« 「しろまるひめ」と「姫路お城の女王」 | トップページ | 商店街と催しの定期化 »

2014年4月27日 (日)

筍と孝養

筍が美味しい季節になってきました。そこで、今回は、それにまつわる有名な話を『今昔物語』から取り上げてみよう。儒教的色彩が強く、最近は、あまり語られない孝養がテーマだが、現代人にも考えさせられる。話の内容は次のようになっている。

昔、中国、漢の時代に孟宗という人がいた。彼は老母と一緒に暮らしていたが、その母親は、少しわがままになって、毎食、筍がなければ食事しないという有様だった。孟宗は、母のために筍を常時何とか入手していた。

今の時期は筍は手に入りやすいが、時期によっては、無い時期もある。それでも、各地を探し回り、何とか手に入れて、朝夕の食前には、筍料理を提供していた。

ところが、ある冬のこと。雪は高く降り積もり、地は凍ってしまい筍を掘りに行くこともできない。よって筍を食前に提供できなかった。そうすると、たちまち母親は食べることを拒否してしまう。孟宗は、このままにしておけば、母は亡くなってしまうと憂え、泣き悲しむ。

そうすると、どうしたことか、庭を見ると、たちまち3本の筍が生えてきた。これを見て「我が孝養の心の深きを以って、天の哀むで給える也けり」と言ったとか。母親に早速提供すると、彼女は喜んで食事をしたと云う。

この話は孝養の大切さを説いたものだが、子供は親があって生まれてくるもの。親の無理はどんなことでも聞かなくてはならない。まあ、現代の日本人には、ちょっと理解不能かもしれない。ただ、自分自身の存在が、どこから来るものかは、時々考えてみるのもいい。そこから親との接触の仕方が見えてくるかもしれない。

流風には、既に親はいないから、最早、孝養はできない。仏壇に花を供え、手を合わすだけである。筍ごはんでも作って供えようか。

|

« 「しろまるひめ」と「姫路お城の女王」 | トップページ | 商店街と催しの定期化 »

古典文学・演芸」カテゴリの記事