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2013年10月31日 (木)

減塩食を作る その八 減塩ナポリタン

今回は記事にするほどのことではないが、一応記しておく。一般に、洋食は、パン類を除けば、減塩食というケースが多い。今回取り上げるナポリタンも、もともと塩分は低い。だから、「減塩ナポリタン」と言っても、大したことはしない。もともと、スパゲッティーには、うどんやそばのように塩分が含まれていない。

ただ、湯がく時に、こしを強くするため塩を入れるが、減塩のためには塩を敢えて入れない。そうすれば、出来上がりがべちゃっとするして敬遠する方も多いと思うが、ここは思い切って止めるのがポイント。

パスタソースは、市販のものでもナポリタン用は塩分が他の物に比べれば低いが、自分で作った方が、なお低くできる。野菜類を無塩バターで炒め、ケチャップで煮詰めれば簡単にできる。ケチャップにも塩分は含まれるが、低い方だ。

後は、茹でたスパゲッティーをオリーブオイルで軽く炒め、パスタソースを加えて炒めればできる。その他に、付け合わせに野菜サラダ類を用意すればいい。ただスープ類には結構塩分が含まれるので、市販品は避けたい。出汁と野菜類(ショウガ、ニンニク、タマネギ、ニンジンの類)の刻んだものに、ほんの少しの塩で味をつけて温めた程度のものにしたい。

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2013年10月30日 (水)

11月3日の「姫路ミュージック・ストリート」について

毎年、いつも行こうと思うのだが、各種催しと重なり、行きそびれる催しがある。それが「姫路ミュージック・ストリート」。公益財団法人 姫路市文化国際交流財団の主催によるもので、各会場、無料の催しだ。行きそびれるのは、定員があるからだろう。行って満員だったら、入れないし、無駄足になる。こういう催しは、予めの申込制にして欲しいが、そうするつもりはないようだ。

そのことはさておき、今年も平成25年11月3日に「姫路ミュージック・ストリート」がある。会場は、姫路文学館 講堂、姫路市民ギャラリー アートホール(イーグレひめじB1F)、姫路市立美術館 講堂の3会場(詳しい開催時間等は参考参照してください)。

姫路文学館は異なる二回の1時間20分の演奏があり、内容はアンサンブルと映画音楽。定員300名。

姫路市民ギャラリー アートホールも異なる二回の1時間20分。ジャズと映画音楽で、ジャズの方は演奏と歌だが、映画音楽は、三浦紘朗氏による解説による名曲紹介(音楽付き)。定員120名。

姫路市立美術館も異なる二回の1時間20分の演奏。内容は、管楽とアンサンブル。定員は100名。

流風の予想では、多分、姫路市民ギャラリー アートホールには人が集まるだろう。次に姫路市立美術館かな。そして定員の多い姫路文学館は、若干交通の便が悪く、多分、入れると思う。ただ、姫路文学館は音響があまり宜しくない。演奏者にとっても、聴く者にとって少し辛い。その割に定員が多いのはどうしたことか。姫路の財団の催しだから、姫路市の施設を使わざるを得ないのだろう。

さて、どこに行くかは、当日の気分次第(笑)。行くとしたら、姫路市民ギャラリー アートホールか、姫路市立美術館になると思う。果たして、今年は行く気分になるだろうか。

* 参考 姫路ミュージック・ストリートの詳細

      http://www3.ocn.ne.jp/~bunka/jigyo/musicstreet/musicstreet.htm

*追記

「姫路ミュージック・ストリート」は、毎年、開催日が若干ずれる。場所も変更になる事があるので注意。

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減塩食を作る その七 蒸し炒め野菜の南蛮漬け

今回の減塩食は、「蒸し炒め野菜の南蛮漬け」。但し、レシピでは、「揚げ野菜の南蛮漬け」となっていたが、家では基本的に揚げ物は作らないので、少し多めの油で炒め、蒸し焼きしている。

材料はカボチャ、ニンジン、レンコン、インゲン豆等。カボチャ、ニンジン、レンコンは、それぞれ5ミリ程度の厚さに切って、適当な大きさに切る。インゲン豆は爪楊枝に刺しておく。火の通りやすいカボチャとインゲン豆をそれぞれ、多めの油で炒め、柔らかくなったら一旦取り出す。油を足して、レンコンとニンジンを炒め、蒸し焼きにして柔らかくする。

予め用意していた南蛮漬けの漬けタレに20分ほど漬けこむ。漬けタレは、赤唐辛子の小口切り、酢、出汁、しょうゆ少々、砂糖少々で作る。

根菜類を使っているため、カロリーは若干高めになるが、減塩食としては美味しく頂けて食が進む。

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2013年10月29日 (火)

スマホを勧められたが、、、

先日、某所で、スマホを勧められた。だが、携帯さえも十分使いこなせない上に、あの小さい文字は困る。文字は拡大できるようだが、ずぼらな流風は、わざわざ大きくするのも、鬱陶しい。若い人たちは、あの小さい文字を読み、また小さい文字を打ち込んでいるが、あれは真似できない。

スマホは、進化した携帯の一種だろうが、今のところ、それほど必要性を感じない。日本あるいは世界を動きまわっていれば、必要かもしれないが、そういうことのない自分としては、購入しても、現在の携帯同様、宝の持ち腐れとなる可能性が高い。それに通信料も馬鹿にならない。

確かに中年のおばさん達も、スマホらしきものを持って、それにぽちぽち入力している姿は見かける。彼女らは、おしゃべりがスマホに転換されたのだろうか。そうではあるまい。おしゃべりはおしゃべりとして、存在する。ということは、訳の分からないことに時間を奪われていることにならないか。

そういうことで費用対効果の点、時間の無駄ということを鑑みて、丁寧にお断りした。今のところパソコンで十分だ。

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好古園の紅葉会と催し

秋になると、各地の催しは菊花展と紅葉狩りということになる。菊花展は、先月から始まって、11月の中頃まで続く所が多い。家の小菊も、蕾を大きくして、今にも咲きそうな雰囲気。そして、寒くなって色づいた紅葉も、まもなく見られることだろう。各所で紅葉狩りがされることだろう。

姫路城西御屋敷跡庭園の好古園でも、2013年11月15日から12月1日まで、「紅葉会(もみじえ)」と称して開催される。日没からライトアップもされるようだ。そして、この期間に、土日祝日に、潮音斎広間にて、様々な演奏会が催される。秋の午後のひととき(一部午前開始)を、ゆったりと楽しみたいものだ。

なお、好古園は、この期間、金・土・日のみ午後8時まで開園とのこと。入園料大人300円。流風も自宅の紅葉だけでは迫力がないので、タイミングを見て、出掛けてみようと思っている。

*追記

2014年も、似たような催しがなされ、概ね好評のようだ。なお日程等はホームページでご確認ください。

 

 

 

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2013年10月28日 (月)

寒い季節の早起きの思い出と朝の音楽

台風が過ぎ去ったと思ったら急速に寒くなってきた。急いで暖房を出す。まず電気こたつ。ガスストーブは、もっと寒くなってから。夏場は、そんなにエネルギー消費はしないけれど、冬場は毎年、割とかかる。でも、風邪をひかない程度に暖房をしようと思っている。羽毛布団は、重いけれど綿の冬布団にとりあえず変更。

さて、こういう季節になると、朝は起きにくい。布団の中で、できるだけ、ぬくぬくとしていたい。子供時代は、母が早くから「起きなさい」と言って起こしに来て、それには応えず、次に、また起こしに来てやかましく言われ、それでも起きないと、掛け布団をひきはがされ、無理やり起こされた。

未就学時でも、母が必死になったのは理由がある。父は朝、出勤が早かったのだが、朝食は家族全員で摂るというのが父の方針。私が起きてこなくて食卓にいないと父の機嫌が悪くなるからだ。今思うと懐かしい。そのため、早起き習慣が体に染みついたわけだけれど。今は歳のせいで、否が応にも朝早く目覚める。

だが、やかましく言う人はいないので、ゆっくりしたいと思う時もある。でも、いつまでも寝ているわけにもいかない。そこで、毎年のことだが、朝の音楽を変える。それは、ヴィバルディの『四季』、ドボルザークの『新世界』、ホルストの『惑星』。これらを、就寝前の気分で、CDをセットしておく。今朝は『四季』。これらの音楽は、脳を開いてくれるような気がする。少し寒いけれど、気持ち良い朝を迎えた。

