« 2014年4月 | トップページ | 2014年6月 »

2014年5月31日 (土)

TPPは農村を荒廃させる罠か

日米のTPP交渉後、米国の担当者は議会で高笑いしていた。それほど米国に有利な妥協を引き出せたということだろう。交渉内容は秘密ということだが、頭隠して尻隠さずの態。裏を返せば、日本はTPP敗北は明らか。自民党はTPPに反対していたのに、方針を無視して交渉に臨み、米国にやりたいようにやられている。米国の交渉担当者は米国の食糧会社の手先みたいなものだから、食糧会社は、しめしめと薄笑いを浮かべていることだろう。

こうしてみてくると、TPPは何かと話題になり、是非の議論は国内でもあるが、はっきり言えば、米国の食糧戦略の一環だろう。すなわち、食糧を押えることで世界の国々の首根っこを押さえようという戦略だ。そして、それは、その対象に同盟国の日本も含まれているということだ。

彼らの戦略は、貿易自由化という名の下に、相手国の農畜産品価格を、まず引き下げさせる。そうなれば、相手国の農畜産業は価格競争で厳しくなる。当然、対策を考える。それは価格対応する方法と付加価値を高める方法だ。付加価値を高める方法は、ある程度、有効だが、市場には限界がある。

そこで、例えば、農業では、生産方法を効率化させスピードアップする「うまい方法があるよ」と悪魔の誘い水をかける。それが遺伝子組み換え種子(GM種子)。それを使えば、機械化により生産効率は倍増するとか、農薬使用量を激減させられるとかアピールする。ただし、それには特別の除草剤が必要だ。

ところが、遺伝子組み換え農産物を生産すれば、特殊な除草剤を使うため、その他の農産物は生産できない。それに農産物の市場価格が上がってくれればいいが、逆に大量生産により引き下げられる傾向がある。このことが生産者を苦しめることになる。更に、追い打ちをかけるように、種子会社は初めは、GM種子を安く提供するが、普及すれば価格を引き上げる。そこで農業者は破綻し、農地は荒廃する(*注)。それは畜産も同様だ。

農畜産家の方々は、TPPによって安い農畜産物が国内に入ってきても、現象に惑わされず、慎重に対応する必要があるだろう。まず言えることは、安易なことには手を出さず、消費者と密接なコミュニケーションを取ることだろう。そうすれば無理なことをしなくても道は開ける。

*注

この現象は、既に農業国で生じており、多くの農業者を苦しめている。また遺伝子組み換え農産物の摂取は人体に悪影響があるのかどうかは、長い時間をかけないと分らないが、動物実験では既に悪影響があるとされる。しかしながら極端な実験のため是非が分れている。ただ、自然界に存在しない、この農産物は、一種のサプリメントと捉えることもできる。よって、定期的な摂取は、他のサプリメント同様、人体に悪影響する可能性は否定できない。

*追記

日本の農畜産業も現状のままでは駄目なことは分っている。ただ海外の農畜産物と価格競争する発想は避けたい。国は流入する海外の農畜産物の品質基準チェックを強化すると共に、棲み分けを考えるべきだろう。よって無駄な競争をしない発想も求められる。すなわち全てが大規模化による効率化ではなくて、競争しない多様化だ。そして、他の産業同様に、品質の高さの維持だろう。

*参考

米国の行き過ぎた自由主義・資本主義は米国内で、大きな格差を生んでおり、1%の人々が経済を牛耳っているという。彼らに搾取された人々は、困難に直面している。まさに、そういうシステムを海外にも強要しようとしている。これらの行き過ぎたやり方は、貧困の輸出政策として、やがて世界を混乱に陥れ、反米感情を高めるだろう。米国の貧困化については、次の書籍に詳しい。

 堤未果 著 『(株)貧困大国アメリカ』(岩波新書刊)

|

2014年5月25日 (日)

左甚五郎と落語『三井の大黒』

最近まで、左甚五郎が、現在の兵庫県明石市の出身とは知らなかった。けれども、甚五郎を顕彰した催しはあまり聞かない。地元ではやっているのかもしれないが、県全体としては周知されていない思う。そこで、今回は左甚五郎を取り上げてみる。

