公務員改革を主として打ち出した他は目新しい政策は見つからない。所詮、自民党の亜流の政策しか打ち出せない。更にトップの資質の問題もある。

民主党も迷走を続けている。小沢氏や鳩山氏が抜けた後も、まとまりに欠ける。対立政策が党内にあっても、かまわないが、船頭多くして、本当にトップに座る人物がいない。それに、野党に転落した自覚が議員に不足して、未だ与党感覚から抜け出せないでいる。よって国民からは政権奪還戦略も見えない。政党の代表になるという使命感も足りないし、代表を支えるスタッフも不足している。各議員の器の確認が必要だろう。誰もが代表になれるわけではない。今の状況だと足の引っ張り合いで、再分裂もありうるだろう。

後は、共産党を除けば、存在感に欠ける政党ばかりだ。しかしながら、国民にとって、自民党一党独裁政治になっていいのかが問われる。参議院選挙で大勝すれば、安倍自民党は、憲法改正で、暴走しそうな感じだ。これでは小泉政権の悪夢の二の舞だ。小泉政権では、郵政民営化で多くの議席を獲得し、その議席数に基づき、公約以外の法律を強行採決している。

やはり健全な野党は必要だろう。野党の、早期の再編による新党という受け皿が望まれる。

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黒田長政の『掟書』を読むⅡ その四

今回の黒田長政の『掟書』は、以前にも少し触れたが、人材登用と褒賞に関するもの

他所の浪人名高きものなりとも、大禄を惜ず、招き寄る事取捨すべし。又主将たる人は、臣下を始め、万人の目利を第一とす。されども我一人の目利を以、小身無礼の者共より、むざと大身に申し付くる事、大なるひが事也。堅く慎み能(よく)思案すべし。軍功有る者には、大身小身によらず、賞禄を惜ず与ふべし。凡(およそ)治世の褒美は、金銀にしくはなし、其旨能々工夫すべし。

要するに、人材は内部で育成し、ヘッドハンティングするなと言っている。また、トップ独断で抜擢人事することも戒めている。そして、成果を上げた者に対しては、身分の上下関係なく、金銭で褒賞を思い切り与えよとしている。

彼は、臣下に褒賞を与えるため、「富貴は望まず」を生活信条として、相当厳しい倹約家だったと伝えられる。それは生活苦の家臣たちを援助するためでもあった。そういうことが、家臣団の結束を強くした。黒田家の礎は、そのようにして築かれた。

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2013年6月 9日 (日)

明日から明石では恒例の「時のウィーク」

毎年6月10日は時の記念日。兵庫県明石市では、今年も6月10日から16日まで、恒例の時のウィークが始まる。今回のテーマは、なぜか、「懐かしの1960年代 時のウィークだよ、全員集合 !」というもの。「全員集合」という響きが懐かしい(笑)。企画されたのが、その年代かな。催しの内容は次のようになっている。

2013年6月10日 

時の記念日のため、10時より明石各所(明石天文科学館とか魚の棚等)で「子午線通過記念証」を配布。ただし、無くなり次第終了とのこと。以前の記憶では、駅を降りたら、もらえたことがあった。

2013年6月15日

11時から17時まで。

明石駅コンコース特設ステージで、「懐かしの60年代コンサート」

2013年6月16日

10時から16時まで、明石公園(西芝生広場・東芝生広場)にて各種催し。

  ★鉄砲隊演武(10時から12時)

  ★武者行列

 ★生け花展

 ★歌・ダンスのパフォーマンス・ステージ

 ★フリーマーケット

 ★ブースストリート

 ★時の迷路2013

  ★歴史クイズギャラリー

 ★本格手づくりヨロイ教室

 ★明石プラモデル甲子園in 時のウィーク等々

時々、気まぐれにお邪魔しているが、もしかしたら、今年あたり、行くかも。多分16日になるだろうな。終日いることはできないだろうが、少し覗いてみようかなと思っている。また天候にもよるが帽子等は必携だ。

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2013年6月 8日 (土)

播州弁 その十九 「しんどい」と「えらい」

以前、播州弁を紹介したが、多少抜けているので、今更ながら、追加。

今回は「しんどい」。くたびれるの意。朝から、炎天下の中、作業して、「ああ、しんど。えらいから、ちょっと休むわ」とか言う。「しんどい」とも言うし、「しんど」と縮める時もある。「えらい」は、身体が「辛い」というニュアンス。

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黒田長政の『掟書』を読むⅡ その三

今回も、前回の続き。

「又家老為る可き者の威高ぶりて、諸士に無礼をなし、末々の軽きものには、詞をかけざるやうにする時は、下に遠く成る故に、諸士隔心して、上部の軽薄なる礼儀ばかり勤る故、諸士の善悪得不得手知らずして、其身に不得手なる役を申付るに依て、かならず仕損じあり。旨儀によりては、其者身上を亡すに至るべし。(以下省略)」