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2013年10月27日 (日)

一面的に法律を作ってはならない~特定秘密保護法

日本を取り巻く近隣諸国の各種侵害のため、安倍首相の、特定秘密保護法案への強い思いは分るが、極めて拙速過ぎて危ういと感じる。大体、法律と言うものは、東洋の三原則に基づいて作らなければならない。すなわち事象を根本的に観て、多面的に観、遠い将来を観つつ現在を見る必要がある(念のために記すと、「観る」と「見る」は違う。「観る」は心で見る。「見る」は今の現象を見る。文字転換のミスではありません)。

というわけで、法律は近視眼的に作られてはならないだろう。一つの法律は、作用もあるが副作用もある。そういうことを踏まえて、政治家という立場を離れて、法律を立案することが大切だ。

今回の特定秘密保護法案への取り組みを見ると、外交・防衛に対する危機感は理解できるが、近視眼になっている。最高機密であっても、いずれオープンにして、それが正しかったのか検証は求められる。そうしないと政治レベルが上がらない。

そもそも、秘密というものは、いずれ暴かれる性質のものだということを押えておかなければならない。それに秘密にも賞味期限がある。永遠に秘密にしても、あまり意味はない。政権側に要らぬ疑いをかけられるだけだ。

いつまでも意味のない秘密情報を守る必要はないのだ。大体、国の機密情報と言っても、現代では、その意味は薄れている。そんなに重要な情報は存在しない。もちろん、一定期間、一時的に情報を隠すということはあるかもしれない。

しかしながら、秘密保護を建前に、国が秘密を闇から闇に葬るのは、政治をを堕落させ、将来、この法律を悪用して、ファッショ的体質を生みかねない。その結果、戦前のように治安維持のために秘密警察が跋扈し、冤罪が増えていく可能性も否定できない。

それは国民の活力が削がれ、戦前のように国を弱める結果になる。それほど危険なものを内包している法律だということを認識して欲しいものだ。安倍首相の意図とは全く違う方向に、この法律が利用される危険性があるのだ。

単に米国から提供された外交・軍事情報を守るだけなら、特定秘密保護法案でなくてもいいはずだ。ここは知恵が必要だろう。それに最早、現代では、米国から提供される情報も、それほど重要性はない場合も多い。

それより自ら情報を取りに行く姿勢・体制の方が大切だろう。そして、掴んだ情報を元に外交手段にすればいい。それらは適宜オープンにすればいい。秘密保護法という法律を作って、「秘密保護」の名の下に、国が危うくなり、将来の日本の国民が生きにくくなるようでは、何をやっているのか分らない。

*追記

むしろ日本では、産業スパイに対して厳しい処分ができるようにすることは大切だが、特定秘密保護法案には馴染まない。別の法律が必要だ。ただし、これも技術は陳腐化するため、限界があり、むしろ日本に眠っている技術を掘り起こし、特許技術が利用促進できるように国が仕組むことの方が大切だ。

*追記

与党の出している中途半端な特定秘密保護法が通れば、日本は活力を失い衰退するだう。それは言論を封殺するようになるからだ。特定の秘密を守ることにこだわって、将来の国のあり方を損なってしまう。すなわち、角を矯めて牛を殺す結果になる。法案が通れば、将来を見越して、日本株は売りに出した方が賢明だろう。

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2013年10月26日 (土)

意味のない男女格差ランキング

ダボス会議が主催する世界経済フォーラムは、「国際男女格差レポート2013」を発表したようだが、そこでは、日本は、136国中、105位だそうである。どんな基準なのだろうか。日本の実情を知らぬ観念的な順位付けだろう。

先進国の女性でさえ、日本の女性は恵まれていると指摘する。西欧諸国は、見かけほど平等ではなくて、案外、男女差別は大きい。彼の国に嫁いだ日本の女性たちは、嫌と言うほど、それを感じているだろう。

途上国の女性であれば、日本の女性は、一般の女性でさえ、恵まれた暮らしをしていて、天国のような楽をしていると見ている。彼女らから見れば、現代の日本ほど、女性が大事にされている国はない。不幸にも、日本の女性たちは気づいていないだけだと言う。

もちろん、仕事場に行けば、まだまだ男社会と言うかもしれない。しかし、それは女性が選択した結果だ。女性でも事業を起こされている方はいる。出来る方は自分で道を開いている。それは男女格差ではあるまい。男社会に甘んじる女性が多いと言うことだろう。そうすれば楽ができる。

また議員の女性の数が少ないと言うが、そもそも立候補者が少ないのでは、どうしようもない。それも同じような理由だ。世界経済フォーラムの欧米的観念での男女格差ランキングは全く意味がない。日本は、あまり気にする必要はないだろう。それより、皆が知恵を出して、住みやすい社会に向けて、次のステージにステップアップにしていくことの方が大切だ。

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2013年10月25日 (金)

秋の月の漢詩 その四 王維の「竹里館」

少し前に、秋の月に関するものを取り上げたが、有名な漢詩を見逃していたので、追加で記しておく。それは『唐詩選』に取り上げられている、王維の「竹里館」。彼の漢詩の「鹿柴」は、かつて取り上げたが、「竹里館」も、彼の別荘の名勝地の名前だ。

別荘と言っても、日本の別荘とスケールが違う(*注)。彼が名付けた別荘「輞川荘(もうせんそう)」は、非常に広大で、その中にある、数ある名勝地から二十を選んで、友人の裴迪(はいてき)と共に漢詩を作ったと云う。

その二十の名勝地を念の為に示すと、「孟城坳(もうじょうおう)」、「華子岡」、「文杏館(ぶんきょうかん)」、「斤竹嶺」、「鹿柴(ろくさい)」、「木蘭柴」、「茱茰沜(しゅゆはん)」、「宮槐陌(きゅうかいはく)」、「臨湖亭」、「南垞(なんだ)」、「欹湖(いこ)」、「柳浪」、「●(不明文字。「亦「の下に「木」)家瀬(らんからい)」、「金屑泉(きんせっせん)」、「白石灘」、「北垞」、「竹里館」、「辛夷塢(しんいう)」、「漆園」、「椒園(しょうえん)」だそうだ。

なぜ、彼は、こんな別荘を作ったのか。高級官僚として浮き沈みの多い人生が、そうさせたのか。あるいは30歳で妻を亡くして再婚しなかったぐらいだから、諦観した人生観の持ち主であったがため、そうさせたのか。あるいは川合康三氏によると、下界から離れた地上の楽園を創造しようとしたという見解も、あながち、外れていないかもしれない。いずれにせよ、複合的な理由であろう。

さて、「竹里館」は、竹林の中にある建物の名だ。さて、その題名の漢詩は次のようになっている。

  独り坐す 幽篁(ゆうこう)の裏

  琴を弾じて 復た長嘯(ちょうしょう)す

  深林 人知らざるも 

  明月 来りて相照らす

表面的な解釈は、「薄暗い竹林の中で、ただ独り座って、琴を弾いたり、声を上げて歌を詠ったりしている。この深い林に包まれた空間は、誰も知らず、やって来ないが、ただ月だけが、心に沿うようにやってきて、相対している」という感じ。

秋の月は、人を感傷的にさせる。深い孤独と諦めに似た感じにさせている。このような受け止め方は、仏教観に似ている。実際、彼も仏教に深く帰依したことが詩に影響しているかもしれない。しかしながら、このような受け止め方は、時間的差異はあれども、いずれ誰でも持つものだろう。

*注

日本の場合も、似たようなことはやっているけれども、狭い空間に、いろんなものを詰め込んでいる。それが日本の文化の個性でもある。

 

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2013年10月23日 (水)

外食産業の振興 その三 品質管理の向上

「和食」が、ユネスコより無形文化遺産に指定されるらしい。日本の食が、世界に認められることは確かに、いいことかもしれない。他方、阪急阪神ホテルズが、レストランのメニューの偽装表示を調査発表し、消費者庁から問題を指摘されている。ただ、これはフードサービス産業では氷山の一角だろう。

