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2013年11月 8日 (金)

続・黒田官兵衛の足跡 その一 官兵衛の評価

今回から、官兵衛の後半の人生を見ていきたい。現在、官兵衛物の出版物が増えているが、内容は様々。過大評価してものもあれば、本当に調べて書いたのか疑いたくなるような過小評価したものもある。

官兵衛の評価は、確かに別れることはあるかもしれない。ただ、彼は文武両道の人であり、武辺一辺倒の人ではない。また、決して、諜報活動による戦術だけに通じていたのてはないことは確かで、戦術だけでなく戦略にも長けていた(彼の配下に戦術に通じていて、あるいは、その配下に戦術に長けた人物がいたことは確かで、戦いの手法は、赤松時代から流れるゲリラ的な新戦法を採用している)。

官兵衛の戦略的志向や、その能力は、信長が高く評価しており、彼の志に通ずるものがあった。また、それは信長の志を表面的にしか分らなかった秀吉とは異なり、新しい日本をどのように導くか考えている(*注)。

更に、一般庶民の立場から、物事を見ていることだろう。それは父親の影響が強いかもしれない。秀吉は農民出身でありながら、不思議と、あまり庶民のことを考えていない。それに対して、官兵衛の戦略の底辺は、庶民を守るという強い意志がある。それは播磨精神でもあるとも言える。ここら辺を見誤ると、全て、おかしな解釈につながる。

そして、もう一つの見方が別れるのは、果たして天下を狙ったのかとか、そして狙える資質は持っていたのかということだ。それは秀吉との確執から、心が離れ、秀吉後の混乱に乗じて、チャンスがあれば狙うような心境になったことは確かなようだ。

但し、初めから天下を狙っていたわけではない。当初は、秀吉に誠心誠意を以って尽くしている。多分、天下への野心は持っていなかっただろう。彼に、そのように仕向けたのは、皮肉にも秀吉ということになる。

*注

官兵衛の真意は『黒田家譜』に次のように記しされている(一部現代かなに修正)。

「如水は秀吉公に仕え給うは、その本志にあらず。信長公に仕えん事を求め、岐阜にて初めて拝謁し、信長公より直書を度々拝領して長政を信長へ参らせらる。その志は元来信長公に仕えるに有り。その後、播州を秀吉に給わりし故、その国に居て、その国主に叛らい難く、止むを得ず秀吉に従うのみ。此方より仕えを求め、身を委ねて、臣と成り給うにあらず」

ただ、これは徳川家の時代になった後の、徳川家への言い訳でもある。よって本当の官兵衛の真意は不明である。

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