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2013年11月12日 (火)

笑って過ごすも一生、泣いて過ごすも一生ということ

以前にも記したが、父は少し楽天的な思考の持ち主であった。母は、父とは真逆で、全てに於いて悲観的に考える方だった。父は、母の、そのような考え方にうんざりしていて、時々「笑って過ごすも一生、泣いて過ごすも一生と言うではないか(泣いても一生、笑っても一生、のことで、父は、なぜか逆に言っていた)」と、母に諭していたが、一生改まることはなかった。性分というものは、そんなものかもしれない。

流風は、両親の影響を受けているが、子供時代は、母の影響を強く受け、社会人になってからは、徐々に父の影響を受け、父の言うことがよく理解できた。要するに母の悲観的な見方は、世間を狭く見過ぎている結果だと判った。悲観的な母を親に持ったことは、子供にとって災難かもしれないが、常にリスクを考える習慣はついたことは、良かったのかもしれない。ただ、物事を消極的に考えて、多くの機会を失ったこともある。

総合的に考えると、ある程度、楽観的に物事を考えた方が、生きるには、いいのだろう。ことわざに、「塞翁が馬」とか、「禍福は糾える縄のごとし」とか、「捨てる神あれば、拾う神あり」とか、「成るようになる」等、人生の節目節目にアドバイスしてくれたのは父だった。厳しい父だったが、どこか心の明るさを持った人だった。

*追記

父は、石橋を叩いても渡らない慎重居士でもあったが、母は、逆に、時々、大胆なことをやって周囲を驚かせた。悲観的な人間ほど、大胆なのかもしれない。それに対して、父がブレーキを掛けると母は不満そうで、いつも揉めていた。晩年まで、よく喧嘩をしていたが、今から考えると、案外、バランスが取れていたのかもしれない。

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