« ポスト安倍は誰か | トップページ | 伊藤仁斎の容貌 »

2013年6月20日 (木)

軍師官兵衛の妻~光(てる)について

一般に軍師というと、謀略をめぐらし、敵方を討ち取るために、策を練る人物ということになろう。彼らの行動は、敵を欺き、場合によっては、味方をも欺く。よって軍師という人物像は、嫌な奴らと思われがちだ。

しかしながら、流風が、かつて接した企業の戦略参謀家と言われる人々は、皆、常識人で、努力家で人間味溢れる方ばかりであったと思う。彼らが一般人と異なるとすれば、それは常識を疑うことだろう。過去に学び、現在の状況を把握し、未来を予測し、常に仮説と検証を繰り返す。

そのような軍師の妻像は、いかばかりか。一般に成功した戦略家の妻と言われる人々は、普通の人である。強いて言えば、彼らの行動を明るく見守っているというイメージだ。だから、彼らの仕事に口を挟むことはない。

それでは、軍師官兵衛の妻・光(てる。雅号 幸圓(こうえん))の場合は、どうであっただろうか。残念ながら、彼女に関する資料は、あまり残っていない。

はっきりしていることは、まず、官兵衛22歳の時、光15歳を娶っている。彼女は、現在の兵庫県加古川市の志方城の城主・櫛橋伊定(これさだ)の娘で、官兵衛の主君、小寺政職(まさもと)の姪であった。

彼女は、光の方、光姫とか言われているが、戦国時代には珍しく官兵衛ただ一人の妻であった。官兵衛が側室を設けなかったのは、彼女に何か惹きつける魅力的な女性であったからだろう。軍師・戦略家というものは、その実、ストレスが大きい。彼女は、そのストレスを十分解消してくれる役割を果たしていたと考えられる。

黒田家譜によると、光は、容姿端麗、貞淑で、体格は、官兵衛より大きかったらしい。官兵衛自体は、細身で小柄だったようだ。官兵衛、それを補うように智略に通ずるようになる。母は、官兵衛夫婦は、ノミの夫婦(ノミはオスよりメスの方が大きいことから)だったと言っていたから、昔から、地元の皆誰も、そのように思っていたようだ。また光の性格は、おおらかだったという。それは法号・照福院からも、その人柄が偲ばれる。

先日、大河ドラマ 『軍師官兵衛』の配役が発表されたが、何と光姫には中谷美紀さんが充てられていた。 彼女は身長160センチだから、現代では、そんなに大きくない。そして、彼女は、かなり癖のある女性を演じることが多い。よってミスキャストとは言わないが、少しイメージが異なる。流風の独断のイメージでは、綾瀬はるかさんが適役だが、今年大河に出演されているので、それは不可能。

後は、中谷美紀さんが、変にひねくれた光姫を演じないことを祈るのみだ。彼女も役者のプロだから、それは弁えていると思うので、そこに期待しよう。役柄として、出過ぎないことだ。また官兵衛を演じるのは、岡田准一さんで 推定身長169センチらしい。これでは、ノミの夫婦にはならない。まあ、その点は目をつぶることとしよう。そのことはドラマの大勢に影響はない。ただ最近の大河の失敗は、主人公にしっかり焦点を当てていないとことだ(主人公の周辺環境を描きすぎて散漫になり、テーマが放置されている)。人間官兵衛をしっかり描いてもらいたいものだ。

*追記 光姫

1627年(寛永4)75歳の生涯を閉じる。官兵衛の死から23年、長政より4年長く生きた。当時としては長生きだ。推定するに、楽天家の性分だったかもしれない。法号は照福院。

*平成26年03月20日追記

大河ドラマ『軍師 官兵衛』における官兵衛の妻、光の描き方には、やはり若干の違和感を感じる。演じている中谷美紀さんの個性を活かそうとしたのか、光は現代的な女性のように演じさせている。確かに、光については、確かな史実が少なく、どのようにも描けるのは間違いないが、やや考察に欠ける感じがする。中谷美紀さんが熱演すればするほど、白けてくる。それは次の三点だ。

まず、第一点として、軍師の妻という立場だ。官兵衛が当時、自分自身を軍師として感じていたかは別にして、彼のようなタイプには、あまりうるさい妻は似合わない。もしそうだったとしたら、彼は、委縮してしまって、あのように自由自在の発想はしていないだろう。

第二点は、官兵衛は、早く母を失い、父は後妻を迎え、子供時代、寂しい思いをしている。それを打ち消すかのように、野原を走り回り、あるいは歴史本などを読みふけったりしている。よって、彼が妻に求めたのは、見守る母親のような存在だろう。決して対等なパートナーを求めていない。

第三点は、光は播磨の女性で、地方の戦国時代の女性であること。現代と違い、男優位の時代だ。妻が意見を挟める環境にはない。せいぜい寝屋で甘えるくらいだ。農民出身の秀吉・ねね夫婦は、武家社会からすると異色の存在だ。彼らと一緒にしてはならないだろう。

全般的に、大河ドラマとは言え、現代的に作られているため、変な錯覚を起こさせる。時代考証がいい加減と感じる。ただ、大河ドラマも単なる時代劇として視れば、それなりに楽しめるのも確かだ。

|

« ポスト安倍は誰か | トップページ | 伊藤仁斎の容貌 »

姫路と播磨」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« ポスト安倍は誰か | トップページ | 伊藤仁斎の容貌 »