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2013年9月 2日 (月)

池田輝政のエピソード その七

輝政のエピソードしては、概ね前回で終わりとなる。もう少し話がないでもない。例えば、輝政は、某庄屋に対して、年貢の減免措置の自筆の条を認めたものが残っているほど、農事に関心を抱いたというもの。

これは、以前、姫路城築城にあたり、莫大な資金を要し、年貢の2割増しの徴収を行ったことの反省があるかもしれない。だが、必ずしも、彼が農民に優しかったわけでもあるまい。基本的に、生かさず殺さずの政策は採られていたと想像される。その中で、飴と鞭をうまく使い分けたことだろう。

ただ、そういうことを割り引いても、織田、豊臣、徳川の三代を渡り歩いた輝政の能力と、それを支えた家臣団は高く評されねばならないだろう。胆力があり、志大きく、勇敢で、家臣を大切にしたから、池田家は生き延びることが出来たのだろう。

だが、池田家も、彼が没して、彼の長男・利隆が継ぐが、すぐに亡くなってしまい、利隆の子・光政は、7歳だったので幕府から体よく、鳥取藩に移封されてしまう。その後は徳川家代々の譜代の家臣たちが姫路に入り、姫路という要所を徳川家本体で押えることになる。

その結果、池田家の匂いは段々と消されていく。結局、池田家の伝統は、因幡藩、備前藩に残ることになる。姫路お城まつりでも催されていたが、備前鉄砲隊はあっても、姫路鉄砲隊がないことからも、そのことは明らかだ。

それはそれとして、輝政と言えば、姫路城を築城したことだけで記憶されている人も多いと思うが、これらのエピソードを踏まえれば、ドラマにしても面白い人物ではなかったか。ドラマなど制作して欲しいものだ。

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