フードサービス産業は、生ものを素材として使用するため、素材の入手には、臨機応変に対応しなければならない大変さは分る。ただ、総じて、外食産業は品質管理について、経営者も甘いと思う。それは意識の問題だろう。料理人・従業員は経営者の意向に従う。やはり経営者の意識改革は必要だ。

確かに、素材入手の安定的な入手は、大手で、多様な料理を提供していれば、難しいのは事実だろう。それをいかに瞬時に、顧客まで伝えていくか。そこは料理人の品質維持についての意識改善が求められる。例えば、電子メニューの導入も考えられる。

今は、タッチメニューで注文できる時代だから、それは可能だろう。そうすれば、素材の変更は料理場から伝えられる。ただ調理現場は忙しい。それを邪魔せず、効率的にメニューに反映できるシステムが必要だ。

よって、品質管理は、現場任せではなく、各種変更に耐えうる柔軟なシステムを、企業全体で考えるべき課題であると言える。フードサービス産業は、日本食の持つ日本的感性に加えて、全体的品質管理に強く臨んで欲しいものだ。

*追記

阪急阪神ホテルズの問題について、表面的な課題を指摘したが、根源的な問題は、顧客の満足を無視し、現場を知らない経営管理層による、現場への過剰な利益の確保指令がなされていることだと推測できる。基本的には、経営体質を改善しない限り、小手先の改善をしても、いずれ再発する可能性が高いということを指摘しておく。

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2013年10月22日 (火)

減塩食を作る その六 野菜炒め

今回の減塩食は野菜炒め。ベーシックな料理だが、減塩食として相応しい。作り方は簡単。改めて記す必要もないが、一応、書き込んでおく。材料としては、豚肉、海鮮類、キャベツ、ピーマン、ニンジン、モヤシ、キノコ類等。作り方は、フライパンを熱し、油を入れ、ショウガの千切りを炒め、材料を投入して炒めるだけ。調味料は、ソースを使うのもいいが、小さじ1程度に抑える。

あるいは、顆粒調味料と水で調味する。顆粒調味料には、塩分が含まれているので、小さじ1弱にとどめる。あるいは、出汁で味付けし、片栗粉を水で溶いて、絡めると甘味がついて、減塩につながる。

また、多めに作って余れば、焼きそば用のそばを入れて炒めれば、焼きそばとなる。但し、焼きそばには塩分が含まれているので、改めて調味しないようにしている。せいぜい、鰹節をまぶす程度。

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ホウレンソウの美味しい季節

少し寒くなって来て、ホウレンソウの美味しい季節になってきた。今は、ホウレンソウは、年中販売されているが、やはり、これから寒くなる季節の物が美味しい。ホウレンソウは、ぽっちゃり系のものが断然美味しい(笑)。要するに、根元から葉の出ているやつ。葉物は大体そのようだ。小松菜も同じだ。よって、全体を見ると、ふっくらして見える。夏場にスーパー等に出ているホウレンソウは、茎が長く、そんなに美味しくない。あれは化学肥料の結果という。

さて、調理する場合は、流水でよく洗い、水にしばらく浸けておいて、再度洗う。この手間で、農薬を除去できる(母からの受け売り)。また湯がく時に、塩を入れる人が多いが、あれは発色をよくするためで、家で食する場合は、不要。塩分摂取を少しでも減らした方がいい。

茹でたホウレンソウは、2センチぐらいにカット。できるだけ細かく切った方が、殺虫剤や亜硝酸を減らせるらしい。後は、胡麻和えにしたり、オリーブオイルで炒めたりして食している。これから出回るであろう、ぽっちゃり系ホウレンソウを美味しく頂きたい。

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2013年10月21日 (月)

同窓会と落語『指仙人』

長らく同窓会は開いていない。特に小学校、中学校については、全く音沙汰なし。今、会えば、誰が誰だか分らないかもしれない。まだ男の場合は、面影が残っているかもしれないが、女性となると、まず分らないだろうな。どんな人生を送っているのだろうか。まあ、知りたくもあり、知りたくもない微妙な心境。流風自身、成功した方ではないのだし。故郷に錦を飾るなんて、全く夢の話になってしまった。

さて、落語や小噺に『指仙人』というのがある。両方とも話は、ほぼ同じ。落語が小噺を引き伸ばしたと云われる。ある男が、昔、友人だった奴が仙人になったということを聞いて、遠くまで険しい山を訪ねていく。数十年ぶりにあった仙人の友達は喜んでくれて、四方山話に花が咲く。

そして、「こんな遠い所に、よくやって来てくれた。何が欲しい。欲しいものを何でも御馳走するよ」と言って、傍らの流れを指差すと、たちまち、それは酒になり、果物に指さすと肴になった。別れて帰ろうとすると、「貴様にも、何か土産をやろう」と言って、石ころに指差すと黄金になった。男は、びっくりして目を丸くしていたが、人間は哀しい動物。更に欲が沸く。

「いや、そんなものはいらん」。仙人、驚いて、「もっと大きいものが欲しいのか」と言うと、その男、応えて言うには、「お前の、その指が欲しい」というのがオチ。人間の欲は限りなく、「魔法のランプ」を夢見るということだろうか。流風も、同窓会を開くと、仙人になった友人に会えるだろうか。彼に何を望もうか(笑)。

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播磨の築造技術と戦争

先日、以前ブログ記事にした兵庫県立歴史博物館で開催されている「名城ふたたび/ようこそ姫路城」を観覧してきたが、当然のことながら、秀吉が修築を黒田官兵衛に命じた以後のことを重点的に展示してあった。

それでは、日本における築城技術はどのように発展したのだろうか。戦国時代までは、築城技術はなかったとされる。それを石垣の技術、瓦の技術、更に建築物の基礎である礎石とそれを補強する技術を融合させたのは、織田信長や豊臣秀吉だったと言われる。

ただ、そのペースになっているのは、播磨の技術が多く関与していると言われている。それほど播磨の建築技術は、当時、先端を行っていたということだ。例えば、『古事記』や『播磨風土記』に記されているように、古代から、石垣の技術は持っていた。瓦は、神社・仏閣の建築物に使用するため、輸入していたことから、独自に作る技術(姫路や三木)を持っていた。更にそこから発展して礎石を補強する技術も創造していた。もちろん伝統的な木工技術も備わっている。そこには、自然と多くの職人軍団がいた。

そこに目をつけたのが、豊臣秀吉だ。すなわち播磨には、城を建築するのに応えられる技術者、職人が多く存在したということだ。もちろん、彼らを一緒に仕事させることは多くの困難が伴ったことだろう。複合技術というのは、口で言うのは簡単だが容易ではない。その中で、彼らが、今で言う品質改善や品質向上をさせていった。そのため、現場に足を運び、何回も挫折をしながら、あるべき城郭へ発展させている。

もちろん、それは戦争から来る強い需要の賜物と言える。多分、秀吉のことだ。お金は、いくらでも出すから、何とかせよ、くらいのことは言っているだろう。戦国時代を勝ち抜き生き残るには、城は欠かせない。背に腹は代えられないのだ。いかに防御し、いかに攻めるかの巧拙は戦いに大きな影響を与える。そこから築城技術は発展していく。

要するに、戦争に伴い、技術力はアップしている。残念ながら、いつの時代も、文明の柱は戦争と共に発展していく。今使っているインターネットも米国の軍需産業の成果ということを考えれば、それは今も変わらない。

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2013年10月20日 (日)

黒田官兵衛の足跡 その九  備中高松城攻めと中国大返し

そして、いよいよ、織田方と毛利方の戦いは、最終局面に入って行く。天正10年(1582)には、官兵衛は、宇喜多家軍も率いて西進した3万軍の秀吉に従い、備中に進撃。それに立ちはだかったのが、毛利の最前線にある備中高松城。周囲は沼に囲まれ、難攻不落と言われた。

小早川隆景の配下で、城主の清水宗治は、秀吉の甘言に乗ることはなく、五千の兵と共に籠城し、秀吉軍も攻めあぐねる。さすがに官兵衛をもってしても説得は出来なかったようである。そこに秀吉から次なる策を求められた官兵衛は、最早、力攻めしかなく、水攻めを進言。堤防を築いて、川の水を引き込み、城を水没させるという大胆な手法だった。