左甚五郎と言えば、日光東照宮の眠り猫が有名だ。東京時代に行ったことがある。また上野寛永寺の昇り龍の彫刻でも知られる。このように東京での彫物師としての活躍が目立つため、生まれの地元の方では、あまり知られていないようだ。

彼は、今から約420年前の文禄3年に、明石郡和坂村(かにがさかむら)で生まれた。幼名は、伊丹刀禰松(とねまつ)という。両親は、訳あって、庄屋の伊藤家に仮住まいするが、やがて父親が亡くなり、この地を離れることになる。

そして、母親の縁で、飛騨国高山に身を寄せる。この辺からの話は、よく知られていることかもしれない。当時、彼は7歳。そこで、ある人物にめぐり会う。それが、当時、京都の禁裏大工として名人と言われた棟梁の遊左法橋与平次だ。そのめぐり会いについては、いろいろ話になっているが、多分、手先の器用な刀禰松の能力を見抜いたのだろう。栴檀は双葉より芳しということだ。

そういうことで、後に、京都の遊左家に弟子入りし修業する。呑込みの早い彼は、若くして若棟梁にまでなっている。それは遊左の見込んだ通りだった。そして20歳にして、「甚五郎利勝」の名を与えられる。更に、今は亡き父親の「伊丹左近尉正利」から「左」と、師匠の「遊左」の「左」を兼ねて、姓を左にしたと云う。

ところで、甚五郎をネタにした落語もある。ただ、落語で演じられるが、サゲもないことが多い。講談に近い。彼の名声ぶりを大袈裟に表現したものだ。以前に、落語『竹の水仙』でも取り上げたが、今回は『三井の大黒』を取り上げてみる。あらすじは次のようになっている。

三井家には、運慶の作と伝えられる先祖伝来の木彫りの恵比寿像があった。そして、これに「商いは、ぬれ手で泡の一つ神」(*注)という短冊が付いていた。三井家には、更に、これに大黒天を配して、一対の福の神にしようと思って、その彫刻を甚五郎に依頼する。甚五郎は、それを百両で引き受ける。

とりあえず、手つけとして三十両を渡したのだが、甚五郎はいっこうにかかろうとしない。彼は、それどころか、気が向かないので、ノミを手にするどころか、江戸見物に行ってしまう有様。ここら辺は、天才肌の人に共通することだ。

その途中で、以前にも拙ブログで取り上げた「竹の水仙」を藤沢の宿で彫り、その作品が毛利大膳太夫に買い上げられ、話題を振りまく。そうして江戸に着くと、名前を隠して、浅草の大工の棟梁政五郎の家に身を寄せる。甚五郎は、彫物師としての方が有名だが、本来は宮大工。

だが、彼は天才によく見受けられる風采など一切構わないタイプ。よって若い衆からは馬鹿にされる。そうこうするうちに年末になり、棟梁から、何かを作ってみたらと投げかけられ、そういうと三井家から頼みごとをされていたと思いだし、彫り始める。これが三井家で名作とされている大黒天。

三井家は彫りあがったと連絡を受け、残金七十両と、酒肴代十両を持って番頭がやってくる。そこで、例の恵比寿像の短冊に続けて、「守らせたまえ二つの神たち」とつける。それを見て、政五郎や、その弟子たちも今までの無礼を詫びる。ところが、甚五郎は、その金を全て政五郎に渡し、「私のことは内緒にしてくれ」と頼む。だが、かえって、このことが広く世に知られるようになり、より名声を高めることになったとさ。

甚五郎の金離れのよさに、江戸っ子は気に入ったのかもしれない。また世話になったことを忘れず、恩を返していく人柄も多くの人々から支持を集めた理由かもしれない。

*注

「商いは、濡れ手で泡の一つ神」というのは、本来は、「濡れ手で粟」と言うのをひっかけたものかも。濡れた手で粟を握ると、たくさん粟がついてくる。いわゆる商いで言えば、儲かって仕方ないという意。ところが、「商いは、濡れ手で泡」というのは、いくら努力しても利益が残らないという全く異なる意。ただ、こういう言葉は無い。落語用に創作された言葉。なお、一つ神は、「一掴み」と「一つ神」と兼ねたダジャレ。

*追記

なお甚五郎は、成功してからは、出生地の明石に対して、いろいろ影に日向に応援したようである。彼は、慶安四年に57歳で亡くなっている。また彼を有名にしたのは、講談や歌舞伎など芝居もので、それは亡くなってから約百年後のことであった。よって各種話には、間違いなく尾ひれが付いている。

|

2014年5月21日 (水)