重臣たちの下士に対する心構えを説いている。現代でも、上司と部下の距離感は難しいものがある。上司と部下の間に距離があると、仕事がうまく運ばないことは確かだが、適切な距離と部下の上司に対する礼節は大切だ(*注)。

ただ、ここでは、長政は、まず重臣たちの下士に対する日頃の態度と接し方が大切と説いている。そうすれば、下士たちの、それぞれの適性が分り、適材適所の人事配置ができるとしている。

また下士の人事配置を決める時は、適性に十分配慮し、家臣一同の協議によるものとし、それを違えた時は、その家臣を罰し、また仮に下士が失敗しても、下士に対しては咎めてはならないとし、扶持を召し上げてはならないとしている。基本的に、人事は管理者の責任としている。

*注

最近の若い人の中には、礼節を弁えない人達がいるが、それはいずれ自分が上司になった時、不満を感じるようになるだろう。

次回に続く。

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2013年6月 7日 (金)

個と全体のバランス

アジア最終予選でオーストラリア戦を引き分け、サッカーの2014年ワールドカップブラジル大会出場を決めた後、本田圭佑選手は、笑顔一つなく、次のように語ったという。

 「どうやって自立する選手になって個を高められるか」

日本のサッカーチームにどういう問題があるのか、流風はサッカー事情に詳しくないので、論評はできない。ただ、本田選手の真意は分りかねるが、各人が主体的に自分で考え、自律的に動くサッカーを促しているのかもしれない。世界のチームで活躍するが故に、日本の選手に歯がゆいものを感じたのだろう。

どの世界でも、個と全体の問題はある。いくら、すぱらしい能力を持っていても、チームとして、ばらばらであれば、全体として機能しない。また逆に、チームとしてまとまっていても、個が他者に寄り掛かっていては、強くならない。仮に、一つの個が突出して全体を引っ張っていても、そこには限界がある。

よって、個は、他の個の存在価値を認めつつ、自分という個を全体を睨みながら、現状を否定して、常に高めていくことが求められる。また、新しい目標に向かって、全体から個のそれぞれの役割を客観視し、不足を補う努力も必要もある。組織に於いて、個の意識を高めるには、それなりの課題を明確にし、個に落とし込むことが求められる。

*追記

少し回りくどく記してしまったが、簡単に言えば、個は全体であり、全体は個であるということ。サッカーの例をとれば、11人のプレーヤーは、それぞれの持ち場のリーダーであると同時に、場合によっては、皆、全体のリーダーになりうるということ。各人に、そのような自覚と心構えがないと、戦いに勝利することは難しい。以上のことは、あらゆるサービス組織にも言えることである。

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2013年6月 6日 (木)

黒田長政の『掟書』を読むⅡ その二

今回は前回の記事(その一)を分りやすく詳しく説明している。

家老中兼て其旨を相心得、主人の佞臣に心を奪はれざるやうに、きびしく諫言すべし、又家老などは相口不相口によりて、仕置の上にあやまち出来る事有べし。相口のものには贔屓の心付て、悪をば善と思ひ、或ひは賄賂にひかれ、或は追従軽薄に迷ひて、悪敷と知りながら、をのづからしたしむ事もあり。不相口なるものは、善人をも悪人とおもひ、道理をも無理のやうに聞あやまるものなれば、相口不相口によりて、政事に私曲出来るべし。家老中能々心得べき也。

人間社会は、どうしても好き嫌いが伴うものであるが、政治や事業に於いては、冷静に人物を分析して、本当に役立つ人間か判断しなければならない。その判断の善し悪しで結果が違ってくる。基本は、人間性と能力のバランスであろう。

次回に続く。

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2013年6月 5日 (水)

黒田長政の『掟書』を読むⅡ その一

今回から、「黒田長政の『掟書』を読むⅠ」に引き続き、「黒田長政の『掟書』を読むⅡ」を記す。内容は、組織運営における人間観だ。

凡(およそ)君臣傍輩万民の上迄も、相口不相口という事あり。

主君の家臣を仕ふ事、此意味有る事を知りて、常に思慮を怠らず、よく慎みて油断すべからず。

家人多しといへども、其中に主人の気に応ずる相口成るもの、善人なれば国の重宝となり、悪人なれば妨げと成るものなれば、是軽々敷事にあらず。

彼は、相口不相口という言葉を使って、要するに、人間社会にはウマが合う、合わないということがあるとし、それをよく理解して、組織を運営する必要があると指摘している。

ただ、君主とウマの合う家臣が善人だと、国に幸いだが、悪人だと国には害悪になる。これを防ぐには、君主は、人間をよく観察せよと指摘しているようにも聞こえる。

単に好き嫌いの感情で判断すると、人を見間違えると言っている。これは現代社会の、あらゆる組織についても言えることだろう。

次回に続く。

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2013年6月 4日 (火)