梅雨で増水中の足守川を、堤防、約2.7㎞の長さ、規模は高さが約7m、幅の底部が約24m、上部が約10mで堰き止めた。工事期間12日。周辺の百姓を金に糸目をつけず使って、土を運ばせたと云う。

また、黒田二十四騎の吉田六郎太夫長利の案で、船に満載の大石を、船もろとも沈めたことが大きい。これが成功したのは、もともと水に浸かりやすい城という自然の地形に恵まれていたことと、雨期で大雨が降ったことが幸いしているという。

ところが、水攻めの最中の6月2日未明、信長が明智光秀に討たれるという本能寺の変が起る。光秀は、そのことを記した密書を携えた密使を毛利方に送るが、それを3日に、秀吉軍が捕え、真実を知ることになる。また別便で、茶人・長谷川宗仁からの報せもあったと云う。

秀吉に、その一報が届くと、秀吉は、ひどく落胆し、泣いて肩を落とすのを見て、官兵衛は、秀吉の膝を叩きながら、次のように言う。「さてさて天の加護を得させ給ひ、もはや御心のままに成りたり」と。

これを現代風に解釈すれば、「運が開けてきました。謀反人の光秀をお討ちになれば、天下があなたの手に入ってくるでしょう」と進言。ただ、実は、秀吉も、心の中では、そう思っていたらしい。彼一流の芝居をしたわけだが、官兵衛が、同様のことを言ってきたので、油断ならぬ奴と感じるようになる。

そこで、秀吉は、信長の死を隠して、高松城主・清水宗治の切腹を主張して、毛利方の外交僧・安国寺恵瓊を介して即座に和睦を結ぶよう説き、4日、清水宗治は、湖上で船を浮かべて自刃(*注)。織田方と毛利方の和睦が成立する。これには、毛利方にも、信長の死は伝わっていたものの、元就の遺訓により、毛利家は天下を望まないということがあったため、講和の道を選ぶという事情もあった。これは小早川隆景の強い主張があったためとされる。

5日、和睦の儀式と兵糧の徴収を終えると、毛利軍の追撃があっても妨害できるように、堤防を決壊させ、6日早朝から撤退開始。官兵衛は、交渉を通じて、誼を結んだ小早川隆景から毛利の旗を貰い受ける。

更に、これからの強行軍のの難儀を考え、味方の兵に、「秀吉様が天下を取られたら、大変なご褒美がある」という噂を流す。心理的に、軍を励ました。そして、信長の「弔い合戦」を大義に、8日には姫路に戻り、そこで休憩をという秀吉を、官兵衛は、気が緩むから駄目と説得し、その日の深夜に再び進軍し、13日には、山崎の合戦で、光秀を討ち破った。その時に役立ったのが、毛利の旗であった。毛利軍が秀吉軍に従っていると思った光秀軍の落胆は大きかったからだ。ここでも官兵衛の策は当った。

これを後に「中国大返し」と言う。通常10日間ぐらいかかる行程を7日で走破した。備中高松城から山崎までは、実に204キロメートルあった。このため、多くの金をバラマキ、食糧等の調達に使っている。この行程で多くの協力者が得られたのは間違いない。この一戦で、秀吉は天下人への階段を歩み始める。

*注 清水宗治の自刃

清水宗治は秀吉の用意した小舟に、兄の月清入道と乗り込み、舞の「誓願寺」を舞った後、辞世の句を詠んで切腹した。

 辞世の句

  浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の

    名を高松の 苔に残して

*追記

今回で、一旦、「黒田官兵衛の足跡」を終了する。中国大返しの時、官兵衛は36歳。彼は1604年に59歳で亡くなっているから、彼にとって、ちょうど働き盛りのピークであったかもしれない。彼は秀吉の天下統一が成るまで、軍事貢献していく。ただ、秀吉の天下統一は、企業で言えば中堅企業から巨大財閥を形成したようなもの。

そこでは、自然と、石田三成のような官僚が幅を利かすようになる。官兵衛の働きは、段々一つのポジションでしかなくなってくる。そこに不満が溜まっても不思議ではない。豊臣政権の危うさは、急速な天下の形成と共に内包されて行った。秀吉は、それに気付きながらも、適切な手は打てていない。最早、秀吉一人では、どうにもならないほど組織は肥大していた。

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減塩食を作る その五 小松菜とベーコンの炒めもの

今回の減塩食は、小松菜とベーコンの炒めもの。小松菜は健康にいいので、以前から、よく料理する。お揚げと煮るのもいいが、最近は炒めものにすることが多い。この方が塩分摂取を少なくすることができる。

今回はベーコンと炒めるが、ベーコンがなければ適当にありあわせの材料を選んでいる。ハムでもいいし、魚介類でもいい。その辺は極めて適当。ベーコンとかハムには塩分が含まれるので、少量(5グラム以下)を使用。その他には、キノコ類をスライスして使うのもいい。

小松菜は他の青野菜同様、湯がく人も多いが、アクが少なく、そのまま調理してもいい(*注)。気になる人は湯がいてから調理すればいい。作り方は、フライパンを熱し、油を入れ、ショウガの千切りを入れ、香が出たら、小松菜と、その他の材料を加え炒め、醤油小さじ半分程度で調味する。それでも塩分が気になる時は、醤油の代わりに鰹節と出汁で調味してもいい。

*注

但し、冬場に採れたものではない場合、よく洗って、湯がいた方がいい。

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政宗の漢詩『遣興吟』

今回は、伊達政宗の漢詩『遣興吟(きょうをやるのぎん)』を取り上げる。政宗晩年の心境を詠んだものとされる。人間、歳が行くと、こういう心境になる。流風は、まだまだと思っていたが、頭に白髪がちらほら。もうしばらくすれば、彼のような心境になるのだろうか。

  馬上に青年過ぎ

  時平(たいらか)にして白髪多し

  残躯天の許す所

  楽まずんば復(また)如何せん

解釈は不要だろう。若い人たちも、いずれ老いる。時は待ってくれない。人生は、あっという間に終わる。だが、老年になって、後悔しても始まらない。でも、その時には、それなりの楽しみを持って、残りの人生を歩むしかないということだろうか。なお、この詩は、詩吟として、よく吟じられるようだ。

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2013年10月19日 (土)

黒田官兵衛の足跡 その八 毛利攻め前哨戦

官兵衛は、戦場に対する軍略・戦術に長けていたが、調略という外交にも優れていたことが分る。この点では、軍略・戦術のみ優れていた竹中半兵衛より、総体的に優れていたことは確かだろう。

秀吉の播磨平定にも、彼の調略で働いている。もちろん、全ては成功していないし、一旦、織田方になっても、別所氏のように再度裏切る例も多い。ここら辺は相手との信頼関係の築き方がものを言うが、戦国大名の生死をかけた揺れ動く心理を見抜くのは、なかなか大変なことである。

さて、官兵衛がかねがね接触し説得を続けていきた備前の宇喜多直家が毛利を裏切り、天正7年(1579)信長に臣従する。彼が、下剋上で手に入れた備前、備中、美作が織田方になったのは大きい。癖のある宇喜多直家を説得して寝返らせたことを、秀吉が喜んだのは言うまでもない。そういう意味では、官兵衛は外交能力も優れていたと言える(ただ、直家を説得できたのは、彼だけの力でもないことも確かだ)。

天正9年(1581)に、秀吉は官兵衛に命じて、本格的な姫路城改築をする。秀吉は、さらに毛利方だった宇喜多家を味方に付けたこともあり、この年に因幡の鳥取城を兵糧攻めにして、4ヵ月足らずで落城させた。この兵糧攻めは、官兵衛の献策で、若狭の商人に命じて、前年に収穫した米、麦、粟などを高値で買い取り、鳥取城に入ることを阻止した。

後に「鳥取の渇え殺し」として伝わるが、官兵衛が無駄な戦争を避けるための方策であった。鳥取城落城後は、蜂須賀正勝と共に、四国の長宗我部元親征討に行き平定する。蜂須賀正勝は、秀吉に早くから仕えてきた荒くれ者出身だが、現場でのコミュニケーション抜群で、秀吉の信頼厚く、また外交能力も確かだった。ここで秀吉方としては、最強のタッグが組めたことになる。