姫路ゆかたまつりの行方

姫路ゆかたまつりというと、たくさんの露店が並び、毎年賑わいを見せていた。ところが今年(平成26年)は少し様相が異なる。開催日は、例年通り(6月22日から24日まで)だが、今年は少し内容が違う。

というのは、例年、露店が700店以上並ぶのだが、露天商組合が組合員から暴力団への資金提供が明らかになり、組合が解散してしまったのだ。更に福知山での花火大会の事故により安全管理厳格化のため、露店は、露店運営協議会(姫路市、姫路署、住民らが運営)が公募することになった。

ただ規模は以前の五分の一以下の130店を募ったが、応募は少なく、結局、40店舗ほど。地元商店街関係者の店を加えても、70店舗ほど。少し寂しい感じだ。行政や当局が祭行事に介入すれば、大体が面白くなくなる。子供時代、露店の並んだ道を歩いたのが懐かしい。一体、どのような姫路ゆかたまつりになるのだろうか。

時代の流れとはいえ、露天商を排除して、ゆかたまつりが成り立つものなのか。少なくとも、賑わいには欠けるだろう。祭りは賑わいがあって初めて成り立つ。そういう意味では、露天商は、十分その役割を果たしてきた。彼らには一般人には見えないノウハウがある。

もちろん、これは新しいチャンスと言えないこともない。新しい催し企画などを追加して、歴史ある、このまつりを子供たちに思い出とのなるものにして欲しい。ただ、露天商の賑わいのノウハウが、きちんと継承されたものでなければ、ありきたりの平板な祭りになってしまう。ただ、それが懸念事項だ。

*追記

今年から露店の展開場所は、国道2号線いと十二所線の間で、大手前通りより西側の一定区間のみのようだ。ちょっと寂しい感じは否めない。ただ、神社の位置と大手前通りより西側の催しは少ないので、その地域を重点にする意図は分る。

*追記

祭は、為政者にとって、民衆のガス抜きだ。それを行政が管理し始めると、本来の祭の意味が無くなる。

*追記

新しい試みに失敗すれば、「姫路ゆかたまつり」は、勢いを失くし、消えていくかもしれない。

*追記

ちなみに平成26年の「姫路ゆかたまつり」の概要は次のようになっている。毎年、似たような内容だ。また例年のように、ゆかたを着用すれば、神姫バス料金が半額になったり、指定の映画館の映画鑑賞料金が割安になる。また文化施設への入場料が無料になる。

◎開催日 6月22日、23日、24日

        午後4時30分より9時30分まで。

◎催し内容

  ① 6月22日 

      ●子どもゆかたパレード  午後5時10分より

         姫路城三の丸広場→長壁神社→城南公園

      ●オープニングセレモニー 午後6時より

         城南公園にて、ステージ等

  ② 6月22日、23日、24日共通

      ●商店街イベント

         二階町、西二階町商店街にて各種催し、販促キャンペーン。

      ●ふれあいステージin城南

         城南公園にて

           太鼓演奏、ミュージカル、総踊りなど。

なお、荒天の場合は中止される。問い合わせ先は、tel 079-282-2012(自動対応)。

*追記

一般には、よく分からない露天商について、最近発刊された次の書籍が参考になる。祭を催す関係者は一読して欲しいものだ。

 厚 香苗著

  『テキヤはどこからやってくるのか?(露店商いの近現代を辿る)』

  (光文社新書)

|

2014年5月17日 (土)

英国文化は面白い

現在、少しマイブームなのが英国文化。一定のサイクルで、やってくるが、今が、その時期。シェイクスピアの作品は、時々思い出したように読みたくなる。彼の人生観は、やはり面白い。集団的自衛権などと底の浅い考え方の持ち主のどこかの首相も読んで欲しいものだ(苦笑*注)。

そして、少し前には、DVDで、映画『ジェーン・エア』、『嵐が丘』を鑑賞した。ブロンテ姉妹の作品だが、若い時は、母に頼まれて著作本を買ったが、女性の作品は内外を問わず苦手なので、流風は、ついに読むことはなかった。

