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2014年6月14日 (土)

恋まじないの歌

七月七日は言わずと知れた七夕。牽牛星と織女星が天の川で出逢われるという。当夜に、この星を祭って思うことを祈れば、叶わぬことが無いというもの。

さて、江戸時代には、滅多に会えない異性に対して、恋まじないに使われる歌があった。会えない状況は様々。多分、花柳界の女性の心情から始まったものだろう。それが、次の百人一首(九十七番)にもある藤原定家の歌。

 こぬ人を まつほのうらの 夕なきに

   やくやもしほの 身もこがれつつ

現在の兵庫県の淡路島の北端の明石海峡に面したところにある「松帆の浦」で焼いている藻塩を題材にしたもの。でも、現代人に藻塩と言っても分らない。これは古代から行われていた製塩法の一つ。

海藻に海水をかけて日に干し、その藻塩草を焼いて、それを水に溶かして、更に上澄みを煮て塩を得るやり方。だが、藤原定家の頃には、もっと効率的な製塩法が普及していた。この歌は万葉集をベースにしているので、懐古的な題材になっている(*注)。元歌は男の歌だから、それに対する女性の返しのような歌の内容になっている。

さて、歌の解釈は、「あの松帆の浦の夕凪時に焼いた藻塩が焦げるように、通っては来てくれぬ人を待つ気持ちは、身を焼く思いで待ち焦がれている」という情熱的なもの。この歌は定家が女性の気持ちを代弁したものと言える。

これがなぜ恋のまじないに使われたのかは分らない。ただ筆の鞘を焼きながら、上の句を三回唱えると、待ち人が来ると云われた。そして運よく念願の男が来たら、その男と口をきく前に、下の句を三回唱えなければならないということだ。

まあ、このようなまじないは、現代では学生のような閑人(?)が考えそうなこと(笑)。いつの時代も、こういう遊びは廃れない。

*注

万葉集巻六の九三五の歌が元歌。

「三年丙寅の秋の九月十五日に、播磨の国の印南野に幸(いでま)す時に、笠朝臣金村が作る歌一首」

 名寸隅の 舟瀬ゆ見ゆる 淡路島

 松帆の浦に 朝なぎに 玉藻刈りつつ

 夕なぎに 藻塩焼きつつ 海人娘女

 ありとは聞けど 見に行かむ よしのなければ

 ますらをの 心はなしに たわや女の

 思ひたわみて た廻(もとほ)り

 我れはぞ恋ふる 舟楫(かぢ)をなみ

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