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2013年10月18日 (金)

『豪農に伝来する絵画』展を観覧

先日、たつの市立龍野歴史文化資料館で開催されている『豪農に伝来する絵画』展を観覧してきた。これらの作品は江戸時代、播磨国揖東郡日飼村の庄屋を務めた堀家に長年、保存されてきたものらしい。ただ、堀家は普通の庄屋ではなかったようだ。

堀家は、播磨における一橋家の財政を支える豪農として、江戸前期の明暦元年(1655)より明治元年(1868)まで続いたという。この堀家の建築群に保存されてきたものが今回展示されている(なお、11月16日と17日の両日、堀家住宅が一般公開されるそうだ。10時から16時まで)。

総点数は、63点だが、二期に分けて前期・後期それぞれ46点展示される。作品は、狩野永納「松に鷹図屏風」、「龍虎図屏風」、狩野安信「白衣観音・龍虎図」、伊藤若冲「籠と鶏」、谷文晁「唐美人図」、春木南湖「梅花書屋図」、中山養福「架鷹図」(前期のみ)などの有名な画家等の作品など。その他に、当主の堀惟賢の描いた「網代日記」等の作品が6点も展示。

庄屋が持つ作品としては、凄すぎる。それに、それぞれ見入ってしまうほど面白い。それほど画家の個性が出ている。それにしても堀家は、豪農として、豪商ほどの財力があったことが窺える。作品の入手経路は、一体どのようであったのだろうか。大名から頼まれて買い取った物もあるのではなかろうか。それに歴代の当主が書画に親しんだそうだが、かなりの金と時間がいる。当時の堀家の財力が窺える。

なお作品は、第一会場の龍野歴史文化資料館では、絵画を展示し、近くの第二会場の龍野城本丸御殿では屏風が展示されていた。これからの時期は、紅葉見物も兼ねて行けば結構楽しいかもしれない。なお当日は、近くに、「赤とんぼ」の作詩で有名な三木露風生家が公開オープンしていたので、そちらにも立ち寄ってみた(通り道なので、否応にも目に入ります)。

前期は11月4日まで。後期は11月7日から12月1日までだ。入場料は一般500円。但し65歳以上は半額。また前期の半券を後期に持って行くと一般300円、65歳以上150円になる。なお図録は遅れていて20日過ぎに上がるとのことでした。

*参考  たつの市立龍野歴史文化資料館

       http://www.city.tatsuno.lg.jp/rekibun/top.html

交通は、バスで行くなら、龍野バス停下車500メートル。JR姫新線利用の場合は、本竜野駅下車して1700メートル。きれいに舗装されている路を西に歩いて、三井住友銀行を過ぎて、龍野大橋を渡り、和風店舗の姫路信用金庫を北に上がり、何筋目かを左に曲がるのだが、流風は行き過ぎて迷った(以前行ったことがあるのに。苦笑)。左手通路側に白壁が目に入ったら、そこを曲がって西に行けば、お城の門が見えてくる。後は、指示の矢印の方向に行けばある。

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2013年10月15日 (火)

秋の夜はクラシックが似合う

秋になったと思ったら暑さがぶり返すパターンが何回も続き、一体、いつになったら本当の秋になるのかと思っていたが、やっと秋らしくなってきた。まだ疑心暗鬼。しかし、朝や夜は、だいぶ涼しくなってきた。夜は、また冷え込むほどではないが、夜が長くなってきた。

このような時期にはクラッシックのピアノ音楽が似合う。でも、それほど詳しくないので、有名な曲がセットになったCDを聴いている。演奏は、ダニエル・バレンボイム。ベートーベンの「月光」、「熱情」、メンデルスゾーンの「言葉のない歌」、シューマンの「子供の情景」、ショパンの「ノクターン」、その他にはリストやシューベルト。

これらを聴いていたら、いつの間にか深い眠りに。そして、朝起きたら、また聴く。但し、二度寝しないように(笑)。

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2013年10月14日 (月)

減塩食を作る その四 根菜のカレー煮

今回の減塩食は、「根菜類のカレー煮」。根菜類はカロリーが高めだが、冬には摂りたい食材。カレー粉で塩分を抑える。

レンコン、ゴボウ、ニンジンを乱切りにし、玉ねぎはくし形に切る。厚めの鍋に油を熱し、ショウガとニンニクのみじん切りを入れて炒め、かおりが出たら、切った根菜を入れて炒める。そして、カレー粉、小麦粉をふりかけ炒め、ひたひたまで出汁を入れ煮る。煮立ったら火を弱めて煮、みりん、しょうゆを加え、更に柔らかくなるまで煮る。

試してみたら、今まで、あまり食したことがない食感。なかなかいける。カレー粉、小麦粉を振り入れることがポイントなのだろう。

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減塩食を作る その三 長いもとオクラのあえもの

今回の減塩食は、「長いもとオクラのあえもの」。オクラは、あまり食さないのだが、今回は挑戦。長いもはマッチ棒状に切り、オクラは、湯がいたものを薄く切る。それをショウガを千切りしたものと、酢、出汁、塩(0.5グラム)とを合わせ、あえる。なお、オクラを塩ずりして湯がいた場合は、塩は不要。

大体、オクラは、湯がいただけでも、自然の味がついているので、そのまま食せる。減塩食には、ぴったりのようだ。多くの料理本には、鰹節をまぶすというのが一般的なようだ。

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減塩食を作る その二 ヒジキ入りケチャップ御飯

今回の減塩食は、「ヒジキ入りケチャップ御飯」だが、本当は、「海鮮入りケチャップ御飯」が近い。材料に、イカ、アサリ、ヒジキを使うから。ケチャップ御飯はよく作るが、今回は、御飯を雑穀米を使用している。

野菜は、みじん切りした長ネギ、ピーマンを使用。フライパンに油を入れ、長ネギを炒め、イカ、アサリを炒めて、カレー粉をまぶす。その後に、ピーマンのみじん切りしたものと戻したヒジキを入れ炒め、最後に雑穀米御飯投入。全体が馴染んだら、ケチャップ少しを混ぜ合わして出来上がり。

いつも作るケチャップ御飯と少し食感が異なる。これは雑穀米を使ったこととヒジキの影響のようだ。これで大体400キロカロリー。塩分は1.5グラム以下。レシピには、ナンプラーを少し使っていたが、なかったので不使用だが問題はない。使えば、また違った食感になるものと思う。

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2013年10月13日 (日)

黒田官兵衛の足跡 その七 三木城攻めと姫路城明け渡し

官兵衛の方は、それまで小寺官兵衛孝高と名乗っていたが、官兵衛を裏切った小寺政職が御着城から逃亡したため、姓を小寺から黒田に戻している。当然のことだろう。最早、旧主に恩義はない。脱出後は、秀吉の勧めで、有馬温泉で湯治に努めるが、そうそう長く湯治もできず、まもなく秀吉の軍師となり、三木城攻めに従うことになる。

なぜなら、事態は逼迫していた。別所長治が、当初、信長方だったのに、広島に居た将軍・義昭の誘いに乗り、突如離反し、備前・美作に迫っていた毛利方と結んだためだ。更に、風見鶏的に、その周辺の領主が同調し、信長軍包囲網が作られ、秀吉は窮地に陥る。そこで、官兵衛の忠言により、とりあえず、秀吉は、一旦、書写山円教寺に逃れる。その後、宇喜多直家の裏切りや上杉謙信の急死などがあり、信長包囲網は崩壊。

逆に、信長勢は、態勢を取り直して、別所氏の三木城を攻め、取り囲む。そもそも別所長治は、播磨精神が強く、改革派の官兵衛に反発したとも伝えられる。いつの時代でも、保守派と改革派の確執はある。

別所氏は籠城して、抵抗は予想以上に激しかったが、七つの支城が落とされ、三木城は兵糧攻めで、2年近く持ちこたえたが、ついに兵糧が底を尽き、降伏を決意し、長治は自分の命と引き換えに、城兵と農民の助命を請う。