それが先日、ふと目に止まり、一体、どういう作品なのか観てみることにした。やはり、そこには英国文化というか、彼女たちの考え方が表れていた。映画だけで判断するのは、少し危ういとは思うが、考え方が英国的というのか、あるいは全世界の女性に通ずる見方なのかもしれない。

また日本で現在公演されているミュージカルとしては、宝塚歌劇団出身の花總まりさんが出演されている『レディ・ベス』がある。これはエリザベス1世を題材にしたものだ。あらすじを読むと、英国貴族社会のドロドロとした話だ。こういう話は、女性が好むのだろう。結構ヒットしているらしい。流風は舞台鑑賞には行けないが、CDも発売されるようだから、それを入手してみようかとも思っている。

そして、最近NHKで深夜、放送が始まった番組で少し面白そうなのが、1912年頃の英国を舞台にした『ダウントン・アビー』である。初回を視聴しただけだが、要するに金持ちの遺産を巡る話のようだが、彼らの思考に興味がある。日本で言えば、山崎豊子の『華麗なる一族』のような感じであろうか。金持ちには金持ちの悩みがあるという。一般庶民には関係ないけれど、ちょっと覗き見して、批判的に鑑賞してみるのもいい。

さてさて、いつまで続くか。英国マイブーム(笑)。

*注

決して彼らを真似せよという意味ではない。反面教師的に学べばいい。大英帝国を潰したのは結果的に日本であることに間違いはない。しかしながら、根本的に彼らに何の問題があったのかは、彼らの文学作品から読み取れる。現代日本は欧米の真似をしてはならない。戦前のように国を危うくしかねない。

|

2014年5月13日 (火)

聖人の出生の秘密

出生の秘密なんてものは無いにこしたことはないが、最近はDNA鑑定で、出生の秘密が暴露されたりして、母親の過去の行状が明らかになっている例もある。子供にとっては、親は選べないが、ある日、突然の血のつながりある親の暴露は、育ての親との関係を微妙にする。子供たちの精神構造に微妙に影響していくことは確かだろう。

さて、それは聖人でも同じ様で、いろんな出生の秘密が暴露されている。明らかにするのがいいのか、悪いのか分らないが、秘密にされてきたが、内々噂にはなっていたことだろう。それでも、昔は、非科学的説明でも受け入れられたが、現在では、理解されがたいということだろう。

例えば、孔子は、正式な婚約に基づく子供ではなかった。つまり野合による出生としている。孔子は、このことをオープンにしているが、一生、これを恥じたという。そこから、彼のような考え方が生まれたと見ることもできる。

キリストは、マリアが姦通によって孕んだ私生児ということだが、教えでは、神霊と交わり生まれたとする。神格化するため、事実を隠そうとしたことが窺える。結果的に、父(てて)なし子の方を選択している。賤しい本当の父親の存在を抹殺して、キリスト教の価値を高めようとしたのだろう。

そして、仏教界の日本の高名な僧たちも、凡そ、そのようであったという。仏門に入った理由は様々だろうが、多くは、処置に困った子供の可能性が高い。すなわち捨て子が、止むなく仏道を選択したということだ。そして仏教は基本的に、禁欲主義だったから、高僧を聖人化する過程で、彼らの出生の秘密はベールに覆われる。代表的な例では次のようになっている。

◎伝教大師

   彼の母は、光明の神体が現れて教えを授くと夢見て孕んだ。

◎弘法大師

   彼の母は、天竺の聖僧が飛び来たって懐中に入ると夢見て孕んだ。

◎慈恵大師

   彼の母は、日の光が懐中に入ると夢見て大師を孕んだ。

◎恵心僧都

   彼の母は、聖僧が来て美しいタマヲ授くと夢見て孕んだ。

◎西行法師

   彼の母は、普賢菩薩から金剛経を授かると夢見て孕んだ。

◎円光大師

   彼の母は、剃刀を呑込んだと夢見て孕んだ。

◎解脱上人

   彼の母は、高貴なる僧が来て、懐中に入ると夢見て孕んだ。

◎泰澄禅師

   彼の母は、美麗な白玉が懐中に入ると夢見て孕んだ。

◎親鸞上人

   彼の母は、金光が三度、身体を巡って口に入ると夢見て孕んだ。

◎聖一国師

   彼の母は、明星の光を採ると夢見て孕んだ。

◎日蓮上人

   彼の母は、日輪が八葉の金蓮華に乗って懐中に飛びいるを夢見て孕んだ。

◎慈眼大師

   彼の母は、珍しい花を呑込むと夢見て孕んだ。

どれも非科学的で、笑いたくなるような表現。要するに、出世すると、過去は何かで覆い隠し、好いように見せたいということだろう。孔子のようにオープンにするのは、稀なようである。よくよく考えると、別に偉人になれなくとも、両親の下で、幸せに暮らす方が、子供にとって、いいことのなのだろう。

