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2013年8月23日 (金)

池田輝政のエピソード その二

池田輝政は、最終的には姫路藩52万石の大身になっている。だが、大身の割には生活は質素で、小身の大名クラスの生活をしていた。非常な倹約家で、大奥の費用も切り詰めていたと云う。なぜ、そのようにしたのか。

それは彼が大国の役割を、よく知っていたからだ。すなわち、大国の役目は、「天下の干城たることを守る」ことと認識していた。干城とは、『詩経』にある言葉で、干(たて)と城の意だ。天下の要所である姫路城で、いざという時のための武士を養い、将来に備えておくことに留意した。

そのための倹約で、そのようにして得た金で、諸国の優れた浪人を全国からかき集め、金銀米穀を与えて、生活を扶助している。よって家来の数が非常に多かった。但し、細々としたことは言わず、家臣に任せて、収支勘定は、とやかく言わなかったという(*注)。

*注

念の為に記すと、家臣の中に、細々と色々うるさいことを言う者が居たに違いない。輝政は、バランスよく、その役割を果たしたのだろう。そうでなければ、藩の経営は成り立たない。

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