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2013年9月28日 (土)

黒田官兵衛の足跡 その五 信長・秀吉との出会いと毛利との戦い

天正3年(1575年)に、使者として、京で信長に会い忠誠を誓い、息子の松寿丸(後の長政)を信長のもとに人質として差し出す。付き人は、松寿丸より3歳年長の井口平助(後の村田出羽守)だった。

これが功を奏し、信長より、名刀「圧切長谷部(へしきりはせべ)」を賜る。信長の信頼を得、それを機会に信長に播磨への進出を促す。松寿丸は、秀吉の正室・於祢(おね)が預かり、虎之助(後の加藤清正)や市松(後の福島正則)らと自由闊達な日々を送っている。これは、彼らの将来を運命づけている。

そして、官兵衛は、信長より命ぜられ、毛利討伐の総大将になる秀吉と、新しい時代を築こうと意気投合する。秀吉にしても、信長軍団の中で、目ぼしい成果を挙げるには、優秀な人材が必要だった。秀吉は信長に請いて、官兵衛を貰い受けたのだった。

秀吉には、竹中半兵衛を、既に三顧の礼で軍師に迎えたが、健康上の問題を抱えていたから、新しい人材が必要だった。だから、どうしても、彼に代わる優れた軍師が必要だった秀吉には、官兵衛は、ちょうどいいタイミングで現れたことになる。

天正4年(1576)、毛利方・浦宗勝の兵五千が、英賀城の城主・三木通秋を援護するため、夢前川を遡上してくる。官兵衛は、奇策にて、五百の兵で退けることに成功する。これにより、信長より感状を贈られる。

天正5年(1577)10月、秀吉は、兵六千で播磨入りする。官兵衛は、調略により、播磨の諸将を説得し、織田の見方につけている。調略というと、秀吉のお家芸と見られているが、実際のところは、播磨での調略は官兵衛が全てお膳立てしたものであった。

その後、官兵衛の調略の働きにより、播磨の有力土豪を取りまとめ、彼らの人質を確保し、彼らは次々と織田方に靡いていた。それは難敵と謂われた三木城の別所長治も同様だった。もちろん、調略でも、従わないところもある。そこには、力攻めだ。

秀吉は、毛利方の佐用(福原)城と上月城を攻める。佐用城攻めの先陣を官兵衛が受け持つ。城の三方を囲み、一方をわざと開けておく、いわゆる孫子の兵法を用い、城兵が活路を目指して出ていくのを狙って、城主福原則尚を討ち取り、目覚ましい活躍をしている。

この時、軍師・竹中半兵衛と、肝胆相照らす交わりをもったという。ちなみに、秀吉を支えた軍師として、彼らは「二兵衛」と言われるのだが、半兵衛は、早逝しているので、秀吉を実質、天下人に押し上げたのは、官兵衛ということになる。ただ、どちらが軍師として優れていたかという比較できない。

半兵衛は、官兵衛の理路整然と論理的に物事を進めるのは感心だが、「情」の面で厳し過ぎると危惧していたようだ。半兵衛は、多分、学者的で人間的に優しい所があったのだろう。それは官兵衛自身が半兵衛に心酔していることからも明らかだ。同じ軍師でも性格の違いが出ている。官兵衛は、半兵衛の見た通り、後、秀吉から警戒される。

しかしながら、半兵衛亡き後、引き継いだ官兵衛は、自らの軍を率いて、その後の秀吉の戦いに、ほとんど参戦し、功をあげていることからして、理論と実践、両面で優れていたことは間違いない。それゆえ、半兵衛に比して、厳しい人間的側面があったことは否めない。

さて、勢いをかって、毛利の援軍・宇喜多直家の兵5千を退け、上月城は目前となり、風前の灯となった。城主・赤松政範は自刃し、開城する。秀吉は落とした上月城に出雲の尼子氏の後裔の勝久を城主に迎え、尼子家再興の夢を叶えさせる。そして、城番として、尼子十勇士の一人として名高い山中鹿之助を置く。

ところが毛利の再襲来で、上月城は再度、毛利の手に落ちる。城主は、上月景貞が返り咲く。秀吉は、更に再攻撃し、落城。上月景貞を残虐な方法で殺戮。彼の正室や子供も、そのようになるはずだったが、正室は官兵衛の義姉だったため、官兵衛が助命嘆願し、秀吉も許したという。ここに、官兵衛の性格が出ている。これは妻の意向を受けたものだったかもしれない。

ところで、上月城は再度、勝久と鹿之助に任せられるが、信長は、裏切った別所長治が城主の三木城に全勢力を傾けた。秀吉軍も、三木へ回ったため、手薄となった間隙をぬって、毛利の吉川と小早川の両川が三万という大軍の再々襲来で、勝久は自決し、鹿之助は、備中松山城に送られる途中殺害される。尼子家の再興は、これにより消え去った。

次回に続く

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