でも、片親だからと言って卑下する必要はない。心掛け次第で大出世する可能性もあるのだから。ただ、出世しても、妙に出生の秘密を隠さないで欲しい。妙な聖人化は、一種の詐欺行為に近いし、信頼性に欠ける。「みんな、悩んで大きくなった」でいいのだ。

*参考文献

宮武外骨 『面白半分』(河出書房新社)

|

2014年5月 9日 (金)

他人の不幸と落語『胡椒の悔み』

お悔みの口上は、大体、「この度はご愁傷さまで、、、、」と語尾が曖昧に聞こえる程度になることが多い。あまり滑舌がよくても、この場合、変な感じになる。それに喪主には、ほとんど耳に入っていないだろう。よって長い口上は迷惑この上ない。

さて、落語に『胡椒の悔み』というものがある。あまり演じられてはいないようだ。内容は、いつも、げらげら笑ってだらしない男がいた。その男が家主のところに不幸があって、お悔みに行かなければならなくなった。どうやら親戚の若い娘が亡くなったらしい。

お悔みは人の死を弔うことだが、人間社会では大切なこと。目出度い結婚式には不義理しても、葬式には必ず参列せよとは、現役時代の教え。人間関係は、こういうことが重視される。尤も、それに付け込む輩もいるにはいるが。

さて、この男、思ったことをすぐ口に出す大バカ者。今回は、「なんで、そんなに若くて死んだりするんだ。よぼよぼの80歳、90歳になって死ぬのなら、まだしも、そんな若くて死ぬなんて親不孝者」とか言っている。おやおや、大丈夫かな。それに、この男が、お悔みに行くには、まず普段、笑い癖がついているので、お悔みに行くには、それを止める必要がある。

女房に相談すると、お悔みの作法を教えながら、胡椒を用意して、「家主の門のところで、胡椒を飲んで入りなさい」と教えられる。何とか、口上を覚えて、家主のところに行くと、既に一足先に、近所の婆さんがやって来ていて、しみじみとお悔みを長々と述べている。やっと婆さんが帰って行ったので、それではと、口いっぱいに胡椒を、ほうばって家の中に入った。

ところが、口の中がひりひりして、何も言うことができない。ようやく口上を述べるも、途切れ途切れで、ポロポロと涙を流しながら、ついに発した言葉が、「どうか助けると思って、水を一杯下さい」。茶碗に水をもらって、飲み干すと、「(口上も何とか言えて)ああ、これは、いい気持ちだ」

こういうタイプは、実際に居るし、誤解を招きやすい。悪気はなくても、一時的に他人を不愉快にする。性分というものは、なかなか直せないが、元々性根は悪くないので、周辺が、やかましく注意してやることが大切だ。

|

2014年5月 6日 (火)

チャリ&テクシー

チャリ & テクシーは、ローマ字と英語で表記すれば、CHARI & WALKとなるのかな。CHARIは、「チャリ」、すなわち「チャリンコ」。これでも分らない人に説明すると、「自転車」のこと。テクシーは、大正時代から言われていた「徒歩」のこと。もちろん、タクシーをひねった言葉。

今、マイブームは、このチャリ & テクシーである。寒い間は、バス&テクシーが多かったが、暖かくなり、バスの代わりにチャリを多く使っている。晴天に車やバスに乗るのは勿体ない気持ち。そうすると、不思議とテクシーによる歩数も伸びている。

神戸は、歩く街としてデザインされているため、楽しみながら歩けるが、こちらは、残念ながら、まだ開発途上。最近、面白い施設が少しずつ増えているから、将来的にはテクシーのみの日も増えるかもしれない。

今は、バス停を10ぐらいの距離を歩いても、そんなに楽しめない。よって途中まで、チャリで行き、無料の駐輪場か、あるいは有料の駐輪場に預けて、そこからテクシーとなるのだが、駐輪場は今のところ、限られている。残念ながら車の駐車場ほど整備されていない。

