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2013年9月11日 (水)

秋の月の漢詩 その三 真山民の「山中月」

今回は、明確に秋の月の漢詩とは言えないが、取り上げてみる。それは真山民の「山中月」。宋時代の哲学者の孤独な思いを詠ったものだ。

 我は愛す 山中の月

 烱(けい)然として 疎林に掛るを

 幽独の人を憐むが為に

 流光 衣襟に散ず

 我が心本 月の如く

 月も亦(また) 我が心の如し

 心と月と両(ふたつ)ながら相照らし

 清夜 長(とこし)えに相尋ぬ

見慣れない文字「烱(けい)然」は、光り輝く様を指し、「疎林」は、落葉後、すかすかになった林を指す。よって、この漢詩の季節は冬かもしれない。全体の解釈を試みれば、「私は山中に差し上り、落葉して奥まで見通せる林に光が掛っている月を好ましく思う。それは、まるで孤独な我が身を憐れむために、月の光の流れが、私の衣服を包むように照らしてくれる。私の心も、月の如く、月を愛し、月も、そのようだ。私の心と月は、相照らして、これからの静夜を過ごすことだろう」ということだろうか。

これは、どのような状況で作詩されたのだろうか。単に哲学者の孤独の叫びとも捉えられるが、誰かを失った後で、作られたものかもしれない。哲学者に限らず、誰でも、そういう時はあるかもしれない。

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