ついに三木城は落城。この戦いを後に、「三木の干殺し」と呼ばれるほど、凄惨な結果になっている。この戦いは、味方に被害が少なく、相手方に被害が大きいという手法で、信長が得意とした方法だった。そして、最終的には半兵衛弔いの戦いであったとも言える。結局、その後の小寺氏の御着城、三木氏の英賀城の落城まで、2年以上の時間を要してしまう。

秀吉は、天正8年(1580)、三木城落城後、そこを居城にしようとするが、官兵衛が中国攻めには姫路城が相応しいと、自らの城、姫路城を秀吉に明け渡す。彼が秀吉に説いた理由は、姫路は、備前、美作、因幡、但馬の4方面の道がつながっていて、海も開いていて、中国攻めにはベストの地の利があるとしたのだった。ただ、当時、姫路城は、城と言っても小さな城だった。

そして、彼は父の職隆と共に、妻鹿の国府山(こうやま)城に移り住む。この城は、標高98メートルの妻鹿の甲山にあった。別名、功山城とか妻鹿城とも言われる。官兵衛は、三木城、英賀城の落城後、秀吉から播磨国揖東郡など姫路近郊でで1万石の知行地を与えられ、大名になる。

次回に続く。

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2013年10月12日 (土)

もうすぐ始まる「加古川まちかどミュージアム」について

大きな博物館めぐりもいいのだが、地域には、見方によっては、それぞれたくさんのミニギャラリーがある。そこで(兵庫県)加古川市では、まち全体を博物館に見立てて、広範囲な場所の自慢の作品の展示を組み合わせて、「加古川まちかどミュージアム」とした催しをする。以前にも、やっていたのらしいが、中断していたのを今年復活させたようだ。

期間は、2013年10月19日から10月27日までの9日間。市内44か所の各所で、アート関係が展示される。内容は、絵画、陶芸、木工作品、写真、手づくり雑貨、ガラス工芸、ブリザードフラワー、ミニライブ、ファッションショー等と多岐にわたる。

テーマは、「心・ころころ・ここのか間(九日)笑顔で結ぶミュージアム!」だ。このような催しに似たものはないことはないが、大体、一か所に集めて催されることが多い(*注)。ただ、「加古川まちかどミュージアム」の問題は展示場所が各所に分散されているので、催しの全体像が、ぼやけることだ。今回は、統合イメージを発信する催しは残念ながら、計画されていないようだが、催し自体は評価できる。

また全ての会場を回ることは車でなければ難しいということだろう。ということで、予約制だが、土日のみ、タクシー会社の協力を得て、「ミュージアムバスツアー」というものが計画されているのはいいことだ。大体2時間半の所要時間で、AコースからHコースまで8種類のコースがあり、大体、4~6箇所を回るもの(A、C、E、Gコースは10時から12時半くらいまで。B、D、F、Hコースは13時から15時半くらいまで)。

それらは、詳しく内容を記した「案内マップ」が既に配布されており、JR加古川駅、東加古川駅で入手できる。それには44か所の展示内容、公開日、会場、駐車場の容量、アクセス、問い合わせ先などが記してあり、、「ミュージアムバスツアー」のコースも、もちろん記されている。

関心がある方は、まず、このマップを入手して欲しい。なお、ネットでも情報入手は可能です。

なお、「ミュージアムバスツアー」の参加には予約が必要で、参加にはバス料金500円が必要(収益金は東日本大震災募金へ)。受付電話番号は、090-5241-3114です。受付時間は、14時から19時までで、先着順で定員になり次第締め切りとのことです。バスの待合場所は、JR加古川駅構内「まち案内所」付近とのことで、時間厳守を、お願いしますとしている。

地域の文化の再確認したい方、新しい出会いを求めたい方には、いい催しではなかろうか。

*注

例えば、毎年、神戸市のトアロードで催される「KOBEトアロード クラフトアートフェア」などがそうであろう。ちなみに、今年は、本日10月12日と13日開催だ。JR元町駅下車して、トアロードを歩けば、催しをやっている。

*追記

「加古川まちかどミュージアム」という催しは、旅館やホテルのビジネスモデルになりうる。今回の催しだけに留まるとしたら、もったいない。

*2014年11月3日追記

今年は、11月14日から16日までと期間も短くなっている。昨年とは内容も違う。

*2015年10月26日追記

今年の「加古川まちかどミュージアム」は、今年から、「かこがわまちかどミュージアム」に名称変更。今年から開催地域が拡大。48会場、54ブース。会期は10月31日から11月8日までの9日間。詳しくは、「加古川まちかどミュージアム」の新ホームページ参照。

 

 

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2013年10月11日 (金)

女の世界は難しい?

男から見て、女の世界は複雑で難しいと思う。男の世界も難しい面はあるが、ある意味では単純である。だから大抵の女性は、ポイントを押さえれば、男は御しやすいと言う。男なんて、所詮、女性の掌の上で踊らされているのかも(笑)。

だが、女性同士となると、事は単純に収まらないようだ。吉岡弥生は、日本女医界の草分けで、現在の東京女子医学大学の創設者であり、津田梅子らの明治の女傑と並ぶ女性だ。その彼女が次のように語っているので、女性は参考にして欲しい。

「人と交際を続けていく以上、人から、色々と不幸やら、悪口めいたことを言われるのは避けられません」と、女性特有の問題を指摘している。そして続ける。

「殊に何か事があった場合は、必ず、あの人がああ言ったとか、こう言ったとか、きっと、うるさいことになって参りますが、わたしは決して人から言われたことを気にかけないことにしています」と、人の言葉に、いちいち気にかけないことが大切として発言している。

更に、「それぞれの立場に身を置き換えて考え直しますと、腹も立たず、憤慨も致しません。何事も淡々と片づけて、心中に何のわだかまりも残しません」とし、「宵越しの怒りとか、宵越しの苦労はしないことに努めておりまして、他の人が、自分自身の物差しで、人を測ることは、ご勝手で、それについて、とやかく言うのを好みません」と言っている。

要するに彼女の処世はマイペースを保つということのようだ。これは男の世界では、なかなか難しいが、男でも、時に、そういう思考を持つことはいい。男女を問わず、長寿になる人は、多かれ少なかれ、そういう傾向がある。ちなみに、吉岡弥生は88歳まで生きている。

更に彼女には面白いエピソードがある。84歳で、危篤になったが、そこに叙勲の報せがあり、そのことで嬉々として生き返り、88歳まで生きたと伝えられる。そういう女性の言葉は、特別かもしれないが、現代の女性たちに、何かの参考になればと思う。

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2013年10月10日 (木)

減塩食を作る その一 タンドリーポーク

料理本を整理していたら、減塩食本が、多数見つかった。かつて関心を持って購入したのだろう。ぱらぱらと見ていたら、少しやってみようかと思った次第。減塩食は、美味しくないと言われるが、何事も試してみないと分らない。それで、今回から、実際に作って美味しかったもののみ備忘録的に記してみる。

まず、今回は「タンドリーポーク」。「タンドリー」と聞けば、一般に「タンドリーチキン」が有名。要するに、この料理は、鶏肉を豚肉に替えたもの。冷蔵庫に、ショウガ焼用の豚肉(約80グラム)が残っていたので試してみた。

先ず漬け汁を作る。ヨーグルト、ケチャップ、カレー粉、とんかつソースに、塩をほんの少し混ぜ、これに豚肉を漬けて、冷蔵庫で30分程度置く。後は、グリルで焼くだけ。出来上がりは大変美味しかった。

付け合わせの野菜は、少量の油で、ナス、ピーマン、茹でたキヌサヤを炒めてみた。後はレタスとマカロニサラダ少しと野菜ジュース。

多分、塩分は、1.5グラム以下。豚肉を多量に摂取しなければ、カロリーも低い。

*追記

主として、かなり前に、病院で頂いた冊子の中に記してあった宗像伸子氏のレシピを参考にしている。

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2013年10月 9日 (水)

始めあれば終わりあり

よく言われるように、人はオギャーと生まれて、すでに死を予定している。終わりを想定するのが賢明な生き方と言われるが、凡人には、なかなかできない。どうしても生活に追われて、今の今しか見なくなる。