駅近くには、ビジネスマン向けや商業施設の駐輪場はあるが、それでも絶対数は少ない。需要との兼ね合いで、致し方ない所だろう。もう少し、各所に駐輪場が増えてくれればいいのだが。よって今は、駐輪場に限界があるので、テクシーの範囲は限られている。それでも、結構、楽しめる。バスでは見えない風景もある。

歩いていると、駅近くではないのだけれど、新しい店や催しを発見する。そして新しい興味がわく。いい循環。それにバス代も浮く。更に、最近は喫茶店にも、あまり寄らなくなった。更に浮く。消費税アップ分は賄えそう(笑)。まあ、以前にも記したが、流風は定額消費なので、浮いた分は、どこか別の所に使ってしまう。そういうことで、チャリ & テクシーは、より楽しい。

|

2014年5月 2日 (金)

落語『八五郎出世』を考える

    恋ぞ積もりて 扶持(ふち)となる 妾(しょう)が兄

最近は、「お妾(めかけ)」という言葉はあまり使わない。語源は「目をかける」ところから来ているらしい。現代で言えば「愛人」だろうが、正妻以外に女性を囲うことは同じだが、どこかニュアンスが異なる。敢えて記せば、奉公と契約の違いかな。

ところで、川柳は、いろんな人間関係を冷やかに端的に表現するのに役立つ。上記の川柳は、権力者の気まぐれな恋が、お妾の縁戚にまで影響を及ぼす、ということを表している。お妾のおねだりが、彼女の兄弟縁者に幸運をもたらすことへの皮肉。

こういうことは、歴史的に世界で、延々と続けられてきた。玄宗皇帝の寵愛した楊貴妃の場合も、そうだろう。兄弟が取り立てられて権勢を振るっている。平安時代は、藤原氏が外戚として権勢を我がものとしたし、江戸時代には、殿様が手をつけた女性が、側室になったりすると、その兄弟が取り立てられたりしている。

落語にも、『八五郎出世』というものがある。別名は『妾馬』となっている。孝行娘で長屋で貧乏暮らしをしていた、おつるちゃんが赤井御門守に見染められる。そしてお妾として上がる。そして、ついには、お側室にまでなる。

更に、幸いにも、懐妊して、男子出生。赤井御門守に男の子はなかったから、御世継ぎを産んだことになった。その結果、「おつるちゃん」は「おつるの方」に。更に、彼女の兄の八五郎まで、侍分に出世し、「左様しからば」とか何とかという身分になる。

その八五郎、殿様より、お屋敷に招かれる。でも、彼の気性は職人気質で飾り気がなく、下町の長屋暮らし人間の典型。周囲は、お殿様のご機嫌を損ねないかとハラハラするが、お殿様は逆に八五郎の気性を気に入る。おつるの願いも有り、士分に取り立てられる。

そういうことで、ある時、御使者を仰せつかって、馬に乗って出かけて行ったが、馬術の経験は全くないから、馬を走らすことはできても、それを止めることはできない。止むなく、鞍にしがみついて、青くなっていると、家中の者が、やっと止めてくれる有様。

そして、家中の者に皮肉を込めて、「これはこれは八五郎殿。早打ちで、いずこに参られるか」と問うと、八五郎「さぁ、どこへ行くのか、馬に聞いておくんなさい」と下げ。

落語は、これで一旦終了することが多いが、この続きは、更にあり、八五郎は、やがて堅苦しい武家の奉公に閉口して、ついには、武家奉公を投げ出し、元の職人に戻っていく。殿様から頂いたお金を元にして、職人を新たに雇い、棟梁としてやっていく。

更に、女房も迎え、貫録もついていき、ほっとしたところ、おつるの健康状態が産後の肥立ちが悪くて、それが心配の種というような普通の庶民の生活を送るようになったとさ。

この落語の教える所は、たとえ係累の出世による実力の伴わない出世は空しいということ。そして、人には、それぞれ与えられた使命と適性があるということだろう。親類縁者の出世は喜ぶべきだろう。だが、たとえ、周囲が囃しても、自分は自分という心構えを持たないと危ういということだ。

|

« 2014年4月 | トップページ | 2014年6月 »