高齢者の株式投資に思う

先日テレビを視ていたら、高齢者で株式投資している人の紹介があった。一人は数年前から退職金の一部を投資し、今回の相場で投資資産が、ほぼ倍になっているとし、もう一人の人は、かなり前から投資しているけれど、赤字だと言っていた。彼らが本当のことを言っているか分らないが、高齢者で株式投資している人は比較的いるのかもしれない。

そういうと、父も高齢になっても、ボケ防止だと言って、小額の株式投資を続けていた。株で儲けると言っても、単に売り買いを楽しんでいるようだった。だから、証券会社に貢献しているようなもののように見えた。父のように小額であれば、実害は少ないかもしれない。

しかしながら、投資の世界は、プロを相手にするものだから、あまり多額の投資は一般人には不向きだろうし、まして高齢者は望ましくない(*注)。よく高齢者の方が、高い利回りにつられて、詐欺まがいの投資をされて、莫大な損害を受けている報道がされるが、本来、高齢者に投資は無用のはず。それは株式投資も同様だ。

少しでも増やしたいという欲が、大損害を受ける羽目になる。高齢者は、投資するというより、いかに計画的に消費するかが大切であろう。以前にも記したが、お金は持って死ねない。子どもたちに遺すのも、ほどほどにする必要がある。なぜなら、お金は自分で稼ぐものという意識が薄いと、将来、子どもに問題が起りかねない。

高齢者は、せいぜい、父のやったように、ボケ防止で、小額の金額だけ、投資することが望ましい。金融資産のある高齢者は、もっと適切に国内で散財してほしい。そうすれば、内需が、もう少し活性化する。

*注

一般に高齢者の投資は、海外投資家やファンドの餌食になっていることは確かだろう。若い人たちにとっても、結果的に日本の金融資産が海外に流出することは望ましくない。

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2013年6月 3日 (月)

他人の子供を育てるということ

カンヌ国際映画祭で、審査員特別賞を受賞した、是枝裕和監督、福山雅治主演の『そして父になる』は、赤ちゃんの取り違えで、他人の子どもを育てた苦悩を描いたもののようだが、鳥の世界では、託卵といって、他の鳥の巣に卵を産みつけるものもある。

有名なのが、カッコウやホトトギス。他の巣の卵を一つ取り除き、自分の卵を産みつける。カッコウは、ホオジロやオオヨシキリの巣に産みつけ、ホトトギスは、ウグイスの巣に産みつける。育てるのは、産みつけられた巣の鳥だ。他の鳥の卵とは知らず、一生懸命育てるらしい。そして、育ったヒナは、本来の巣の卵を背に負って投げ捨てるという、おまけもついている。

何と云う因縁か。果たして、人間の世界では、どのようであるだろうか。ただ、他の子どもと知らず、育てているうちは、案外、幸せなものかもしれない。しかしながら、血液検査等で、後々、判明してしまうから、その心は複雑になる。なかなか宗教者のように、子どもは世界の皆の子どもとは、思えないからだろう。“血”というものは、難しく、理屈では解決できない。

*追記

ちなみに、先日取り上げたイギリスの詩人ワーズワースは、カッコウが好きで詩にしているほどだ。自分自身をカッコウの卵に見立てたのだろうか。

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2013年6月 2日 (日)

昔のバラードが聞きたい

ポピュラー音楽のバラードの全盛というと、30年以上前ということになるのだろうか。例えで言えば、007シリーズだって、「007 オクトパシー」を最後に、バラードは止めてしまった(映画の内容も、変わってしまった)。この映画が作られたのが1983年だから、ちょうど符合する。

それ以後もないではないが、格調高く歌い上げる曲調は減っているように思う。もちろん、音楽に、そんなに詳しくない流風が言っても説得力はないのだが。ただ、若い時は、すなわち10代から30代にかけて、バラードは全盛だったし、今でも耳は覚えている。

そのような時代の音楽を聞くとほっとする。そのような曲をCDセットにして販売もされているが、中には馴染みのない曲もある。曲を選択できるオリジナル構成のCDを作ってくれたら有難いのだが。

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2013年6月 1日 (土)

年寄りの冷や水ということ

登山家で今年80歳になる三浦雄一郎さんがエベレストに登頂して話題になったが、一般的には、年寄りの冷や水であろう。彼の場合は、周囲が周到に準備したであろうから、何とかなったが、普通は、あまり褒められたことではない。

実際、高齢者で登山して、遭難するケースは多い。ちょっとした山菜取りのつもりで出かけて、遭難した例もある。不幸にも亡くなっていることも多い。幸い助かっても、大怪我の可能性もある。家族や周囲には極めて迷惑なことであろう。

以前にも記したが、高齢者は往々にして、自分の体力を過信したり、環境条件の変化に適切に対応できなかったりする。それを無理することを昔から、年寄りの冷や水とか、年寄りの木のぼりとか言って警告してきた。

同様に、年寄りの山登りは、周囲と相談し、自制すべきだろう。決して、三浦氏の真似はしてはいけない。政府も、挑戦する心意気は評価しても、三浦氏を称えて、山登りに高齢者を煽るようなことはすべきではない。

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