船頭は、船を繋ぐ時に、解く時のことを考えて繋ぐだろうが、素人の船乗りは、何も考えず繋いでしまって、いざ解こうとすると干潟になって動けなくなる。あらゆる状況で、終わりを想定することは大切なことなのだろう。

戦争も始めれば、同時に終戦を計画しなければ、戦時中の日本が泥沼に落ちたように身動きできなくなれば、悲惨になる。それは個人と個人の間でも、男女間でも、親子関係も、企業と企業の間でも、あるいは国と国の間でも、いろんな関係の終始を想定しなければならないというのが本筋なのだろう。この世は、儚い。

*追記

逆に言えば、終わりは、新しい始めの一歩と言うこともできる。

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2013年10月 8日 (火)

病院食が一般食に

病院食が注目されている。病院食と言えば、まずいと云うのが今までの常識であったが、最近は、改善されて随分と美味しいそうである。更に、世の中にヘルシー食が歓迎されていることも有り、厚生労働省も、外食、中食のヘルシー基準を作る方向にある。

一般には、一食につき、カロリーを500キロカロリー以下、塩分を2グラム以下がいいようだ。スポーツ選手とか、肉体労働に従事する人を除けば、概ね、この基準値を守ることが、健康を維持し、ひいては健康長寿を約束することになる。

日本は、昔からの倣いで、肉体労働比率は落ちているのに、多カロリー摂取、塩分の多い食事か伝統的に多い。全国レベルで見ても、塩辛い食品がたくさんあるし、あるいは、甘辛い食品も非常に多い。それは例えば、今月から予約の始まった、おせちの仕様を見ても、一目瞭然だ。

よって、国民全体が、相当意識改革しないと、食による生活改善は進まない。確かに、今になって、やっとヘルシー弁当、管理栄養士監修の弁当が発売されるようになったが、まだ一部だ。これが、もっと拡大して行けば、変化はチャンスということで、外食産業も中食産業も、ビジネスチャンスだろう。

後期高齢者になると、料理を敬遠する人も多い。ヘルシー食が外食、中食で提供されるようになれば、高齢者が、皆、外食、中食に向かうきっかけになる。更に国産の食材に、こだわれば、もっと付加価値は大きくなる。

ということは、病院食が一般食になることは、とてつもない市場になると思うのだが、フードサービス業の動きは、まだ鈍いと感じる。輸入食材による低価格化では、付加価値を生まないのは明らか。病院食の一般化には、業界は、もっと熱心に取り組んで欲しいものだ。

*追記

ちなみに日本の景気をよくするには、付加価値を高めるしかない。フードサービス産業には、まだ、その道が残されている。輸入食材による低価格化は、アベノミクスに反するということもできる。もちろん、全ての輸入食材が悪いわけではないが、日本で入手が困難なものに限るべきだろう。TPPは、その点が問題だろう。

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2013年10月 7日 (月)

黒田官兵衛の足跡 その六 裏切りと苦難

今まで見てきたように、官兵衛は優秀な軍師だが、決して完全無欠な人物でもない。以前取り上げた長政の残した『掟書』は、官兵衛が日頃言っていたことを中心に、長政が文書として残したものだ。確かに『掟書』は、よくできているが、これは官兵衛の自省の意味も込められていると考えていい。彼も一人の人間で、その人生路には紆余曲折があった。

さて、当時、赤松氏や、その臣の小寺氏は、中国地方の毛利と気脈を通じていた。それは歴史的な流れから来るものだ。仕えていた小寺政職氏は、旧来の人間関係を大切にする方だったし、温情派だった。よって、毛利に誘われると、反信長に動く。残念ながら時代の流れは読めていない。ただ、いつの時代も、誰もが合理的判断を下すとは限らない。

そして、1578年、織田方の状況が怪しくなり、不利になってきたと見てとった、三木城の誇り高き別所長治を中心に大小の豪族が、突如、毛利方に寝返る。別所長治は、八千の将兵と共に、三木籠城戦を開始する。信長は、この籠城を受け、まず毛利討伐として全勢力を傾けた。

実は、三木城の幕下には、官兵衛の義父・櫛橋伊定(これさだ)や、神吉城、英賀城、高砂城、魚住城といった支城の12城主が集結していた。それに元々制海権を握っていた毛利軍は、三木城に、兵糧を供給していた。だが、秀吉は、支城を次々と落とし、補給路を断つ。これにより、三木城は飢餓状態。

しかしながら、三木城は耐えに耐え、簡単には陥落しなかった。ちょうど、それに呼応するように、摂津国有岡城主・荒木村重が信長に謀反する。村重は、一向宗のの門徒であったため、信長の政策に反発したものと考えられている。すなわち、本願寺の顕如や毛利輝元や足利義昭と通じていたのだと云う。

ところで、官兵衛は、戦国時代の人にしては珍しく、人の命を、むやみに奪うことを嫌った。そのため、いろんな戦いで敵方を説得することに邁進する。いわゆる調略である。調略の目的は、無闇な殺し合いを避けるだけでなく、農民を戦火から守ることでもあった。

官兵衛は有岡城に単身赴き、かつて親交があったこともあり、説得にあたるが、村重に格子窓一つの土牢に幽閉される。実は、主人の小寺政職は、荒木村重に、官兵衛を殺すように依頼していた。ただ村重は、以前から親交もあり、その能力を高く評価していたから、殺すにはしのびないとして、自分に従えと言ったが、官兵衛は、それを拒んだ結果、幽閉されたのだ。この長年仕えてきた小寺政職の裏切りは、官兵衛にとって、相当に、堪えたようだ。結果的に、その後の考え方や行動に微妙に影響している。

信長は、官兵衛が帰って来ないのを疑い、裏切ったと思い、官兵衛の人質の長政を殺せと命ずる。しかしながら、官兵衛の節義を重んじる性格を知っている竹中半兵衛は秀吉に上申したので、秀吉は、妻の於祢に命じて何とか長政を匿う。最終的に長政は、半兵衛の居城・菩提山城(現・岐阜県)に匿われたと伝えられる。官兵衛の方も、秀吉を裏切らず、忠義を信念で貫いた。

官兵衛が幽閉されている間、家臣の動揺を抑えるため、父の職隆が、当主の座に復帰し、家中をまとめ、窮地を救っている。その時の家臣団の結束を証明する連判状も残っている。妻の光の働きもあったという見方もある。それは動揺する家臣の妻たちをまとめた可能性があるが、それ以上ではないだろう。やはり父の職隆の人望が大きい。

天正7年(1579)、有岡城が落城寸前に、子飼いの忠臣たち(栗山、母里、井上)に救出される。しかしながら、1年以上閉じ込められていたため、歩くことが不可能な身体になった。これには、さすがの信長も、松寿丸の殺害を命じたことを恥じたと云う。

なお、竹中半兵衛は、陣中で病に倒れ、秀吉は京都で療養させるが、本人の「陣中で死ぬことこそ、武士の本望」という意向を受け、三木城を囲む陣地に戻ったが、官兵衛が救出される約半年前、1579年に没している。

秀吉は、彼の臨終に立ち会い嘆き、「これから貴公の後、誰に頼ればいいか」と言うと、半兵衛は、官兵衛でなく、「私の後には神子田正治がいる」と言い残したという。だが、神子田正治は、へそ曲がりの武者タイプで、決して参謀たりえない。半兵衛の意図は何だったのか。最早、大きな道筋は出来たので、戦略参謀は不要と言ったのかもしれない。それとも、、、、。

次回に続く。

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2013年10月 6日 (日)

11月3日「太子あすかふるさとまつり」の案内

聖徳太子の催しと言えば、奈良とか大阪を連想される方が多いと思うが、播磨には、太子ゆかりの寺、斑鳩寺がある。その近辺で、少しマイナーだが、「太子あすかふるさとまつり」が毎年11月3日(10時から15時まで)に催される。

それは斑鳩寺から、あすかホール(太子町立歴史博物館内)まで、公募で集まった飛鳥時代のコスプレ姿で、時代パレードを行うというもの。手づくりのコスプレで、毎年、賑やかに催されるようだ。

