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2013年8月31日 (土)

池田輝政のエピソード その六

輝政は、多くの家臣の不祥事を彼の一言で救済している。官僚的な家臣の讒訴に近いものも退けている。それらの多くは、失敗した家臣たちの実績に配慮して、そのようにした面もあるが、そこが彼の度量であろう。具体的な例は、次のようなものだ。

一、高砂の城代であり、付近の村々の代官を務めていた中村主殿(とのも)という者がいた。ある時、現代で言う会計検査に引っ掛かり、帳簿に相当な額の穴が開いていた。それを勘定方が責めたところ、「城中に不足の物がある」と言う。そして案内されていくと、武具や馬具が整い、浪人をたくさん扶助していることが判明。でも、会計上は大問題。そのことを輝政に報告すると、「俺の思いを実現している」と、全く問題にしなかったと伝えられる。

二、ある家臣が、就寝中に、両刀を盗まれた。これは武士にあるまじき恥として、城内、大騒ぎになった。その家臣は、武士を辞める決心をして、その意向を伝えると、輝政は直接、その者を呼び出し、義経の忠臣、佐藤忠信の例を出し、寝入った時は、誰でも、そういう不覚はあるとし、問題なしとした。その家臣は、引き続き、更に励んで奉公したと云う。

三、武功があった土肥周防という人物は、五千石を与えられていた。彼が夜中、馬に乗って、播州印南野(いなみの)を通っていた時、轡(くつわ)が緩んだところを掛け直させていると、そこを襲われ、股を斬られ、落馬し、曲者を逃した上、馬にも乗れず駕籠で姫路に帰る。この事が噂になり、多くの人に謗られることになった。この事を聞いた輝政は、「武勇の者だから夜襲われたのだ。それに一太刀だけで曲者は逃げている。彼の強さを知っていた証拠だ。馬が踊り上がれば、落馬するのは当たり前で、むしろ悪口を言う方が悪い」と言い、全く問題にしなかった。そうすると、たちまち悪口は収まった。周防は、輝政の恩情に感謝して、更に奉公に励んだと云う。

失敗をした家臣は、それぞれ実績があった者と考えられるが、私する不正でない限り、輝政は家臣を守り、大切にしたということは確かだろう。誰でも、トップから、このように接せられれば、より働こうというもの。これは現代の経営でも言える。

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