その他には、あすかホール周辺で、お笑いイベント、キャラクターショー、小学生クイズ大会が予定されている。

また地域グルメのお披露目・販売(多分、揖保の糸、筍の水煮缶、太子いちじく、太子味噌、太子味噌飴)がされる。またフリーマーケットも予定されているようだ。

もちろん、斑鳩寺の拝観や重要文化財の観覧もいい(聖徳殿・聖宝殿共通拝観料500円)。また、太子町立歴史博物館の観覧もいいだろう。

更に時間が許せば、少し離れているが、太子町立歴史資料館付属施設の民俗資料館を訪ねてみるのもいい(入館無料。太子町立歴史博物館から歩いて10分程度)。この近くに歩いて3分程度のところに、バス停「東南西口」バス停がある。

交通は、少し不便だが、次のようになっている。

一、JR網干(あぼし)駅下車して、神姫バスの「山崎」行に乗り、「鵤(いかるが)」下車(バス乗車時間は約10分)。あるいは、JR姫路駅下車して、神姫バスの「龍野」行に乗り、「鵤(いかるが)」下車(バス乗車時間は約30分)。

二、バスの便数が少ないので、健脚な方は、歩いてもいいが、JR網干駅からだと斑鳩寺まで個人差はあると思いますが、40分くらいかかる(あすかホールまでだと35分くらい)。よって、バス運行時間を把握した上で、行動した方がよさそうだ。

三、車で行く場合は、会場には駐車場はないので注意が必要。なるべく公共交通の利用が望ましい。

四、当日は、太子町各所より臨時シャトルバスが運行予定とのこと。詳しくは実行委員会に問い合わせしてください。

*参考

 ◎あすかホール

   住所:兵庫県揖保郡太子町1310-1

    催しの問い合わせ先

     あすかふるさとまつり実行委員会

       079-277-2566

 

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2013年10月 4日 (金)

やっと秋らしく~恵慶法師の歌

  八重むぐら しげれる宿の さびしきに

        人こそ見えね 秋はきにけり

    (恵慶法師、百人一首四十七番、拾遺集より)

先月27日頃に急に寒くなったが、その後は暑さがぶり返し、夏が戻った感じだったが、今朝起きてみると、気温が低下。また日中も気温は、そんなに上がらないそうだ。やっと秋らしい感じだ。

それで、上記の歌を取り上げてみた。恵慶法師(えぎょうほうし)は、平安中期の歌人で、花山天皇の頃の人。播磨の講師(こうじ)であったと云う。講師とは、諸国の国分寺にあって、僧尼に関することをつかさどり、仏典の講義をした僧官のこと。

「つる草が生い茂った、この家は、本当に侘びしいので、誰もやって来ないけれど、秋は、来たようだ」というような感じ。流風家と似た感じ(苦笑)。でも、恵慶法師の家が、そうだったわけでもない。『拾遺集』には、詞書として、「河原院にて、荒れたる宿に秋来るといふ心を人々に詠み侍るけるに」とあるように、荒れ果てた河原院に集まった人々が、それぞれに歌を詠んだ時の一首なのだ。

河原院とは、河原左大臣源融(みなもとのとおる)が、六条坊門の南、万里小路の東にあったもので、奥州塩竃の浦の景色を模造していた。しかし、彼の没後は、鴨川の氾濫等で、荒れ果てた。恵慶法師が集まった頃は、親友の法師が住んでいたので、当時の文化人が集まって、こういう催しをよくしていたようだ。

いずれにせよ、今の時期には、この歌はぴったり。日本の秋、来(きた)るである。

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2013年10月 3日 (木)

明石市立文化博物館『明石藩の世界Ⅰ』展に行く

昨年、明石市立文化博物館に、旧明石藩主松平家と旧明石藩家老黒田家所縁の人から各種史料が寄贈されて、速報展が開催されたことは、このブログでも取り上げた。明石藩については、第二次世界大戦による空襲で、多くの史料が焼失し、その実態が詳細に伝わっていない。

今後、寄贈された史料を分析し、今後三次に分けて、企画展として催されるようだ。今回は、その一回目として、『明石藩の世界Ⅰ』(文書と絵画)が展示されていた(2013年10月20日まで)。

文書は、明石藩家老黒田家由緒に関する者、藩主松平家と家老黒田長棟関連、明石藩が幕末に西洋式砲術中心の農兵隊「新撰組」を組織していたことを示す史料等が展示。なお、どこでもそうだが、文書関係の史料は、見てもよく分からない。図録(800円)の解説は必要で関心ある方は買い求めた方がいいだろう。

黒田家由緒については、黒田長棟が1848年に江戸から明石に引っ越してきて以降の状況を示している。なお明石黒田家と官兵衛の播磨黒田家との関わりは不明のようだ。ただ、官兵衛の母は明石家出身だ。明石家は、後、改易され、播磨黒田家が引き継いだとも考えられる。その辺は、今後の調査が望まれる。

絵画は、藩主松平斉宜(なりこと)が描いた「富士図」、明石の画家、林半水の描いた「黒田半平長棟大黒天より財宝を賜る図」、長谷川雪旦による「半蔵門前大名行列図」など。「富士図」は、渡辺崋山の弟子、椿椿山(つばきちんざん)に師事したようだが、上手なのか下手なのか、素人には判別しがたい。ただ、款記に次のように記されているのが少し気になる。

 福如/東海/寿如/南山/癸卯春/如月

癸卯春/如月からは天保14年(1843)2月に制作されたことが分るが、福如/東海/寿如/南山は、どこか暗示的だ。単に富士山と三保の松原を愛でただけなのだろうか。「黒田半平長棟大黒天より財宝を賜る図」は、少しユーモアを感じさせる。子孫に見せるための絵だと云う。長棟自身が大黒なのかな。

余程関心がないと、このような催しに行くことは少ないかもしれないが、入館料も安い(大人200円)ので、明石公園の散歩がてら訪問してみるのもいい。昔の明石藩のことが少し偲ばれるのは確かだろう。また、「郷土のやきもの」展も同時開催していた。

*参考

ちなみに明石藩は、2019年に築城400年を迎える。

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2013年10月 2日 (水)

西播磨の秋祭り2013

今年も秋祭りの時期が来た。播磨では、毎年10月14日・15日に開催される「灘のけんか祭り」が有名だが、昨日と本日付の神戸新聞には、西播磨地区の各地(姫路、神河、市川、福崎、たつの、赤穂、相生、宍粟、太子、上郡、佐用)の秋祭りの日程が掲載されている。

それを見ると、なんと祭りの多いことか。やはり姫路市が断然多いが、その他の地区も結構ある。日程は、12日・13日が一番多い。今年は連休になるので、人の出が、かなり多いと予想される。

子供時代の楽しみは、何と言っても祭りであった。本来、神々に奉仕するための行事だが、子供にとっては、あの賑やかさが嬉しい。その感動は、一生忘れることはない。テレビ放映やネットなんかで見ずに、親子連れで、直に見に行って欲しいものだ。

なお、流風は、今年、近所の祭りを見に行こうと思っている。

*2016年9月30日追記

今年も秋祭りの季節がやってきた。姫路市の主な祭りは、浜手の山陽電車沿線が多い。飾磨駅、妻鹿駅、白浜の宮駅、大塩駅、山陽網干駅を目安に、いろいろ行ってみたら面白いかも。それには、1400円の三ノ宮・姫路1dayチケットがお得だ。三ノ宮と姫路間(山陽網干下車も可)を何度中途下車してもいいので、お得だ。

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日本語の新しい表現

文化庁が日本語の新しい表現を発表していた。それによると、新しい表現には、「ざっくりとした説明」、「きんきんに冷えた」、「気持ちがほっこりする」、「パソコンがさくさく動く」などがあるそうである。

流風は、これらの言葉は、あまり使うことはないが、確かに耳にはする。なんとなく雰囲気は分る表現だ。ただ曖昧表現には違いない。言っている本人と聞いている他人の程度が必ずしも一致しない。

それでも、言いたいことは何となく分る。それが日本語の特徴と言えばそうかもしれない。でも、ある新聞社の「「ほっこり」する新聞、目指します」というのは、冗談でも、あまり感心しない。新聞は、「ほっこり」を目指してはいけないだろう。社会の、あらゆる課題を見つけ出すのが新聞メディアの役割とすれば、「ほっこり」というのは安易すぎる表現だ。

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